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判例コラム

 

第288号 音楽教室における生徒の演奏の行為主体が音楽教室ではないとした最高裁判決について  

~最高裁令和4年10月24日判決 音楽教室事件~

文献番号 2023WLJCC010
東京大学大学院法学政治学研究科 教授
田村 善之

Ⅰ はじめに

 本稿が検討対象とするのは、音楽教室における楽曲の利用について、音楽教室が著作権を処理する必要があるのかということが争われた事件に対する上告審判決である最判令和4.10.24判タ1505号37頁(WestlawJapan文献番号2022WLJPCA10249001)[音楽教室]である。本件に関しては、とりわけ音楽教室における生徒の演奏について、演奏の対象となった楽曲の著作権が及ぶのかということについて、これを肯定した第一審判決と、否定した控訴審判決とで判断が分かれており、世間の耳目を集めていた。最高裁は、生徒の演奏の演奏主体は音楽教室ではないと判断したために、音楽教室は教師の演奏に限って著作権を処理する必要がある旨の結論をとった控訴審判決が維持されることになった。

Ⅱ 事案

 この事件の紛争は、一般社団法人日本音楽著作権協会JASRACが、その管理する著作物を演奏等する音楽教室、歌唱教室等に対して、2018年1月1日以降、使用料を徴収し始めることを企図し、そのために、文化庁長官に対し、使用料規程「音楽教室における演奏等」の届出をなしたことに端を発する。こうしたJASRACの動きに対抗して、教室または生徒の居宅において音楽の基本や楽器の演奏技術や歌唱技術の教授を行っている音楽教室を運営する法人または個人が原告となって、JASRACを被告として、被告が原告らの音楽教室における被告管理著作物の使用に係る請求権(著作権侵害に基づく損害賠償請求権または不当利得返還請求権)を有しないと主張し、その不存在確認を求めて本訴に及んだ。
 第一審の東京地判令和2.2.28判時2519号95頁(WestlawJapan文献番号2020WLJPCA02286001)[音楽教室]は、音楽著作物の利用主体性について、後述する総合衡量法理と目される一般論を展開する。
 「原告らの音楽教室のレッスンにおける教師及び生徒の演奏は、営利を目的とする音楽教室事業の遂行の過程において、その一環として行われるものであるところ、音楽教室事業の上記内容や性質等に照らすと、音楽教室で利用される音楽著作物の利用主体については、単に個々の教室における演奏の主体を物理的・自然的に観察するのみではなく、音楽教育事業の実態を踏まえ、その社会的、経済的側面も含めて総合的かつ規範的に判断されるべきであると考えられる。
 かかる観点からすると、原告らの音楽教室における音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、利用される著作物の選定方法、著作物の利用方法・態様、著作物の利用への関与の内容・程度、著作物の利用に必要な施設・設備の提供等の諸要素を考慮し、当該演奏の実現にとって枢要な行為がその管理・支配下において行われているか否かによって判断するのが相当である(クラブキャッツアイ事件最高裁判決、ロクラク〈2〉事件最高裁判決参照)。また、著作物の利用による利益の帰属については、上記利用主体の判断において必ずしも必須の考慮要素ではないものの、本件における著作物の利用主体性の判断においてこの点を考慮に入れることは妨げられないと解すべきである(ロクラク〈2〉事件最高裁判決の補足意見参照)。」
 そのうえで、具体的な当てはめとしては、諸事情を考慮したうえで、結論部分で以下のように述べて、音楽教室における教師と生徒の演奏の双方について演奏の主体は原告らであると評価したうえで、その演奏は「公衆に直接・・・聞かせることを目的」とした演奏に該当し、ゆえに演奏権が及ぶと判示して、原告らの請求をすべて棄却した。
 「上記(ア)ないし(オ)のとおり、原告らの音楽教室で演奏される課題曲の選定方法、同教室における生徒及び教師の演奏態様、音楽著作物の利用への原告らの関与の内容・程度、著作物の利用に必要な施設・設備の提供の主体、音楽著作物の利用による利益の帰属等の諸要素を考慮すると、原告らの経営する音楽教室における音楽著作物の利用主体は原告らであると認めるのが相当である(なお、原告ら(別紙C)の経営する個人教室は、生徒の居宅においてレッスンを行っているので、著作物の利用に必要な施設・設備についての管理・支配は認められないが、原告ら(別紙C)は原告ら自身が教師として課題曲の選定、レッスンにおける演奏等をしているので、同原告らが利用する音楽著作物の利用主体は同原告らであると認められる。)。」
 これに対して、控訴審である知財高判令和3.3.18判時2519号73頁(WestlawJapan文献番号2021WLJPCA03189004)[音楽教室]は、一般論としては、やはり総合衡量法理を説く。
 「控訴人らの音楽教室のレッスンにおける教師又は生徒の演奏は、営利を目的とする音楽教室事業の遂行の過程において、その一環として行われるものであるが、音楽教室事業の上記内容や性質等に照らすと、音楽教室における演奏の主体については、単に個々の教室における演奏行為を物理的・自然的に観察するのみではなく、音楽教室事業の実態を踏まえ、その社会的、経済的側面からの観察も含めて総合的に判断されるべきであると考えられる。
