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判例コラム

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判例コラム

 

第306号 特許無効の抗弁の濫用?!  

-分割要件、新規性、サポート要件について-
~特許侵害差止等請求控訴事件-令和5年10月5日知財高裁判決※1-~

文献番号 2023WLJCC028
弁護士法人苗村法律事務所※2
弁護士、ニューヨーク州弁護士
苗村 博子

1.はじめに
 本件は、原告(控訴人)が、自身の有する特許権の侵害に対して、差止めや廃棄を求めた訴訟において、被告(被控訴人)からの特許の無効の抗弁が認められて、原告の請求が棄却された事件である。平成12年4月11日の最高裁のキルビー特許事件判決※3以降、裁判所が特許の無効を理由に侵害を認めないという実務が定着し、本件もまた、特許権を有する原告が、原審、控訴審ともに敗訴したという事件である。知的財産権に関する事件では権利者側の代理人を務めることの多い私には、国が審査の上権利を付与し、特許料も徴収していながら、権利侵害に基づく請求を簡単に※4棄却してしまうのはいかがなものかと思うところであり、本稿は、原判決(令和4年8月2日)※5と控訴審判決が、特許無効の理由を変えている点、変えながらも特許を無効とする抗弁を認めてしまったことの相当性について論じてみたい。本件もキルビー特許事件と同様、分割出願された特許権の無効が問題となっているが、分割の要件は実は条文の変遷もあり、なかなかに難しい。
 私は弁理士資格を持たず、出願に専門的な知識を持つ者でも、もちろん科学者でもない。専門家の皆さんには退屈かもしれないが、分割出願の適法性や、新規性要件と明細書の書き方等の説明を加えながら、この難しい化学の問題に解を出した本件両判決の問題点を考えてみる。

2.事案の概要
 発明の名称は、難しい化学品の名前にかかるもので、最後に「・・・を含む組成物」とされている(以下、「本件特許」という)、地球温暖化防止のための新たな冷媒に関するものである。原出願は平成21年5月になされ、分割出願がなされたのは、令和元年9月4日である。この本件特許の請求項1は、後の議論で必要となるので、難しいが記載させていただく。「HFO-1234yfと、HFC-143a、およびHFC-254eb、を含む組成物であって、HFC-143aを0.2重量パーセント以下で、HFC-254ebを1.9重量パーセント以下で含有する組成物」である。本件特許は被告の無効審判請求の後、原告が訂正請求をし、77.0モルパーセント以上のという部分が請求項1の冒頭に加えられた。被告の主張は3つで、控訴審判決はこの3つ目を採用したのであるが、原判決が注目したのは大要次の2つである。1つ目は、本件特許の原出願時の当初明細書(判決に従って、以下、「原出願当初明細書」という)に記載されていて初めて分割が認められる(この点は検討部分で詳論する)ところ、原出願当初明細書には、多数の化合物の羅列がされているだけで、特定の発明の解決課題について明らかにされておらず、実施例においても、行程中に生成された組成物の組成比が示されるだけで、組成物の有する作用効果の記載がないとして、分割要件を欠くというものである。また2つめは新規性を欠くというものである。本件の特許の原出願時の公開特許公報(判決は「乙6文献」としているが、わかりやすいよう以下、「原出願公開特許公報」という)の実施例15の化合物一覧表に、モルパーセントによる各化合物の割合が記載され、上述の化合物の組成割合がモルパーセントで示されている。被告は、これを重量パーセントに換算した結果を証拠として提出しているようであり、この換算によって、それぞれの化合物の各組成物は、重量パーセントに置き換えれば、本件発明の構成要件をすべて満たすと主張し、本件特許は、原出願公開特許公報に記載があり、新規性を欠くと主張したのである。原告は、まず1つ目の点について、原出願当初明細書にあるモルパーセントで示されているものを重量パーセントに変換すれば本件発明に対応する発明はこの書面等から開示されており、分割に違法はないと主張した。また新規性については、被告は、原出願当初明細書に基づく分割について要件違反を主張しつつ、同じく本件原出願にかかる原出願公開特許公報に基づいて新規性を欠くという無効理由を主張していて、妥当性を欠くと主張した。

