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判例コラム

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判例コラム

 

第5号 「嘔吐した物を誤嚥して窒息死」したことに基づく保険金請求事件 

~吐物誤嚥は「外来の事故」に該当するか~

文献番号 2013WLJCC005
専修大学法科大学院教授
弁護士 矢澤昇治

1. はじめに

実存主義者として知られるジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul C.A.Sartre)の著書に『嘔吐』(La Naus é e)がある。ロカンタンという名の研究者が事物や境遇によって彼自身の自我を定義する能力や理性的・精神的な自由が侵されているという確信に至り、吐き気を感じさせられるというのがその内容である ※1。この小説では、ロカンタンが吐き気を感じることだけで終わっている。では、ロカンタンが、吐物の誤嚥により窒息死した事故に遭遇し、その不慮の死亡にかかる保険金等請求事件に対する最高裁平成25年4月16日第三小法廷判決※2(以下、「本件」または「本判決」という)を自ら評価するとすればどのようになるであろうか。

2. 本件の事実と判決の概要

Aは、平成20年12月24日、飲酒を伴う食事をした後、欝病の治療のために処方されていた複数の薬物を服用した。その後、Aは、うたた寝をしていたが、翌25日午前2時頃、目を覚ました後に嘔吐し、気道反射が著しく低下していたため、吐物を誤嚥し、自力でこれを排出することもできず、気道閉塞により窒息し、病院に救急搬送されたが、同日午前3時18分に死亡が確認された。Aの死因は、吐物誤嚥による窒息であった。Aが服用していた薬物は、いずれもその副作用として悪心及び嘔吐があり、その中には、アルコールと相互に作用して、中枢神経抑制作用を示し、知覚、運動機能等の低下を増強するものもあった。Aの窒息の原因となった気道反射の著しい低下は、上記誤嚥の数時間前から1、2時間前までに体内に摂取したアルコールや服用していた上記薬物の影響による中枢神経の抑制及び知覚、運動機能等の低下によるものである。
そこで、普通傷害保険契約の契約者兼被保険者が嘔吐した物を誤嚥して窒息し、死亡したことについて、保険金受取人である上告人らが、保険者である被上告人に対し、死亡保険金の支払を求めたのが本件事案である。
本判決は、「誤嚥は、嚥下した物が食道にではなく気管に入ることをいうのであり、身体の外部からの作用を当然に伴っているのであって、その作用によるものというべきであるから、本件約款にいう外来の事故に該当すると解することが相当である。この理は、誤嚥による気道閉塞を生じさせた物がもともと被保険者の胃の内容物であった吐物であるとしても、同様である」として、保険金の支払事由を被保険者が「急激かつ偶然な外来の事故によってその身体に傷害を被ったこと」と定める約款の解釈に及び、原審が被保険者の窒息は外来の事故による傷害に当たらないとした判断には ※3、判決に影響を及ぼす明らかな法令の違反があるとして、原判決を破棄し原審に差し戻した。

3. 傷害保険普通保険約款

傷害保険普通保険約款の典型例は、「当会社は、被保険者が日本国内または国外において急激かつ偶然な外来の事故によってその身体に被った損害に対して、この約款に従い保険金を支払います」のようである。ここで、傷害保険において用いられる「急激・偶然・外来の事故」という概念は、どのように理解されるのであろうか。傷害の定義規定が採用されたドイツ保険契約法とは異なり、わが国では、「急激・偶然・外来」の事故の概念は、全く判然としない。例えば、事故の急激性については、「事故が突発性で傷害発生までの過程において時間的間隔がないことや事故の発生が被保険者にとって予測・回避できないものであった」、また、事故の外来性については、「事故の原因が被保険者の身体外部からの作用による」などと説明されている。
しかし、このような説明は、余りに抽象的に過ぎて、容易には理解できない。例えば、「時間的間隔がない」とは、物理的に、いかなる時間を意味するのであろうか。専門家でさえも、どのような事故についてどの位の時間的間隔が必要なのであるかを事前に理解し予測することは容易ではない。「外来性」についても、事情は同一である。これらの漠としてとりとめのない「不慮の事故」の概念の基準が保険金支払の要件とされた。また、生命保険金支払の対象とされる不慮の事故については、外来の事故という要件に加えて、昭和53年行政管理庁告示73号に定められた分類項目と厚生大臣官房統計局調査部の統計分類提要により事故例が具体化されている。行政が「不慮の事故」の要件の加重に容喙する理由とは、どのようなものであろうか※4。加えて、被保険者に保険金申請の際に過酷な主張と立証を求めることとなり※5 、さらに、被保険者に不利となる判例が蓄積され、それらを支持する学説が跋扈することになる。

