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文献番号 2015WLJCC001
北海道大学大学院法学研究科
教授 田村善之
1.序
先日、本コラム欄※1でも取り上げた、いわゆる自炊代行訴訟の控訴審判決※2が知財高裁で下された。知財高判平成26.10.22平成25(ネ)10089[ドライバレッジジャパン]がそれである※3。
自炊関連業者にも幾つかのタイプがあるが、本件で問題となった自炊代行業者は、製本された書籍の裁断機やスキャナーを持ち合わせていないユーザーや、裁断やスキャンにかかる時間や労力を節約したい利用者などのために、(私的)複製(=「自炊」)の代行を行う業者であった。知財高裁は、結論としては、一審判決と同様、複製を行っているのはユーザーではなく、業者であるという認定をなしたうえで、私的複製に関して著作権を制限する著作権法30条1項の適用を否定し、代行業者からの控訴を棄却した。
今回の知財高裁判決は、一審判決を維持したものであり、本件において著作権侵害を肯定することの問題点については、地裁判決に対する本コラム欄における筆者のコメントがそのまま妥当するので、子細はそちらに譲ることとし、ここでは、二点ほど、二つの地裁判決に比して本件知財高裁判決が特徴的であったところについて論評しておくことにしたい。一点目は、どちらかというと論理の組み立て方の問題であるが、業者を複製の主体と認定する際に依拠した法理に関するものであり、二点目は、より注目に値するものとして、私的複製に関して著作権を制限する著作権法30条1項の趣旨が説かれたくだりに関するものである。
2.利用行為の主体論
知財高裁判決の一つの特徴としては、ユーザーではなく業者を複製の主体であると判断するに際して、いわゆる「枢要な行為」論を用いていないことが挙げられる。
この点に関して、本件の原判決である東京地判平成25.9.30平成24(ワ)33525[サンドリーム]※4と、同種の自炊代行業に関する判決である別件の東京地判平成25.10.30平成24(ワ)33533[ユープランニング]※5は、いずれも、テレビ番組の録画転送サービスに関する最判平成23.1.20民集65巻1号399頁[ロクラク]※6を引用し、自炊代行業者が「枢要な行為」をなしていることを理由として、業者を複製の主体と認めていた。これに対して、知財高裁はそのような論法を採用せず、むしろ物理的に複製を遂行していた者は誰かということを重視して(他の事情も斟酌はしている)、業者が複製主体であると論じている。
「裁断した書籍をスキャナーで読み込み電子ファイル化する行為が、本件サービスにおいて著作物である書籍について有形的再製をする行為、すなわち『複製』行為に当たることは明らかであって、この行為は、本件サービスを運営する控訴人ドライバレッジのみが専ら業務として行っており、利用者は同行為には全く関与していない。」
このように第一義的には物理的な行為に基づいて複製主体が業者として決せられた結果、そのような物理的な主体ではないユーザーが複製主体であると主張する者のほうが規範的な利用主体論を援用せざるを得なくなるわけであるが、そのような主張についても、本判決は、以下のように論じることで退けている。
「利用者による書籍の取得及び送付がなければ、控訴人ドライバレッジが書籍を電子ファイル化することはないものの、書籍の取得及び送付自体は『複製』に該当するものではなく、『複製』に該当する行為である書籍の電子ファイル化は専ら控訴人ドライバレッジがその管理・支配の下で行っているのである。」
「利用者は、控訴人ドライバレッジが用意した本件サービスの内容に従って本件サービスを申込み、書籍を調達し、電子ファイル化を注文して書籍を送付しているのであり、控訴人ドライバレッジは、利用者からの上記申込みを事業者として承諾した上でスキャン等の複製を行っており、利用者は、控訴人ドライバレッジの行うスキャン等の複製に関する作業に関与することは一切ない。
そうすると、利用者が控訴人ドライバレッジを自己の手足として利用して書籍の電子ファイル化を行わせていると評価し得る程度に、利用者が控訴人ドライバレッジによる複製行為を管理・支配しているとの関係が認められないことは明らかであって、控訴人ドライバレッジが利用者の『補助者』ないし『手足』ということはできない。」※7