 このような観点からすると、音楽教室における演奏の主体の判断に当たっては、演奏の対象、方法、演奏への関与の内容、程度等の諸要素を考慮し、誰が当該音楽著作物の演奏をしているかを判断するのが相当である(最高裁平成21年(受)第788号同23年1月20日第一小法廷判決・民集65巻1号399頁〔ロクラク〈2〉事件最高裁判決〕参照)。」
 そのうえで、教師による演奏の主体に関しては、個人事業者たる音楽教室事業者自身が教師であったり、個人教室を運営する者が教師として自ら行う演奏については、その主体が音楽教室事業者である原告であることは明らかであるとし、また、音楽教室事業者ではない教師が行う演奏についても、雇用契約や準委任契約の履行としてその演奏を求め、必要な設備を設営し管理していることを理由に、これもまた原告が演奏主体であると判断し、その演奏について被告の演奏権が及ぶと判示した。
 しかし、他方で、生徒による演奏に関しては、以下のように述べて、その主体は生徒自身であると評価し、また、いずれにしても「公衆に直接(中略)聞かせる目的」で演奏するものではないことに、その演奏については演奏権が及ばないとして、結論として、生徒による演奏に関する部分に限っては第一審判決を変更し、原告の請求を一部認容した。
 「音楽教室における生徒の演奏行為の本質は、本件受講契約に基づく音楽及び演奏技術等の教授を受けるため、教師に聞かせようとして行われるものと解するのが相当である。なお、個別具体の受講契約においては、充実した設備環境や、音楽教室事業者が提供する楽器等の下で演奏することがその内容に含まれることもあり得るが、これらは音楽及び演奏技術等の教授を受けるために必須のものとはいえず、個別の取決めに基づく副次的な準備行為や環境整備にすぎないというべきであるから、音楽教室における生徒の演奏の本質は、あくまで教師に演奏を聞かせ、指導を受けることにあるというべきである。」
 「生徒は、控訴人らとの間で締結した本件受講契約に基づく給付としての楽器の演奏技術等の教授を受けるためレッスンに参加しているのであるから、教授を受ける権利を有し、これに対して受講料を支払う義務はあるが、所定水準以上の演奏を行う義務や演奏技術等を向上させる義務を教師又は控訴人らのいずれに対しても負ってはおらず、その演奏は、専ら、自らの演奏技術等の向上を目的として自らのために行うものであるし、また、生徒の任意かつ自主的な姿勢に任されているものであって、音楽教室事業者である控訴人らが、任意の促しを超えて、その演奏を法律上も事実上も強制することはできない。
 確かに、生徒の演奏する課題曲は生徒に事前に購入させた楽譜の中から選定され、当該楽譜に被告管理楽曲が含まれるからこそ生徒によって被告管理楽曲が演奏されることとなり、また、生徒の演奏は、本件使用態様4の場合を除けば、控訴人らが設営した教室で行われ、教室には、通常は、控訴人らの費用負担の下に設置されて、控訴人らが占有管理するピアノ、エレクトーン等の持ち運び可能ではない楽器のほかに、音響設備、録音物の再生装置等の設備がある。しかしながら、前記アにおいて判示したとおり、音楽教室における生徒の演奏の本質は、あくまで教師に演奏を聞かせ、指導を受けること自体にあるというべきであり、控訴人らによる楽曲の選定、楽器、設備等の提供、設置は、個別の取決めに基づく副次的な準備行為、環境整備にすぎず、教師が控訴人らの管理支配下にあることの考慮事情の一つにはなるとしても、控訴人らの顧客たる生徒が控訴人らの管理支配下にあることを示すものではなく、いわんや生徒の演奏それ自体に対する直接的な関与を示す事情とはいえない。このことは、現に音楽教室における生徒の演奏が、本件使用態様4の場合のように、生徒の居宅でも実施可能であることからも裏付けられるものである。
 以上によれば、生徒は、専ら自らの演奏技術等の向上のために任意かつ自主的に演奏を行っており、控訴人らは、その演奏の対象、方法について一定の準備行為や環境整備をしているとはいえても、教授を受けるための演奏行為の本質からみて、生徒がした演奏を控訴人らがした演奏とみることは困難といわざるを得ず、生徒がした演奏の主体は、生徒であるというべきである。」
 「なお、被控訴人は、前記第2の5(2)ア(イ)のとおり、カラオケ店における客の歌唱の場合と同一視すべきである旨主張するが、その法的位置付けについてはさておくにしても、カラオケ店における客の歌唱においては、同店によるカラオケ室の設営やカラオケ設備の設置は、一般的な歌唱のための単なる準備行為や環境整備にとどまらず、カラオケ歌唱という行為の本質からみて、これなくしてはカラオケ店における歌唱自体が成り立ち得ないものであるから、本件とはその性質を大きく異にするものというべきである。」
 控訴審判決に対しては、原告と被告双方が上告・上告受理申立てをなしたが、最高裁は、被告JASRACの上告申立理由中の「生徒の演奏による著作物の利用主体に係る法律判断の誤り」に限って上告を受理したうえで、結局、以下のように論じて、上告を棄却し、原判決を維持した。

