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文献番号 2016WLJCC025
青山学院大学法務研究科(法科大学院)教授※1
弁護士法人 早稲田大学リーガル・クリニック 弁護士※2
浜辺 陽一郎
1 はじめに
利益相反の問題は難しい。単純な双方代理ならば理解しやすいが、実際に激しく争われる利益相反の問題は、わかりにくいことが多い。それだけに、うっかり見落としがちで、後になってから深刻な問題になる。本件も、そんな事例の一つだろう。その事実関係は、やや複雑だ。
この事件では、結論的には、第一審である大阪地裁※3が利益相反よりも仲裁判断が終わっている状況を踏まえての決定だったのに対して、抗告審である大阪高裁※4は利益相反の問題に敏感に反応し、異なった結論を下した。実際の裁判で争われた論点はいくつかあるが、その中から結論を左右した利益相反をめぐる問題に絞って検討してみたい。
2 事案の概要
「X1とX2」(Xら。いずれも米国の会社)及び「Y1とY2」(Yら。うち1社はシンガポールの会社)の間で取引紛争が起き、仲裁合意に従って、一般社団法人日本商事仲裁協会(JCAA)大阪で、仲裁手続に付された(これを「本件仲裁」という。)。本件仲裁で、3人の仲裁人(A、B、Cの3名)が選任され、AとBは、Cを本件仲裁の仲裁廷の長たる仲裁人に選任した。
ところが、Cは、グローバルに業務を展開するI法律事務所のシンガポール事務所の所属弁護士であったところ、その仲裁人に選任された後、約1年半が経過した頃に、Cと同じ法律事務所のサンフランシスコ事務所に移籍してきたD弁護士が、Y1の完全兄弟会社であるK及び同社の完全親会社であるE(以下「Eら」と総称する。)が共同被告となっていた米国におけるクラス・アクション訴訟(以下「本件クラスアクション」という。)で、Kの代理人を務めていた。つまり、本件クラスアクションでKの訴訟代理人を務めるDが大手法律事務所Iのサンフランシスコ事務所に移籍して、CとDが、営業所は異なるが、同じ大手法律事務所に所属する結果となった。
しかるに、そういう関係が生じたという知らせは、仲裁手続で開示されなかった。そのまま、この仲裁人らにより仲裁手続が行われ、平成26年8月11日に、Yらに有利な仲裁判断が下された。
後になってCとDの関係を見つけたXらは、Yらに対し、両者間の本件仲裁の手続又は仲裁判断につき、仲裁法44条1項4号、6号及び8号※5に定める取消事由があると主張して、本件仲裁判断の取消しを求めたのが、今回の事件である。
3 地裁と高裁の判断~結論が分かれる
この問題について、地裁は、上記の事実関係があるだけでは、いまだCの仲裁人としての公正性又は独立性を疑うに足る相当な理由があるとまでは認められないと判断した。即ち、Cにつき仲裁人の忌避事由はなく、その関係が本件仲裁判断の結論に影響を及ぼしたとも認められないという。
本件仲裁は、JCAAの商事仲裁規則によって規律されるところ、同規則28条※6や日本の仲裁法18条4項により、仲裁人は、仲裁手続の進行中、当事者に対し、自己の公正性又は独立性に疑いを生じさせるおそれのある事実(既に開示したものを除く。)の全部を遅滞なく開示しなければならないものとされている。ここで「全部」を遅滞なく開示することが求められていたので、上記のようなCとDの関係についても開示すべき内容であったということは認めざるを得なかった。つまり、ここにCの開示義務違反があったといえると考えられるのである。
しかし、地裁は、後で解説する通りの理由から、Cによる上記の開示義務違反が仲裁法44条1項6号に該当するとしても、これを理由に本件仲裁判断を取り消すことは相当ではない等として、Xらの申立てをいずれも棄却した※7。
