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文献番号 2018WLJCC007
弁護士法人苗村法律事務所 ※2
弁護士、ニューヨーク州弁護士
苗村 博子
1 はじめに
データを不正に持ち出した請負人(従業員)に対して、持ち出された側は、どのような対応をすればよいのか、一旦和解が成立した後、和解条項が遵守されていないとして訴えた事件で、悩ましい問題が提起されている。本コラムは、営業秘密の侵害行為についての訴訟対応を行っている弁護士としての感想というか愚痴というかになるが、訴訟対応を行なっている者の生の声をお届けしたい。
2.本件の概要
(1)訴えに至る経緯
本件原審※3の原告は、パチンコ、スロットのソフトウェアの開発会社であり、被告は、販売及び開発を行っている原告において、かつて従業員として働き、その後個人事業主として原告のソフトウェア開発を受託していた者である(但し、知財高裁は、この契約形態は請負ではなく、雇用関係にあったと認定している※4 )。原被告間には、契約期間中及び契約の終了後12ヶ月間原告の承諾なく、原告の業務内容と同種の行為を行ってはならないとの競業避止条項を含む業務委託契約があった。被告は、平成25年の年末に原告の顧客先A社に納入するための開発データをUSBメモリに複製し、これを事務所から自宅に持ち出した後、業務の引き継ぎをせず、失踪した。平成26年4月になって、被告は、A社とOEM関係にあった会社に就職した。
原告は、被告を債務者として不正競争行為等の差止を求める仮処分命令の申立をし、平成27年2月、原被告間において、被告が同開発データを、自ら使用せず、また第三者にも使用させないこと並びに同開発データ及び紙媒体の廃棄をすることを定める和解が成立した。
ところが、被告が、A社のOEM先を平成27年11月に退社した後も、同業者に転職を続けたため、原告は、被告が開発データを廃棄せず、これを転職先で用いて、和解条項に反して原告の営業を妨害しているとして、本訴を提起し、パチンコ、スロットのソフトウェア開発会社においてプログラマーとして働くことの差止と、約6000万円の損害賠償請求を求めた。
(2)原審における判断
原審では、被告がA社のOEM先から退職した後も、3社のパチンコ機器等の開発会社や販売会社で勤務したことが認められたが、原告の営業秘密が使われたことは認定できないとされた。この事情に加えて、被告は、和解条項に基づいてデータを廃棄する債務を負っており、データの使用の禁止は既に法的に担保されているとみることが出来るとし、また開発データの汎用性が立証されていないこと、原告の業務を放棄してからA社のOEM先に就職するまで3か月の間があり、被告が開発データを他社に流用する目的を有していたとみるのは困難であることが認定され、原告の同業者でプログラマーとして勤務することへの差止は認められなかった。原審は、委託業務を放棄し、その後これを行わなかった点だけに被告の債務不履行を認め、420万円の支払いを命じた。
3. 知財高裁における開発データの利用を否定する認定と感想
知財高裁は、原審同様、開発データが利用されたことは否定し、労務提供義務、競業避止義務違反等について、原審と同様に債務不履行を認め、600万円の賠償義務を認めた。
ただし、知財高裁は、差止の可否については、一定の法的判断を行っている。不正競争防止法3条に基づく差止は「不正競争によって他人の営業上の利益が侵害され、又は侵害されるおそれがある場合に、その侵害の停止又は予防を求めること、すなわち、不正競争に該当する営業利益侵害行為が現に行われ、又はそれが行われるおそれがある場合に、当該侵害行為の停止又は予防を求めることであり、これを不競法2条1項4号の不正競争に即して言えば、不正取得された営業秘密が現に使用され又は開示され、又はそのおそれがある場合に、当該使用行為等の停止又は予めの禁止を求めることである。」とし、控訴人となった原告は、被控訴人(原審被告)がパチンコ、スロットの販売及び開発を行う会社の業務に従事すること全般の禁止を求めるのは、過剰な請求であるとした。但し、被控訴人がこのような業務に従事すれば、当然に開発データの使用等に及ぶ蓋然性が高いといった特段の事情があれば、控訴人の主張も認められる可能性があるとし、この点を検討している。原審に比べて、より具体的な検討をしているものとは言える。
判決は、具体的に4点の検討点について述べるが、いずれも、訴訟における証拠収集の実態から掛け離れていたり、弁護士が考える債務者の心理とはずいぶん異なったものであるように思われる。裁判所は、性善説に立っているのかと思ってしまうところである。
(1)使用の痕跡の探知の必要性
まず、判決は、被控訴人が同種の事業を行う会社に就職すること自体は、同人の経歴からして自然なことで、これ自体から直ちに被控訴人が開発データの使用や開示に及んでいることが推認できるわけではないとし、その他に使用や開示が行われたことを示す具体的な証拠、例えば、これらの会社が製作した製品に開発データのいずれかが使用された形跡があることを示す解析結果などがあるものでもないとしている。
しかし、データを不正に取得された側がこのような証拠を集めて、立証することは日本ではほぼ不可能に近い。まず、第三者の製品を購入することは容易ではない。また仮に中古品などが手に入ったとして、そのソフトウェアからどうやって開発データの使用の形跡を見つけ出せるというのか?中古の製品から取り出せるのは、せいぜいソフトウェアのオブジェクトコードだけである。逆コンパイラという技術があるにはあるらしいが、これからソースコードがどのようなものであったかを解析するのは、ガードがかかっている場合などもあり、容易ではない。文書提出命令を用いたとしても、そもそも裁判所がこのような文書提出命令を認めてくれるとは思えず、本件のように、被控訴人が勤めている(勤めた)先は、当然、自らの営業秘密に関するとしてソースコードの開示は拒否できると考えるであろうから、この立証は原告側にはハードルが高すぎる。
(2)和解における義務の賦課により、義務違反が行われないといえるか?