Ⅲ 判決

 「3 所論は、生徒は被上告人らとの上記契約に基づき教師の強い管理支配の下で演奏しており、被上告人らは営利目的で運営する音楽教室において課題曲が生徒により演奏されることによって経済的利益を得ているのに、被上告人らを生徒が演奏する本件管理著作物の利用主体であるとはいえないとした原審の判断には、法令の解釈適用の誤り及び判例違反があるというものである。
 4 演奏の形態による音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、演奏の目的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情を考慮するのが相当である。被上告人らの運営する音楽教室のレッスンにおける生徒の演奏は、教師から演奏技術等の教授を受けてこれを習得し、その向上を図ることを目的として行われるのであって、課題曲を演奏するのは、そのための手段にすぎない。そして、生徒の演奏は、教師の行為を要することなく生徒の行為のみにより成り立つものであり、上記の目的との関係では、生徒の演奏こそが重要な意味を持つのであって、教師による伴奏や各種録音物の再生が行われたとしても、これらは、生徒の演奏を補助するものにとどまる。また、教師は、課題曲を選定し、生徒に対してその演奏につき指示・指導をするが、これらは、生徒が上記の目的を達成することができるように助力するものにすぎず、生徒は、飽くまで任意かつ自主的に演奏するのであって、演奏することを強制されるものではない。なお、被上告人らは生徒から受講料の支払を受けているが、受講料は、演奏技術等の教授を受けることの対価であり、課題曲を演奏すること自体の対価ということはできない。
 これらの事情を総合考慮すると、レッスンにおける生徒の演奏に関し、被上告人らが本件管理著作物の利用主体であるということはできない。」

Ⅳ 評釈

1 序
 本件において第一審判決や控訴審判決が下した論点は多岐にわたるが、上述したように、最高裁が扱ったのは、そのなかで、音楽教室において物理的には生徒がなした演奏の利用主体は、著作権法的には、誰と評価すべきか、というものに限られる。そこで、以下、本稿の検討も、その点に絞ることにする※1

2 従前の裁判例
1) 問題の所在
 著作権法は、著作権の侵害となるべき行為を細かく列挙しているが(21~28条、113条)、こうした直接の侵害行為を誘発したり、支援したりする行為、すなわち特許権の間接侵害に該当する行為に関しては、その一部について罰則を設けており(119条2項2号、120条の2第1号・2号)、デジタルの録音、録画機器の提供者に対しては私的録音録画補償金請求権という制度が設けられているが(30条2項、104条の2~104条の6)、民事的な責任に関しては明文を欠くという状態が長らく続いていた。2020年改正で、リーチサイト・リーチアプリにおいて侵害コンテンツへのリンクを提供する行為(113条2項)、リーチサイト運営行為・リーチアプリ提供行為(113条3項)に対する民事規制が導入されたが、それ以外の類型に関しては、規定がないという状況に変わりはない。しかし、現実には様々な著作権の物理的な利用行為が奨励、促進されていて、そこから利益を得る者が現れるため、著作物を物理的に利用している自然人以外にも、法的には利用行為をなしていると評価するべきではないかということが古くから議論されている。

2) カラオケ法理の登場~クラブ・キャッツアイ最判~
 そのようななか、飲食店等で録音テープを利用したカラオケが使われる場合に、店の歌唱と評価し得るかということが争点とされた事件で※2、最判昭和63.3.15民集42巻3号199頁(WestlawJapan文献番号1988WLJPCA03150003)[クラブ・キャッツアイ]は、以下のように述べて、客の歌唱は、店の管理の下で行われており、店はそれにより営業上の利益の増大を意図しているということを理由に、著作権法上は店の歌唱と同視し得ると説き、演奏権侵害を肯定した。
 「上告人らは、上告人らの共同経営にかかる原判示のスナック等において、カラオケ装置と、被上告人が著作権者から著作権ないしその支分権たる演奏権等の信託的譲渡を受けて管理する音楽著作物たる楽曲が録音されたカラオケテープとを備え置き、ホステス等従業員においてカラオケ装置を操作し、客に曲目の索引リストとマイクを渡して歌唱を勧め、客の選択した曲目のカラオケテープの再生による演奏を伴奏として他の客の面前で歌唱させ、また、しばしばホステス等にも客とともにあるいは単独で歌唱させ、もって店の雰囲気作りをし、客の来集を図って利益をあげることを意図していたというのであり、かかる事実関係のもとにおいては、ホステス等が歌唱する場合はもちろん、客が歌唱する場合を含めて、演奏(歌唱)という形態による当該音楽著作物の利用主体は上告人らであり、かつ、その演奏は営利を目的として公にされたものであるというべきである。けだし、客やホステス等の歌唱が公衆たる他の客に直接聞かせることを目的とするものであること(著作権法二二条参照)は明らかであり、客のみが歌唱する場合でも、客は、上告人らと無関係に歌唱しているわけではなく、上告人らの従業員による歌唱の勧誘、上告人らの備え置いたカラオケテープの範囲内での選曲、上告人らの設置したカラオケ装置の従業員による操作を通じて、上告人らの管理のもとに歌唱しているものと解され、他方、上告人らは、客の歌唱をも店の営業政策の一環として取り入れ、これを利用していわゆるカラオケスナックとしての雰囲気を醸成し、かかる雰囲気を好む客の来集を図って営業上の利益を増大させることを意図したというべきであって、前記のような客による歌唱も、著作権法上の規律の観点からは上告人らによる歌唱と同視しうるものであるからである。」(下線強調は筆者による)
 この判決は、文言上、演奏に関する一般論を定立したわけではなく、また当該事案に関する当てはめを行っている、その意味で事例判決と目すべきものである※3。しかし、それにもかかわらず、同判決の「前記のような客による歌唱も、著作権法上の規律の観点からは上告人らによる歌唱と同視しうる」という説示の影響力はことのほか大きく、事例判決であることを示唆していた調査官解説の思惑※4を乗り越えて、下級審の裁判例に頻繁に用いられることになった。その後、カラオケに関しては、1999年に附則14条が撤廃され、立法的な解決が図られたが、それとは無関係に、最判の説示は、その前後を通じて、下級審の裁判例によって、管理要件と利益要件という2要件に定式化されるに至ったのである(カラオケ法理)※5
 このカラオケ法理を用いずとも、著作権侵害を幇助ないし教唆した者に対しては、民法の共同不法行為の法理の下で、責任を問うことができる。もっとも、共同不法行為の下では、第一に、民法の伝統的理解に従う限り、損害賠償責任を課すことができるに止まり、差止請求を認容することは困難である。第二に、直接の著作権侵害行為が違法となることが前提となるから、著作物を直接、物理的に利用している者が私人であったり営利目的を欠いていたりするために著作権侵害が成立しない場合には、幇助ないし教唆者に対して責任を追及することもできなくなる。これに対して、カラオケ法理には、幇助ないし教唆者を直接の著作権侵害者と評価することで、差止請求を可能とし、そもそもは適法だったはずの行為を裁判所の判断で違法行為に転換する機能(=適法行為の違法行為転換機能)※6がある※7

