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判例コラム

 

第165号 地方議会議員に対する議会内における厳重注意処分の決定・公表行為に関する名誉毀損を理由とした国家賠償請求の成立の可否 

~最高裁平成31年2月14日第一小法廷判決※1

文献番号 2019WLJCC010
広島大学大学院法務研究科 教授
新井 誠

はじめに

 本判決は、名張市議会教育民生委員会の委員であった同市議会議員(以下、Xとする。)が、同委員会による視察旅行への参加につき政治信念を理由に拒否したことで、①議会運営委員会から理由なく欠席したとして厳重処分注意を受け(以下、これのみを指して本件措置)、さらに、②同市議会議長が、議長室において、その処分の通知書を多くの新聞記者がいる前で公表したこと(以下、①と②とをあわせて本件措置等)により、Xが自分自身の名誉を毀損されたとして、名張市(以下、Yとする。)に対して、国家賠償法1条1項に基づく慰謝料等の支払いを求めた事案の最高裁判決である。本件の下級審判断は地裁と高裁とで異なるものであり、特に以下でふれる本件高裁判決はXの主張を認めるものであったことが注目された。しかし、上告審において本件最高裁は、本件における議会運営委員会による厳重注意処分が、議会の内部規律の問題に留まるとして、その処分の適否については議会の自律的判断を尊重すべきであることを理由に、①、②が違法な公権力の行使にはあたらず、国家賠償法1条1項の適用上の違法はないとしている。
 本件最高裁判決で着目すべきは、(A)地方議会議員に対する懲罰的措置が所属議員の私法上の権利利益を侵害するという理由で国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求ができるか否か、(B)その判断をするにあたり、議会内における厳重注意処分やそれを通知する行為が議会の内部規律の問題に留まるか否かを検討し、内部規律の問題に留まる場合には議会の自律的判断を尊重して、そのことを前提に請求の当否を判断することについてどのように評価すべきか、という点にある。特に後者は、本件訴えが法律上の争訟として適法なものと言えるか否か、また言えるとしても、地方議会の内部規律の審査を裁判所がどのように行うべきかという、従来の憲法論で検討されてきた論点でもある。
 自律的団体内部における争いに司法権がどのように関与すべきか。これをめぐっては、「裁判を受ける権利」の空洞化の問題、あるいは事実上の自律救済の手法を勧める結果、弱者の権利が事実上排除されてしまうといった弊害が指摘されることから、司法救済の可能性をより広げるべきという議論も多く見られる。そうしたなかで本件最高裁は、かつてのひとつの重要判例に依拠しながら司法権の関与について消極的立場を取ったと言える。その意義は、本件最高裁とは異なる判例に依拠して判断し、結論も異なっていた本件高裁判決との比較で見るとわかりやすい。

