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文献番号 2016WLJCC028
名古屋市立大学大学院
教授 小林 直三
1.はじめに
本件は、原告が、インターネット上の掲示板に「なりすまし」による投稿をされたことに対して損害賠償請求権を行使するために、特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(いわゆる「プロバイダ責任制限法」。以下、法)4条1項に基づいて、被告である(法4条1項の)開示関係役務提供者に、「なりすまし」による投稿発信者の氏名又は名称、住所及び電子メールアドレスの開示を求めた事案である。
そして、本判決は、「アイデンティティ権」に言及した司法判断として注目されたものである。本稿では、こうした本判決に関する若干の考察を行いたい。
2.判例要旨
まず、本判決は、「本件投稿は、いわゆる第三者が原告になりすまして投稿したものと認めることができる」としながらも、その投稿の「記載の内容及び本件掲示板の目的、内容等からして、前記投稿の内容のみから、原告の名誉を毀損したとまで認めることは困難である」として、本件における名誉毀損を否定した。また、「プライバシー権とは、個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由であるところ、本件アカウントのプロフィール画像として用いられた原告の顔写真は、原告が5年ほど前に本件サイトに登録した際に原告のプロフィール画像としてアップロードしたものであって、原告自らが不特定多数の者が閲覧することを予定されたSNSサイト上に公開したものであるから、これが用いられたことにより、原告のプライバシー権が侵害されたと認めることはできない」として、本件におけるプライバシー権侵害を否定した。さらに、「肖像権とは、みだりに自己の容ぼう、姿態を撮影されないという人格的権利であるが、前記のとおり、原告の顔写真は、原告が自ら公開したものであるから、本件投稿により、原告の肖像権が侵害されたと認めることもできない」として、本件における肖像権侵害を否定した。
そのうえで、本判決は、「他者との関係において人格的同一性を保持することは人格的生存に不可欠である」として、「名誉毀損、プライバシー権侵害及び肖像権侵害に当たらない類型のなりすまし行為が行われた場合であっても、例えば、なりすまし行為によって本人以外の別人格が構築され、そのような別人格の言動が本人の言動であると他者に受け止められるほどに通用性を持つことにより、なりすまされた者が平穏な日常生活や社会生活を送ることが困難となるほどに精神的苦痛を受けたような場合には、名誉やプライバシー権とは別に、『他者との関係において人格的同一性を保持する利益』という意味でのアイデンティティ権の侵害が問題となりうると解される」とした。
しかしながら、本判決は、「どのような場合に損害賠償の対象となるような人格的同一性を害するなりすまし行為が行われたかを判断することは容易なことではなく、その判断は慎重であるべきである」としたうえで、本件事案の「事情に照らすと、本件掲示板では、本件投稿が原告本人ではない者によるものである可能性がなりすまし行為の直後に指摘され、遅くとも1か月
したがって、本判決は、「本件発信者が原告になりすまして本件書き込みをしたことが、原告のアイデンティティ権の侵害として、法4条1項1号にいう『権利が侵害されたことが明らかであるとき』に該当すると認めることができない」として、原告の請求を棄却とした。
3.検討
上述のように、本判決は、「アイデンティティ権の侵害が問題となりうる」として、アイデンティティ権に言及したものではある。
ただし、本判決は、「どのような場合に損害賠償の対象となるような人格的同一性を害するなりすまし行為が行われたかを判断することは容易なことではなく、その判断は慎重であるべき」だとし、「仮に……アイデンティティ権の侵害として不法行為が成立する場合があり得るとしても」、本件事案では不法行為を認めることはできないとしている点には、注意が必要だろう。つまり、本判決は、アイデンティティ権の可能性を認めたものではあるが、しかし、それを具体的権利として認めたものかどうかは、きわめて微妙なところだといえるからである。
本判決は、仮に、「名誉毀損、プライバシー権侵害及び肖像権侵害に当たらない類型のなりすまし行為が行われた場合」にも不法行為が成立するとしても、「その判断は慎重であるべき」としている。そして、実際に、その判断を慎重にしていけば、限りなくプライバシー権侵害や肖像権侵害の場合と重なるのではないだろうか。
また、本判決が述べるように、本件事案では、必ずしも原告の社会的評価が低下したとは言い難いため、名誉毀損の成立は認め難いかもしれない。しかし、プライバシー権侵害や肖像権侵害に関して、「原告の顔写真は……原告自らが不特定多数の者が閲覧することを予定されたSNSサイト上に公開したものであるから」認められないとした点に関しては、些か不十分な説明だといえるだろう。なぜなら、顔写真を自ら公開したとしても、それが無断使用されることを前提として公開したものでない限り、やはり肖像権などは保護される可能性があるものと思われるからである。その意味では、本判決は、十分な説明もないままに、プライバシー権、あるいは肖像権の範囲を限定し過ぎているように思われる。そして、もし、プライバシー権、あるいは肖像権の範囲を広く捉えるとすれば、「プライバシー権侵害及び肖像権侵害に当たらない類型のなりすまし行為が行われた場合」は限定され、本件事案に限っていえば、原告のアイデンティティ権の主張は、プライバシー権や肖像権の一部の問題として処理することも可能であったように思われる。