3) 初期のカラオケ法理~人的に管理された演奏・上演への適用~
 カラオケ法理は、前掲最判[クラブ・キャッツアイ]が下される前から、キャバレーの店舗、公演の主催者や企画者など、物理的な利用主体との間の人的な関係に基づいて、著作物の利用の態様を決定し得る権限を有する者を法的に利用する主体とみなす法理として用いられていた。カラオケ法理は論理必然的にその利用行為の類型が限定されるというものではないが、この当時の同法理の管理要件は、物理的な利用行為者に対する人的な管理関係に基づいてその充足が認められるという運用がなされており、結果的に、人的になされた演奏や上演に対する適用例が続くことになったのである※8
 たとえば、物理的には著作物を利用しているのは楽曲の演奏者であるところ、当該演奏が行われているキャバレー店の営業主(名古屋高決昭和35.4.27最新著作権関係判例集Ⅰ443頁(WestlawJapan文献番号1960WLJPCA04270006)[中部観光]、大阪地判昭和42.8.21最新著作権関係判例集Ⅰ450頁(WestlawJapan文献番号1967WLJPCA08210002)[ナニワ観光]、大阪高判昭和45.4.30無体集2巻1号252頁(WestlawJapan文献番号1970WLJPCA04300003)[同])、当該演奏がなされている公演の企画者(楽曲の無断演奏の中止が求められた仮処分事件で、東京地判昭和54.8.31無体集11巻2号439頁(WestlawJapan文献番号1979WLJPCA08310002)[ビートル・フィーバー])やプロモーター(東京地判平成14.6.28判時1795号151頁(WestlawJapan文献番号2002WLJPCA06280003)[ダイサンプロモーション]、東京高判平成15.1.16平成14(ネ)4053(WestlawJapan文献番号2003WLJPCA01169004)[同])、あるいは、 物理的には著作物を利用したのはダンサーであるところ、当該バレエ公演の主催者(損害賠償等請求事件で、東京地判平成10.11.20知裁集30巻4号841頁(WestlawJapan文献番号1998WLJPCA11200002)[我々のファウスト]※9)、カラオケボックス内の歌唱行為に対してその経営者(大阪地決平成9.12.12判時1625号101頁(WestlawJapan文献番号1997WLJPCA12120001)[カラオケルーム・ネットワーク]、東京地判平成10.8.27知裁集30巻3号478頁(WestlawJapan文献番号1998WLJPCA08270005)[ビッグエコー上尾店]、東京高判平成11.7.13判時1696号137頁(WestlawJapan文献番号1999WLJPCA07130003)[同])などが著作物の利用行為の主体であると認められている。
 注意すべきことは、演奏される楽曲の選定に直接、関与しているということ(その種の事情を演奏主体性を肯定する方向に斟酌するものとして、前掲東京地判[我々のファウスト])は、管理要件が認められるための必須の要件とはされていないということである(以下に示す裁判例のほか、前掲大阪地決[カラオケルーム・ネットワーク](客が歌唱する曲目は債務者が契約した通信カラオケ業者が製作したカラオケデータ内に収録されているものに限定されていることを斟酌)、前掲名古屋高決[中部観光]、前掲大阪地判[ナニワ観光](営業計画に従って指図し得る余地がある旨を指摘)、前掲東京地判[ビートル・フィーバー](個々の公演の主催者を選定し、演奏はその企画に基づいて行われていることを斟酌)、前掲東京地判[我々のファウスト](傍論))。たとえば、そもそも前掲最判[クラブ・キャッツアイ]からして、最終的に何を歌うかということまでは決定していなくとも、店舗の設置したカラオケテープの選曲の範囲内で、店舗による歌唱が勧誘され、店舗による装置の操作に基づいて歌唱が行われる等の事情の下で、顧客はカラオケスナックの経営者の管理の下に演奏していると評価されたという事案であった。そして、その後の下級審の裁判例では、歌唱を現場で直接勧誘したり、カラオケ装置を店舗が操作したりするわけではないカラオケボックスの事案でも、ボックス内の各部屋にカラオケ装置を設置し顧客が容易にカラオケ装置を操作できるようにしたうえで(その場合、顧客から求められれば従業員がカラオケ装置を操作できるようにしたうえで)、店舗が設備内に用意した曲目の範囲内で顧客が歌唱するという事情の下では、管理要件の充足が肯定され、経営者が演奏の主体とされている(前掲東京地判[ビッグエコー上尾店]、前掲東京高判[同])。また、この種の選曲範囲の限定という事情を欠く事案でも、たとえば、演奏会の内容は歌手等が所属するプロダクションが決定しているとしても、プロモーターが演奏会の会場を設定し、入場料金を決め、チケットを販売し、演奏会に関する宣伝をはじめとするセールス活動を行い、演奏会当日の会場の運営、管理をするなどの業務を行っていたという事情の下では、管理要件の充足が肯定され、プロモーターが演奏主体であると認められている(前掲東京地判[ダイサンプロモーション]、前掲東京高判[同])。
 もっとも、限界はあるのであって、それを示したのが、飲食店舗における楽曲演奏に関して店舗経営者の演奏主体性が争点となった、大阪高判平成20.9.17平成19(ネ)735(WestlawJapan文献番号2008WLJPCA09179008)[デサフィナード]※10である。この事件の被告が経営する楽曲演奏も可能な飲食店舗では、①スタッフによるピアノ演奏、②店舗(=被告)主催のライブ演奏、③第三者(プロの演奏者またはその講演会等)主催のライブ演奏、④貸切営業(結婚披露宴の二次会、ピアノ発表会、パーティ、各種スクール公開練習等)における演奏という四種類の態様で、原告JASRACが管理している音楽著作物の演奏が行われている。大阪高裁は、①ピアノ演奏と②店舗主催のライブという利用態様に関しては、演奏による音楽著作物の利用主体が店の経営者であると判断したが、他方で、③第三者主催のライブ演奏と④貸切営業における演奏に関しては演奏主体性を否定している。このうち、③第三者主催のライブ演奏にあっては、演奏者が自ら曲目の選定を行い、ちらし等を作り、雑誌に掲載して広告し、チケットを作って販売し、ライブチャージを取得するのに対して、被告は、従業員が客からのライブチャージ徴収事務を担当し、例外的に予約を受け付けることがある以外、何らの関与もせず、演奏者等から店舗の使用料等を受領せず、演奏者に演奏料も支払われないことを理由に、被告は利用主体とはならないと帰結している。また、④貸切営業における演奏においても、被告は、場所、楽器、音響装置・照明装置を提供しており、本件店舗における演奏を勧誘しているが、そもそも演奏するか否か、いかなる楽曲を演奏するか、備付けの楽器を使用するか否か、音響装置・照明装置の操作等について招待客等の自由に委ねられていること、被告がその演奏自体を不特定多数の客が来訪する店の雰囲気作りに利用するなどして収益を得ているとは認められないことなどを斟酌して、やはり被告は演奏主体とはならないと判断している。
 以上を要するに、この時期の裁判例では、演奏楽曲の選定に関与していないとしても、公演の企画や、演奏に関する業務への関与が認められるのであれば、演奏主体性が肯定されるが、他方で、単なる場所や設備の提供という関与に止まる場合には演奏主体性が否定されていたとまとめることができよう。

