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判例コラム

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判例コラム

 

第133号 地方議会の内部規律と部分社会の法理 

~平成30年4月26日最高裁判決※1

文献番号 2018WLJCC009
桃山学院大学 教授
田中 祥貴

【事実の概要】

 本件は、県議会議員であるXが、定例県議会の一般質問の中でした県知事に対する発言の一部(以下、本件発言)につき、議長から地方自治法129条1項に基づき取り消すよう命じられ(以下、本件命令)、それに伴い、本件発言部分が配布用議事録(インターネット上の会議録・動画を含む)から削除された経緯から、①議長が秩序維持権の行使として議員の議会内での発言の取消しを命じる場合には、その範囲は、同法又は県議会会議規則(以下、本件会議規則)に違反し、議場の秩序を乱す発言に限定されるべきであり、また②本件命令は、地方自治法132条が規定する「無礼の言葉を使用し、又は他人の私生活にわたる言論」があることを理由とするものの、本件発言は社会通念上相当な内容のものであるから、同条の要件に該当しないなどと主張して、本件命令の取消しを求めた事案である。
 第一審※2 は、本件命令の効果は、除名処分など議員の身分自体の得失に関する重大な事項等に当たらず、本件発言の制約の程度も大きいとはいえない事情から、本件命令が一般市民法秩序に直接関係するものではなく、司法審査の対象にならないとして訴えを却下した。その後、原審※3は、本件会議規則121条2項、122条が、県議会議員に対し、議事における発言が逐語で記載された配布用会議録が県議会外に配布されることによって住民に公開されることを保障した趣旨に照らすと、議員の議事における発言が配布用会議録に記載される権利は、議会内部に止まらず一般社会と直接関係する重要な権利というべきで、これを制限する本件命令の適否は、議場の秩序維持という単なる内部規律の問題に止まらず、裁判所法3条1項にいう法律上の争訟として司法審査の対象になると判示した。

【判旨】

 「普通地方公共団体の議会の運営に関する事項については、議会の議事機関としての自主的かつ円滑な運営を確保すべく、その性質上、議会の自律的な権能が尊重されるべきものであり」、「(地方自治)法は、議員の議事における発言に関しては、議長に当該発言の取消しを命ずるなどの権限を認め、もって議会が当該発言をめぐる議場における秩序の維持等に関する係争を自主的、自律的に解決することを前提としている」。
 「本件規則123条は、配布用会議録には県議会議長が取消しを命じた発言を掲載しない旨を規定しているところ、この規定は上記のとおり議長に議場における秩序の維持等の権限を認めた地方自治法104条及び129条1項の規定を前提として定められたものと解され」、そして、「議事を速記法によって速記し、配布用会議録を関係者等に配布する旨を定めた同規則121条2項及び122条は、同規則123条の規定と併せて、同法123条1項が定める議長による会議録の調製等について具体的な規律を定めたものにとどまると解するのが相当であり、県議会議員に対して議事における発言が配布用会議録に記載される権利利益を付与したものということはできない」。
 したがって、「県議会議長により取消しを命じられた発言が配布用会議録に掲載されないことをもって、当該発言の取消命令の適否が一般市民法秩序と直接の関係を有するものと認めることはできず、その適否は県議会における内部的な問題としてその自主的、自律的な解決に委ねられるべき」であり、「県議会議長の県議会議員に対する発言の取消命令の適否は、司法審査の対象とはならないと解するのが相当である」。