4. 外来性の要件を絞り込むための技法

外来性の判断基準を定義するに及び、大阪地裁平成4年12月21日判決は、「通常人」、「日常的な行為」なる要素を導入した※6 。すなわち、「死亡を将来するような素因を身体内部に抱えている人が、何らかの外部的なきっかけがあって素因が現実化し、死亡するに至った場合、そのようなきっかけが、日常生活上普通に起こり、通常人であればおよそ死亡に結びつかない場合にまで、それを外部性を有するものとして、不慮の事故の中に含めるのは相当でない」、「同人の死亡当時の低温の気象は、日常生活上普通に起き、通常人であればおよそ死亡に結びつかない事象であったというべきである」であると判示したのである〔下線:判決文では、傍点〕。ある学者は、「外来性の要件を絞り込むことにより不慮の事故の発生を否定する手法もありえてよいはずであり」、「日常生活上普通に起こる出来事は外来性の要件を満たす事故ではないといえば足りるであろう」という。
しかし、この判示には根本的な疑問が生ずる。事故の外来性とは、傷害(死亡を含む)の原因が被保険者の身体の外からの作用であることをいい、身体の内部に原因するものは除外されると言及することに一応の理由があるとはいえ、「外来性」の要件を絞るために、判例と学説は、更に曖昧模糊とした「通常人」とか「日常生活上普通に起こる」などの要件が加重的に評価対象とされている。しかしながら、傷害保険に加入する被保険者は、自らが通常人であるとか、日常生活上普通に起こるか否かについては知りうる状況にもないし、まして、この理由で保険の対象にならないなど考えもつかないであろう。むしろ、いかなる事態でも生起しうる不慮の事故に対応するために付保しているのである。したがって、このような技法が採用される理由は、被保険者の期待に反して専ら保険金の不払いを実現するという保険者の利益を考慮したものに他ならないといわざるをえない※7。このような技法を用いることは、保険を意味する“insurance、assurance”の“sure”(確実・確信・安全)の基本的要請に背くことになろう。

5. 最高裁は、伝統的な法律要件分類説をとらないと宣言したのか

最高裁平成19年7月6日第二小法廷判決※8 によれば、外来性の立証責任について、被共済者が事故と傷害との間に相当因果関係があることの主張と立証について責任を有するのであり、傷害が疾病を原因として生じたことの主張と立証責任は負わない、とした。この判例では、「傷害の発生原因が疾病であること」は、抗弁として位置づけられている。よって、最高裁は、伝統的な法律要件分類説(請求原因説)を採らないことを宣言し、抗弁説※9を採用したということである※10 。一般消費者が、約款の文言から、「請求原因説」※11 がいうような理解をすることは困難であり、約款の文言を素直に解釈すれば、本判決のように抗弁説に到達するのが自然であるといえよう。また、最高裁平成19年10月19日判決も、疾病に基づく運行事故によりため池に転落、溺死したことが「外来の事故」に該当するとし、規約または特約の文言の構造に照らせば、「請求者は、運行事故と傷害の間に相当因果関係があることを主張・立証すれば足りる」とした※12
以上のことは、改正保険法80条の明文により、故意による給付事由招致が法定免責事由とされたので、平成13年4月20日判決※13 の判例としての意義に疑問を持たせるに十分であるとされえよう※14 。偶然性、すなわち、非故意性の立証責任は、約款上、三要件の定立により、保険金請求者側に課されるものであり、保険者に故意の事故招致の主張立証をさせないとすれば、消費者契約法10条に基づき、偶然性の立証責任を消費者に負わせることになるとか※15、他の損害保険契約とのバランスに欠けるとか※16 、との指摘もなされるところである。

6. おわりに

本件原審判決で判示されたように、「外来の事故」には、薬物、アルコール、ウイルス、細菌等が外部から摂取され、または侵入し、これによって生じた身体の異変や不調によって生じた事故を含まないとされる。現在、極めて包括的なこれらの除外事由に合理性があるのであろうか。このような事由に対する異なる理解を指摘することができる。一部の学説は、加害者による細菌等のばらまきや毒性の一時的摂取による中毒やアルコールの一気飲みの強要による事故が外来性に相当すると指摘するところである。
ロカンタンが、木の下で、吐き気にとどまらず嘔吐し、窒息死したとすれば、この事故死は、保険金の支払請求原因となりうるであろうか。彼は、自我を定義する能力や理性的・精神的な自由が侵されているという確信に苛まれ、不条理を感じたのである。このような状況下での彼の吐き気と嘔吐は、日常生活上普通に生じたものでなく、また、彼は、通常人でないといえるのであろうか。哲学的な思索をしている折に嘔吐する事態を、日常生活や通常人の曖昧模糊とした概念で到底対処することができないことは明白と言わざるを得ない。また、ある人は、ロカンタンが精神的な病(精神神経障害=疾病)の持ち主であると評価し、外来性の要件を欠くと主張するやもしれない。餅が喉につかえれば、不慮の事故となり、哲学者や研究者の嘔吐がそれでないなどといえるはずもないであろう。
ロカンタンは、本判決の結論を当然であると評価するであろうと確信したいが、むしろ、「不慮の事故」を巡る判断基準や主張・立証責任について、被保険者の利益にならない変遷を経てきた司法、「不慮の事故」に加重的指針を付与する行政、保険金の支払を渋るために汲々としてきた保険業界、そして、その理由付けのための助力に奔走してきた学界に不条理を覚えて、生きていたならば、今一度嘔吐し窒息死するかもしれない。

(掲載日 2013年6月3日)

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