4) カラオケ法理の転用~物的に管理された複製・公衆送信に対する転用~
 カラオケ法理の適用領域に関して転機が訪れたのは、東京地決平成14.4.11 判時1780号25頁(WestlawJapan文献番号2002WLJPCA04110001)[ファイルローグ著作権仮処分]、東京地判平成15.1.29判時1810号29頁(WestlawJapan文献番号2003WLJPCA01290001)[同中間判決]である。この事件で、裁判所は、ユーザー同士がPeer to Peerで音楽著作物等をコンテンツとするMP3ファイルを交換することを可能とする中央管理型のサーバーを提供する者に対して、当該サービスの提供によってユーザーの公衆送信権侵害行為を管理し(=管理性)、当該サービスの利用に必要不可欠なソフトウェアを入手するためのウェブサイトから広告収入を得ていた(=利益性)という論理構成の下で、サービス提供者が、ユーザー同士の間でやりとりされている音楽著作物の公衆送信権侵害の主体であると帰結した。ここにおいて、カラオケ法理は、物理的に利用行為をなしている人に対する直接の管理ではなく、大量にそのような利用行為を誘発するサービスやシステムに対する管理に着目する法理に変容した(「システム提供型」カラオケ法理の登場※11)。
 このように、カラオケ法理が複製や公衆送信を実施する物理的な装置に対する支配類型に拡張された結果、以降、複製や公衆送信に関する適用例が頻出するようになる。具体的には、事務所にテレビチューナー付のパソコンを備え付け、ユーザー一人毎に一台ずつ割り当て、インターネット経由で下されるユーザーからの指示に基づいて、テレビ放送の録画を行うサービスが、放送事業者の有する著作隣接権等を侵害するか否かということが争われた事件に応用され、サービスにアクセスするために特別の認証手続が必要であったこと等も斟酌しつつ、当該サービスを提供する事業者を複製の主体であったと評価し、私的複製の抗弁を容れず、侵害を肯定する判決が下されるに至った(東京地決平成16.10.7判時1895号120頁(WestlawJapan文献番号2004WLJPCA10070002)[録画ネット]、東京地決平成17.5.31平成16(モ)15793[同仮処分異議]、知財高決平成17.11.15平成17(ラ)10007(WestlawJapan文献番号2005WLJPCA11159001)[同抗告審])。カラオケ法理の持つ違法行為への転換機能が活用されたのである※12

