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早稲田大学大学院法務研究科(法科大学院)
教授・弁護士 浜辺 陽一郎
「KY:空気が読めない」という流行語は、人々を「空気を読まなければならない」と強迫観念に駆り立てるような響きがある。このため、空気に流されるだけの人々や空気に同調することしか考えられない人々を、ますます増やすような結果になりそうだ。
確かに、多くの人々が明確に希望していることを敢えて無視し、鈍感に押し切るだけでは困る。「鈍感力」という言葉も流行ったが、鈍感であるよりも、敏感に空気を読んでもらわなければ困るというのは良く分かる。
しかし、だからといって、いつも調子よく空気を読んで、空気の通りにだけ動くというのはもっと危険である。「寄らば大樹」とか、「勝ち馬に乗る」といった動きに見られるように、日本人はしばしば大勢で安易な道を選択し、そうした行動による失敗を繰り返してきた。かつて日本人が戦争に駆り立てられていった時代の空気に、多くの人々が抵抗できなかった。そこで反省すべきは、まさに「空気」の問題であった。
法律実務の世界においては、空気に逆らって問題を提起しなければならないことが少なくない。お人好しになってしまっては、いけないのだ。例えば、監査の仕事においても、常に懐疑心をもって職務を行うことが求められる。すんなりと通してしまいそうなところをもう一歩踏み込んで深く検討することが大切な仕事である。
ところが、大勢の空気を読むことばかりに慣れている人々からすると、法律実務家の出す異議やら、論理的疑問、時として細かな技術的問題などを指摘するような発言や行動は、鬱陶しいものとして受け止められやすい。そうした議論は、時として難しい話にもなりがちである。しかも、これを裁いていくためには、それなりの知力と気力が必要だ。鈍感であっては、とても務まらない。
若い法律専門家の養成が全体として容易に進まない背景には、しっかりと法的な思考をすることが、時代の空気に逆らうようなところがあるためかもしれない。全体の空気を読みながら、流れに乗って生活していくことは、楽そうではあるが、人々から考える姿勢を弱めることにつながる。こうした時代に、多くの人々を筋の通った法律家を育てるということは容易なことではない。
鈍感であっては良い法律家になれないのは当然であるが、KYを気にして大勢に順応することが得意すぎるというのも困りものである。社会に対して広く敏感なセンサーを常に張っておきながらも、世の中の空気だけに流されない視点を維持することが重要である。くれぐれも空気に流されないように行動していきたいものである。
(掲載日 2008年3月24日)