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判例コラム

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判例コラム

 

第24号 東日本大震災による津波に対する避難に関する情報収集の認定について 

~仙台地裁平成26年2月25日判決(七十七銀行事件)※1 、仙台地裁平成26年3月24日判決(山元町保育園事件)※2

文献番号 2014WLJCC006
弁護士法人苗村法律事務所※3
弁護士、ニューヨーク州弁護士
苗村 博子

【いずれの判決も責任を否定】

2013年9月17日に出された仙台地裁の幼稚園送迎バスの津波事故の判決について本欄のコラム※4を執筆させて頂いたが、2014年2月(七十七銀行事件)、3月(山元町保育園事件)と立て続けに同地裁(裁判体は異なる)から、亡くなられた方たちに対する安全配慮義務を負う銀行及び自治体への損害賠償請求について、この責任を否定する判断が下された。
いずれの判決文も、感情を抑え、淡々と記述されているのであるが、その文中からでも、被災された銀行の支店の行員、派遣スタッフの皆さんの逃げ場のない恐怖や、津波に流される車中での園児、保育士、保護者の皆さんの苦闘が伝わってきて、改めて、東日本大震災とその後の津波の甚大な被害に慄然とする。
両判決ともに、2013年9月の幼稚園の送迎バス事件に関する判決と同様、責任者の津波来襲についての予見可能性を子細に検討して、その上で否定した。これらの判決についても先のコラムで行ったと同様、事実関係を地図等を照らし合わせながら読み、その判決のいう予見可能性の有無に思いをいたしたのであるが、私には、七十七銀行事件に関しては判決の判断に首是できるものの、山元町保育園事件に関しては、被告が自治体であることによりバイアスがかかっているのではないかと首を捻らざるを得ないように思われる。少し長くなるが、以下、両判決の事実関係、その判断について述べていこう。

【七十七銀行事件】
1.事実の概要

被告の女川支店は、海岸から100m、海抜0.3mの距離にあり、震災当日は支店長ほか2名の行員に加え、派遣スタッフあわせ13名が勤務していた。同支店は昭和48年に建てられた鉄筋コンクリート造陸屋根3階建て(3階塔屋部分は電気室で2階屋上からはしごで3階屋上に登れる)で、3階屋上は13.35mの高さであった。被告銀行は、平成16年に出された宮城県地震被害想定に関する報告書(以下、「報告書」という)に基づき、宮城県対策課などにも確認し、予想される女川町の津波の最大の高さが5.3~5.9mであることから、従来の避難指定場所のほかに、屋上への避難も加え、災害対策プランを立てていた。
大地震発生後、気象庁は、午後2時49分大津波警報を発令し、宮城県への津波到達が午後3時頃で予想される津波の高さは6m(場所によってはそれ以上)と発表した。気象庁は石巻市(女川町は、牡鹿半島の東側にあるが、石巻市は同半島西側にある)への津波到達時間は3時10分だとしていたが、それより8分早い2時52分に0.5mの津波を観測したと発表した。3時14分頃宮城県に津波到達が発表され、予想される高さが10m以上とされた。これらの情報はNHKテレビなどの各放送局からTVで、またラジオで放送されていた。支店長は外出中であったが2時55分頃支店に戻り、大津波警報が出ていること、海に引き波が発生していることを行員らに伝え、3時5分頃皆屋上に避難した。支店長は、2階屋上では、ラジオを聴き、海の様子を見ていることを指示した。3時25分頃から5分ほどで、津波が屋上半分くらいまで水嵩が増えたため、3階塔屋屋上まで全員避難したが、全員高さ20mの津波にのまれ、その中の1人だけが助かった。

