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文献番号 2021WLJCC012
弁護士法人苗村法律事務所※2
弁護士、ニューヨーク州弁護士
苗村 博子
1.はじめに
今ほど、特許と公共の福祉、とりわけ人々の健康という公益と特許の関係が注目されているときはないと思う。WTOでインドや南アフリカからCOVID-19に対するワクチンに関わる特許の一時的な放棄が提案され、ワクチン外交といった政治的色合いも含んで、その賛否が議論されている。そのような中で出された本件控訴審判決が、どこまでこのような時代背景を意識したかはわからないが、結論としては、特許の対象となる、ガンの治療薬(ウイルス)に関する技術を、先発薬の製造承認を受けるための臨床試験に用いることについて、特許法69条1項の「試験」に該当するとして特許侵害を認めなかった原判決を支持した。
ウイルスと聞いただけで拒絶反応が起こりそうなマスク生活の毎日であるが、本件で問題となったのは、一定の種類のがん細胞にだけとりついて、ガン細胞を死滅させてしまうというウイルスに関する原告の有する特許(本件特許)である。本件に関連して調べていて、ガンは、ウイルスに弱いらしく、感染症にかかってガンが治ったという知見はこれまでもあることがわかった。ただ、ウイルスの取扱の難しさについてはCOVID-19を巡る様々なニュースで私たちも学びつつあるところであり、ウイルスにも病気を治すのに用いられるものもあるというのは無知な私には驚きであった。
そのような取扱も難しいであろうウイルスを用いた臨床試験が特許との関係でどう考えられるのか、特許法69条1項の「試験」をどのように捉えるかは、新薬開発、新薬承認のメカニズムと相まって実は極めて政策論的に難しい問題であることが、本件を検討してわかったところである。COVID-19の世界的なパンデミックを経験した今、本件は、将来の先端治療薬への技術開発に重きを置くのか、今使える医薬品の上市を優先するのかという、現在と将来のいずれを優先するかという問題であると考える。早速にこの難しい問題に一定の方向性を示した本件の事実関係から紐解いていこう。
2.本件の事実に関する概要
さて、事実関係について詳細を述べている原判決※3によると、原告は、自らも本件特許※4の対象となるウイルスを用いて一定の遺伝子操作を行った、悪性脳腫瘍の一種を適応症とする、G47Δというウイルスの商品化に向けて臨床試験を行っている。このウイルスは、いわゆる稀少疾病治療薬として指定され、また世界的に先駆的治療薬として先駆け審査指定制度の対象ともなっている。被告が臨床試験に用いているT-VECというウイルスは、原告の特許の技術的範囲に属しているがG47Δとは改変される遺伝子が異なるものだとのことである。被告の親会社は、T-VECについて、FDA(米国食品医薬品局)及びEMA(欧州医薬品庁)において、メラノーマ病変(悪性黒色腫)の治療薬としての承認を既に受けており、本件で被告が行っている臨床試験は、これらの外国での臨床データを新地域の住民集団に外挿する為にその地域で実施されるブリッジングと呼ばれる臨床試験で、当該地での有効性、安全性及び用法・用量に関する臨床データ又は薬力学的データを取るためのものとのことである。
3. 原審での争点と原判決の判断
本件での重要な争点は、まさに、先発薬の製造承認のための臨床試験が特許法69条1項の「試験」に該当するかであった。主張は多岐に亘るが、集約すると以下の2点かと考える。
(1) 平成11年最判は後発薬の臨床試験のみに適用されるのか?
被告は、後発薬の臨床試験が「試験」に該当するとした平成11年最判※5は、事案は後発薬に関するものであったが、臨床試験の必要性は、「後発医薬品についても、・・・同様であって、その試験のためには、特許権者の特許発明の技術的範囲に属する化学物質ないし医薬品を生産し、使用する必要がある」として、先発品と後発品を分けていない、従って先発品の開発のための臨床試験についても何ら変わらないとする。
これに対して、原告は憤然とこれを否定している。先発品で十分なコスト回収をした特許権者にとっては、後発品の臨床試験が特許権の存続期間中になされても、上市は特許期間満了後であるから大きな問題とならないが、先発品、特にバイオ医薬品の開発の場合は、明らかに異なるというのである。
被告の臨床試験が先発品としてのものであることから明らかなように原告もまだ製造承認を得ておらず、原告によれば、ウイルス製剤の場合特に時間が掛かり、特許権の期間満了間際となってしまう可能性もある。また特許権の延長制度は侵害品が実質同一なものにしか及ばないから※6、T-VECのように実質的には同一でない場合には、延長制度で原告特許は保護されず、本件特許期間が満了すれば被告は直ちにT-VECを上市できる。そして再審査期間の8年間は、特許のような独占的な権利を有しないにも関わらず、被告は、独占的な地位を得ることができるとしている。この再審査の制度は、原判決によれば、医薬品医療機器等法(旧薬事法)で定められた新薬のうち、希少疾病用医薬品については、承認後6~10年の間(原告によれば本件では8年)に申請して再審査を受けることになっている。この期間は他の後発品を上市することができず、事実上先発品の承認を受けた者が市場を独占することになる。
(2) 試験は、技術の進歩をもたらすものに限定されるか?