1 事実の概要

 名張市議会議員Xが所属する教育民生委員会において提案された視察旅行に関する委員の派遣について、同委員長が市議会議長に対して承認を求めたところ、市議会議長は同委員会の所属議員全員に対して出張命令を発した。しかしXは、市議会議長に対し、市の財政状況等に照らしてこれを実施すべきでないとして、欠席願を提出し、同視察旅行を欠席した。そこで議会運営委員会は、Xに対し、名張市議会議員政治倫理要綱に基づいて同欠席を理由とする厳重注意処分を行う決定をした(①)。あわせて議員の責務を全うすることを強く求める市議会議長名義の厳重注意処分通知書を作成し、市議会議長は、議会運営委員会の正副委員長等に加え、数名の新聞記者のいる議長室で同通知書を朗読したうえでXに交付した(②)。
 以上につきXは、①の決定及び②の行為が、自身に対する名誉毀損にあたり精神的苦痛を被ったとして、国家賠償法1条1項の規定に基づいて、Yに対して慰謝料の支払いを求める裁判を起こした。
 第1審判決(津地判平成28年8月18日判時2354号35頁・WestlawJapan文献番号2016WLJPCA08186007)は、上記①の決定及び②の行為についてXの市議会議員としての社会的評価を低下させる「事実の摘示」があるとし、その点で名誉毀損行為に該当するとしながらも、同厳重注意処分がもっぱら公益を図る目的でなされたことに加え、本件の厳重注意処分や市議会議長による通知は、地方議会の自律権の範囲内で決定されたとする。また、「除名処分のように議会内部の紛争というにとどまらず市民法秩序と直接関係する問題とは認められないから」司法審査が及ばないとする。その結果、同処分に際して摘示された事実は真実であることを前提とせざるを得ないとして、名誉毀損行為の違法性は阻却されることになり故意又は過失は否定され、その他の点も判断するまでもないことから、Yは、同議員に対して国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任を負わないとした。
 これに対してXが不服として控訴した控訴審判決(名古屋高判平成29年9月14日判時2354号26頁・WestlawJapan文献番号2017WLJPCA09146004、判例評釈として、笹田栄司・法学教室448号124頁、田中祥貴・新・判例解説Watch22号17頁等)は、地裁判決を取り消し、Xの主張を一部認容した。本件最高裁による要約によれば、控訴審では、(1)Xの請求は「名誉権という私権の侵害を理由とする国家賠償請求であり、議会が自主的、自律的に決定した事項の是非を直接の問題とするものではな」く、Xは「公費の支出を伴う本件視察旅行の必要性に疑問を呈し、政治的信条として参加を拒否したのであるから」、本件における請求は「紛争の実態に照らしても、一般市民法秩序において保障される移動の自由や思想信条の自由という重大な権利侵害を問題とするものであり、一般市民法秩序と直接の関係を有する。したがって、本件訴えは、裁判所法3条1項にいう法律上の争訟に当たる」とする。そして、(2)本件措置等は、議会運営委員会が、Yが「市議会議員としての公務を怠ったと断定し、厳重注意処分をしなければその責務を全うし得ない人物であると評価し、判断したことを示すものであるから」、Yの「市議会議員としての社会的評価の低下をもたらすと認められる」という。そして、Yの請求は「司法審査の対象となるから、本件措置等において摘示された事実が真実であるか、また、その事実を真実と信ずるについて相当の理由があるか否かも裁判所が判断すべき事項であるところ、これらはいずれも認められない」ことから、Yは「名誉毀損による国家賠償責任を負う」とのことであった。
 これに対してYが上告した。