2.被告銀行の予見可能性に対する判断

判決は、被告銀行には、行員に対しては、労働契約の付随義務として、派遣スタッフに対しては、信義則上、不法行為法上のそれぞれ安全配慮義務があり、その生命及び健康等が地震や津波といった自然災害の危険からも保護されるように配慮すべき義務を負っていたとした。
その上で、原告が指摘する、立地の特殊性に合わせた高さの支店建物の設計義務については、そこまでの義務は使用者に認められないとしてこれを否定し、安全教育の施された管理責任者の配置義務、適切な避難訓練実施義務については、義務違反を否定した。また従来の避難場所であった、歩いて3分程の場所にある堀切山の他に屋上を避難場所として追加したことが誤りだとの原告に主張に対しても、女川町の指定した避難場所の高さと塔屋屋上の高さはほぼ同じであることなどを上げて、この追加が誤りではないとした。
そして情報収集義務については、支店長は、大津波警報の発令と引き潮を認識して、屋上に避難の指示をしていること、その後も、ラジオ放送による情報収集と海の見張りを指示していたことなどから、情報収集義務に違反はないとした。
最初から掘切山に避難させなかった点については、地震後、気象庁が2時50分頃、津波到達時間を午後3時頃、津波の高さを6mとする予想をしており、津波は陸上においてもオリンピックの短距離選手並みの速さで迫ってくるから、現認してから逃げても間にあわず、かつ50 cm程度の高さの津波でも人は流されてしまって、危険であることなどを指摘し、気象庁が津波の高さを10m以上に変更したのは3時14分であったこと、避難を終える3時頃までに20mの巨大津波を予見することは支店長には困難であったことを指摘して、堀切山に避難するよう指示すべき義務はなかったとした。
そして、気象庁の初期の発表は、速報性を優先させて不正確な数値にとどまるので、この発表が当初6mであったことを以て免責されないとする原告の主張に対しては、一般人としては、独自に地震の規模や津波の高さを予想する手段を有していない以上、たとえ誤報などの恐れがあるとしてもこれを信じて避難行動を選択するのが合理的であるとした。また途中で避難場所を変えなかったことについても、3時14分の津波の高さの変更は、NHKのテロップだけで流れており、20分頃までは変更が音声により報道されていなかったこと、3時10分には石巻市に津波が到達したとの報道がなされていたことからすれば、この時点で避難場所を変更する義務もあったとはいえないとした。

3.情報収集義務と信頼すべき情報

本判決は、高台に避難せず、屋上に避難したことについて、被告の女川支店長が、気象庁の速報を信頼して行ったことについて、安全配慮義務違反はないとした点が注目される。原告らからは、気象庁の速報は、誤報も含め、迅速性に重きを置いてなされるから、これを過信せず、高台に避難すべきだったという趣旨の指摘がされたものと思われるが、地震や津波に対して、一般人が最も信頼を寄せるのは、気象庁の予報、警報であるという判決の趣旨は、十分に理解できる。東日本大震災が、未曾有の災害であったことから、気象庁の警報が、時間によって徐々に変わっていった為、避難場所の選定、その後の変更について、適切な判断ができなかったわけであるが、それを以て被告や支店長を責めることはできないと思う。
気象庁や災害情報を提供すべき専門機関としては、東日本大震災を教訓とし、後で、大げさだったと言われても、十分な危険の周知をすべきである。2014年3月のチリ沖地震に対する津波注意報、警報はほぼ1日にわたったが、少しはこの教訓が生かされているように思う。

【山元町保育園事件】
1.事件の概要

本件では、保育所は、仙台の南約35kmに位置し山元町が設置、運営するものであった。山元町の海岸線は11.9kmで11kmについては防潮堤があったが、一部の海岸については未整備であった。東日本大震災で山元町では、津波は海岸線から3~3.5kmの内陸部にまで達し、1km未満の土地では5.6~13.6m、2km以上離れた土地でも4mに達した。
保育所は、海岸線から1.5km西に入った所にあり、その標高は約3mであった。
七十七銀行事件でも判決に引用された報告書では、本件保育所のあった地区の予想浸水域は200m以下であり、その後の防災計画案やハザードマップでも津波浸水域外とされていた。
大地震が発生した後本件保育所では、園児13名と保育士14名が園庭に避難した。気象庁は2時50分、津波の高さ6mとする大津波警報を発令したが、その後、3時14分宮城県は10m以上とする第2大津波警報を発令した。NHKでは、釜石港で津波が岸壁を乗り越える様子、多数の車が流される映像等を放送した。その後3時25分頃保育士の1人が被告の対策本部テントを訪れ、総務課長に対して、避難指示を仰いだ。総務課長は、6mの津波だからと言い、現状待機でと言った。同保育士は車中で10mの津波が来ると言っていたことを伝えたが、総務課長はやはり、現状待機と言い、保育士はそれを保育所長に伝えた(これらの総務課長の発言の有無については訴訟提起前から争いがあったが、判決は、保育士がわざわざ避難指示のため対策本部に行って聞いた事柄であることなどを前提にこれを認めている)。その後3時30分には気象庁から第3大津波警報を発令し、津波予想域を拡大した。
午後4時頃になり、津波が保育所南東約80mに押し寄せていることを発見し、皆10台の車に分乗して逃げることになった。そのうち3台の車だけが自走で避難できたが、後は津波に流された。そのうち6台の車に乗った園児、保育士、保護者は、流されながらも救助されたり、自力で避難したが、もう1台の車で避難した原告らの子である2人の園児の他、もう1人の園児が、流されている間に保育士とはぐれてしまった。原告らの子はそれぞれ、3月14日、4月16日に遺体が発見された。