たしかに、最終的に複製を引き起こす指示をユーザーがネットを介して送信していた前掲最判[ロクラク]と異なり、物理的な複製のプロセスを全て業者が行っていた本件においては、あえて「枢要な行為」論に基づかずとも、複製主体を業者と認定することができる。その場合、じつは複製主体は業者でないと主張する者のほうが規範的な主体論に寄り掛からざるを得ないということなのであろう。その意味で、本件地裁判決よりも、知財高裁判決のほうが事案適合的な論理を示しているといえそうである※8。
もっとも、複製主体が業者で(も)あると認定されたからといって、それとは別に著作権法30条1項の適用の範囲の問題として、そのような行為にまで同項の著作権制限の効果が及ぶのかということを吟味する必要性は失われないことは、地裁判決に対する本コラム欄における論評※9において明らかにしたとおりである※10。そして、本件控訴審判決も、複製主体を業者と判断しただけでただちに結論に至るのではなく、次に紹介するように、別途、30条1項の適否を論じており、その結論はともかく、議論の進め方としてはより明晰なものを提示していると評価することができる。
3.著作権法30条1項(私的複製)の趣旨
本件控訴審判決において特に重要なことは、著作権法30条1項の趣旨を、以下のように明言していることである。
「著作権法30条1項は、個人の私的な領域における活動の自由を保障する必要性があり、また閉鎖的な私的領域内での零細な利用にとどまるのであれば、著作権者への経済的打撃が少ないことなどに鑑みて規定されたものである。そのため、同条項の要件として、著作物の使用範囲を『個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することを目的とする』(私的使用目的)ものに限定するとともに、これに加えて、複製行為の主体について『その使用する者が複製する』との限定を付すことによって、個人的又は家庭内のような閉鎖的な私的領域における零細な複製のみを許容し、私的複製の過程に外部の者が介入することを排除し、私的複製の量を抑制するとの趣旨・目的を実現しようとしたものと解される。そうすると、本件サービスにおける複製行為が、利用者個人が私的領域内で行い得る行為にすぎず、本件サービスにおいては、利用者が複製する著作物を決定するものであったとしても、独立した複製代行業者として本件サービスを営む控訴人ドライバレッジが著作物である書籍の電子ファイル化という複製をすることは、私的複製の過程に外部の者が介入することにほかならず、複製の量が増大し、私的複製の量を抑制するとの同条項の趣旨・目的が損なわれ、著作権者が実質的な不利益を被るおそれがあるから、『その使用する者が複製する』との要件を充足しないと解すべきである。」
この説示の意義を理解するには、このような説示がなされるにいたった文脈を把握しておいたほうがよいであろう。
本件において、控訴人は、著作権法30条1項の趣旨について、以下のように論じていた(本判決における裁判所の要約に従う)。
「控訴人らは、著作権法30条1項の趣旨は、私的複製は零細、微々たるものであるから、これが行われても著作権者に与える影響が軽微なこと、私的領域内の私人の自由な行為を保障すべきことにあるところ、本件サービスは、利用者個人が、私的領域において自由かつ簡単にできる書籍の電子ファイル化を代行するものにすぎず、利用者が書籍の購入、電子ファイル化する書籍の選別、送付、電子ファイルの様式に関する具体的な指示等をしていることから、利用者の私的領域内における自由な行為を実現するものであり、また、本件サービスにおいては、利用者が適法に取得した書籍を対象としており、権利者に対価が還元されていること、電子ファイル化に供された書籍は廃棄され、同一書籍から複数回の複製がされることはなく、大量複製を誘発しないこと、明示的に電子ファイル化を拒否する権利者の書籍については不可作家として本件サービスを利用できないことなど、本件サービスは零細な事業であり、著作権者に経済的な不利益を与えるものではないことをも考慮すれば、本件サービスによる書籍の電子ファイル化については、同条項の趣旨が妥当し、仮に控訴人ドライバレッジが利用者の手足といえないような場合であっても、控訴人ドライバレッジによる複製は利用者である『その使用する者』がした複製に当たり、同条項の適用がある旨主張する。」