また判決は、原審と同様に、本訴に先立ってなされた和解により「法的強制力を伴う義務によって担保されているものといえる」とし、データ持ち出しに使われたUSBメモリやこのUSBからデータが移されたパソコンは、被控訴人に対する建造物侵入等の刑事被疑事件で警察に押収されていて、被控訴人の手元にはなく、紙媒体も被控訴人が廃棄した旨を述べているとしている。原判決、知財高裁判決が共に挙げる、和解によって強制力を伴う義務となったことで、開発データが使用されないことが担保されているとの点は、私だけでなく多くの弁護士が首を捻るところであろう。裁判官としては、自ら関与した和解や判決は守られてしかるべきとの期待がおありなのかもしれないが、このような考えは現実とは大きく乖離している。少なからぬ債務者が、特に判決の場合は、どのようにして、執行を免れるかに戦々恐々としている ※5。また、知的財産権の侵害に対する執行による侵害の除去が難しいのは、わざわざ記載するまでもないところで、一審で判決をもらうにしても、最終的には和解決着を図らざるを得ない点は、原告代理人誰もが悩む点である。本件では、本訴の前になされた仮処分では、決定ではなく、和解がされている。和解成立時に、控訴人側は、被控訴人からUSBを取りあげたり、PCからの削除を証明させたり、紙媒体の毀棄について第三者の証明を取る、または控訴人自ら、これらの媒体の毀棄ができるような和解内容にしなかったのだろうか?どのような利益考量でこの和解がなされたかが判然としないが、いくら裁判上の和解とはいえ、単に約束させるだけで、債務者が義務を果たしてくれると考えるのは余りにも人が良すぎる考えである。後の紛争を避けるためには、控訴人は、被控訴人任せにするのではなく、和解の履行について、十分な監視、検証ができるようにすべきだったのかもしれない。
(3)製品のサイクルと技術の寿命
さらに、判決は、開発データに汎用部分があったとしてもパチンコやスロットでは、製品サイクルが短く、持ち出しから3年経った口頭弁論終結時に、この時点の製品にデータが使えるかに疑問を呈している。製品の短命とその基礎となる技術の寿命は必ずしも相関しないように思えるが、この点、控訴人から有用な証拠が提出されなかったのだろうか?
(4)データ持ち出しの計画性
最後に判決は、控訴人が、被控訴人が「引っ越しリスト」を準備して計画的に開発データを持ち出そうとしていたと主張するのに対して、引っ越しリストの内容が判然としないこと、開発データの持ち出しから2か月間A社のOEM先にコンタクトを取った形跡がないことを理由として計画性を否定している。もちろんデータを持ち出す際に、既にこのような秘密データを開示したい先とコンタクトをとり、どのような情報が必要かを入念に調査していたという場合に計画性が明らかなこと、従ってまた開示された可能性も高いことが認定されるのは分かるが、一定期間があいたことで計画性を否定することはできないと思う。
本件以外でも営業秘密に該当する情報を持ち出す例は後を絶たない。裁判所に、このようなお墨付きを与えられると、しばらく待てばいいんだなどと考える不届きな人も出てきかねない。
4.最後に
私のように営業秘密の不正取得に関して訴訟を担当する弁護士には、裁判所は被害者よりも、侵害者に対して、寛容な様に見えてしまう。特許法改正議論の中で、文書提出命令に関して、営業秘密に該当するか否かを判断するためのインカメラが取り入れられるかもしれないなどわずかな証拠収集手続の拡充は検討されているものの、ディスカバリーはもちろん、EU諸国にあるような執行官と技術専門家の現場査察制度なども導入されないとのことからすれば、被害者に厳格な立証を求めていたのでは、営業秘密の侵害事案の原告勝訴率は、到底上がりそうにない。経験則なども使った積極的な侵害認定をして欲しいものである。
(掲載日 2018年4月23日)