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判例コラム
(旧)コラム

 

第85回 職務発明訴訟の第二ラウンド

北海道大学法学研究科教授
田村 善之

従業者の職務発明にかかる特許権等を使用者が承継した場合、従業者に支払わなければならない補償金の金額に関しては、理由中で600億円、原告請求の限度で200億円を認容した青色発光ダイオード事件に関する東京地判平成16・1・30判時1852号36頁[日亜化学工業]を一つの頂点として、2004年に、相応のプロセスを経て策定された社内の発明規程に効力を認めようとする特許法改正が図られたことにより、大枠のところでは一段落が着いた(その間、青色発光ダイオード事件も、東京高裁平成17.1.11和解勧告判時1879号141頁[日亜化学工業2審]により利息を含めて8億円余りの支払いで紛争を解決する和解が成立している)。

もっとも、その後も裁判実務においては、種々の論点について裁判例が分かれており、職務発明制度は、従来の数万円ないし数10万円か数10億ないし数100億かといった桁違いの争いから、数百万か数千万(あるいは数億)かといったせめぎ合いが続いている。主要な論点を3つほど紹介しよう。

第一に、特許権を承継した使用者が、他者にも実施許諾をする方針を採用しつつ、自ら実施している場合に、補償金算定の基礎となる「使用者等が受けるべき利益」(特許法35条5項)の算定の仕方に関するものである。
「使用者等が受けるべき利益の額」の意味については、使用者が特許権を取得しなくとも特許法35条1項により法定通常実施権を取得し無償で実施できる分を超えて、特許権等を承継したことによってもたらされた利益のことを指す、と理解する点で、現在の裁判実務は一致している。特許権を取得することで、単に自ら実施するだけでなく、他者を排して、排他的に発明を実施することにより売り上げが増進し、そこから利益を得るなどの超過的な利益を得ているはずであり、この分について補償金を支払わなければならないというのである。逆に、特許権を承継しなくとも実施できた分についてまで補償金を支払わなければならないとすると、特許法35条1項が自己実施は無償でできるとしていることと矛盾するというのである。

しかし、使用者が自ら実施しながらも、第三者に対して実施許諾をなしている場合には、他者を排して実施しているわけではないので超過利益はないのではないかということが問題となる。実施許諾の用意があるのに誰も許諾を求めに来ないという場合も同様である。この点に関して、いったんは、使用者の超過利益を否定し(東京高判平成16.4.27判時1872号95頁[日立金属窒素磁石2審])、限定的なライセンスポリシーなど、特許権を戦略的に使用して利益を上げているなどの特段の事情を従業者の側が示した場合に限り(抽象論として、東京地判平成18.6.8判時1966号102頁[三菱電機] 、東京地判平成19.1.30判時1971号3頁[キャノン]、東京地判平成20.9.29判時2027号143頁[ソニー])、その限度で超過利益を算定する裁判例(東京地判平成19.4.18平成17(ワ)11007[ブラザー工業])が趨勢を占めたかに思われたのであるが、近時は、「50~60%の減額」を基本とし、換言すればその限度で超過利益の残存を認め、さらなる減額は使用者の側が特段の事情を示していく必要があると扱う裁判例(知財高判平成21.2.26平成19(ネ)10021[キャノン2審]、知財高判平成21.6.25平成19(ネ)10056[ブラザー工業2審]) が現れ、議論を呼んでいる。

第二に、このようにして確定された「使用者等が受けるべき利益」の額からさらに使用者の貢献度等を参酌し、従業者に帰属すべき補償金額を決めていくのであるが、ここにおいても、創薬産業などにおいて使用者が発明が成功するか否かということに対してリスクを負担していることを考慮しうるのか、考慮しうるとしてそれはどの程度のものとして評価すべきかということに関しても争いがある。これを積極的に考慮する場合には、使用者の貢献度は98%(大阪地判平成17.9.26平成16(ワ)10584[三省製薬])、あるいは97.5%相当(東京地判平成18.12.27平成17(ワ)12576[三菱化学])と高く見積もられることになるが、考慮を否定するか、消極的に考慮するに止まる場合には、使用者の貢献度は90%(知財高判平成19.3.29平成18(ネ)10035[豊田中央研究所2審]、 知財高判平成20.5.14平成19(ネ)10008[三菱化学2審])程度という通常の事例の範囲内に収められることになる。