3.原判決の判断
 原判決は、分割出願が適法な場合は、「もとの特許出願の時にしたものとみなす」(特許法44条2項本文)という遡及効があることからして、適法な分割出願といえるためには、分割出願の明細書や特許請求の範囲が、原出願の出願当初の明細書等に記載されていることを要し、これに反して、新規事項の追加となるような分割出願の出願日は、原出願の出願時まで遡及せず、実際に分割出願をした日となると解されると、まず、分割出願の資料提出の時期と出願日を特定して適法性を検討するとしている。そのうえで、被告の主張である分割の違法性と新規性欠如を認め、そして原告のこの両方を主張することに妥当性がないことについての主張を退けている。原出願当初明細書等には、その中から、本件発明にかかる3つの化合物に着目して選択する理由やそのうちの2つの化合物の含有割合を特定すること、およびその技術的意義等について、何らの記載も示唆もなく、当業者において、実施例の分析結果から化合物を特定し、かつそのうちの2つの化合物の含有割合を特定することを導き出すことはできないとして、本件特許の出願が、原出願当初明細書等記載の事項の範囲内においてされたものであることはできないとした。そのうえで、新規性欠如の無効理由については、問題となる発明が、その発明の出願前に刊行物に記載されたものと同一かが問題となるのであり、本件ではその認定は、原出願公開特許公報にかかることになるが、ここでは問題となるHFO-1234yfに対して0.2重量パーセント以下のHFC-143aおよび1.9重量パーセント以下のHFC-254ebを組み合わせた組成物が記載されているかという点だとして、双方は着眼点が異なるとして分割要件違反と新規性欠如の無効は相並び立つ主張だとしたのである。そして、原判決は、HFO-1234yfと合わせる化合物として、本件特許の請求項1でHFC-143a、およびHFC-254ebを選び、その重量パーセントを限った本件特許は、原出願の分割要件を満たさず、新たな特許だとしつつ、本件特許は原出願当初明細書等をその一部とする原出願公開特許公報が開示されていることから、新規性を欠くとして特許は無効であり、よって差止めや廃棄は認められないとした。

4.控訴審判決の理由
 これに対して、控訴審判決では同じく原告の控訴を権利濫用として棄却したが、その理由付が異なっている。上述の2の事案の内容では詳細を記載していないが、原審でも被告からは主張のあった、いわゆるサポート要件(特許法36条6項1号)を満たしていないとしたのである。

