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判例コラム

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判例コラム

 

第278号 香川県ネット・ゲーム依存症対策条例合憲判決に関する一考察  

~高松地裁令和4年8月30日判決※1

文献番号 2022WLJCC030
名古屋市立大学大学院 教授
小林 直三

1.はじめに
 本稿は、香川県ネット・ゲーム依存症対策条例の違憲性が争われた事案の高松地裁判決に関して概観し、考察するものである。この香川県ネット・ゲーム依存症対策条例に関しては、社会的にも注目され、様々な議論が展開した。それだけに、それにかかわる司法判断を概観することには、少なからず意義があるものといえるだろう。
 さて、ここで取り上げる事案は、次のものである。すなわち、2020年に香川県議会が香川県ネット・ゲーム依存症対策条例(以下、「本件条例」という。)を制定したところ、本件条例施行当時17歳であった者とその実母が原告となり、同条例が憲法違反であるにもかかわらず同条例を制定したことの違法および同条例の改廃等の立法措置を講じなかったことの違法によって、精神的苦痛を受けたとして国家賠償を求めた事案である。

2.判例要旨
 本件判決は、本件条例の立法行為および本件条例を改廃しない立法不作為が国家賠償法1条1項の違法に当たるかに関して、次のように述べている。
 憲法21条および憲法31条にかかる明確性の原則に関しては、先例※2を踏まえて、「明確性については、通常の判断能力を有する一般人の理解を基準として、具体的場面における法適用の有無が読み取れるか否かによって判断すべきである」として、「文言の明確性については・・・・・・文言の規定ぶりのみから判断すべき」とした。そして、原告らの主張は、「①文言に科学的根拠、医学的根拠がないから文言が不明確である、②文言の背景にある立法事実やその根拠、さらには、それの事実関係を本件条例に取り込む根拠や法的な根拠が不明確であるから文言が不明確である、③文言相互の関係性が不明確であることから文言が不明確である、④文言の定義規定が存在しないことから不明確である、⑤文言に『等』ないし『準ずる』との規定があることから文言が不明確である、⑥文言そのものが不明確である、⑦その他のいずれかに一応整理される」として、順に検討を加えている。
 すなわち、「明確性の原則における『明確性』は、文言の規定ぶりのみから判断するものであるから、上記のうち、①文言に医学的、科学的根拠がなく不明確、②立法事実や根拠が不明確である旨の原告らの主張は、実際には明確性の問題とはいえない」とし、「文言相互の関係性が不明確であるとの主張(上記③)は、当該文言の解釈はなおその規定ぶりそのものから判断することができ、他の文言との関係性如何により当該文言自体の明確性が損なわれるとはいえない」とし、「文言の定義規定が存在しないことから不明確である旨の主張(上記④)については・・・・・・『ゲーム障害』、『インターネット』及び『コンピュータゲーム』等について一般人であれば容易に意味・内容を判断できる」とし、「『等』や『準ずる』との文言が不明確である旨の主張(上記⑤)については、『学校』、『保護者』、『責務』という例示の後に付されたものであって、一般人であればそれらに類するものを指していることが容易に判断できる」とし、「文言そのものが不明確である旨の主張(上記⑥)についても、一般人であれば容易に意味・内容を判断できる」とし、「『つながるような』という文言は、通常の判断能力を有する一般人であれば『関係があるような』、あるいは『結びつくような』という意味・内容であると容易に理解することができる」として、明確性に欠けるところはないとした。
 憲法94条との関係では、先例※3を踏まえて、「条例が国の法令に違反するかどうかは、両者の対象事項と規定文言を対比するのみでなく、それぞれの趣旨、目的、内容及び効果を比較し、両者の間に矛盾抵触があるかどうかによつてこれを決しなければならない」としたうえで、「本件条例と直接、同一の規制対象を持つ法律は存在しないが・・・・・・関係各省庁において具体的な対策の検討や実際の取組が進められているところであり、国が本件条例と同趣旨の内容の法律の制定を排除しているとまでは認められないし、また、子ども・若者育成支援推進法は、子ども・若者の健やかな育成、子ども・若者が社会生活を円滑に営むことができるようにするための支援その他の取組を趣旨としており(同法1条)、本件条例と同様・同趣旨の目的を有しているといえるところであり、法が、子どもや若者の育成支援について、条例での規制をすることなく放置することを求めているものではないことは明らかであ」り、さらに「原告らは本件条例の真の目的は家庭における教育への公権力の介入であり憲法94条に違反すると主張するが、地方行政の一部として適切な教育政策を実施すべき立場にある地方公共団体は、子どもの利益擁護ないし子供の成長に対する社会公共の利益と関心に応えるため必要かつ相当の範囲内において教育内容についてもこれを決定する権能を有すると解されるから、上記を理由に被告が本件条例を制定する権能がないということはできない」とした。また、児童の権利条約「が定める権利に対しても一定の制約をなすことは当然認められ、条例で規制すべきでないことを定めたものとはいえない」とした。
