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判例コラム

 

第38号 原発事故関連自殺損害賠償請求訴訟で約5000万円の賠償が認められた判決 

~福島地裁平成26年8月26日判決※1

文献番号 2014WLJCC020
虎門中央法律事務所大阪事務所※2
弁護士、ニューヨーク州弁護士
苗村 博子

【はじめに】

私は、自称ガーデナーである。20坪ほどの自宅庭に、8月に種をまいて育てたパンジーを、買い込んだチューリップの球根とともに11月に植え付け、真冬につるバラの誘因、木立バラの剪定を行い、4、5月は夏野菜の為の土作りに鍬をふるう。無心に作業をするだけでもストレス解消になるのだが、小道に面したところで休日に終日作業をしている時に、ご近所の方から精が出ますね、いつもこの道を通ってお花を見るのを楽しみにしています等と声を掛けていただくと、黙々と行う作業にも力がわく。
平成26年8月26日、福島地裁は、原発事故で2度の避難生活を余儀なくされ、一時帰省した自宅庭で焼身自殺をされた方(Westlaw Japanの判決引用に従い、「Bさん」と呼ばせていただく。)のご遺族(原告)が東京電力(被告)に対して行った総額約1億円の損害賠償請求訴訟に対してその約半額の5000万円弱を認めるという画期的な判決を下した。本コラムの冒頭失礼ながら私の趣味である園芸のことを書かせていただいたのは、亡くなられたBさんが、野菜作りや花作りに精を出し、元々のご自宅での生活をこよなく楽しんでおられた方だからである。判決によればBさんは、自宅近くに80坪のビニールハウスをもち、大根、白菜などを栽培し、自宅での食事に用いたり、近隣に分けたりされ、大根の生産に関しては、優秀な成績を受けたとして表彰され、また自宅敷地の花壇には、花樹を育て、あやめ、チューリップ、宿根草(何年にも亘って四季折々に花を咲かせる植物の総称である)、進入路にはご主人とともに多数の小手毬を丹念に育てて、四季それぞれに咲き競う花々を愛でて生活されていた。それが、平成23年6月(事故から約3ヶ月後)からの2度目の、そして亡くなられる直前までの福島市内の避難地のアパートでは、これらのことが一切できないばかりか、仕事も失い、また隣室等の人達に、生活騒音で迷惑を掛けないかを気に掛けながらの生活を亡くなられるまで約1ヶ月続けられた。

【判決の争点】
1.東京電力は、原子力損害の賠償に関する法律に基づく責任自体を争わず。

本訴訟では、原発事故が人災なのか、不可抗力なのかについては、争点化していない。原子力損害の賠償に関する法律(判決に従って、以下「原賠法」という)には、3条において無過失責任が定められているからかとも思われる。しかし、この条文には、損害が、異常な天変地異、動乱によって生じたときは、その責任を免除する趣旨の但書が付されていて、東京電力としても、場合によっては、東日本大震災がこの異常な天変地異によって起こったもので、賠償義務を負わないと争うこともできた。
本件だけでなく、残念ながら、原発事故の影響で自死された方はほかにもおられ※3、本件以外にも訴訟も起こっている中で、東京電力が原発事故自体に責任がないというような争い方をしなかったことは、今後の同様の訴訟や、原子力損害賠償紛争解決センター(以下「センター」という。)における和解にも大きな影響を与えるであろう。それを予期しながらも、この点を争点化しなかったことは、評価してよいのではないだろうか?

2. 因果関係とその認定基準

(1)原被告間で大きな争点となったのは、Bさんの自殺が、原発事故と因果関係があるかであった。判決は、自死と労災認定の手法に近い判断方法で因果関係を認定しているように思われ、この点が法律上は新しい考え方として注目される。判決は、①精神障害と自死に関する知見、②精神障害に関する労災認定実務、③災害によるストレスが被災者の精神状態にもたらす影響に関する知見からBさんの自殺と原発事故の関係を分析している。
そして、「因果関係」については、最高裁判例※4を引用し、自然科学的認定ではなく、いわゆる疫学的証明、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつそれで足りるものであるとしている。

