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文献番号2016WLJCC002
日本大学大学院法務研究科
教授 前田 雅英
Ⅰ 判決のポイント
危険ドラッグの使用により急性薬物中毒の状態にあった被告人が両親を殺害した事案について、規制薬物の未必的故意を認めた上で、危険ドラッグの薬理作用等に関する専門家証人や精神科薬理学を研究分野とする鑑定人の各証言等を踏まえ、犯行内容と被告人の平素の人格、犯行前後の被告人の行動等から、急性薬物中毒の影響は認められるものの、その影響は限定的であったと評価して、完全責任能力を認め、懲役28年に処した。
Ⅱ 事実の概要
被告人は、平成20年頃から、いわゆる危険ドラッグを使用し始め、平成25年5月に危険ドラッグによる急性薬物中毒で入院し、両親からその使用を止めるように叱責されたが、その後も使用を続け、平成26年8月頃に一旦その使用を止めたものの、同年10月にこれを再開し、危険ドラッグ使用が勤務先関係者に知られ、同月15日勤務先を解雇された。被告人は、同日午後5時30分頃に帰宅して、被告人方2階の自室にて酒を飲みながら危険ドラッグを使用した後、母である甲から食事に呼ばれたため、同1階リビングに下りたところ、父である乙から危険ドラッグ使用等について叱責されたため、口論となった。被告人は、興奮を落ち着かせようと玄関から外に出たところ、甲に呼び止められてリビングに戻ると、再び乙から叱責されるとともに、頭を小突かれた。これに怒りを覚えた被告人は、台所にあった包丁を手にし、乙に対し、殺意をもって、その頸部を包丁で突き刺すなどし、同人を頸部刺創、大動脈切破に伴う失血により死亡させて殺害し、甲に対しても殺意をもって、その胸部を包丁で突き刺すなどし、胸部刺創、肺動脈損傷に伴う失血により死亡させて殺害した。
なお、医療等の用途以外の用途に供するため、同日頃から同月18日までの間に、被告人方において、指定薬物である「危険ドラッグ(ジフェニジン)」若干量を自己の身体に摂取し、もって医療等の用途以外の用途に指定薬物を使用した薬事法違反の罪でも起訴され、検察官は、懲役30年を求刑した。
殺人に関しては、被告人が犯行時に責任能力を有していたか否かが争われた。弁護人は、公判審理の結果を踏まえて、危険ドラッグによる急性薬物中毒の影響により、攻撃性・衝動性が高まり、被告人に両親を殺すことを思いとどまる能力が失われていた可能性を排斥できないとして、被告人の心神喪失を主張する。これに対して、検察官は、急性薬物中毒が犯行に影響を与えたこと自体は争わないものの、両親を殺すことを思いとどまる能力が著しくまでは低下していなかったとして、被告人の完全責任能力を主張する。
Ⅲ 判旨
横浜地裁は、危険ドラッグの薬理作用等に関する専門家である医師等の、①被告人が最後に使用したと考えられる危険ドラッグは、尿、血液から検出されたジフェニジンと2種類の合成カンナビノイドといわれる薬物であり、②合成カンナビノイドは、陶酔感を催し行動抑制的な薬理作用を有し、犯行に対しては、ジフェニジンのもつ妄想、幻覚、攻撃的となる薬理作用が働いたものと考えられるとの証言を前提に、③被告人が犯行前に危険ドラッグを使用したと供述していることを踏まえ、急性薬物中毒が犯行に与えた影響を検討する。
そして、犯行の態様は強固な殺意に基づくことが明らかであるが、被告人に平素は粗暴な傾向がなく、両親を殺害するほどの深刻なトラブル等があったとは窺われないし、解雇されたことを甲に話したところ、甲に慰められ、勤務先に謝罪して雇用の継続をお願いしに行く相談をするなど、甲との関係は良好であったことを窺わせる事情もあり、「犯行時の被告人の状態は,被告人の平素のおとなしい人格とはかなり違った状態になっていたと認められ,危険ドラッグの薬効が犯行に影響を及ぼしていることは否定できない。」とした上で、精神科医の精神鑑定に従い、完全な責任能力を認める。
精神鑑定は、危険ドラッグによる急性薬物中毒が犯行に影響を与えていたとはいえるものの、①被告人が、犯行直前に、両親に叱責され、玄関から外に出るという回避行動をとったこと、②犯行が、合目的的に行われ、一旦完結していること、③犯行日の午後8時39分に電話をして、鍵屋の電話番号を控え、直後にその鍵屋に電話することができていること(危険ドラッグの影響が相当程度減退したと考えられる同月17日の時点で同月15日に架けたのと同じ鍵屋に電話をしており、その行動が同日の時点から一貫している)などから、「急性薬物中毒が犯行に与えた影響の程度は,このような統制ある行動をとれる程度であった」とし、高揚感などは存在したものの、高度な幻覚あるいは妄想状態に至った状態であったとすることはできないとした。
横浜地裁は、鑑定は精神科薬理学の十分な学識と精神鑑定等の豊富な経験に基づくもので、その鑑定の判断過程も合理的であるから基本的に信用できるとし、さらに、被告人が犯行直後110番に架けて警察などに電話をしていないことについて、公判廷で「すぐに警察にはつかまりたくなかったという気持ちがあったと思う」と供述していることも勘案し、「被告人による犯行に急性薬物中毒の影響は認められるものの,その影響は限定的で,犯行を思いとどまる能力が失われ又は著しく低下した状態ではなかったと認められる」と判示した。
Ⅳ コメント
危険ドラッグを使用して犯行に及んだ場合にも、刑事責任能力は、裁判所が被告人の犯行当時の精神状態・病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様などを総合して判断されるといえよう(最決昭59・7・3刑集38・8・2783※2)。
実務上、主として問題となるのは、被告人が統合失調症に罹患している場合であるが、①動機が被害妄想等に導かれたものか、②自己の行為が「悪いこと」であることを認識していたか、③病識及び病感の程度、④意識は清明であったか、記銘能力に欠けることがなかったか等を考慮しつつ、⑤幻覚、妄想に完全に支配され、他の行為を選択することができないような精神状態で行われた犯行といえるかを中心に、本来の人格傾向から全く乖離した行為といえるか否かで、責任無能力とするか否かが決定される(前田雅英『刑法総論講義6版』302頁以下)。
横浜地裁は、被告人が犯行前に危険ドラッグを使用し急性薬物中毒が犯行に影響し、犯行時の被告人は、平素の人格とはかなり違った状態になっていたとしつつ、被告人の犯行は、合目的的に行われ、このような統制ある行動であったので、薬物による高揚感などは存在したものの、高度な幻覚あるいは妄想状態になく、犯行を思いとどまる能力が失われ又は著しく低下した状態ではなかったと認められるとしたのである。
従来の判例、そして司法精神医学の考え方からいって、妥当な判断だといえよう。危険ドラッグの規制はかなりの程度成功し、本件のような事案が多発することは考えられないが、裁判例としての価値は大きいといえよう。
なお、弁護人は、本件薬物が違法な物(規制薬物)であるとの認識を欠くと主張したが、横浜地裁は、公判廷において、危険ドラッグの法規制の現状を認識していることを供述しており、本件薬物を入手してから使用するまでに約3か月もの期間が経過していることも併せ考えれば、被告人において、本件薬物を使用する際、本件薬物が、その入手時において既に、あるいは入手後に所持を継続する中で、規制薬物となっているかもしれないと認識していたことが強く推認されるとして、規制薬物かもしれないとの認識(故意)を認定している。これも合理的な内容といえよう。
(掲載日 2016年1月14日)