 本件条例の立法目的の正当性および目的と手段との間に実質的関連性が認められるかに関しては、「立法事実とは、立法的判断の基礎となっている事実であり、法律を制定する場合の基礎を形成し、かつ、その合理性を支える一般的事実、すなわち、社会的、経済的、政治的もしくは科学的事実をいい、①立法目的の合理性ないし必要性を基礎づける事実、②立法手段の合理性を基礎づける事実で構成される」としたうえで、「本件条例について、これらを基礎づける事実及びそれらの事実が立法の合理性を支えるか、また①及び②が実質的に関連するかを検討」している。すなわち、立法目的の合理性ないし必要性を基礎づける事実について、「過度のネット・ゲームないしオンラインゲームの使用は、主として社会生活上の問題ないし支障・弊害を引き起こす可能性が相当数指摘されている状況であり、そうした支障や弊害が生じる可能性そのものは・・・・・・否定できないこと、青少年は特にその影響を受けやすく生育により一層支障を来す可能性があるということや、ネット・ゲーム依存症についてはその予防ないし治療を必要とする場合があり、本人のほかその養育に責務を有する保護者らが医療的対応を求めて専門施設に相談する件数が多数に上っている実情があり、既に複数の医療機関において対応を余儀なくされていることはいずれも明らかであ」り、「ネット・ゲーム依存症との呼称を付与するかはさておき、インターネットないしオンラインゲームの過度の使用により、その健康上・社会生活上生じる様々な弊害・支障、取り分け青少年において生じる生育上の危険性につき、これを予防すべき社会的要請については、一定の根拠に基づき認めることができる」とし、「ネット・ゲーム依存症の治療ないし予防の必要性は香川県においても認められる」ことから、「香川県において、ネット・ゲーム依存症の予防の必要性を立法目的とすることは立法事実の裏付けがある」とした。
 立法手段の合理性については、「本件条例18条1項は、保護者に対し、まずは『使用に伴う危険性』及び『過度の使用による弊害等』について『子どもと話し合い』をするよう促し、併せて、子どもとのルール作りを求めるものであるところ・・・・・・保護者にそのような行動を求めることは、予防方法のうちの一案として提唱されていることに沿うもの」とし、また、「本件条例18条2項は・・・・・・1日当たりの利用時間の上限の目安を示し、目安を参考に自ら話し合いの上で定めたルールを遵守させるよう努めるという努力を求めるものにすぎず、もとより時間制限というものではないと解される」としたうえで、「世界的な研究を含む医学的知見ないし諸見解によれば・・・・・・重要なことは、最終的な治療目標は人生の責務との両立としてどのようにゲーム使用を自ら制御していくかは個人によって異なるという指摘もされて」おり、「本邦における医師の見解でも・・・・・・一方的にゲームを取り上げるのではなく、家庭環境からのアプローチや働き掛けとして、本人と家族が十分に話し合いをし、本人が自主的に終了できるようにすることが重要であり、依存症に陥る前の予防として弊害を教えることも必要と指摘されて」おり、「国のゲーム依存症対策関係者連絡会議において発表された医師らの意見も・・・・・・医学的諸見解と同様のものであったほか、ゲーム関連団体からも、外部有識者の調査を踏まえて、予防として、家庭内コミュニケーションの活発化を促す啓発活動の取組や現実生活への配慮が重要であることなどを肯定する意見が寄せられている」ことからすれば、「依存症ないし依存状態に陥る危険性や弊害が生じることがあり得ることを含め、親から子への声掛けや話し合い、コミュニケーションの上で、健康や社会生活上の支障が生じる前にゲーム使用がこれらと両立できるよう制御し、又は自主的に終了できるよう話し合う機会を持つよう努めることを定めること、そして保護者が子どもと話し合った上で最終的には利用時間を自ら定めるよう求めることは上記の医師らの指摘や諸見解にも沿うものであり・・・・・・不合理なものとまではいえ」ず、「これより制限的でない他の方法は特段示されていない」とし、そして、立法目的と手段との間の実質的関連性について、「本件条例で採用された保護者に子との話し合いを持つよう定めた立法の手段は、ネットゲーム依存症の状態に陥らないよう予防するためとの立法目的との間に実質的に関連性を有する」とした。
 本件条例の制定過程におけるパブリック・コメントに関しては、「原告らは、前記立法目的に関連し、本件パブコメには疑義が指摘されているにもかかわらず、被告がそれら指摘に係る疑義の調査を怠ったなどと主張する」が、「本件パブコメに疑義があるとする具体的な根拠があるとまではいえず、原告らの主張はその前提を欠くし、指摘される内容は、飽くまでも賛成意見提出者の出所に疑義があるというにすぎないものであり、このような事情が、パブリック・コメント(意見公募手続で出た意見)を考慮すべき義務の成否に影響があるとか、立法目的の存否に影響を及ぼすものとは考えにくい」とした。