(2)本件でのBさんの自殺の原因
判決は、①に関し、Bさんが自殺される前には、うつ病に罹患していたことを認定し、かつ被告が争った他の原因(平成21年のBさんのお母さまの死や、事故前から不眠などに対する薬を処方されていた点)による精神障害については、これを否定した。判決は原告の提出する意見書等の認定についてもこれを慎重に検討し、ある医師の意見書については客観的な資料の少ない中で作成されたものであること明言しながら、上述の認定をし、Bさんの自殺がこのうつ病による精神破綻にあったとしている。
そして、自然災害を含む被災における避難者の感じるストレスはその程度が大きく、避難者のうち半分以上が高いレベルのストレスを受けること、医師の診察を受けた避難者のうち3割前後が何らかの精神疾患を発症していると認定している。また同じ災害でも土砂崩れのような局地的なものに比し、避難を求められる範囲が福島第一原発周辺の市町村を広く含む非常に広範囲に及び、避難を余儀なくされた地域における被災者の生活が広範に失われるという結果をもたらすとし、本件原発事故による避難が、精神疾患を発症させ得る可能性を有する程度の強度のものであることを示していると見ることが出来ると判断している。
そしてBさんは、いくつかの養鶏場で働いた後、平成20年から本件原発事故前まで一つの養鶏場でご主人とともに働いていた。しかし平成23年4月22日に自宅やその養鶏場を含む地域が計画的避難地域に設定され、6月には閉鎖された。判決はBさんが職を失ったのは原発事故が原因だとしている。
加えて、本件原発事故後、高い空間放射線濃度が自宅を含む地域に残留し、自宅への帰還の見通しが持てないことによるストレスも強度のものであったと認定した。判決は、「本件事故そのものは天災ではなく、その原因が本件地震による地震動と津波にあるというものである。しかし、本件事故は、原子力発電所の原子炉建屋が爆発することにより放射性物質が周辺地域の広範囲に向けて放出され、それから放出される放射線によって居住するには危険があるとされる程高い放射線量が観測され、広範囲にわたって住民が避難を余儀なくされるという、我が国の歴史上一度も体験したことのない事故であった」として、そのストレス強度の強さを天災や火災または犯罪に巻き込まれたことによるストレスと同程度であった認めている。私は、医師でも心理学の専門家でもないので、本件原発事故による避難のストレスについて語る資格はないが、これだけの地震、津波で人の命が失われ、建物が、町自体が破壊された天災によるストレスと、Bさんが自宅に帰って言われたという「うちはびくともしていないね。」という中で空気中の見えない放射線のために、その自宅に住めないストレスは、津波で家が流されてしまった方の抱えるストレスに匹敵するのではないか、裁判所はそう考えて、上記の「我が国の歴史上一度も体験したことのない」との表現を使われたのではないかと思う。
それに住宅ローンの支払いが残っていること、住環境の激変などのストレスを上げてBさんのうつ病発症と本件原発事故の因果関係を認めた。Bさんの自宅への帰還の希望は強く、一泊に限っての帰宅は、Bさんの希望をかなえるものであったものの、それが終われば再び帰還できるのがいつになるかも分からないことを再確認させることにもつながって、将来を悲観して、ついにBさんの自殺という痛ましい結果に至ったとの認定をした。

(3) これに対して被告は、Bさん自身に個体としての脆弱性があったとして、様々な要素を上げたが、判決は、Bさんが心身症を患っていたこと、「ストレスをため込まないように」と医師から指導を受けていたこと以外の主張はすべてこれを退け、Bさんのこのようなストレスへの耐性の弱さは、Bさんの受けたストレスの強度をさらに増幅する効果をもたらしたに過ぎないとした。

3. 損害賠償額の認定

つぎに被告は、Bさんの心身症の既往症という心的要因を民法722条2項の類推適用による過失相殺を行うべきこと、典型的な不法行為ともいうべき交通事故後のこれに起因する自殺については心因的要素を80%程度と判断していること、センターでは、本件原発事故の寄与率を10~30%として和解していることから、本件でも同程度の寄与率とすべきと主張した。判決は、過失相殺の類推自体は認めたが※5、その心因的要素は20%として、Bさんの逸失利益、ご遺族の慰謝料等を合わせて約5000万円の損害を認定したものである。

【判決の影響】

本判決は、原発事故の性格を正面から捉え、これを人災とした上で、原告らの訴えを相当に認めたものである。被告が言う過失相殺論のパーセンテージについても、20%しか認めないという、労働災害とは言えないまでも、これに近い認定をしているのは、まさに原子力発電所が、原賠法の精神もふまえ、その所在地だけでなく、その広範囲の近隣住民の命を守る義務を有していることを宣言しているように思う。揺れる日本の原発政策の中で、このような訴訟を起こして、原発事故の意味を問われたご遺族の思いは、裁判所を動かし、このような判決につながったものと思う。東京電力も、センターによる和解を行っていることを差し引いても、これを不可抗力的な争いに持ち込まなかったことは、自らが負っている責任の重さの自覚があったからであろう。本判決は、Bさんのご遺族だけでなく、今訴訟中の原告の皆さんにも勇気を与えるものとなると思う。

【追記】
本コラムを執筆中に、2013年判例コラム16号※6で紹介させていただいた、幼稚園の送迎バスが津波にのまれて園児5名が亡くなられた事件が控訴審で和解成立したとの報道に接した※7。幼稚園側が法的責任を認めて約6000万円の和解金が支払われることになったとのことである。和解内容には、「園児らの犠牲を教訓として長く記憶にとどめ、防災対策に生かすべきだ」との裁判所の考えが明記されたとのことである。支払能力に応じての納得だけではなく、子供達をどう守っていくかについて、裁判所も幼稚園も真摯に向き合ったことが、原告ら、ご遺族の和解成立の動機付けになったようである。この幼稚園だけでなく、自らの判断だけで身を守る行動ができない人たちを預かる機関すべての教訓になると思う事件である。まさにその礎になられたお子さん達のご冥福を改めてお祈りする。

(掲載日 2014年12月12日)

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