5) 複製に対する総合衡量法理の登場~ロクラク最判~
 そのようななか、裁判例では、カラオケ法理を援用することなく、端的に諸般の事情を総合考慮して、適法か否かを決する判決が現れた。同事件においては、CD等の音源データを携帯電話へと複製する作業を、ストレージ・サーバーを経由させることで可能とするサービスの提供行為について、一般的に私人がなすことが困難な複製をこのサービスが可能としているところ、楽曲の音源データのストレージと私人の携帯電話へのデータの送信に供されるサーバーをサービス提供者が管理しており、必要なソフトウェアも被疑侵害者が設計したものであるという事情等を総合考慮して、サービス提供者をして複製と送信行為の主体と認め、著作権侵害が肯定されている(東京地判平成19.5.25平成18(ワ)10166(WestlawJapan文献番号2007WLJPCA05259001)[MYUTA])。ここに至り、カラオケ法理という隠れ蓑を使うことなく、正面から、裁判所が各種事情を考慮して違法行為を創設する機能を果たすことが認められたと評することができよう※13
 続いて、この種の総合衡量法理は、前述したテレビ放送の録画サービスに関する最判平成23.1.20民集65巻1号399頁(WestlawJapan文献番号2011WLJPCA01209001)[ロクラク]により、最上級審の採用するところとなった。具体的には、サービス提供者が、その管理、支配下において放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力するという、複製の実現における枢要な行為をしており、当該行為がなければサービスの利用者が録画の指示をしても放送番組等の複製をすることはおよそ不可能であるという場合には、サービス提供者を複製の主体というに十分である旨を説き、原判決のように、単に複製を容易にするための環境等を整備しているに止まるとみることは相当ではないと論じて、原判決を破棄し、本件サービスにおける親機ロクラクの管理状況等を認定するために事件を原審に差し戻したのである。
 「放送番組等の複製物を取得することを可能にするサービスにおいて、サービスを提供する者(以下『サービス提供者』という。)が、その管理、支配下において、テレビアンテナで受信した放送を複製の機能を有する機器(以下『複製機器』という。)に入力していて、当該複製機器に録画の指示がされると放送番組等の複製が自動的に行われる場合には、その録画の指示を当該サービスの利用者がするものであっても、サービス提供者はその複製の主体であると解するのが相当である。すなわち、複製の主体の判断に当たっては、複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度等の諸要素を考慮して、誰が当該著作物の複製をしているといえるかを判断するのが相当であるところ、上記の場合、サービス提供者は、単に複製を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず、その管理、支配下において、放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力するという、複製機器を用いた放送番組等の複製の実現における枢要な行為をしており、複製時におけるサービス提供者の上記各行為がなければ、当該サービスの利用者が録画の指示をしても、放送番組等の複製をすることはおよそ不可能なのであり、サービス提供者を複製の主体というに十分であるからである。」(下線強調は筆者による)
 本判決の総合衡量法理については、カラオケ法理といえども諸般の事情を考慮してきたという認識に基づいて、ゆえに総合衡量法理はカラオケ法理と対立するものではない、という理解もなされている※14。しかし、従前の下級審では、諸事情を考慮するといっても、諸事情が何の指針も与えられることなく、闇雲に衡量されていたわけではない。あくまでも管理要件と利益要件の二要件、とりわけ前者に収束する形で、すなわち、それらの事情によって物理的な行為者(人的支配類型)や物的な設備(転用類型)が管理されていると評価できるか否かという形で、明示的な目標を持って、利用主体の判断がなされていたのであり、そこには一定の予測可能性が担保されていたと評価できる。その種のよすがを失ったという意味で、前掲最判[ロクラク]の総合衡量法理は、前掲最判[クラブ・キャッツアイ]以降、下級審で展開されていたカラオケ法理とはもはや別個のものとなったというべきである。