 憲法14条1項との関係では、「憲法が各地方公共団体の条例制定権を認めている以上・・・・・・条例の制定によって地域間で何らかの取扱いに差異を生じることがあっても、そのことによって違憲の問題は生じ」ず、また、「インターネット依存については、青少年は生育上の観点から特にその影響を受けやすいとの知見が少なからずみられるところ、本件条例が18歳未満の者を『子ども』と定義した上、その適用対象を成人と区別して定めるのは、児童の権利条約の『児童』、数多くの青少年保護条例の『青少年』、児童福祉法の『児童』及び労働基準法の『年少者』などと同様、これらの年少者が成人とは生育過程上異なる段階にあることに基づくものであり、不合理でない」とした。
 憲法21条1項との関係では、原告は、「インターネット空間はパブリック・フォーラムとしての性質を有しており、また、スマートフォンの利用は表現行為であると同時に、情報収集を行うために有用なものとして知る権利にも資するものであるため、スマートフォンの利用を制限する本件条例は憲法21条1項に違反する」とするが、「本件条例によるスマートフォン等の利用制限は、そもそも努力目標に過ぎず、罰則もなく、原告らの表現自体を規制するものではないため、原告らの表現の自由に対して何らかの制約を課すものではな」く、「インターネット空間が仮に原告らの主張するようなパブリック・フォーラムであるとしても、本件条例について原告らが主張する点は、いわゆるパブリック・フォーラムの理論が妥当するような、空間での表現とその空間の管理権者との調整が問題となる局面のものではないから、同理論を基に憲法21条違反をいう原告らの主張は失当である」とした。
 憲法22条との関係では、「原告らは、本件条例により、スマートフォンの利用が制限されることによってスマートフォンを利用してインターネットの使用に長ける機会を失うという点、ゲームの利用を制限されることによってeスポーツのプロになるための準備行為を制限するという点で、職業選択の自由を制限し、憲法22条に違反するものであるなどと主張するようである」が、「将来就くかもしれない職業という将来発生不確定な事項に『役に立つかもしれないことを行う』ことといった漠然としたものが職業選択の自由の保障の範囲に含まれると解することは困難」とした。
 憲法26条との関係では、「原告らは、本件条例は、ゲーム及びスマートフォンの利用を制限し、ゲームを利用した学習、スマートフォンを利用した学習及び家庭教育を受ける権利を制限するものであり、憲法26条に違反するものであるなどと主張する」が、「本件条例18条2項は、学習に必要な検索等を行うことについて、スマートフォン等の利用制限の対象外としていることからすると、原告らの主張は採用することができない」とした。
 憲法29条との関係では、「原告らは、本件条例は、ゲーム及びスマートフォンの利用を制限し、これは所有するゲーム機及びスマートフォンの財産権を制限するものであるから29条に違反すると主張する」が、本件条例の「規定内容は、そもそも保護者と子どもが『危険性』や『弊害』について話し合うことを前提として、その利用時間を自ら定めるよう求める努力目標に過ぎず(したがって、当然ながら、罰則もない。)、原告らの所有するゲーム機及びスマートフォンの財産権を制限するという態様のものでないことは明らかであるから、原告らの主張は採用できない」とした。
 憲法13条との関係では、「原告らは、本件条例は、親は、子に対して家庭におけるゲームやスマートフォンの利用について自由に決めることができる権利を有するものであり、これらの諸権利は家庭の在り方を決めるという意味で親の子に対する親権、監護権、養育権、教育権、リプロダクティブ権及び人格権であって、本件条例はこれら諸権利を侵害するとともに、eスポーツを楽しむ幸福追求権、自己決定権及びプライバシー権を侵害するものであり、憲法13条に違反するものであるなどと主張する」が、それらは、「飽くまでも一般的利益に属するものであって、こうした一般的利益は、人格的生存に不可欠な利益とまでいえず、自己決定権やプライバシーにも直接関わるとはいえないから、憲法13条により基本的人権として直接保障の対象とされるものとはいえない」とし、それらが「仮に憲法上一定の配慮を要するものとしても、これらに対する規制が一切許されないとは考え難」く、そもそも、「本件条例は、規定の態様上、何ら具体的な制約を課すものでもないから、原告らの主張は採用できない」とした。
 また、「本件条例は、そもそも原告らにおいて何ら具体的な権利の制約を課すものではな」く、仮に原告らの権利を制限するものであるとしても、「本件条例は努力目標であり罰則がないことなどからすると、必要最小限度の制約であり、これらの制約が許されないとはいえない」とした。
 以上の点から、「本件条例の立法行為及び本件条例の改廃をしないことの立法不作為が国家賠償法1条1項の違法であるとは認められない」として、請求を棄却した。