第三に、補償金請求訴訟においても、特許権侵害訴訟における特許法104条の3の無効の抗弁と同様に、使用者が職務発明にかかる特許権が無効であると主張することが許されるのかという論点がある。裁判例では、かつては無効主張を許容するかのように読める取り扱いをなすものもあったが(水戸地土浦支判平成15.4.10判時1857号120頁[育良精機製作所]、東京高判平成16.9.29平成15(ネ)2747[同2審])、むしろ、主流を占めていたのは、無効理由があるとしても形式的な特許権の存在により使用者は利益を受けていることを理由に同じく無効主張をそれ自体としては許さないが、ただちに補償金が否定されることはないが、ただし無効理由があることは金額の算定に影響し、対価の額は低廉なものとなるという立場である(大阪地判平成5.3.4知裁集26巻2号405頁[ゴーセン]、東京高判平成13.5.22判時1753号23頁[オリンパス光学工業2審]、東京地判平成18.3.9判時1948号136頁[豊田中央研究所]、東京地判平成18.1.26判時1943号85頁[コニカミノルタホールディング])。さらに、最近ではより制限的に、無効理由があることが世の中に明らかになり、それを前提として競業者が行動しているような場合には、特許権を承継したことによる利益に影響が生じる場合に限って、無効理由があることを斟酌するという取扱いが有力となっている(大阪地判平成18.3.23判時1945号112頁[NECマシナリー]、大阪地判平成19.3.27平成16(ワ)11060 [東洋紡]、東京地判平成19.4.18平成17(ワ)11007[ブラザー工業]、大阪地判平成19.7.26平成18(ワ)7073 [ホシデン]、知財高判平成21.6.25平成19(ネ)10056[ブラザー工業2審])。

これらの論点に関していかに考えるべきかということを本コラムで詳述する余裕はないが(詳しくは、田村善之「職務発明にかかる補償金請求訴訟における無効理由斟酌の可否について」知財管理60巻2号(2010年2月公刊予定)、田村善之「使用者が職務発明を自己実施している場合の「使用者等が受けるべき利益の額」の算定手法について-実施許諾を併用している場合の処理-」知的財産法政策学研究27号(2010年3月公刊予定)を参照)、ここでは裁判例の取扱いが分かれる背景には、補償金制度の目的のとらえ方に対して二つのアプローチの対立があるということを指摘しておこう。

第一のアプローチは、使用者の発明に対する投資に対するインセンティヴを確保しながら、従業者の発明活動に対してもインセンティヴを付与することを目的とした制度であると理解する立場であり、第二のアプローチは、そのようなインセンティヴとは無関係に、使用者が発明によって取得した利益のなかから相応の割合を従業者に配分する制度であると理解する立場である。第一のアプローチに与する場合には、従業者に与えるインセンティヴに必要がなければ、従業者に一定割合を常に配分する必要はなく、使用者の投資に対するインセンティヴを保障するためには使用者が負担するリスクに配慮する必要があり、また無効理由があるがために特許法上保護に値する発明でなければ、あえて補償金請求を認めてそのような発明に対するインセンティヴを確保する必要はないという結論に至りやすい。他方、第二のアプローチに与する場合には、使用者が一定の利益を上げている以上、そこから一定の割合いで従業者の取り分を認めるべきであり、当該発明については開発に成功し、そこから使用者が利益を得ている以上、当該発明とは無関係の他の発明の成否のリスクを考慮して従業者の取り分を減額する謂われはなく、無効理由があったとしても事実として使用者が利益を得ているのであればそこから従業者に利益の配分を認めるべきであるという結論に至りやすいといえよう(もっとも論理必然的ということはないようであり、たとえば明示的に第一のアプローチを採用することを明言している東京地判平成18.3.9判時1948号136頁[豊田中央研究所] 、東京地判平成19.4.18平成17(ワ)11007[ブラザー工業]は、無効理由の取扱いにおいては制限的に参酌するに止める立場に与している)。

このうち、いくつかの案件は最高裁に上告されており、職務発明訴訟の第二ラウンドについても一定の決着をみることになるかもしれない。今後の動向、特に最高裁の動きを注目することにしたい。

(掲載日 2009年11月30日)

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