6) 総合衡量法理の適用領域の拡大
 このように、前掲最判[クラブ・キャッツアイ]のカラオケ法理は演奏を対象とするものであったが、その後、下級審で複製や公衆送信にまで転用されるようになっていたところ、今度は、前掲最判[ロクラク]により、複製に関しては総合衡量法理を用いるのが判例法理とされるに至った。すると、複製に対して適用される法理が従前のカラオケ法理から総合衡量法理に変更されたのであれば、本来、カラオケ法理の主戦場であったはずの演奏や上演についても、前掲最判[ロクラク]の法理が適用されることになるのかということが問題となり得る。
 実際、その後の下級審では、演奏に関しても、総合衡量法理を用いるものが現れた※15。知財高判平成28.10.19平成28(ネ)10041(WestlawJapan文献番号2016WLJPCA10199002)[Live Bar X.Y.Z.→A]※16がそれである。被告らが共同経営しているライブハウス「Live Bar X.Y.Z.→A」において、店内で出演者が開催するライブにおいて原告が管理する著作物を演奏していることにより、ライブハウスが著作権を侵害したことになるのかということが争われたという事件である。
 裁判所は、前掲最判[ロクラク]を引用しつつ、以下のように、総合衡量法理※17を説いた。
 「本件店舗において、1審原告管理著作物を演奏(楽器を用いて行う演奏、歌唱)をしているのは、その多くの場合出演者であることから、このような場合誰が著作物の利用主体に当たるかを判断するに当たっては、利用される著作物の対象、方法、著作物の利用への関与の内容、程度等の諸要素を考慮し、仮に著作物を直接演奏する者でなくても、ライブハウスを経営するに際して、単に第三者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず、その管理、支配下において、演奏の実現における枢要な行為をしているか否かによって判断するのが相当である(最高裁昭和59年(オ)第1204号同63年3月15日第三小法廷判決・民集42巻3号199頁、最高裁平成21年(受)第788号同23年1月20日第一小法廷判決・民集65巻1号399頁等参照)。」(下線強調は筆者による)
 そのうえで、具体的な当てはめとしては、被告らがミュージシャンが自由に演奏する機会を提供するために本件店舗を設置、開店したこと、本件店舗にはステージや演奏用機材等が設置されており、出演者が希望すればドラムセットやアンプなどの設置された機材等を使用することができること、本件店舗が出演者から会場使用料を徴収しておらず、ライブを開催することで集客を図り、ライブを聴くために来場した客から飲食代として最低1,000円を徴収していることを斟酌して、「本件店舗は、1審原告管理著作物の演奏につき、単に出演者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまるものではないというべきである」と判示し、被告らをして演奏主体であると帰結した※18。とりわけ、注目すべきは、演奏楽曲の選定をなしていないことについて、以下のように論じて、それを問題視しなかった点である。
 「著作権の侵害主体性を判断するに当たっては、物理的、自然的な観点にとどまらず、規範的な観点から行為の主体性を検討判断するのが相当であるところ、そもそも本件店舗が、1審原告管理著作物の演奏が想定されるライブハウスであり、ライブを開催することで集客を図り、客から飲食代を徴収していること、本件店舗にアンプ、スピーカー、ドラムセットなどの音響設備等が備え付けられていることからすれば、1審被告らが現に演奏楽曲を選定せず、また、実演を行っていないとしても、1審原告管理楽曲の演奏の実現における枢要な行為を行っているものと評価するのが相当である。」
 この事件の被告らの演奏行為に対する関与の仕方は、カラオケ法理の下で店舗の演奏主体性が否定された前掲大阪高判[デサフィナード]における第三者演奏と大差ないように見受けられ、管理要件が機能していたのであれば、演奏主体性を肯定することは困難な事案であったように思われる。「枢要な行為」をメルクマールとしたがゆえに、人的な管理関係が弱い関与の態様についてまで演奏主体性が肯定されることになったと評することができよう※19