3.検討
 本件条例に関しては、すでに様々な議論がなされてきたが、その多くは政策的妥当性にかかわるものである。もちろん、それらの議論や見解は重要なものであるが、本稿では、憲法上の問題に限って考察することにしたい。
 本件判決は、本件条例にかかる憲法上の論点に関して、かなり幅広く取り上げている。しかし、憲法上の権利の関係では、本件条例の文言に明確性を欠くところはないとしたうえで、基本的には、本件条例が、「保護者に対し、まずは『使用に伴う危険性』及び『過度の使用による弊害等』について『子どもと話し合い』をするよう促し、併せて、子どもとのルール作りを求めるものであ」り、また、本件条例は「1日当たりの利用時間の上限の目安を示し、目安を参考に自ら話し合いの上で定めたルールを遵守させるよう努めるという努力を求めるものにすぎず、もとより時間制限というものではない」ことから、憲法上の権利の侵害性を否定したものであり、従来の判例動向からすれば、予測の範囲内の判断だといえるだろう。
 また、法律と条令との関係についても、従来の先例の枠組みにしたがった判断を下しており、パブリック・コメントにかかる手続に関しても、「パブリック・コメント(意見公募手続で出た意見)を考慮すべき義務の成否に影響があるとか、立法目的の存否に影響を及ぼすものとは考えにくい」として、これらも、予測の範囲内の判断だといえるだろう。
 インターネットの空間がパブリック・フォーラムかどうかに関しては、興味深い憲法上の論点ではあるが、本件事案に限定していえば、それにかかる原告らの主張に関する本件判決の判断は妥当なものだといえるだろう。憲法13条、憲法14条、憲法22条、憲法29条にかかる論点に関しても、政策的妥当性からは種々の疑義が呈されるかもしれないが、これまでの判例動向からすれば、やはり憲法論としては予測の範囲内の判断だと考えられる。
 ただし、本件判決は、立法目的および目的と手段との関連性を審査する基準論を用いているが、その審査基準に関しては、やや説明不足の感があるものと思われる。
 本件判決では、「香川県において、ネット・ゲーム依存症の予防の必要性を立法目的とすることは立法事実の裏付けがある」として、条例の立法目的を肯定したうえで、そのための手段審査において、その手段は「不合理なものとまではいえ」ず、「これより制限的でない他の方法は特段示されていない」とし、そして、立法目的と手段との間の実質的関連性について、「本件条例で採用された保護者に子との話し合いを持つよう定めた立法の手段は、ネットゲーム依存症の状態に陥らないよう予防するためとの立法目的との間に実質的に関連性を有する」としている。つまり、本件判決は、厳格な合理性の基準を用いているものと思われる。しかし、本件判決では、厳格な合理性の基準が用いられなくてはならない積極的な理由に関しては、必ずしも十分な説明はなされていない。そのため、少なくとも、本件判決は、本件事案を厳格な基準を用いる事案ではないと判断していると評価するに留めることが、適切なように思われる。
 また、本件判決では、ほとんど取り上げられていない重要な論点があったように思われる。すなわち、本件判決では、「ネット・ゲーム依存症との呼称を付与するかはさておき」として、深く検討することを避けているが、実は、この点こそ、もっとも重要な論点であったのではないだろうか。
 法令が、いわゆる大文字の他者として機能し、直接的な規制でなくても一定の社会的影響力を有するものである以上(だからこそ、いわゆる「理念」法に意味があるのである)、条例でネット・ゲーム「依存症」という表現を用いることが許されるべきものなのかは、政策的妥当性の次元を超えるものであると思われる。
 この点に関しては、今後、別稿で検討できればと考えている。