かつては、「試験」には技術の進歩を目的とするものだけが該当するとの意見が多数であった。特許という発明の成果を独占する利益の享受を制限する以上、それを凌駕する技術の進歩を目的とする場合のみ、試験に該当するというのである。平成11年最判は、後発薬の製造承認のための臨床試験について、これが技術の進歩を目的とするものかの要件検討をしなかったため、同最判はこの要件に否定的だとする考えが強くなっている。そこで、被告は、特許法69条1項の「試験」には、技術の発展目的は要件でないと主張しながらも、合わせ臨床試験も技術の進歩に寄与するとした※7。原告は、T-VECの臨床試験は、既に他国で薬効が確認されている医薬品の上市のために行うもので、新たな薬効を確認するものでないから、被告引用判例とは異なると主張した。
(3) 原判決の判断
原判決は、(1)(2)の論点について述べる前提として以下の規範を定立している。
「『試験又は研究のためにする特許発明の実施』に当たるかどうかは、特許法1条の目的、同69条1項の・・・立法趣旨、医薬品医療機器等法上の目的及び規律、本件治験の目的・内容、治験に係る医薬品等の性質、特許権の存続期間の延長制度との整合性なども考慮しつつ、保護すべき特許権者の利益と一般公共の利益との調整を図るという観点から決する」のが相当であると。
そして(1)について、ブリッジング試験といえども、一定期間を掛けて治験を行う必要があることは後発医薬品の臨床試験と変わりないとした。
(2)の点については、一般公共の利益に資する「試験又は研究」には様々な目的、内容等のものが考えられることからして、必ずしも技術の進歩を目的とするものに限定すべき理由はないと言明した。ただ加えて被告の臨床試験は、日本人における有効性及び安全性を評価する為の試験であるとして、技術の進歩を目的とするものに該当するとも付言している。
結果、原判決は被告のブリッジング試験を特許法69条1項の試験に当たるとして、特許侵害を認めなかった。
4. 控訴審での控訴人(原告)の主張
(1) バイオ医薬品、ウイルスに関する問題点
控訴人は、控訴審でさらに詳細にバイオ医薬品の製造承認のための工程を示して、その承認のためには長期を要することや新薬の承認のための臨床試験の工程は、後発医薬品のそれに比して多数に及びその間特許に係る技術を使い続ける問題点を述べる。また、かような使用に基づく臨床試験によって先に製造承認を得た場合には、被験者となる患者は、その承認された治療薬を用いることを優先するから、特に本件の様な稀少疾病については、特許権者の臨床試験が成り立たなくなる可能性があることを指摘する。
特にウイルス製剤については、ウイルスを排出しようとする免疫機構への対応、遺伝子組換えによるウイルスについては、日本でもカルタヘナ法※8への対応が必要であって、その臨床試験を難しくしていると主張し、またバイオ医薬品は研究者等の研究からスタートするため、研究の早い段階で特許出願をすることになり、製品化されてから特許期間満了までの期間が短くなり、特許権者は独占の利益を利用して、コストを回収することができなくなると主張した。
(2) 革新的医薬品の開発
更に、かような革新的医薬品の研究は、世界的に大学や研究機関が牽引し、これに対して製薬企業やベンチャーキャピタルが資金提供をして、特許ライセンスを取得し、これをライセンスして資金回収をしているという仕組みで成り立っているが、第三者がこのような特許を何らライセンス料の支払いなしに利用できるとすると、資金提供のモチベーションがなくなり、結果、試験等を行う資金を得られないこととなり、革新的な研究の担い手を失うことになると主張している。
(3) 各国の動向比較
(1)、(2)のいずれも冒頭紹介したとおり、現在の新薬開発について、臨床試験は特許侵害にならないとしてコストの負担を軽減して、急がせるのが良いのか、特許権者の利益を保護して、将来の革新的な技術開発へのインセンティブ、モチベーションの維持を図るのが良いのか、ここで極めて政策論的な課題に直面することになる。そこで、控訴人は、諸外国の例をあげ、後発薬のための臨床試験はともかく、新薬開発の臨床試験については、特許侵害になるとする国々の例を紹介する。
