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判例コラム
(旧)コラム

 

第125回 過去の法令情報を探して:「時点的データベース」の今

成城大学教授
指宿 信

その昔、法学者は法条文へのアクセスについてまったく無頓着であった。六法出版社が自社六法の採用を見込んで法学部の教員に競って寄贈していたため、「法条文へのアクセス」などという問題意識を法学者が持つはずはなかった。こうした恵まれた環境にいると、法情報学というような学問領域への関心がそもそも育たなかったのも無理はない。ようやく2000年以降の「IT革命」で、インターネットを用いた公的情報の提供が拡大し、最初は行政機関を中心に広がり、次第に法情報全般にも利用されるようになった。重要なことは、その間、法学者は国民の法情報へのアクセス環境を改善するよう積極的に働いたわけではなかったという事実である※1。法情報が身近にあり常にそれを「商売道具」としてきた研究者はまさに情報強者の立場にいるので、「法へのアクセス」がいかに重要なテーマであるかを自覚することに鈍感であったと言えるだろう。法令ばかりか、判例公開についても、司法制度改革審議会の最終意見書で取り上げられるまで※2いかなる法律系学会も政府や裁判所に対してそれを建白したり、勧告をおこなったりするということはなかった※3。残念なことに、そうした思想的貧しさは払拭されておらず、未公刊裁判例を収集して活字として有料で売る「ビジネス・モデル」がいまだに続いていることがそれを裏付けていよう※4

他方で、つぎつぎと新しい公的情報サービスがネット上に展開されるようになり、2001年の総務省行政管理局による「法令データ提供システム」の開始は、現在通用する法令データを市民に無料で届ける画期的ツールとなった。インターネット商用開放以来、多くの私的セクター(個人、企業、団体等)から法令データが公開されていたが、言うまでもなく公的セクターによる法条文のネット上での提供は、法治国家にとって必須の情報基盤というべきものであった。

ところが、法条文の現在の姿を見るだけでは不十分なことは少し法律問題を考えたことがある者にとって自明のこととなった。紛争時点の法律の姿がわからなければ、自分の利害や権利の根拠となる法を知ることができないからである。それが、「時点的情報」の待望である。ネットは新しい情報をいち早く知るには適したツールであるが、他方で、過去のある時点の情報を取り出すのは苦手としている。その欠点を補うのが、時点的設定によりデータを選別することのできるデータベースだ。

筆者はかって、法律専門誌にオーストラリアで生まれたEn-Actシステムを紹介したことがあるが※5、1990年代から時点的データベースはネット上に実装されるようになっていて、1996年の豪州のタスマニア州でスタートしたSGMLを用いた法令データベース※6はその嚆矢となった※7。ここでは、技術的観点はさておきその後の時点的法令データベースの動向について振り返っておきたい※8

わが国では、「条例くん」というXMLを利用した時点的な法制執務支援システムが地方自治体を顧客として導入されるようになる※9。提供サイドでこうしたツールを持っておくことは、法令履歴の管理に不可欠であることが認識されていたので、わが国における時点的データベースの幕開けとなったといってよい。その後、第一法規※10やウェストロージャパン※11、レクシスネクシス・ジャパン※12などで、有料商品として時点的データベースの提供が開始される。今や、わが国においてもオンラインでの法条文データの時点的入手は特別なことではなくなっている。法律家は、ずらりと並んだ過去の六法をひっくり返すことなくある特定の時点の法条文の姿を知ることができるようになったのだ。

さて、世界に目を転じてみよう。海外では、時点的検索は有料データベースに止まらず無料の公的サイトでも実装されるに至っている。先ほど紹介したタスマニア州はその先駆的取り組みであったが、他にも、カナダのCanLII※13や、オーストラリアでもAustLII※14など複数サイトから無料で時点的データが提供されている。今年始まった始まった英国の法令データサービス※15も時点的検索が可能になっている。たとえば以下の「1998年データ保護法」を例に見てみよう(下図参照)。

1998年以降直近まで、時点をいちいち入力しないでスクロールとクリックだけで希望する特定時の条文を表示させる、優れたインターフェイスを有する(2000年3月1日時点の第7条の条文を示しているところ)。

2000年3月1日時点の第7条の条文を示しているところ

http://www.legislation.gov.uk/ukpga/1998/29/section/7?timeline=true

今日、海外では公的セクターによる法情報サービスがここまでのレベルで展開されているということを認識しておく必要があると思われる※16。決して、IT立国だとか、情報先進国などというキャッチフレーズに踊らされてはならない。利用者にとって何が必要な法情報であるのか、そして、それをどのように使いやすいかたちで提供すべきかを常に検討する責務を公的セクターは負っているのであり、そうしてはじめて私的セクターも高度な、付加価値の高い法情報商品を提供する契機となるはずだ。

(掲載日 2010年10月25日)

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