4.おわりに
 以上のように、本件判決が取り上げた主な憲法上の論点に関しては、従来の判例動向を踏まえる限り、本件判決の判断は予測の範囲内のものであり、その意味で妥当なものだと考えられる。そして、本件判決を前提とする限り、本件条例の是非は、直接的には違憲性の判断を伴う厳格な意味での憲法論ではなく、政策過程に委ねられたといえるだろう。
 しかし、そうであるならば、パブリック・コメントのあり方に関しては、憲法理念を具体化し、その内容を社会実装するための広い意味での憲法論として、きちんと検討していかなくてはならないのではないだろうか。
 もちろん、本件判決が述べるように、「本件条例は、いわゆる行政立法ではないから、もとより行政手続法上のパブリック・コメントの適用対象として想定されていない」。しかしながら、「地方公共団体におけるパブリック・コメントについては住民参加の趣旨が加わるものとして定める例があり、本件条例についても、そのため特に『香川県ネット・ゲーム依存症対策条例(仮称)素案に対するパブリック・コメント実施要領』・・・・・・を策定したものと考えられる」以上、広い意味での憲法論として、住民参加の趣旨が適切に反映できるパブリック・コメントのあり方の検討が求められるものと思われる。そして、いささか逆説的ではあるが、本件事案では、地方自治体におけるパブリック・コメントの未成熟さ、特にパブリック・コメントの前提となるべき情報の質保障の不十分さという課題が、明らかとなった意味があるといえるのではないだろうか。
 学説では、地方自治体の文脈で「情報およびその流通量が爆発的に増加している現代においては、パブリック・コメントにおける情報の品質確保および向上が課題である」※4と指摘したうえで米国のInformation Quality Actを紹介し、地方自治体が発信する情報の質を市民が問う制度の導入を提案するものもある。
 今後、そうした学説を参考にしながら、パブリック・コメントを活性化するために、多くの地方自治体において、地方自治体の発信する情報の質を市民が問う制度の導入を進めることを期待したい。


(掲載日 2022年12月26日)




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