2 判決要旨

 (X:被上告人、Y:上告人、下線は本稿筆者の新井による)
 控訴審判決におけるY敗訴部分を破棄(当該部分のXの控訴を棄却)。
 「本件は、被上告人が、議会運営委員会が本件措置をし、市議会議長がこれを公表したこと(本件措置等)によって、その名誉を毀損され、精神的損害を被ったとして、上告人に対し、国家賠償法1条1項に基づき損害賠償を求めるものである。これは、私法上の権利利益の侵害を理由とする国家賠償請求であり、その性質上、法令の適用による終局的な解決に適しないものとはいえないから、本件訴えは、裁判所法3条1項にいう法律上の争訟に当たり、適法」である。
 「もっとも、被上告人の請求は、本件視察旅行を正当な理由なく欠席したことを理由とする本件措置等が国家賠償法1条1項の適用上違法であることを前提とするものである。
 普通地方公共団体の議会は、地方自治の本旨に基づき自律的な法規範を有するものであり、議会の議員に対する懲罰その他の措置については、議会の内部規律の問題にとどまる限り、その自律的な判断に委ねるのが適当である(最高裁昭和34年(オ)第10号同35年10月19日大法廷判決・民集14巻12号2633頁参照)。そして、このことは、上記の措置が私法上の権利利益を侵害することを理由とする国家賠償請求の当否を判断する場合であっても、異なることはない」。
 「したがって、普通地方公共団体の議会の議員に対する懲罰その他の措置が当該議員の私法上の権利利益を侵害することを理由とする国家賠償請求の当否を判断するに当たっては、当該措置が議会の内部規律の問題にとどまる限り、議会の自律的な判断を尊重し、これを前提として請求の当否を判断すべきものと解するのが相当である」。
 「これを本件についてみると、本件措置は、被上告人が本件視察旅行を正当な理由なく欠席したことが、地方自治の本旨及び本件規則にのっとり、議員としての責務を全うすべきことを定めた本件要綱2条2号に違反するとして、議会運営委員会により本件要綱3条所定のその他必要な措置として行われたものである。これは、被上告人の議員としての行為に対する市議会の措置であり、かつ、本件要綱に基づくものであって特段の法的効力を有するものではない。また、市議会議長が、相当数の新聞記者のいる議長室において、本件通知書を朗読し、これを被上告人に交付したことについても、殊更に被上告人の社会的評価を低下させるなどの態様、方法によって本件措置を公表したものとはいえない。
 以上によれば、本件措置は議会の内部規律の問題にとどまるものであるから、その適否については議会の自律的な判断を尊重すべきであり、本件措置等が違法な公権力の行使に当たるものということはできない」
 「したがって、本件措置等が国家賠償法1条1項の適用上違法であるということはできず、上告人は、被上告人に対し、国家賠償責任を負わない」。