これに対して、高裁は、逆の判断をして、地裁の決定を覆した。特に、国際的な法律事務所に所属する弁護士Cが、本件仲裁の仲裁人として選任された後、同じ法律事務所に所属する別の弁護士Dが別件訴訟で本件仲裁の当事者の関連会社の訴訟代理人を務めているとの事実の不開示は、仲裁法18条4項の開示義務違反を構成し、重大な手続上の瑕疵といえるから、それ自体が、たとえ本件仲裁判断の結論に直接影響を及ぼすことがないとしても、同法44条1項6号の取消事由に該当するとして、同条6項に基づき本件仲裁判断を取り消した※8。
地裁と高裁が同じような前提事実に対して、まったく異なった評価を下したようだが、これはなぜか。
4 仲裁判断を取り消さない場合の理由
DがI法律事務所に加入したのは、Cが仲裁人として選任されてから約1年半が経過した平成25年2月であった。このため、Cが本件仲裁の仲裁人に選任された時点では、申立人らの主張する同人の公正性又は独立性に疑いを生じさせるおそれはなかった。
その後、DがI法律事務所のサンフランシスコ事務所に移籍したけれども、Cの所属するI法律事務所のシンガポール事務所とは、国も異なり、Dは本件仲裁には何ら関与していないし、Yら自体も本件クラスアクションの当事者となっているわけではない。また仲裁事件の判断は、本件クラスアクションに何らの影響も及ぼさないから、直接的には無関係である。
そういう状況で、事務所が大きければ大きいほど、すべての弁護士のすべての事件の当事者の関係会社まで、いちいちチェックするのは難しいという面があっただろう。現に、Cは、I法律事務所の方針からDが本件クラスアクションに関与していることを含め、本件クラスアクションに関する情報を一切与えられていなかったようであり、現実にDの本件クラスアクションへの関与を開示することは難しかったかもしれない。
加えて、Cは、本件仲裁の仲裁人に選任される前に、JCAAに対し、「I法律事務所所属の弁護士が現在又は将来において、本件仲裁とは無関係の事件について本件仲裁の当事者又はその関連会社の代理人となる可能性があること」等を記載した表明書を出していたから、I法律事務所の所属弁護士Dが、本件クラスアクションのように本件仲裁の関連会社が当事者となる別件に関与する可能性があることは、抽象的な形としては、既に開示していた(仲裁法18条4項)等とも主張されていた。
しかも、かなりのコストをかけて本件仲裁を何とか終えた後になってから、その仲裁判断を取り消して、全部やり直さなければならないというのは、もったいない感じもする。負けた側の当事者が、結果を見てから機械主義的に、取消しを求めてくる可能性も考えると、仲裁判断の取消しには十分に慎重であるべきだという考え方にも、それなりの理由がある。
そういうこともあってか、地裁の結論に賛成の評釈もある※9。その評者によると、この事案で開示義務違反は認定すべきだったが、開示義務違反が直ちに取消事由となるわけではなく、①本件クラスアクションについてシンガポール事務所とサンフランシスコ事務所で情報交換をした事実が認められないこと、②本件仲裁と本件クラスアクションが事案を異にすること、③本件クラスアクションに関する情報に接する機会がなかったこと等から、実質的な影響を検討して違反は軽微だとした結論自体は適切だったと述べる。
5 仲裁判断の公正性・独立性は大丈夫か
しかし、法律事務所内部での情報交換とか、情報に接する機会がどうだったか等を外部の者が立証することは不可能だ。法律事務所側がそう主張すれば、実態がどうであろうが、反証がない限り、その通り認められるというのであれば、「言い得」となるだけである。本件仲裁事件と本件クラスアクションが別事件だというのは当たり前だ。もしも同一事件または関係事件だったら、仲裁人となりえないことは明らかであり、特に取り消さない積極的な理由ともなりえないはずだ。そう考えると、そうした理由で「軽微だ」と評価するのは、あまりにも表面的である。
