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文献番号 2015WLJCC006
青山学院大学法務研究科(法科大学院)教授※1
弁護士法人 早稲田大学リーガル・クリニック※2
浜辺 陽一郎
1.事案の概要
銀行と投信投資顧問会社が、投資家から訴えられた訴訟において、東京高裁で逆転勝訴したと報道された事例を取り上げたい。一審では投資家側が一部勝訴していた。地裁と高裁で判断が分かれたケースである。
訴えを起こしたのは、個人2名(X1とX3)、会社1社(X2社)である。もっとも、控訴審では原告X3が控訴を断念し、敗訴が一審で確定した。判例集によっては、その当事者が地裁では「原告X3」と表示されているが、控訴審では「控訴人X2」と表示されているものもあり、少し注意して読む必要がある(この辺の経緯は後で触れる)。
訴えられたのは、投資を勧誘して販売した銀行(販売会社)と投信投資顧問会社(委託会社)である。また、問題とされた金融商品は、その投信投資顧問会社を委託者とする追加型、毎月分配型の豪ドル債券ファンドの投資信託の受益証券である。
その請求原因は、①投資信託の購入契約につき消費者契約法所定の不利益事実の不告知、②詐欺又は③錯誤による無効又は取消しを主張し、不当利得の返還として、又は④目論見書の虚偽記載等、あるいは⑤説明義務違反があったとして、金融商品取引法(被告銀行に対しては同法17条、被告投信に対しては同法18条)所定の損害賠償又は債務不履行若しくは不法行為に基づく損害賠償として、投資信託の購入価格から分配金及び解約時の清算金を控除した額の金員の支払等を求めるというもので、多岐に渡る。
控訴審の裁判長である加藤新太郎判事は極めて研究熱心で高名な裁判官であり、本判決を読む限りでは、筋の通った判決であると評価できる。ただ、敗訴した投資家側は上告しているとのことである。
2.一審判決※3と控訴審判決※4(以下「本判決」)で結論が異なった理由
第一に、両者は前提となる事実認定が異なっていた。一審判決では、①本件投資信託の分配金には普通分配金と特別分配金があり、特別分配金は収益を原資とするものではなく元本の一部払戻しに相当するものであること(本件事実A)、②分配金の水準はファンドの収益の実績を示すものではないこと(本件事実B)の両事実について、説明義務違反があったと認定していた。
ところが、本判決は、それを否定した。「原告X1は、Dの説明を聞いたときの記憶として、同じ尋問において、Dは入社後の期間が短いようでいろいろなことを話そうとしていたが、説明用資料があるのだからその記載内容を話してくれればよい旨を述べて、Dの説明を制したとも供述している。この供述内容は、原告X1が、オーストラリアの公社債等で資産を運用する本件投資信託に興味を示す一方、Dが研修で教えられたとおり、リスクの内容及び程度、運用実績と分配金との関係などを説明しようとしても、もう分かっているから必要ない旨述べていたとの証人Dの証言と大筋において符合しており、これに沿う事実関係を認めることができる。そうすると、Dから説明を受けたときの原告X1については、Dの説明を聞いていなかったか、聞いていたとしても記憶に残らない程度にしか説明内容に関心を示していなかった」と認定し、説明義務違反はなかったという結論である。
第二に、本判決は、委託会社と販売会社の役割分担について、「投資信託の販売において、顧客への説明に関する業務は、委託会社が受益証券発行の際に目論見書の作成を行い、販売会社が受益証券の募集の際に目論見書の交付を行うという形で分担される」と述べて、「説明義務を負う主体は、第一義的には、原告らに対して本件投資信託の販売を勧誘し、直接の売買契約関係に立つ」被告銀行「であると解される」とする一方、被告投信「には、特段の事情のない限り、信義則上の説明義務を認めることはできない」と判断していることが注目される。この点は、本件事実A、Bに関する説明が不十分である場合には、これら資料の作成者である被告投信も第一義的な説明義務者である被告銀行とともに共同不法行為責任を負うという一審判決とは異なるものである。
第三に、冒頭に触れた通り、一審では原告がX1からX3までいたのに、控訴審ではX3がいない。これは、平成23年7月に購入していた当事者について、平成22年11月25日の金融庁の監督指針改定により、交付目論見書に分配金が純資産から支払われる旨、一部払い戻しに相当する場合がある旨についてイメージ図を用いて記載することと改正されていたことが関係している。つまり、本判決のX1やX2社はこの改正前で、そこまでの説明を受けていなかったが、もう一人の当事者X3だけ当該改正後に購入したことから、きちんとした説明がされており、敗訴を認めざるをえなかった。他方、本判決のX1とX2社が購入した段階では、その指針改定前であったので、なお検討すべき問題が残ったのである。
ところで、こうした指針改定により、より適正な説明にやり方を変えたことに対しては、前の説明が不適切であったことを認めることになるのではないかという心配をするむきがあろう。しばしば、消費者側からは、そうした攻撃がなされる。「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」という格言があるが、後段の「改むるに憚ることなかれ」の前に「過ちては」とあることから、改めることは、その前提として「過ちがあったことを認めることだ」という論理だろう。
しかし、この点について、本判決は、「このような事情から直ちに従前の目論見書の記載内容には不備があり違法であったと評価することとなれば、目論見書の記載を随時改善することも躊躇させかねず、投資者一般の保護にとってかえってマイナスに働きかねないことから、そのような解釈を採用することは妥当でない」と指摘している。
改めることと、「過ち」を認めることは別のことであり、過ちがなくても、改善し、サービスを向上させていくことは当然に奨励されるべきものである。
第四に、一審判決は、第一のところで説明した前提事実に対して、説明義務違反を単純に認める形になっている。それは形式的な判断に近い。それに対して、本判決は、投資家の属性等に照らして実質的・総合的に判断するアプローチを採用した。