3 検討

 (1)地方議会の自律の確保と昭和35年判決の射程
 本件最高裁判決は、原審である本件高裁判決が示したXによる国家賠償請求を認める判断を破棄している。では、本件をめぐる高裁と最高裁の判断の差はどのような点で生じるのか。
 これについて考えてみると、第1に、本件をめぐる高裁と最高裁の判断は、ともに「法律上の争訟」(裁判所3条1項)に該当する訴えであるという点は共通するものの、「法律上の争訟」に該当する理由づけに差があるように感じられる。本件高裁は、「議会の議員に対する措置が、一般市民法秩序において保障されている権利利益を侵害する場合や明白な法令違反がある場合は、もはや議会の内部規律の問題にとどまるものとはいえない」とし、このことを「法律上の争訟」の該当理由とする。これに対して本件最高裁は、「私法上の権利利益の侵害を理由とする国家賠償請求であり、その性質上、法令の適用による終局的な解決に適しないものとはいえない」ことをその該当理由とする。前者(高裁)のほうが、具体的事件性の要件とともに、団体内部規律に関する司法審査の限界論を加味した議論になっているように見える。これに対し、後者(最高裁)のほうは、具体的事件性のみを理由とするように見える点に注意したい。伝統的学説は、「法律上の争訟」該当性をめぐっては、この後者(最高裁)の理解が一般的には採用されているように思われる(芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法(第7版)』(岩波書店、2019年)349頁以下参照)。
 第2に、過去のいかなる最高裁判決を先例とし、その射程をどのように捉えるのかという点に違いがあるように思われる。原審の名古屋高裁は、本件司法審査を控えるべきか否かの判断のメルクマールとなる先例として昭和52年判決(最判昭和52年3月15日民集31巻2号234頁・WestlawJapan文献番号1977WLJPCA03150009、富山大学事件)を参照している。同判決は「一般市民社会の中にあつてこれとは別個に自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争のごときは、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解決に委ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にはならない」と示している。名古屋高裁判決はこの判決を示しつつ、「議会の議員に対する措置が、一般市民法秩序において保障されている権利利益を侵害する場合や明白な法令違反がある場合、もはや議会の内部規律の問題にとどまるものとはいえない」として、「一般市民法秩序」に係る権利利益の侵害があること自体を理由に「法律上の争訟」該当性をクリアするのと同時に、昭和52年判決における「司法審査の限界」論の例外とする論理構成を試みる。
 他方、本件最高裁は、本件司法審査を控えるべきか否かのメルクマールとなる先例として、昭和35年判決(最大判昭和35年10月19日民集14巻12号2633頁・WestlawJapan文献番号1960WLJPCA10190001)を参照している。同判決は「自律的な法規範をもつ社会ないしは団体に在つては、当該規範の実現を内部規律の問題として自治的措置に任せ、必ずしも、裁判にまつを適当としないもの」があり、地方議会における「出席停止の如き懲罰はまさにそれに該当するものと解するを相当とする。(尤も昭和35年3月9日大法廷判決―民集14巻3号355頁以下―は議員の除名処分を司法裁判の権限内の事項としているが、右は議員の除名処分の如きは、議員の身分の喪失に関する重大事項で、単なる内部規律の問題に止らないからであつて、本件における議員の出席停止の如く議員の権利行使の一時的制限に過ぎないものとは自ら趣を異にしている…。)」と示している。本件最高裁は、この判決を先例としつつ、「普通地方公共団体の議会は、地方自治の本旨に基づき自律的な法規範を有するものであり、議会の議員に対する懲罰その他の措置については、議会の内部規律の問題にとどまる限り、その自律的な判断に委ねるのが適当」であるとする。つまり、本件最高裁では「法律上の争訟」該当性を具体的事件性との関係においてまず確保しながらも、「私法上の権利利益を侵害することを理由とする国家賠償請求の当否を判断する場合であっても」、それが生じた原因をめぐって司法審査が及ぶのは、「議員の身分の喪失に関する重大事項で、単なる内部規律の問題に止らない」場合のみであると理解し、本件の厳重注意処分という措置については議会の内部規律の問題に止まるという論理構成となっているように思われる。
