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判例コラム
(旧)コラム

 

第141回 知財高裁3部の挑戦
-進歩性要件の判断における後知恵防止-

北海道大学法学研究科教授
田村 善之

1. 序
進歩性要件に対する日本の裁判例の取扱は,大きな転換期を迎えている。2005年の知的財産高等裁判所の設置以来、同裁判所における裁判例を中心に厳格になりすぎた進歩性要件の運用を改めるために、引例自体に教示、示唆、動機付けがあることを要求するTSMテストと同様の基準を、日本における進歩性要件の判断に導入しようとする試みがなされているほか、裁判所における特許の無効率にも大きな変化が認められるからである。

2. 背景事情
日本では、2005年の知財高裁設立後、進歩性要件が厳格になり、特許が無効とされる割合が過度に高くなったとの指摘がなされ※1、このような裁判例の状況を改善するために進歩性要件の判断における後知恵を排除する必要性が説かれていた※2

そのようななか、2008年11月19日に行われた第二東京弁護士会知的財産法研究会において、飯村敏明知的財産高等裁判所判事は、「特許訴訟における進歩性の判断について」と題する講演を行い、米国のTSMテストを「よく考えられ、よく計算された判断基準です」「『後知恵排除』の目的のために設けられたという存在意義を主張することと相まって、特許を拒絶できる範囲は、限定的となりました」と賞賛しつつ、日本のそれまでの判断基準が、「審査基準の文言上では、・・・米国の『教示、示唆、または動機付け』・・・が用いられていますが、その用例は、あくまでも進歩性を否定する論理構成の例示として使われています」がゆえに「進歩性を否定するためには、別の論理構成を採用することも可能です」から、「結果として、例示では、予測可能性を高めることはできません」という問題点があることを指摘する。そして、結論として、「日本の判断手法は、あまりにも、多様であり、柔軟に結論を導き出す論理構成を許していますので、後知恵排除として機能させることはできません」と批判した ※3

3. アメリカ合衆国におけるTSMテスト
飯村判事によって推奨されたTSMテストとは、アメリカ合衆国特許法103条の非自明性要件において、複数の先行技術を組み合わせてクレーム発明を想到することができるか否かを判断するために連邦巡回控訴裁判所によって用いられていた手法で、当該既存の発明から組み合わせ発明に至る①「教示(Teaching)」②「示唆(Suggestion)」③「動機付け(Motivation)」が、引例に存在していることを要求するものである。同テストは、審査官や裁判官の後知恵により、発明が安易に自明であると判断され、特許性が過度に否定されることを防ぐことを目的としていた。

このTSMテストは、2007年のKSR事件最高裁判決(KSR Int’l Co. v. Teleflex, Inc., 550 U.S. 398 (2007) )によって、非自明性の要件の充足の有無を判断する唯一の基準ではないとされたのであるが、それにも関わらず、まさにこの講演の直後、飯村判事が裁判長を担当する事件において、次に述べるように、TSMテストと同様、引例内に示唆や動機付けの存在することを要求する基準が導入されることになったのである。

4. 日本における新たな動向の嚆矢となった裁判例
日本における新たな動向の嚆矢となった裁判例は、知財高判平成20.12.25判時2046号134頁[レーダ]、知財高判平成21.1.28判時2043号117頁[回路用接続部材]である。いずれも飯村裁判長が担当する知財高裁第3部の事件であった。

このうち、前者の前掲知財高判 [レーダ]は、「容易想到性」(進歩性と同義)に関して、引例において周知技術を結びつける解決課題ないし動機等が存在しない限り、当該引例を進歩性判断の基礎とすることは許されない旨を判示し、結論として、原審決である拒絶査定不服審判請求不成立審決を取消した。

後者の知財高判[回路用接続部材]は、さらに明確に、後知恵を排除するために、先行技術の内容のなかに示唆等が存在する必要があることを要求することを明らかにし、同じく結論として、原審決である拒絶査定不服審判請求不成立審決を取消した。

判決中、関連する説示を掲げておく。「特許法29条2項が定める要件の充足性,すなわち,当業者が,先行技術に基づいて出願に係る発明を容易に想到することができたか否かは,先行技術から出発して,出願に係る発明の先行技術に対する特徴点(先行技術と相違する構成)に到達することが容易であったか否かを基準として判断される。ところで,出願に係る発明の特徴点(先行技術と相違する構成)は,当該発明が目的とした課題を解決するためのものであるから,容易想到性の有無を客観的に判断するためには,当該発明の特徴点を的確に把握すること,すなわち,当該発明が目的とする課題を的確に把握することが必要不可欠である。そして,容易想到性の判断の過程においては,事後分析的かつ非論理的思考は排除されなければならないが,そのためには,当該発明が目的とする「課題」の把握に当たって,その中に無意識的に「解決手段」ないし「解決結果」の要素が入り込むことがないよう留意することが必要となる。

さらに,当該発明が容易想到であると判断するためには,先行技術の内容の検討に当たっても,当該発明の特徴点に到達できる試みをしたであろうという推測が成り立つのみでは十分ではなく,当該発明の特徴点に到達するためにしたはずであるという示唆等が存在することが必要であるというべきであるのは当然である。」

このうち前段部分は、「解決手段」ないし「解決結果」を無意識的に「課題」に取り込むことで、後知恵で、発明が容易に想到しうるものであったと判断することを戒めようとするものである。解決手段を解決すべき課題に混入させる手法を採用してしまうと、解決すべき課題の設定のところで既に解決手段が呈示されてしまうので、そこから当該発明の採用した解決手段を想到することは容易であると判断されやすくなるが、これこそ後知恵にほかならないからである。

5. その後の裁判例
飯村判事が裁判長を務めた裁判体では、上記2判決以降もその法理を踏襲する判決が続いている。
飯村判事は全部で4部ある知的財産高等裁判所の第3部の部総括判事であり、同判事が裁判長を務めた裁判体では、上記2判決以降もその法理を踏襲する判決が続いている。

たとえば、前掲知財高判[回路用接続部材]を踏襲して先行技術等に示唆等があることを要求する判決として、知財高判平成21.3.25平成20(行ケ)10153[任意の側縁箇所から横裂き容易なエァセルラー緩衝シート]、知財高判平成21.3.25平成20(行ケ)10261[上気道状態を治療するためのキシリト-ル調合物]、知財高判平成22.9.28判時2097号125頁[医療用器具] 、知財高判平成22.12.28平成22(行ケ)10187[伸縮可撓管の移動規制装置]が下されている。また、後知恵を排除することが肝要であることを説く判決として、知財高判平成21.4.27平成20(行ケ)10121[切替弁及びその結合体]、知財高判平成22.5.27平成21(行ケ)10361[耐油汚れの評価方法]、知財高判平成23.1.31平成22(行ケ)10075[換気扇フィルター及びその製造方法]がある。

こうした飯村裁判長が担当する一連の裁判例は、他の構成の裁判体に浸透するか否かということは、明示的にこれらの裁判例を援用する判決が現れていないために、未だに不透明なところがある。もっとも、知財高裁設立後、進歩性の要件が過度に高度なものとなりすぎているという批判は、最近の統計をみる限り、過去のものとなったのかもしれない※4 。今後の裁判例の動向に注目したい。

(掲載日 2011年3月7日)

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