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判例コラム
(旧)コラム

 

第196回 「Wiki時代における”引用”を考える」

成城大学法学部教授
指宿 信

今年のお正月に、「電子出版時代における”引用”を考える」というコラムを書いた。その際に、大学教員の悩みの種としてWikipediaの教育上の取扱いに触れたが、その後、合衆国最高裁がWikipediaの引用を拒絶しているものの全米にその引用は広がっていて、既に連邦巡回控訴裁判所(中間上訴裁判所)では管轄による違いがあるもののここ5年間で100回近く引用されているという報に接した※1

つまり、前回言及したとおり、Wikipediaには引用源としての「信頼性」や「中立性」そして「保持期間」に疑問が残るにもかかわらず、法実務においてその引用は避けられない事態となっているようである。リチャード・ポズナー判事は、法律上の争点に直接かかわる事柄についてはWikipediaの引用は控えるものの、争点に関係ない記述について判決文で引用しているという。

既に、2007年のニューヨーク・タイムズ紙の記事※2が当時、Wikipedia引用がある種のファッションになりつつある米国の司法界の模様を伝えている。たとえば、アイオワ州の最高裁が言葉の定義についてWikipediaを引用したり、フロリダ州の裁判所が新しい音楽ジャンルについての定義を借用しているとする。更に、単なる語義だけではなく重要な事実についてもWikipedia利用の実態があることを明らかにした。

では、学術論文での引用はどうか? 2002年から8年にかけて全米のローレビュー(法学紀要)におけるWikipedia引用実態を調査したヒューストン大学のローライブラリアン、ダニエル・ベイカー氏によれば、1ローレビュー当たり平均10.76件のWikipedia引用が確認されたということである※3。米国においてWikipediaを引用した最初の法学紀要論文は、2002年のイェール・ロー・ジャーナルに掲載されたベンクラー教授の論文※4とされており、以後、その数は増え続け、2008年までに2000本以上の論文でWikipedia引用が確認されていて、トップクラスの著名なローレビューでも同じ傾向がみられるという※5。ただし、一般的なローレビューよりも専門的紀要においてその引用頻度が高く、知財系のジャーナルでは33.87件、情報・科学技術系43.26件、エンターテイメント系に至っては47.43件という高い比率を示している。

 

それでは、わが国におけるWikipedia引用の実態はどうか。
実はあまり知られていないことだが、判決文におけるWikipedia引用は既にわが国でもおこなわれている。おそらく判例における最初の利用例は、パチンコの特殊機能についてWikipediaの記事上の定義を参照した平成20年7月30日の知財高裁の判決ではないかと思われるが※6、実質的理由付けにWikipediaを用いたのは、同じく知財高裁による平成20年12月16日の決定であろう(平成20年(行タ)第10007号)。これは、基本事件にかかわる合意内容に関する守秘義務違反が争われたケースについて、Wikipediaにおける記述ならびにそれに対する公衆のアクセス可能性を根拠として申立人の請求を退けた事案である。それ以前にも、訴訟当事者の主張や理由の中にWikipediaに言及したりその内容を引用するものがあったが、具体的な判断の根拠としてWikipedia掲載の情報を実質的理由付けに用いたものはわが国ではおそらくこれが最初のケースだと思われる。

以後、わが国の裁判例でもWikipedia引用は少数ではあるものの確認されている。名誉毀損事件のような一般事件でWikipediaにおける記事の存在が事実として扱われるケースは当然として、商標登録取り消し請求事件において一般社会における当該商標に対する受容実態の資料としてWikipediaの記事中の説明が事実上の根拠とされたもの(事案①)※7や、「ソフトウェア」の定義としてWikipediaを参照したもの(事案②)※8などが見られる。

たしかに、紙媒体の書籍文献等においては言葉の意味や定義、情報が掲載されていない最新の技術が関係するような知財高裁が中心とはいえ、わが国においてもWikipediaの引用がいわば判決文において自然におこなわれるようになっている。しかしながら、そうした利用について安易な利用ではないかという批判もなされうる。たとえば、事案①については、特定商標がひとびとにどのように理解されているかという事実調査の代替として、事案②については情報技術の用語法の辞書的機能として、それぞれWikipediaが用いられているわけであるが、前者については本来的な商標認識実態に関して特定個人の記述に依拠するWikipedia情報をオーソリティーとしてよいのかどうか、後者については、情報技術に関わるとはいえ、とりたてて最新の用語とは思われない一般的な言葉であるソフトウェアという語の意味について複数の辞書や辞典を参照しないままWikipediaでの引用で足りるとしてよいのか、問題として指摘することもできるのではないか。

 

言うまでもなく、Wikipediaは編集者が不在であり、ボランティアによる執筆に依存している(オープン・コンテンツ)。前回指摘したような、一部の立場に基づく恣意的な記述が可能な実態がある。紛争当事者が、自ら、あるいは第三者に依頼させて、紛争に関わる言葉の定義や事実関係についてWikipediaの記事を(極論すれば自己の主張に有利なかたちで)執筆したり、させたりしていたとしても、それをチェックするのは事実上不可能に近い。また、Wikipediaのコンテンツはいつでも編集可能であり、以前のバージョンの保存もなされておらず、引用後のデータへのアクセスについて安定性に欠ける。そうであれば、こうしたリソースをオーソリティーある(信頼しうる)情報 として引用することに躊躇があるのは当然であろう。

他方で、辞書辞典類にまだ掲載されていないような最新の技術や流行について、その定義や意味を参照することは既にリーガル・リサーチの日常の風景である。サーチエンジンの検索結果にWikipediaが上位にランクされることも珍しいことではない。実態的にもひとびとの検索作業にWikipediaは大きな寄与を果たしている。そのような貢献を無視してWikipediaをいっさいの引用源から排除してしまうことも現実的とは思われない。

側聞するところによると、わが国における法律関係文献における引用方式の標準を提案してきた法律出版編集者懇話会が電子媒体、オンライン資料の引用法を改訂にあたって盛り込むということである。その引用方式(フォーム)がいかなるものであれ、Wikipedia時代とまで言われるオープン・アクセスの世界にあって、わが国の法律学界ならびに法律実務界において、どの範囲までWikipedia利用が許されてよいのかガイドラインを示すことが課題となってこよう※9

(掲載日 2012年7月9日)


次回のコラムは7月23日(月)に掲載いたします。

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