この点について、本判決は、「どのような内容の説明が求められるかについては、契約の内容や当事者の属性に照らし、個別具体的に定められるべきものと解するのが相当である。そして、金融商品取引業者又はその販売委託を受けた金融機関の担当者が一般投資家である顧客に投資取引を勧誘する場合には、顧客が自己責任による投資判断を行う前提として、対象となる商品の仕組み、特性、リスクの内容と程度等について、当該顧客の属性、すなわち、投資経験、金融商品取引の知識、投資意向、財産状態等の諸要素を踏まえて、当該顧客が具体的に理解することができる程度の説明をすべき信義則上の義務があり、同義務の違反は不法行為を構成する」と述べていることが参考になる。
つまり、顧客の属性等によっては、本件目論見書の記載だけでは足りず、プラスの説明が必要な場合があることになろう。本件においては、販売会社の担当者が目論見書以上の説明をしたという事実認定をしている。しかし、逆に、そこまでの説明ができていないケースでは、説明義務違反の責任が生じる可能性を示唆している判決でもあろう。
第五に、一審判決は目論見書の記載自体に説明が足りない部分があるとしていた。それに対して、本判決は、「目論見書と資料のいずれも、販売会社が顧客に対して説明を行う際に使用されることが予定されているところ、その際信義則上説明すべきものとされる事項の内容や程度は、当該顧客の属性を踏まえて個別具体的にしか定まらない・・・(中略)分配金の由来として運用収益以外のものが含まれていること、及び、分配金が分配されていることが必ずしも良好な運用実績を意味しないことの各事実は、当該顧客の投資判断において重要な事実となり得るが、この点も顧客の属性に応じた説明が予定されている。そうすると、本件各目論見書においては、上記記載はそれ自体直ちに不備ということはできず、重要事項についての虚偽記載に該当するとはいえないから、」被告投信「に金融商品取引法18条の責任を認める余地はなく、」被告銀行「に同法17条の責任を認めることもできない。」として、この文脈においても、顧客の属性等をふまえて実質的に総合的に判断するという立場を取っていることが注目される。
3.「豪ドル債券ファンド」にかかる投資信託とは
さて、判決書から離れた個人的な印象だが、「豪ドル債券ファンド」にかかる投資信託であるから、豪ドル建てで考える限りは比較的リスクは小さいが、日本円に換算すると為替リスクが一番の問題となる金融商品ではないだろうか。原告らがそこまでの認識まであったかどうかは定かではないが、本判決が認定している「顧客の属性等」からすると、その程度のことは分かっていたのではないかと見られても仕方がないのではなかろうか。
そうした投資信託において、「その分配金がどこから支出されるか」などという話は、どちらかといえば、あまり重要ではなかろう。一審判決が着眼した「購入した投資信託の分配金がどこから支出されるか」の問題は、それほど重要なものといえるのかは、かなり疑問である。
もちろん、そういうことまで気になる投資家もいるかもしれない。その場合には、それに執着する顧客からの質問に対して説明が必要となるが、逆に「そんなことは結構です」などとさえぎられれば、それに関する説明義務がないということになる。それが本判決で整理された考え方であろう。
こうした考え方は、損害の公平な分担という民法的な発想からすると、至極妥当な結論である。
本件は、その販売そのものが、「適合性の原則」から外れた酷い販売事例とは異なるようである。仮に、投資家が後になってから、円換算した時に損をしていた結果から、後出しジャンケン的に「説明義務違反」等を持ち出すということは許すべきではなかろう。そう考えると、この種の取引においては、その説明義務の内容は本判決が述べるように実質的・総合的に判断することが妥当であろう。その点で、一審判決は、やや形式論理的で実態にそぐわなかったように思われる※5。
4.今後の課題
もっとも、敢えて問題点を探すとすれば、「目論見書の不当な記載」に関しては、少し問題が残っているかもしれない。
本判決は、説明義務の問題については、顧客の属性等を踏まえて判断をしている点で、適合性原則の問題を関連付けているように見える。しかし、適合性の原則と「目論見書の記載自体の不適切性」は、切り離して考えることは許されないのだろうか。ここには、金融商品取引法17条(虚偽記載のある目論見書等を使用した者の賠償責任)や18条(虚偽記載のある届出書の届出者等の賠償責任)が、顧客ごとに相対的に考えるということでよいのか、という問題が提起されている。
目論見書等の記載を適正なものにしていくためには、個別の事案における「適合性の原則」とは離れて、その記載の責任が何も生じないのは問題ではなかろうか。いくら経験のある投資家でも、記載が不適切であると、それによって誤解が生じるかもしれないが、そうした誤解については何らの救済もないのだろうか。それは錯誤に陥った投資家が悪いということなのか。
目論見書において、一方において「分配は収益からなされる」とあり、「過去ずっと分配がなされている」との記載があるだけで、ずっと収益がある商品だと誤解してしまうような恐れがある書き方は好ましくはないだろう。そのような誤解をさせるような記述にならないように注意する義務もあると考えれば、ミスリーディングな記載は時に法的責任を生じうると思われるが、どこまで強くそれを求めるべきかは難しい問題である。
損害の公平な分担という民法的な発想ではなく、市場法としてこの問題を考えた場合、つまり市場における開示規制がいかにあるべきかという観点から考えると、米国の厳しい開示規制に比べて、我が国における司法的規律はどうだろうか。この問題は、日本の市場の信頼性をどう高めるかという視点からも検討する価値がある。「私人による法の実現」という考え方からしても、金融商品取引法17条や18条に基づく責任追及において、顧客の属性を重視しすぎることは問題があるかもしれないが、この点は今後の検討課題としたい。
(掲載日 2015年4月7日)