【批評】
1.判例の経緯

 本判決で採用された判断枠組は、一般に、部分社会の法理と呼称される。すなわち、自律的な法規範をもつ社会ないし団体内部の紛争に関しては、その内部規律の問題にとどまる限りその自治的措置に任せ、それについては司法審査が及ばないという法理である。当該法理形成の嚆矢は、県議会での議員除名処分の取消しを争った昭和28年米内山事件最高裁決定で展開された田中耕太郎裁判官の少数意見に看取される※4。すなわち、多元的社会の内部規律問題については、その社会の特殊的法秩序による自主的決定に委ね、司法権の埒外とする「法秩序の多元性」論である。
 その後、かかる見解は、昭和35年村議会懲罰決議等取消請求事件最高裁判決で多数意見を形成する※5。ここで最高裁は、「一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争という意味ではない」、「その中には事柄の特質上司法裁判権の対象の外におくを相当とするものがあ」り、「自律的な法規範をもつ社会ないしは団体に在つては、当該規範の実現を内部規律の問題として自治的措置に任せ」るべきものとして、司法審査の対象を限界付けた。
 さらに、昭和52年富山大学単位不認定等違法確認事件最高裁判決 ※6では、昭和35年判決を踏襲しつつ、「一般市民社会の中にあつてこれとは別個に自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争ごときは、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解釈に委ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にはならない」と解し、部分社会の法理を判例理論として確立させた。

2.部分社会からの自由

 従来、我が国の司法府が展開してきた当該法理は、重大な課題を抱えている。すなわち、部分社会の法理は、国民の裁判を受ける権利と高い緊張関係に立たざるを得ない。就中、裁判を受ける権利は「基本権を確保するための基本権※7」であり、個人の人権保障という文脈において非常に重要な位置付けを有する。そして、裁判所はその権利を担保すべき憲法上の責務を負う。それにも拘わらず、特殊な部分社会内部の係争は司法的救済の外に放逐されるという論理は、最高裁が仮託する「法秩序の多元性」論のみで十分な理論的基礎を形成し得るものではない。
 何より、部分社会の法理は、それが射程として内包する範囲及び外延の不明確性という致命的な問題に必然的に逢着する。この点、判例上、かかる境界の指標として「一般市民法秩序」との接点を手がかりに「除名処分」と「出席停止処分」の区別が提示されているが※8、例えば、任期満了までの出席停止処分という可能性を想定すれば、判例のカテゴライズに基づいた峻別論は理論構成として十分ではないことは明らかである。
 また、本件で争われた地方議会や国立大学の内部規律問題は、かつて特別権力関係に服するものと捉えられてきた経緯もあり※9、結局のところ、部分社会の法理は、「現行憲法下では通用力を失った特別権力関係論をソフィスティケイトしてこれを機能再生させるもの※10」と表現することも可能である。加えて、最高裁は当該団体の公的・私的の区分をしない傾向にあり※11、特別権力関係論よりもその射程は広く、「部分社会」概念の不明確性とも相俟って、より大きな弊害をもたらす危険性を有している。
 他方で、当該法理がもたらす実際上の効果として、実定法上の具体的権利侵害が存在するにも拘わらず、司法審査の対象から除外することは、結局、団体内の自律的措置で解決できない事情から司法的救済が求められている現実的・具体的「紛争の解決をもう一度当事者に委ねることになる。そうすると当該紛争は全く解決されない膠着状態に陥り、実質的に『自力救済』の奨励となるので、私人の『裁判を受ける権利』さらには‥『法治主義』そのものが空洞化する※12」ことになる。それは結果的に、事実上の力の差異をもって、強者が弱者の権利を一方的に排除するだけの結果をもたらすだろう。
 もちろん、団体自治を等閑視してよい訳ではなく、結局、司法審査の可否は、団体自治の憲法的要請と裁判を受ける権利との調整をめぐる利益衡量に拠ることとなろう。この点、昭和35年判決以来、我が国の司法では、部分社会の法理によって司法審査を回避する傾向が看取され、それは「部分社会の自由」に傾倒した感が否めなかった。しかし近年、かかる傾向をいわば「部分社会からの自由※13 」という視座から再考し、司法審査の対象の再構成を試みる下級審判例が注目される。
 すなわち、個人の人権保障に向けて司法審査の道を拓くため、「法律上の争訟」性判断に際して、一般市民法秩序との関係性の有無を単に「除名」や「退学」といった身分の喪失によって峻別するのではなく、近年は、憲法上の人権に対する具体的侵害の有無を指標とする下級審判決が散見される。従前の最高裁判例が指標とする「除名」等の身分喪失といった「重大事項」性ではなく、一般市民法秩序において保障される権利への侵害状況が看取されるとき、一般市民法秩序との直接的関係性を認め、「法律上の争訟」性を肯定するのである。
 例えば、発声障害を有する地方議会議員の代読による発言を認めない地方議会の措置を争った事案で、地方「議会の議員に対する措置が、一般市民法秩序において保障されている権利利益を侵害する場合」、「もはや議会の内部規律の問題にとどまるもの」ではなく、地方議員が地方議会等で発言することは、「議員としての最も基本的・中核的な権利というべきである」から、これを制限する地方議会の措置は、「一般市民法秩序に関わるもの」として「法律上の争訟」にあたるとした高裁判決※14 や、地方議会議員への厳重注意処分を公表した議長の名誉毀損行為を争った事案で、「一般市民法秩序との直接的関係性」の内実を敷衍するに際して、「一般市民法秩序において保障されている権利利益を侵害する場合や明白な法令違反がある場合」を「法律上の争訟」に該当するとした高裁判決※15 等を挙げることができる。

