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判例コラム
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第127回 大島訴訟から四半世紀

東海大学法学部教授
西山 由美

戦後の最重要租税判例といえば、まず思い浮かぶのが「大島訴訟」であろう。「サラリーマン税金訴訟」とも称されるこの訴訟の最高裁大法廷判決(1985年3月27日)から、今年でちょうど25年経つ。租税の定義、給与所得と事業所得の計算方法の違いと法の下の平等の問題、租税法律に対する司法審査の在り方など、きわめて重要な司法判断が示された。

今回のコラムでは、原告であり、最高裁判決前年の3月に亡くなった大島先生個人を追想したいと思う。大島先生とは、同志社大学に勤務していた筆者の家人の先輩教員だった関係で、居酒屋でお酒をご一緒したり、フラメンコの会に誘っていただいたり、個人的に親しくさせていただいた。居酒屋で多少酔っていても、注文した品と値段を手帳に書き込むメモ魔ぶりに、「さすが元新聞記者」と思ったものだ。

「大島訴訟」なのか、「大嶋訴訟」なのか、かねてから迷っていたところ、大島先生をよく知る同志社大学教授に先日お尋ねしたところ、大学では「大島」を用いており、墓碑は「大嶋」となっているとの教示をいただいた。そして、ご遺族が一周忌に出版された大島先生の遺稿集『今様つれづれ草』をお貸しくださった。

ドン・キホーテのように、常に何かに突進してぶつかりながらも、周囲から決して拒絶されたり冷笑されたりされず、愛され慈しまれた人柄は、巻末の家族や友人たちから寄せられた追悼文によく表れている。ご長女が綴る随筆で初めて、母親の愛情に恵まれずに育った大島少年の原風景を知った。本名で寄稿している司馬遼太郎氏の一文から、世話好きな人懐っこさと、為すべきことに対する執着心を併せ持った人だったと改めて感じた。今ならDV配偶者といわれかねない家庭での亭主関白ぶりは、ご長女の文章にも見られるところであるが、そのような夫を支え、夫亡きあと訴訟を承継した夫人に対して、敬意を表するばかりである。

第一審から上告審までの判決文を読んだ学生からは、しばしば次のような感想を聞く。「本税と加算税合わせて55000円程度の攻防ですよね。それを裁判で争うのは割に合いませんね。」「背広代や散髪代、顧問をしていた大学重量挙部の活動費を必要経費だというのは、ちょっと強引かも。」・・・確かにそうかもしれない。しかし、所轄の左京税務署で(おそらく派手に)論争した揚句、訴訟に突き進んだ大島先生の姿が目に浮かぶのである。

この訴訟を契機に導入された、給与所得必要経費の限定的な実額控除である「特定支出控除」(所得税法57条の2)は、年間数件または十数件の利用と聞くが、制度の周知が足りないのか、運用が厳し過ぎるのか。また、この判決で示された立法に対する司法の謙抑的(消極的)姿勢が、租税法律の遡及適用についても立法裁量の問題という昨今の判決(たとえば、福岡高判平成20年10月21日)に至っているならば、この大法廷判決の射程を、四半世紀経た今、再考すべきではないだろうか。

(掲載日 2010年11月8日)

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