控訴人は、米国では医薬品の承認申請のための使用については特許権の効力は及ばないとする特許法271条(e)(1)※9があるものの、一定の限定が付されていて、その後、合衆国連邦巡回区控訴裁判所(CAFC)は、その適用を後発薬に限定した※10と述べている。また、米国のこの条項の元となった事件名をとったBolar条項は、EUでは、医薬品共同体規約300に関する欧州指令※11にあるが、後発品の製造承認のための試験については特許侵害とならないとされているものであって、これを国内法化したEU諸国のうち、ドイツ、オランダはこれを後発品のための非臨床試験に限定していると主張する。
5. 本判決の趣旨
本判決は、控訴人の(1)(2)のいずれの主張にも、木で鼻をくくったような判断をしている。特許法は、特許の存続期間中に特許発明を独占的に実施し、それにより利益を得る機会を確保しているものであるが、特許権者が現実に利益を得ることまでをも保障するものではないというのである。
そして、各国法との比較についても、日本は法制度が異なるから同じである必要はないとしながら、被控訴人の主張するとおり、欧州でも、フランス、イタリア、スペイン及び英国は、Bolar条項を後発医薬品の承認を得るための試験に限定していないとして、先発医薬品の臨床試験について特許権が及ばないとすることに問題はないとして、原判決を支持したのである。
6. 本判決から読み取れること
控訴人の提起した問題は、極めて重い課題のように思われる。新薬開発の現状と特許権行使ができないことによる将来の技術開発の停滞は特に稀少疾病、バイオ医薬品、ウイルスの取扱の問題と相まって顕著となる。もちろん特許の問題だけでは解決できない製造承認プロセスの問題も関係していると思われるが、先発品の承認申請のため、長期に亘り、一定量のウイルスを何らのロイヤルティも支払わずに用いることができるとすることが、果たして革新的な新薬開発の妨げにならないのか、Bolar条項を後発薬の承認申請だけに限る国とそうでない国についてそれぞれの国の特徴、特に新薬について革新的な技術開発を多く持ちうる国なのか、技術というより、その後の製造承認を得るための工夫に長けた、例えば大手製薬メーカーが多いのかなど、なぜ各国がそのような選択をしたのかを調べずには、本当はどちらが良いのか、決めることは困難である。ただこのような調査というのは、裁判所の得意とするところではなく、当事者にとっても調査能力には限界がある。
革新的な新薬開発を妨げるという控訴人の危惧には十分な理由があるように思う次第であるが、しかし、この問題が最高裁で争われても、最高裁は結論を変えないとも思う。知財高裁が粛々と法律解釈をしたように、最高裁も「試験」には何らの限定もない、特許権の持つ権利性は、試験には及ばないのだと淡々と判断すると思う。しかし、その裏で裁判所は、様々な危機が現実化するこの現在を想定すると思われる。2019年に出現したCOVID-19は、その危機の現れの一つである。この危機に直面して、例えばワクチン開発、治療薬の開発が急務となる中、臨床試験で、第三者の特許技術を用いなければならない事態を想定した場合、これに特許権が及ぶとすると、特許権者が許諾するか、したとしてそのライセンス契約の条件交渉を待っていられるだろうかと最高裁ならずとも考えるであろう。将来の革新的技術より、現在の人々の疾病治療、疾病予防を優先せざるを得ない現状があるのだ。
では、革新的技術の開発促進に対してはどう配慮するか?私は、特許だけでその技術を守ることは困難なように思う。立法によって、先発医薬品の臨床試験は、特許法69条1項の試験に該当しないとした上で、該当特許の臨床試験としての使用について、国が一定低額でこのライセンスを受け、それを国が無償ライセンスするといったような仕組みが必要ではないだろうか。こちらも将来に付けを回すようで申し訳ないが、COVID-19に象徴されるような全国民、全世界の人々に関係するような疾病の治療薬、予防薬に対しては、合わせ補助金を出すなどの公費を投入して開発を促すしかないように思うところである。
(掲載日 2021年6月7日)