以上のように考えると、本判決でのアイデンティティ権への言及は、新たな法的権利概念を創出したというよりも、既存の概念を説明し直したものに過ぎないと評価できるかもしれない。
しかし、このような捉え方だけで済ませるとすれば、本判決に関して過小評価となるように思われる。
現代社会では、いわゆる「デジタル・パーソン」が大きな問題だと考えられている。すなわち、情報化の進んだ今日、多くの個人情報が多様な方法で集積(aggregation)されている。その結果、集積された個人情報の断片が結びつけられることで、個人のポートレイト(デジタル・パーソン、あるいはデジタル・ペルソナ)が作り出されてしまう。しかも、「データの編集物は、しばしば印象的なもので、かつ不完全でもある」にも関わらず、そうした「デジタル・スペースのデジタル・パーソンは、ますますリアル・スペースの生身の個人に影響を与えている」ために、本来の個人のあり様とは異なる「歪曲(distortion)」を導くことになるのである※2。
しかも、顔写真などは個人を識別するための典型的な情報であり、そうした個人識別の情報は、「リアル・スペースの個人に、直接、デジタル・パーソンを結びつける」※3ことになる。つまり、現代社会では、歪曲されたデジタル・パーソンが創出され易く、そして、歪曲されたデジタル・パーソンは、顔写真などの個人識別情報が無断使用されることによって、リアル・スペースにある現実の生活関係に直接的に影響を及ぼす可能性が高いのである。
ただし、本件でのなりすましのように、歪曲されたデジタル・パーソンの創出は、必ずしも特定の者によって行われるわけではない。米国のプライバシーに関する法的問題に関する著名な研究者の1人であるダニエル・J・ソロブは、現代の情報化社会でのプライバシー問題をフランツ・カフカの『審判』のメタファで説明する。すなわち、ソロブによれば、カフカの「『審判』で使用されるパワーは、明白な目標がない。いかなる目的もミステリーに覆われたままである」。そこには、「悪魔のような動機や支配のための秘密の計画は存在しない。むしろ、低レベルの官僚、規格化された方針、厳格なルーティン、そして……思慮の足りない決定のウェブが存在するのである」※4。つまり、現代の情報化社会における歪曲されたデジタル・パーソンは、特定の者によって意図的に創出されるわけではなく、不特定多数の人たちの(思慮の足りない)判断や行動の積み重ねのなかで作られてしまうのである。
このように考えた場合、「他者との関係において人格的同一性を保持する利益」としてのアイデンティティ権は、そもそも、不法行為に基づく損害賠償請求には馴染み難いものだといえるだろう。なぜなら、その利益の侵害に関しては、損害賠償請求の対象となり得るような特定の加害者が存在しないからである。
そうであるならば、こうしたアイデンティティ権は、その侵害に対する損害賠償を求める不法行為法上の消極的権利としてだけではなく、不特定多数の人たちの(思慮の足りない)判断や行動の積み重ねのなかで歪曲されたデジタル・パーソンの修正を求める積極的権利としての側面が含まれなければならないのではないだろうか。そして、もし、こうした積極的権利を含むとすれば、そうしたアイデンティティ権には、従来の権利概念の枠組みを超えた新たな意味があるものと思われる※5。
もちろん、本判決でのアイデンティティ権は、そうした積極的権利にまで言及するものではない。しかも、不法行為法上の消極的権利としてのアイデンティティ権に関しても、本判決が具体的権利として認めたものかどうかは、きわめて微妙なところである。しかし、「他者との関係において人格的同一性を保持する利益」としてのアイデンティティ権に言及した本判決は、積極的権利としての側面も含めたアイデンティティ権の「萌芽」として、高く評価すべきものといえるのではないだろうか。
4.おわりに
プライバシー権に関する著名な判決の1つである「宴のあと」事件※6は、不法行為法上のプライバシー権を認めたものであって、プライバシー権の積極的権利の側面を認めたものではなかった。しかしながら、いまから振り返ってみれば、その「宴のあと」事件は、そうした積極的側面も含めた今日のプライバシー権概念を展開するきっかけとなったものと評価できる。本判決も、それ自体は、必ずしも画期的なものとして評価し得るわけではないのかもしれない。しかし、今後、アイデンティティ権概念を発展させることができたならば、将来、振り返ってみたときに、実は本判決が大きなきっかけ(萌芽)であったのだと高く評価されるのではないだろうか。
そうした日が来ることを願うとともに、アイデンティティ権の発展のために研究を進めていきたいと思う。
(掲載日 2016年10月25日)