この事件で問題とされるべきなのは、両事務所の関係からして、客観的に二つの依頼案件が、どういう経済的な利益を及ぼすかという点だろう。仲裁事件でも、クラスアクションでも、その結果は法律事務所の収益に、かなりの影響がある可能性がある。その報酬金額はかなり大きくなることも少なくないだろう。一つの事件における有利な結論が、何らかの経済的な利益に結び付くのであれば、問題とされる個別の事件に関する情報に踏み込む必要などは一切なく、うまくやろうと思えば、できてしまうのではないか。事務所形態にもよるが、一般的な可能性としては、とにかく仲間の弁護士が好ましい成果を上げれば、その利益が何らかの形で及び、好ましくない結果が出ると、その不利益が何らかの形で及ぶような関係があると推測される。そういう関係があれば、そうした経済的利益と離れてCが公正な判断をしてくれるという期待をすることは無理だろう。
もっとも、Dが、例えば前の事務所ではアソシエイトで少し関与していたにすぎず、Eグループ企業は重要な依頼者ではなくてI法律事務所にも何らの経済的な利益をもたらさないということであれば、そういう経済的利益による誘惑は存在しないから、影響は無視できるほど軽微ということになるだろう。あるいは、I法律事務所が、シンガポール事務所とサンフランシスコ事務所とは完全に独立採算で何らの経済的な関係もないというのであれば、いいのかもしれない。
ただ、法律事務所の内情はなかなか表に出しにくいうえ、それを証拠も含めて出してしまうことは法律事務所のポリシーとして考えにくいし、ある事件で有利な結果を導いたといった事務所のブランドイメージなども考えると、この辺りは簡単に片づけられないだろう。率直な印象でいえば、グローバルな法律事務所が、その内実を、依頼者のために洗いざらい主張・立証することなど期待できないだろう。
この事件の場合、「本件クラスアクションは、その帰趨によっては、Kが極めて高額の損害賠償義務を負うおそれがあり、ひいては、相手方Y1を含むEグループ全体に影響を及ぼし得る重大な訴訟であった」という。I法律事務所がEグループ全体の味方であるという安心感があれば、Eグループの企業は、これからもI法律事務所に利益をもたらす数多くの仕事をもたらす蜜月関係となるわけだから、そんな営業政策的な判断が働けば、仕事をする際にはEグループ全体の利益を尊重すべきだという空気や圧力が働くことが懸念される。これは直ちに直接の影響を及ぼす問題ではなく、長期間にわたって見えにくい形で影響を及ぼす話である。だからこそ、そのような重大な訴訟で依頼者と代理人の関係にあるとの事実は、Cが所属する法律事務所であるIとYらの関係会社であるKとの間に重要な商業上の関係があることを意味すると主張されているのだ。その通りに、YらとEらとC、Dの所属するI法律事務所が、経済的利害を共有する関係にあったとすれば、外部から、そこに公正さや独立性を認めることはできない。
そして、こうした関係が最も影響するのは仲裁判断を下す時点であって、仲裁人として選任される時点ではない。DがI法律事務所に移籍してからCが仲裁人の仕事をしていた問題のある関係は、仲裁判断の出された平成26年8月11日まで、約18か月間(約1年半)にも及ぶ。そうすると、いよいよ判断を下そうという最終的な判断の段階で、仲裁人の公正性又は独立性に疑いを生じさせるおそれのある関係は可能な限り回避すべき状況だったのではないか。少なくとも、そういう関係は可能な限り早く開示して、仲裁手続ができるだけ無駄にならないようにすべきだろう。そう考えると、Cが仲裁人に選任された後、新たに生じた問題のある関係は本件仲裁の手続中には開示されなければならない事由であったという高裁の判断の方が、より公正な判断であるように思われる。
本件仲裁では、Cが、その事実を開示しないことが仲裁法18条3項及び4項並びに規則28条2~4項の開示義務に違反したと認められたというのであれば、そうしたCの開示義務違反は、仲裁手続の中立・公正を手続的に担保するために必要な手続に違反したものであり、重大な違法事由というべきだろう。