3.本判決の妥当性

 本判決は、明らかにかかる下級審判決とは異なるコンテクストを有する。すなわち、本判決は、昭和35年判決を踏襲しつつ、地方自治法及び本件会議規則の解釈に際して、議長による本件命令及び配布用議事録の調製行為の是非を、部分社会の法理を根拠に単なる地方議会の内部規律問題として矮小化した処理を行っており、その反射的効果として、議事における発言が配布用会議録に記載されるXの権利がそもそも本件会議規則によって保障されたものではない以上、本件は一般市民法秩序と直接的関係性を有しないと結論付けている。
 しかしながら、かかる評価は妥当であろうか。本判決は、憲法問題として掘り下げることはなかったが、翻ってみれば、「地方議会議員は、憲法で定められた地方公共団体の議事機関である地方議会(憲法93条1項)の構成員として、当該地方公共団体の住民による直接選挙で選出され(同条2項)」、「地方議会の議員には、表現の自由(憲法21条)及び参政権の一態様として、地方議会等において発言する自由が保障されていて、議会等で発言することは、議員としての最も基本的・中核的な権利というべきである※16 」。そして、議員と有権者・住民間の委任関係を前提とすれば、議員の発言は、地方議会と有権者・住民の双方に発信されることが予定されており、その保障領域には、実体的にその発言趣旨が有権者・住民に正確に理解される権利までが包含されるというべきである。そうすると、有権者・住民が県政に関する情報収集のために利用する配布用議事録(インターネット上の会議録・動画を含む)に議員の発言が掲載されないとなれば、かかる権利利益が侵害されることとなろう。
 もちろん、かかる議員の発言が名誉毀損等の不法行為を構成する場合は別論であるが、そうではない場合に、少なくとも、憲法上の基本的人権に対する具体的侵害状況が看取されるにも拘わらず、地方議会の内部規律を優位させ、Xの請求に対して何らの司法審査すら行わず一蹴した本判決は、妥当性を有するとは言い難い。仮に、このような判断枠組が許容されるならば、それはまさに実質的に自力救済の奨励に繋がり、事実上の力の差異が現実的紛争解決の帰趨を決定することとなる。その結果として、地方議会であれば、議会内多数派にとって不都合な少数派の発言を議会から排除することが可能となり、さらに、かかる少数派の発言機会への侵害を何ら是正する手段も存しない不合理な状況を生起させることとなる。事実上の少数派はその状況にただ耐えるほかないとすれば、それは、「法の支配」の敗北を意味しないだろうか。


(掲載日 2018年5月24日)

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