2.判決の総務課長、保育士らの浸水被害に対する予見可能性

判決は、被告自治体と原告らの保育委託契約及びそれに伴う園児に対する安全配慮義務については、特に具体的に言及せず、避難方法については浸水域に入っていなかったこと、当時の災害対策本部においては、設置されたテレビ、ラジオによる情報収集は行っておらず、被告が実際に認識していた情報は限定的であったとする。しかし情報を収集することはできたのであるから、それらの情報を以て総務課長が指示した時に危険が予見できたのかについて、判決は一応検討し、上述した認定事実からは、報告書が想定した過去の地震よりも大きな津波が押し寄せることは予想出来たが、それ以上の危険を予見することはできなかったし、指示後の事態の深刻さを伝える様々な放送については、それが山元町と異なるリアス式海岸の市や町のものであることなどを理由に予見可能性の判断に影響しないとした。また保育士らが早期避難をしなかったことについても、保育士らは、総務課長から現状待機の指示を受け、それ以上の情報を入手し得た事実はないとして、これも被告自治体の債務不履行にはつながらないとした。

3.判決の問題点

まず、判決は、被告自治体がどのような法律関係におかれているかについての考慮をしていないように思う。本件は自治体が、そこに住む人達にどのような避難指示をすべきかという観点で本件を判断しているように見える。判決が被告自治体を非難しているのは、災害対策本部でテレビ、ラジオによる情報収集を行っていなかったことが、災害対策基本法23条の2第4項1号に定める情報収集事務の適切な履行といえない可能性の点だけである。しかし本件では、被告自治体は、保育所の運営者として保護者との間で保育契約を結んでいる者であり、災害対策基本法のいう自治体の行う適切な事務を超える法的な情報収集義務があるものといわなければならない。この保育契約上の安全配慮義務に基づく自然災害時の情報収集義務は、幼稚園の送迎バス事件判決が言及しているとおり、自分では災害に対処できない幼児達の安全を守るためのものであるから、通常の労働契約に付随する安全配慮義務に基づくそれよりもさらに厳しい義務ではないかと考える。そのような義務を負う者として被告自治体を見た場合、そもそもテレビ、ラジオによる情報収集をしておらず、10mの津波警報の情報を知らなかったというのであるから、それだけで、すでに義務違反が成り立つと考えられる。また保育所が、総務課長の指示にただ従うだけだった点にも問題があるが、総務課長が、単なる現状待機でなく、保育所でも情報収集を行い、臨機応変に対応すべしとの指示をしていれば、事態は異なったものとなっていたことも十分に考えられる。午後4時頃の被災の30分、40分も前から、なされていた放送を見てさえいれば、到底それまでの報告書等が予想していた災害規模でないことは、一般人でも十分に想定できたと思われるからである。

【両判決から得られるもの】

七十七銀行事件では、気象庁他の専門機関が、自然災害に対する対応に関する情報について、迅速かつ正確な情報、それが無理であれば、最大危険を検討した情報を提供する必要性が浮き彫りになったし、山元町保育所事件では、自治体が、契約主体である場合に契約相手方に対して負う災害対策のための情報収集義務が、通常自治体が、居住する住民に対して行う避難指示のための情報収集事務(災害対策本部が設置された場合の災害対策基本法23条の2第4項1号)とは、異なるものであることについて、考慮をしていない点についての問題点を浮かび上がらせた。小さな子供、判断力、活動力が衰えた老人等を預かる施設では、自らの判断で自らを守るという行動がとれない人達の安全に配慮する義務を負うのであるから、その義務は、通常の労働契約上の義務よりさらに高度なものが要求されるのではないか、これからの判断を迎える他の事件でも、このような点が考慮されてしかるべきだと考える。

(掲載日 2014年4月14日)

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