 本件で注目されることのひとつは、懲罰の取消訴訟である・・・・・・・・・・昭和35年判決の射程を国家賠償請求訴訟でも踏襲した点であろう。地方議会における議員の職務行為に関わって議員に対して行われた懲罰議決をめぐっては取消訴訟による救済が議論され、その判断枠組みの中で「出席停止の懲罰決議の適否は裁判権の外にある」(昭和35年判決)とされたことから、「出席停止より軽い懲罰である戒告、陳謝については、当然、行政訴訟を認めない趣旨と考えられ、行政訴訟が認められるのは、除名処分だけである」(井上源三編『最新地方自治法講座5 議会』(ぎょうせい、2003年)448頁〔上子秋生執筆部分〕)と解説される。本判決は、昭和35年判決を用いて、除名処分よりも軽い(名誉権侵害の原因とされる本件のような)懲罰「行為」の適法性審査については、(私権としての名誉権の救済としての)国家賠償訴訟の場面でも「裁判権の外にある」ことを示唆したと考えることができる(この点に関連して、かつて最高裁〔最判平成6年6月21日判時1502号96頁・Westlawjapan文献番号1994WLJPCA06210004〕は、議員としての活動とは関連しないことを理由とした、町議会による特定議員に対する議員辞職勧告決議をめぐる名誉毀損の国賠訴訟において、こうした争いが「法律上の争訟」にあたるとして、そのまま同決議の違法性を審査する権限があることを示している。もっとも本件決議は、本件最高裁判決で「議員としての責務を全うすべきことを定めた本件要綱(名張市議会議員政治倫理要綱のこと〔筆者追加〕)2条2号に違反するとして、議会運営委員会により本件要綱3条所定のその他必要な措置として行われたものである」と説明されている。つまり、決議の前提となる規律自体が議会で適法に制定された自律規範のもと、議会内で実施が決定された職務行為自体の履行を当人が政治的信条を理由に拒否したことから、それに基づき「議員としての責務を全う」していない(職務上の行為を適切に行っていない)とする評価が示された決議であり、平成6年判決と本件判断との間の射程の異同をどのように捉えるべきかが興味深い。この点、笹田・上掲124頁参照)。
 加えて重要な点は、本件最高裁が「一般市民法秩序」論一般によって、地方議会内部の厳重注意処分の問題を片付けていないように見えることである。芦部信喜は「法秩序の多元性を前提とする一般的・包括的な部分社会論は妥当ではない」とし「それぞれの段階の目的・性質…機能はもとより、その自律性・自主性を支える憲法上の根拠も、宗教団体(20条)、大学(23条)、政党(21条)、労働組合(28条)、地方議会(93条。地方自治法134条―137条参照)などで異なるので、その相違に即し、かつ、紛争や争われている権利の性質等を考慮に入れて個別具体的に検討しなければならない」(芦部・前掲356頁)としているが、本件最高裁判決もおそらく、そこで争われている権利の性質を考慮し、地方議会に固有に認められる内部の自律的決定の重要性を尊重しながら、こうした論理構成を取るのではないかと思われる。
 この点、「そこで争われている権利の性質」を蔑ろにし、ひいては「裁判を受ける権利」保障を空洞化させるといった懸念も出ることは、本件最高裁も承知であろう。もっとも本件のような問題は、①一般的市民の「権利」に対する制約というよりも議員としての・・・・・・職務を遂行する上で維持されるべき「職務上の名誉」に対する制約である可能性が考えられることになれば、それは「一般市民法秩序」に関わることと完全に言いうるのかどうかという問題に加え、②仮に本件が一般的な意味での名誉維持という私権問題として構成されたとしても、その原因となる行為としての(本件)懲戒の決定は「一般市民法秩序」の観点から見た議員の身分変動に必ずしも連結していないこと、そして、③地方議会議員の行為の政治的正しさをめぐる問題について地方議会内部の議員間でどのように評価するのかということに関する審査をどの程度、司法が法的になしうるのだろうかという疑問が残ること、に注意したい。特に最後について言えば、本件をめぐる最終判断は、裁判所ではなく有権者である市民によって政治的判断手法を用いて法的に解決されるべきではないのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、という問題設定へと昇華させることが可能である。つまり、Xのような立場を取る議員に対して議会多数派が(「特段の法的効力を有するものではない」との評価がされる)厳重注意処分をすることに対して、有権者である市民が、そうした地方議会で展開される事案につき議会内政治闘争か否かを見極め、リコール請求や解散請求を通じて、ひいては選挙によってその当否について判断を下すという手法が残されていることの重要性を踏まえたものだと考えられる(このように市民による政治的判断を伴う法的解決手法が残されている点では、宗教団体内部における争いなどの救済問題との間で大きな違いがあるように思われる)。
 そうしたなかで、本件問題は私法上の権利利益侵害を理由とする国賠訴訟であるがゆえに「法令の適用による終局的な解決」に適し法律上の争訟性があること、そしてそれを前提に、例外的に議員の身分自体を失くすという非常に重い判断においてのみ(取消訴訟であろうと国賠訴訟であろうと)司法が介入するにすぎないという法的構成が取られたとしても、それは地方議会に認められる固有の自律性を考えた場合、一つの許容される手法と考えてよいのではないか。(国家統治に係る広汎な「統治行為」論のようなことになってしまうことは慎まれる必要があるものの)そうした点を踏まえた上での本件最高裁判決の理解が求められているように思われる。

