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判例コラム
(旧)コラム

 

第200回 大日本帝国憲法「告文」、「上諭」中の一文字について

成城大学法学部教授
成田 博

有斐閣の『ポケット六法』には別冊付録が付いていて(以下、『ポケット六法・別冊付録』と呼ぶ)、その中に「難読法令文字の読み方」なるものがある(筆者が実際に手許に置いて見ているのは、平成18年版のそれである)。そこに「玆」という文字が出ている。これは、「玄」の部に属する十画の文字で、「ここ」と読む。そこには、「明憲告文、民公布文、刑公布文」とある。「明憲告文」は、大日本帝国憲法の「告文」ということだろう。そこで、大日本帝国憲法「告文」を『ポケット六法 平成24年版』で調べてみると、なるほど、「『玆』ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス」とあって、その文字が見える。『ポケット六法・別冊付録』は、「告文」を用例としてあげるが、この文字は、同じく大日本帝国憲法の「上諭」にも見える。「明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ『玆』ニ大憲ヲ制定シ」とあるのがそれである。

ここまでは問題がない。しかし、不思議なことに、同じく有斐閣から刊行されている林大=山田卓生編『法律類語難語辞典』〔新版〕〔平成10年、有斐閣〕では、この文字は採録されていない。「その代わり」という言い方は変かも知れないが、それによく似た「茲」という文字が載っている。これは「艸」の部に属する。見出しは「茲に」で、その下に「ここに」と読みが付いている。そして、その文字が使われる例としてまさに「明憲告文」の、上記引用箇所が引かれている。

もっとも、漢和辞典を引くと、どちらの文字にも「ここ」という訓があることが分かる。しかも、「玆」を引くと、「茲シは別字であるが、古くから混同して用いる」とあり、「茲」を引くと、「玆シ・ゲンは別字であるが古くから混同して用いる」とある(諸橋轍次=渡辺末吾-鎌田正=米山寅太郎『新漢和辞典』〔四訂版〕〔大修館書店〕)から、その限りでは、「互換性」があるわけである。しかしながら、大日本帝国憲法の「告文」という現実に存在する文書をその用例として挙げる以上は、「玆」でも「茲」でも構わない、ということにはなりようがない。少なくともどちらかが間違いであるということになるのではないか。

一般に、法令集(六法)が法令を収録する際の典拠は、「官報」、「法令全書」であるが(有斐閣、岩波書店、三省堂の六法はそうである)、「官報号外」においては、「告文」※1、「上諭」※2ともに、用いられているのは「玄」を二つ並べた文字である。「法令全書」には「告文」は掲載されておらず、確認できるのは「上諭」だけであるが、そこでも、用いられている文字は「官報号外」と同じである※3。よって、「官報」、「法令全書」に依拠するというのであれば、『ポケット六法・別冊付録』の採録する「玆」の文字が正しいことになる。そして、『ポケット六法』の用いる文字はまさにそれであるから、『ポケット六法』の表記に間違いはないことになるが※4、それなら、ほかの出版社の六法はどうかと思って、岩波書店、三省堂の六法も調べてみたところ、岩波書店の『セレクト六法 平成21年版』では、有斐閣の六法と同じく、「玄」を二つ並べた「玆」が使われているが、三省堂の『デイリー六法 平成24年版』では、草冠の「茲」が使われている。

既に指摘した通り、林大=山田卓生編『法律類語難語辞典』も草冠の「茲」の文字を用いているが、同書は『辞典』と銘打ち、法令の難読文字について解説するというのであるから、「ここ」と訓む文字として二つのものが現実に存在する以上、両者を見出し語として立てるべきではないか、どちらか一方を見出し語とするにしても、もう一つの文字の存在を注記すべきではないか、という批判が可能である。これは、『ポケット六法・別冊付録』についても当て嵌まる※5

よくわからないのは、そもそも、この二つの文字は、一体、どういう関係にあるのか、あるいは、なにゆえ――似てはいるものの異なる――二つの文字が等しく「ここ」という訓を与えられるのか、ということである。『大漢和辞典』では、「茲」について、「茲、此也」という、中国の古い字書からの引用がなされている。このほか、いくつかの漢和辞典(もちろん、白川静の『字通』も見た)を調べたあとに思い出したのが『大字典』の存在である。上田萬年=栄田猛猪=岡田正之=飯田伝一=飯島忠夫編『大字典』〔普及版〕〔昭和40年、講談社〕は、「茲」について、「此と通じココ・ココニと訓ず」、「玆・・・とは別なりしが、後世玆と茲と其形相似て且同音なるより相混じて用ふるに至れり」と解説する。筆者のような門外漢には、こういう解説がありがたい。この問題に限って言えば、要するに、本来は「此」とすべきところ、音が同じ「茲」が用いられ、さらに、それと形の似た「玆」が混用されることになったということであろう※6。それなら、「此」に代えて選択されるべきは、草冠の「茲」であったということになりはしないか。

ここまで来ると、「御署名原本」にまで遡って考えなければならないように思われるが、「告文」は、「官報号外」にしか掲載されていない(「憲法発布勅語」も同じである)。国立国会図書館の近代デジタルライブラリー、国立公文書館のデジタルアーカイブで見る限り、「法令全書」、「御署名原本」は「上諭」から始まり、「告文」、「憲法発布勅語」を含まない。そこで、「上諭」中にみられる「ここ」の文字を「御署名原本」で調べてみると、用いられている文字は、「茲」に近いとはいえるが、漢字の形が微妙に異なっている。具体的には、「滋」という文字の「さんずい」を抜いた形をしている※7。「慈」あるいは「磁」も同じであるが、草冠ではないのである。これは、「茲」の「俗字」だそうで(長澤規矩也『新漢和中辞典』〔昭和42年、三省堂〕)、結局のところ、「御署名原本」の文字は草冠の「茲」と理解されると言ってよいだろう※8

そうすると、「ここ」という語の漢字表記に際しては――「此」に代えて用いるなら――「茲」の字が選ばれるべきではないかということに加えて、「御署名原本」の「上諭」中の文字もまた草冠の「茲」と理解されることからして、「官報号外」、「法令全書」は、「上諭」中の文字について――「玄」を二つ並べた「玆」ではなく――草冠の「茲」を選ぶべきであったのではないか(これは、さらに、「玄」部の文字は、ひょっとして「誤植」だったのではないかという疑問につながる)、そして、そうであるなら、「告文」を「官報号外」に掲載するに際しても、「御署名原本」の「上諭」において用いられたのと同じ草冠の文字を選択すべきであったのではないか、という疑問を提示することができる。

本稿執筆の動機は、僅かに一文字ではあるが、法令集あるいは法律用語辞典によって、用いられる文字が異なるという事実に気付いたことにある。これは看過できないことのはずである。ただ、今回は、自分の専門外の事柄に大きく踏み込んだことは間違いのないところで、漢字あるいは大日本帝国憲法に関わる事柄についておよそ間違ったことを書いているのではないかという恐れを強く持つ。

(掲載日 2012年8月13日)


次回のコラムは8月27日(月)に掲載いたします。

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