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第107回 “清き0.6票”

TMI総合法律事務所※1
弁護士・弁理士 升永 英俊

筆者は、「一票の格差」の問題は、日本のかかえる大きな問題と考えていた。しかし、あくまで自らは、“清き1票”を持っていることを前提として、この「一票の格差」の問題を考えていた。しかし、2009年4月、大学時代の友人の某氏から「得をしている選挙区の有権者の選挙権を1票とすると、都民は、0.何票になるの?1票の格差と言っても、素人にはよくわからん。0.何票と言ってもらった方が分かりやすいよ。」と言われた。計算してみると、筆者の選挙権は、高知3区の選挙権を1票とすると、0.5票しかない。「0.5票!これでは、まるで二流市民じゃないか。」その瞬間、「一票の不平等」の問題は、“他人事”から“自分事”に変わった。

住所の差別による「一票の不平等」のため、現在、衆議院で言えば、人口の42%が、小選挙区選出衆議院議員(定員300人)の過半数(151人)を選出している。参議院で言えば、人口の33%が、選挙区選出参議院議員(定数146人)の過半数(74人)を選出している。即ち、少数の国民が多数の国会議員を選出しているのである。そして、国会議員の多数決で、全ての立法が行われ、行政府の長(内閣総理大臣)が選ばれている。結局、国民のレベルでみると、少数の国民が、少数の国民の選出した多数の国会議員を通じて、立法、行政を支配している。この“負の代議制の仕組み”は、民主主義の『多数決ルール』の否定である。民主主義の『最大多数の最大幸福』の理念にも反する。現在の日本は、真の民主主義国家とは言えない。

最高裁判所裁判官の国民審査の投票権は、参政権である(憲法15条、79条)。国民は、参政権を行使して、国民審査で、「一人一票」を否定する最高裁判事、「一人一票」に賛成する最高裁判事のいずれにも、賛成の投票も反対の投票もできる。即ち、国民は、一人一人、国民審査で、参政権を行使して、「一人一票」に賛成か反対かの自分の意見を投票することができる。国民審査の投票権は、全有権者が、投票価値の等しい“清き1票”を有している。

2009年12月28日~2010年4月27日の間に下記のとおり7高裁、1高裁支部が、合計9の判決を下した。 ①2009年12月28日大阪高裁:違憲・違法判決、②同年1月25日広島高裁:違憲・違法判決、③同年2月24日東京高裁:違憲状態判決、④同年3月8日福岡高裁那覇支部:違憲状態判決、⑤同年3月11日東京高裁:合憲判決、⑥同年3月12日福岡高裁:違憲・違法判決、⑦同年3月18日名古屋高裁:違憲・違法判決、⑧同年4月8日高松高裁:違憲状態判決、⑨同年4月27日札幌高裁:合憲判決。全て上告され、現在最高裁に係属している。

違憲状態判決は、「一人別枠制は、現状の投票価値の不平等をもたらしている大きな原因となっており、憲法の要求する投票価値の平等に反している。しかし、国会は、この一票の不平等を是正する立法をするために、合理的な裁量期間を有しているので、現時点では、合理的な裁量期間を途過したとまでは言えない。よって、現時点では、憲法違反とまでは言えない。」と判断している。

違憲状態判決は、国会に「一票の不平等」を是正する立法をするよう警告した画期的判決である。違憲・違法判決が、画期的判決であることは、勿論である。

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(掲載日 2010年5月31日)

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