 (2)「本件措置(厳重注意処分)」と「本件措置等(厳重注意処分と公表行為)」との間隙
 以上の(1)で述べたことは、特に地方議会における厳重注意処分自体に言えることである。本件最高裁判決ではこれを「本件措置」としている。これに対して本件ではもう一つ、市議会議長が、議長室において処分の通知書を多くの新聞記者がいる前で公表した行為が問題となっており、これら両者をあわせて「本件措置等」としている。そして本件最高裁は、厳重注意処分それ自体の問題とは若干距離を置き、後者の行為に関して「市議会議長が、相当数の新聞記者のいる議長室において、本件通知書を朗読し、これを被上告人に交付したことについても、殊更に被上告人の社会的評価を低下させるなどの態様、方法によって本件措置を公表したものとはいえない」との評価をしている。ただし本件最高裁は、これにそのまま続けて「以上によれば、本件措置は議会の内部規律の問題にとどまるものであるから、その適否については議会の自律的な判断を尊重すべきであり、本件措置等が違法な公権力の行使に当たるものということはできない」とする。つまり、読み手によっては、この連続する二つの文を読む限り「議会の自律的な判断を尊重すべき」という語句が「違法な公権力の行使に当たるものということはできない」という結論に直結するように感じてしまう可能性が否定できない。
  このことについては次の二点の注文が可能である。まずは、本来「相当数の新聞記者のいる議長室において、本件通知書を朗読し」たこと自体をめぐり、それが議会内「自律」の観点からどのように評価されるのかについて、もう少し語る必要がなかったかということである。というのも、こうした公表の手法を取ることについては、司法権が及ばないとされる、議会内における(事実上のものも含む)懲罰決議と同類の内部的自律事項として扱ってよいのだろうかという疑問が生じるからである。これは、上述の昭和35年判決の読み方にも関わる。昭和35年判決は、地方議会における出席停止のような懲罰と身分喪失のような懲罰との比較をし、前者に関する内部規律問題としての自治的措置に任せることの重要性を語る。その判決の議論の主眼は、特に「懲罰」を決定する議決の妥当性である。そうであるならば、その議決自体とは離れた交付方法の態様をめぐっては、司法審査の対象から外すほどまでの内部的決定事項なのだろうかという疑問が生じるからである。
 本件最高裁も、そうした疑問が生じることを承知のうえで、市議会議長による、相当数の新聞記者のいる議長室における本件通知書の朗読とその交付手法について「殊更に被上告人の社会的評価を低下させるなどの態様、方法によって本件措置を公表したものとはいえない」という実体的(かに見える)評価をしているのではないかと思われる。その意味では司法審査のあり方をめぐる「本件措置(厳重注意処分)」と「(記者のいる前での)交付行為」との意味の違いを十分承知しているものと推察できる。しかし、そうであるならば、それが地方議会内における自律的な権能としての懲罰とは異なる性質があるとして、そうしたことを前提にいかなる点において「殊更に…社会的評価を低下させるなどの態様、方法」とはならないのかという理由を、もう少し適切な分量で論じてほしかったというのが、もう一つの注文である。
 本件通知書の交付自体は、新聞記者のいる議長室で朗読するという手法でなくともできるはずでありながら、本件では同手法をあえて選択しているようにも見える。そうなると次のような疑問が生じる。新聞記者などがいる場所での交付という手法を用いたのは、もちろん議会全体による情報公開の促進という側面もありつつもなお、報道機関の前に特定議員の懲戒伝達の場面を差し出すことで当人の政治的信頼を減退させようとする効果を狙う意図がなかったのか、ということである。仮にそのように考えられるならば、それは場合によっては(後者を確保するための)「殊更に…社会的評価を低下させるなどの態様、方法」になる可能性も禁じ得ないのではないか。一定の政治パフォーマンスが政治家の支持に与える影響は多大であるからこそ、そうした点の精査が丁寧に行われるべきであるようにも感じられるが、そのあたりに関わる説明がいささか欠けているように感じられる。
 もっとも、こうしたことの政治的評価を含めた最終判断権限もまた、やはり有権者たる市民にあるという見立てもおそらく可能かもしれない。本件は、政治部門の内部的争いごとと司法審査との関係がそうした「政治」と「法」との間隙にある問題であることを改めて認識させる事件であった。少なくとも、そこには議員の市民的権利侵害という観点からの「一般市民法秩序」論によってのみでは端的には片付かない問題が秘められている可能性がある。


(掲載日 2019年4月22日)

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