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早稲田大学大学院法務研究科(法科大学院)
教授・弁護士 浜辺 陽一郎
一人で何かを作るときは、自分の道を通せばよい。しかし、これが大勢での共同作業となると、なかなか容易ではない。集団で「ものづくり」をしていく場合に、中心となるリーダーが絶対的な存在であれば、おそらく、そのリーダーシップに従っていくという流れになるだろう。ところが、そうした絶対的な指導者がいない場合はどうだろうか。
確かに、組織の形式的な上下関係があるときには、それに従うだけだという場合もあろう。しかし、それで形式的に上位にいる者の指示に従っているだけでは、あまり良いものができることは期待できない。大勢の人間が創意工夫を凝らして仕事をしているというには程遠い。誠心誠意、良い仕事をしようという気迫に欠ける。それでは、良いものもできない。
そんな場合に避けてはならないのが、意見の「ぶつかりあい」である。それにどう決着をつけるのか、また、その決着がベストの選択だったかどうかは、神のみぞ知ることである。ただ、そうした「ぶつかりあい」は決して悪いことでもないし、避けるべきことでもない。本当に良いものを作ろうとするならば、まじめに考える。そうすれば、いろいろな「ぶつかりあい」が生じるのは当然のことなのである。
ただ、それが心情的にしこりとなって、後を引くことも少なくない。そのため、どうしてもぶつかることは避けがちである。それが大人の振る舞いということなのだろうか。そのような「ぶつかりあい」のないまま、なんとなく、わきあいあいと作られた作品が、すばらしいものであるといったこともあるかもしれない。しかし、議論があるような領域に関する「ものづくり」の場合には、それは難しい。ほとんどの場合、それでそこそこのものができあがって、それで良しとしていることが余りにも多いのは少し残念である。
「議論があるような領域」とは、例えば、法律の解説書であるとか、あるいは法律問題を取り扱った各種メディアのコンテンツにもある。これらの素材は、それをどのような切り口で攻めるのか、どのように表現するか、受け手はどうそれを受け取るか等、良いものをつくるためにぶつかる問題は数多くある。
同じようなことは、複数の弁護士が一つの事件や案件に取り組むときにも見られる。本当にやりがいを感じ、後で本当に評価のできる仕事ができるときには、ほとんどといって良いほど本気の「ぶつかりあい」がある。ロー・スクールにおいても、積極的にぶつかりあうことのできるような人材を育てることは重要な課題の一つだろう。
時間が足りないということもある。ぶつかっている時間がないために、とりあえず仕事を終わらせるとなれば、納得のいく出来映えにはなっていない。また、ぶつからないのが本当の「大人の振る舞い」といえるのかも問題があり、実は幼稚な考えが隠れているかもしれない。
別に無闇に、意味もなくぶつかりあうのは逆の意味で考え物だが、最初からぶつかり合いを避けて逃げているだけでは始まらない。ぶつかりながらも何度も違った仕事ができる関係が理想的である。
(掲載日 2008年11月3日)