控訴人のこの主張は、前掲本件コラムにおいて筆者が主張していたところと重なる※11。30条1項の積極的な根拠を私人の自由の確保に求めるとともに、消極的な根拠として、私人が主体的に複製の対象等の態様を決定する場合には、組織的に特定の著作物が狙い撃ちされることにはならないので、著作権者が過度に経済的な不利益を被らないことを掲げるものであった。このように私人の自由の確保をベースとする論理の下では、30条1項の「その使用する者が複製することができる」という文言に関しても、規範的な解釈として、私人が複製の対象等の態様を決定している場合にはこれを充足すると理解されることになる。
これに対して、控訴審判決が用いた論法は、同じように、私人の自由と著作権者の経済的な利益の衡量をなすものではあるが、より著作権者に経済的な不利益を与えないことという方向にシフトしており、私的領域という閉鎖的な空間では閉鎖的な利用がなされるに止まる場合には著作権者の経済的な不利益も僅少に止まることを、30条1項の趣旨の眼目とするものである。このような理解の下では、私人が主体的に複製の対象等を決定するだけでは足りず、複製という物理的な行為自体も私人が自らなすことが必要であり、本件のように、業者がそれをなしている以上、30条1項が適用される余地は無いと解されることになる。
それでは、いずれに軍配を上げるべきであろうか※12。技術的、社会的な環境の変化に伴い複製手段が普及したり、新たなものが登場したりするたびに、従前に比して、著作権者の権益が浸食されているという見方を重視するのであれば、本判決のように30条1項の趣旨を捉えることになるのであろう。しかし、そのように理解された30条1項は、著作権者の権益を(ほとんど)害さない範囲でお目溢しが認められる例外的な空間を特定する条文に堕することになる。他方で、30条1項に私人の自由を確保するという積極的な意義を認める場合には、同項は単に零細的な例外的利用に対するお目溢しを施すものではなく、利用者の自由という立派な利益を(も)保護する規定であるということになるから、ひとり権利者側の利益のみを強調する解釈態度が許されることにはならず、それと対抗する利益としての私人の自由との衡量という観点が視野に入ってくることになる。
かつて、20世紀の半ばまでは、出版、レコード、映画などのように一定の投下資本をなす者だけが複製技術の恩恵を享受し得た時代には、複製禁止権を中心に据える著作権法の規制は実質的には業者の規制法であって、私人の自由に対する過度の規制にはなりえなかった※13。それが時代とともに複製技術が私人に普及するに連れ、著作権の規制の意味が変容し、複製禁止権は次第に私人の自由に対する過剰な規制へと変質する契機を孕むことになる。そのような時代における著作権法30条1項には、著作権者の利益と私人の自由の均衡点を、過度に前者を偏重するものとならないようにする砦としての意義を認めるべきではないかと思われる。かかる砦としての30条1項の意義を発揮させるためには、著作権者の権益のみを強調する本件知財高裁判決のような理解ではなく、主体的な私人の自己決定を対抗利益として掲げる理解を採用することが要請されよう。
4.結語
もちろん、このように対抗利益を掲げたところで、二つの相対する利益の均衡点をどこに設定するのかということが一義的に決まるものではない。自炊代行業に関する決め手は、現在、私人が蔵書としている何十億、何百億にも上ると思われる書籍の著作者のうち、現実に自炊代行に対して権利行使をなすことを欲している者はごく僅かに止まり、権利者の所在不明の孤児著作物の状態にあるものを代表格として、およそ権利行使に無関心な著作権者のものであって、その著作物に関して自炊代行を認めても著作権者の利益が損なわれることはないものが大半を占めているのではないかという現実にある。しかも、自炊対象の書籍をユーザーが調達することを要求するなど、一定の非効率的なモデルを採用する自炊代行業のみを許容することにすれば、電子書籍市場から収益を得たいと考えている一部の著作権者の利益は、非効率的な自炊代行業に競争上優位に立つことによって十分に守られると考えられる。そうだとすれば、軍配は、本判決と異なり、自炊代行業を適法とする方に上がるように思われる。
(掲載日 2015年1月5日)