5.検討
(1)分割出願が許されるための要件と分割の効果

 出願に2つ以上の発明があり、単一性の要件を満たさない場合、審査過程において指摘されているか否かにかかわらず、出願人は自発的な分割も、また単一性を満たす場合であっても、出願人が分割請求することも認められている(特許法44条)。分割出願がかような要件となったのは平成18年改正、20年改正によるもので、それに合わせ、実務上重要とされる審査基準はそれ以後も変遷を続けているので、分割に際しては審査基準をしっかり把握しておくことが重要とのことである。
 特許法44条1項、2項は分割が認められるための実体的要件を定め、①分割出願された特許の請求項が原特許の明細書等に記載された発明の全部を包含しているものではないこと、②分割出願の明細書等に記載された事項が、原出願の出願当初の明細書の一部として含まれていること、③分割出願の明細書等の記載事項が、分割直前の明細書等の一部であることの3つが要件となっている。②と③があるのは途中で補正等がなされていても、その前後の明細書等の一部であることを要求しているからである。
 そして、これらの要件を満たす限り、分割出願は原出願時に遡及して出願されたものとみなされる。
 なお特許法44条4項は、発明の新規性の喪失の例外(特許法30条3項)や出願に基づく優先権主張(特許法41条4項)、パリ条約に基づく優先権主張(特許法43条1、2項)は、原出願時ではなく、分割出願の出願時に提出されたものとしている。特許法30条3項は、1項の冒認出願や、2項の出願から1年以内の補正について、これらの書類が提出されても新規性を失わないとするものである。
(2)本件特許の分割の適法性
 上述のとおり、原判決は、本件特許を原出願からの分割出願とみることはできないとしている。原出願当初明細書等には、HFO-1234yfを調製する際に不純物や副生成物が追加の化合物として少量存在し得るとするにとどまっており、本件発明の請求項1にあるような組成物の特定や、その割合が記載されておらず、上述の②の要件を欠くとして分割は不適法であるとした。そのうえで、本件特許はあらたな技術的意義を導入しているとして、本件特許は分割出願をした令和元年9月に出願されたとしたのである。
(3)新規性
 一方、原判決は、原出願公開特許公報にも記載がある、上述の本件特許の請求項1で示されたHFC-143aおよびHFC-254ebをモルパーセントから重量パーセントに被告が換算した表を記載して、その計算方法には合理性があるとしつつ、同原出願当初明細書等の実施例として記載されていたHFC-143aおよびHFC-254ebの限定された上限は、原出願公開特許公報に記載があるとする被告の主張を汲み、これらの文献によってこれらの事実は公知になっているとして、本件特許の新規性欠如を認めたのである。
(4)両方の主張の整合性の有無
 原審で提出された証拠を見たわけではないので、推測でしかいえないが、原判決が、本件特許の内容は、分割の要件である原出願当初明細書等の枠を超えているため、分割要件を満たしていないとしながら、同じくこの原出願当初明細書を含む原出願公開特許公報には、その特許の内容が記載されているので、新規性がないとするこの判断は、原告も指摘するとおり、妥当性を欠くというか、もっと端的にいえば矛盾しているとしか思えない。控訴審判決は、かような言葉は使わず、分割が違法か否かにかかわらず、また途中で原告が行った2で述べた訂正が有効であったとしてもと前置きして、別の特許要件の未充足すなわち、サポート要件の違反を挙げて本件特許を無効だとしている。単なる私の邪推かもしれないが、控訴審の裁判官も私の感じた疑問と同じような感想を持たれたのではないだろうか?
(5)サポート要件とは?
 ではいよいよ、控訴審判決が、やはり原告の控訴を棄却した「サポート要件」とは何かを検討していくことになるが、果たして控訴審判決では、合理性を持ったと思える判断がなされたのだろうか?
 特許出願に関する特許法36条6項1号は、特許請求の範囲、すなわち請求項は、「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」を要求している。判決を平易な言葉でいえば、要は当業者が明細書を読んで、請求項がわからないといけないということである。特許が公開によって産業に寄与するがゆえに独占的な権利として認めるのであるから、当業者が利用できなければ意味がないとするこの要件自体は妥当なものと理解されている。
(6)控訴審判決の理屈は正しいのか?
 控訴審判決は、原判決と異なり、本件特許の明細書(原判決に従い、「本件明細書」という)に注目している。すでに地球温暖化に対して低い係数を示す、HFO-1234yfの有用性は、原特許出願の時点で知られていたのだから、本件明細書には、これを調製する際に、追加の化合物が少量存在することにより、どのような技術的意義があるのか、いかなる作用効果があり、これにより、どのような課題が解決されることになるのかといった点が記載されていなければ、本件発明が解決しようとした課題が記載されていることにはならないとして、本件明細書には、これらの点の記載がないとして、サポート要件を充足していないとしている。さらに、0.2重量パーセント以下のHFC-143aおよび1.9重量パーセント以下のHFC-254ebを組み合わせたという、請求項1の課題は、本件明細書では、当業者が当該課題を解決することができると認識することができるとは認められないとしている。本件明細書の表5に記載された組成物には「未知」のものが含まれていて、その分子量を知ることができないから、モルパーセントで表示されたこれらの組成物を重量パーセントに変換することができないというのである。
(7)裁判官は科学的な問題に返答できているのか?
 皆さん、ここまでお読みになって、「あれ?」と思われないだろうか?被告は、原出願公開特許公報から、モルパーセントから重量パーセントへの変換をした表を提出し、ここに記載されているとして、本件特許の新規性欠如を主張したのである。最初に述べ損ねたが、被告は原告の当業者である。新規性欠如を主張したかったからとはいえ、その被告が、自ら、モルパーセントから重量パーセントへ換算できると主張したのである。原判決もこの換算方法に合理性があるとして、本件特許の新規性を否定している。間接事実なので自白とまではいえないにしても、被告が認めているのに、なぜ、控訴審の裁判官は、独自に未知のものが含まれるからとモルパーセントから重量パーセントへの変換はできず、明細書には当業者が当該課題を解決できる情報が記載されていないといって、サポート要件違反、したがって特許無効等と、判断したのであろうか?とても私のような科学(化学も)の素人には理屈がわからない。
(8)裁判官の役割と特許権への敬意
 裁判官も私同様、科学者としての専門家やかような産業のプロフェッショナルではないといえよう。特許法104条の3で特許無効を抗弁として特許権者の請求を退けられるようになったとはいえ、国家が設権した特許権には一定の敬意を払い、原判決や控訴審判決のように、簡単に無効と宣言してしまうことには自重してほしいと切に願う。被告は、本件では特許が有効であっても被告製品はこれを侵害していないことも主張していた。同社の製品にHFC-143aやHFC-254ebが組成物としてなかったと主張していたのである。それが認められるのか否かは、両判決から伺い知ることはできない。しかし、裁判所の役割が、個々の事件を解決していくものである以上、軽々に特許無効といわず、特許は基本的には有効であるとして、侵害の有無をもっと丹念に調べてもらいたかったというのが、両判決への科学素人の意見である。


(掲載日 2023年12月25日)



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