本件仲裁では、Xらが、本件仲裁において仲裁廷の管轄権を争っていたために仲裁人を選任できず、他方、Yらは規則26条1項に基づき仲裁人を選任していたのであるから、仲裁廷の構成がYらに有利に傾く素地があり、そのような仲裁廷の長の選任や、その後の審理にあたっては、利益相反の有無について細心の注意を払うべきであっただろう。地裁のような結論を出すことは(莫大に及ぶかもしれない)報酬を得るI法律事務所に所属するCやDら、そして彼らに依頼をしたEグループ(Yらを含む。)に甘すぎるのではなかろうか。
6 利益相反をめぐる状況の変化
もとより、伝統的には、日本の裁判所は利益相反の問題に、やや寛大すぎた疑いがある。少し批判的な言葉を使えば、それは利益相反の深刻さを十分に理解せず、「鈍感」な判断をしてきたのではなかろうか。例えば、代表的なものとして、裁判所の裁判官と法務省の検事が人事交流する「判検交流」が長く行われてきた。裁判官が行政寄り、あるいは検察寄りの裁判が多くなる背景として、そうした人事交流は問題ではないかといった批判を弁護士会が長きにわたって行ってきたが、裁判所も「何ら問題はない」と言い続けてきた。確かに、個別の事件を見れば直接には関係がないから、無関係である。しかし、長期にわたって、両者が蜜月関係になって公正な判断が妨げられているのではないかという疑惑が問題だったのであって、直接的な影響があるか否かという話ではないのだ。2012年になって、ようやく刑事裁判の領域では廃止されるに至り、この問題が意識されて変わりつつある※10。
伝統的な古い立場にとどまる限り、裁判所が下す利益相反に関する法的判断や法解釈は、甘くて当然である。例えば、1株主が会社に対して提起した特定の訴訟につき、弁護士の資格を有する監査役が会社から委任を受けてその訴訟代理人となることが双方代理にあたるものとはいえない※11、といった判例が有名だ。また、監査役が使用人と兼務できない規制があるにもかかわらず、会社の顧問弁護士は、専門家の立場で会社から受任した事務を処理しあるいは法律上の意見を述べるものであって、会社の業務自体を行うものではなく、もとより業務執行機関に対し継続的従属的関係にある使用人の地位につくものではないから、特段の事情のない限り、監査役に就任しても商法の定めに違反するものではない※12、という裁判例もある。
こうした状況から、裁判所で利益相反の問題をどれだけ主張しても、それが認められるようなことを期待するのは難しく、今回の事件でも、地裁の判断はまさにそうした伝統的な流れをくむ判断だったと評価できる。
しかし、近時、日本でもいろいろな領域において、利益相反問題に対する認識は急速に変化しつつある。例えば、親子会社間取引やMBO等における利益相反問題が指摘され、いろいろな事件で争われるようになった。企業社会でも利益相反に対しては敏感になり、徐々に厳しい考え方を採用するようになりつつある※13。高裁決定は、そのような近時の流れに敏感に対応したものと評価できるのではないだろうか。
ただし、これが仮に最高裁まで争われた場合に、高裁決定が最高裁で維持されるかどうかは定かではなく、既存の手続をできるだけ維持しようという力学が働き、伝統的な古い感覚による裁きに逆行する可能性もあり、予想は難しい。
思うに、I法律事務所のような世界的に多くの事務所を展開する事務所であれば、コンフリクトチェックのシステムを十分に整備できるはずだろう。それなりの大きな経済的利益を得ているのだから、公正さを示すために、それくらいの義務を負わせても、あながち不当ではないのではないかという感じもする。
弁護士の移籍が日常茶飯事になっている昨今、本件のようなデリケートな利益相反の問題が発生しやすい。米国ではこうした状況を規律する倫理規範について、かなり議論されている。それに比べて、わが国では、この種の議論はまだまだである。
ただ、依頼者側からみると、こういう理由で仲裁手続がやり直しとなるような危険性があって、それに伴う経済的な負担を強いられるおそれがあることを考えると、グローバル展開をする大手法律事務所、特に国を跨いで事務所を持っているような事務所では、その有利な面だけではなく、その倫理的な問題の存在や、この事件が示したようなリスクもあることを認識しておくべきなのかもしれない。
(掲載日 2016年9月26日)