7) 小括~事案と結論との関係に着目した従前の裁判例の整理~
 以上、主として、判決が用いている法理とその適用領域の変遷を紹介してきたが、どの法理が用いられているかということを捨象して、事案と結論との関係のみに着目して、本件と関わり合いが深い演奏の主体性に関する従前の裁判例を整理すると※20、以下のようにまとめることができる※21
 ① 第一類型(雇用・請負型)
 第一に、店舗において従業員(前掲最判[クラブ・キャッツアイ])、請負契約に基づき常置されている楽団(前掲名古屋高決[中部観光])や専属楽団(前掲大阪地判[ナニワ観光]、前掲大阪高判[同])による演奏がなされている場合には、店舗が演奏主体となる。
 ② 第二類型(積極的関与型)
 第二に、雇用契約や請負契約に基づいて演奏しているわけではない者が演奏している場合に関しては、どの楽曲等を演奏するかということを最終的に決定していないとしても、顧客が選ぶ楽曲の範囲を特定したうえでその歌唱用の設備を提供していたり(前掲最判[クラブ・キャッツアイ]、前掲大阪地決[カラオケルーム・ネットワーク]、 前掲東京地判[ビッグエコー上尾店]、前掲東京高判[同])、あるいは、演奏楽曲の選定には全く関与していないとしても、演奏がなされる公演を企画したり、公演に係る業務に直接携わっていたりした者(前掲名古屋高決[中部観光]、前掲大阪地判[ナニワ観光]、前掲東京地判[ビートル・フィーバー]、前掲東京地判[ダイサンプロモーション]、前掲東京高判[同]、前掲東京地判[我々のファウスト](上演に関し、傍論))は、演奏の主体と認められる。
 ③ 第三類型(消極的関与型)
 第三に、そこまでの関与はなく、第三者の演奏に対して場所や設備を提供しているに止まる者、つまり、カラオケ店舗のように演奏すべき楽曲の範囲を限定し、それに特化した装置を提供するわけでもなく、または、公演を企画したり、公演に係る業務に携わったりしているわけではない者については、演奏主体性の否定例(前掲大阪高判[デサフィナード])と肯定例(前掲知財高判[Live Bar X.Y.Z.→A])とで判断が分かれている、という状況にあった。
 こうした従来の裁判例に鑑みれば、音楽教室事業者との雇用契約や準委任契約に基づく教師の演奏は、従前の裁判例でいえば、上記第一類型に属するものであるから、音楽教室事業者を演奏主体と認める第一審判決と控訴審判決の結論の傾向に沿うものといえる。
 他方、生徒の演奏に関しては、上記類型のなかでは、第二類型に分類し得るものであり、しかも、従前の裁判例が着目していた、演奏楽曲の選定の程度や演奏設備の提供という点に関しては、控訴審判決も認めるとおり、生徒の演奏する課題曲は生徒に事前に購入させた楽譜のなかから選定され、一部の例外を除けば、演奏は音楽教室事業者が設営した教室内で、音楽教室事業者がその費用負担の下で設置し、占有管理するピアノ、エレクトーン等や音響設備、録音物の再生装置等の設備を用いて行われるというのであるから、それらの要素だけに着目するのであれば、音楽教室事業者が演奏主体であると認められるべき事案であったといえる。その限りでは、本件では第一審判決の方が従前の裁判例の傾向に沿った結論をとっているように見える。
 ただし、本件には、従前の裁判例では看取されなかった、本件特有の事情がある。それが、まさに控訴審判決が着目し、ひいては最高裁判決も着目した、生徒の演奏技術等の向上のために演奏がなされているという事情である。たしかに、こうした要素が演奏主体性との関係で問題とされた事例は、管見の限り、本件が初めてであり※22、その意味で、本件は従前、直接の先例がなかった事案、いわば第二’(ダッシュ)類型(教室型)ということができる。その点に関して、当該要素に着目することなく、ゆえに従前の裁判例が先例となるべき枠組みの下で、従前の第二類型の裁判例と同様、演奏主体性を肯定したのが第一審判決であり、逆に、当該要素に着目して、従前の裁判例が先例とはされない枠組みの下で、演奏主体性を否定したのが本件控訴審判決である、と分析することができよう※23

3 本判決の意義
1) 序
 以上のような従前の裁判例の傾向に鑑みると、本判決には、以下の二つの意義があると考えられる。
 第一に、演奏主体に関する一般論として、前掲最判[クラブ・キャッツアイ]に起因してかつて下級審の裁判例を席捲していたカラオケ法理(管理要件+利益要件)を採用せず、総合衡量法理を打ち出したことである。
 第二に、当該総合衡量法理の下で、本件の生徒の演奏という事例に関して、演奏主体性を否定するという判断を下したということである。

2) 本判決の一般論の意義~演奏に関する総合衡量法理の採用~
 本件の第一審判決も、控訴審判決も、一般論としては総合衡量法理を採用していたところ※24、本判決は、「演奏の形態による音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、演奏の目的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情を考慮するのが相当である。」との一般論を打ち立て、演奏に係る利用主体についても、総合衡量法理を採用することを明らかにした※25。近時の下級審の裁判例に看取された傾向が是認されたということができよう。
 もっとも、文言上は、前掲最判[ロクラク]が、「複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度等の諸要素」を考慮事項に掲げていたのに対し、本判決は、「演奏の目的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情」を列挙しており、「対象、方法」が「目的及び態様」に変えられているところが違うといえば違うところである。異なる文言が用いられた理由は定かではないが※26、最高裁があえて文言を違えた以上、今後の下級審は、複製については前掲最判[ロクラク]の文言を、演奏については本判決の文言を用いること※27になるであろう※28
 そして、いずれにせよ、本判決が、管理要件、利益要件という二本柱による運用を彷彿させる文言を全く用いていないことに鑑みれば、文言としてカラオケ法理を持ち出す判決は姿を消すことになると予想される※29
 しかし、カラオケ法理の下では、かりに諸事情が考慮されるとしても、管理要件、利益要件という二つの要件の成否を判断するという形で、考慮すべき事情の判別やその考慮の仕方に方向性を見出すことが可能であったが、総合衡量法理の下では、いかなる事情をどのように考慮すべきであるのかが判然とせず、かりに裁判となった場合、どのような結論が下されるのか、予測することが困難である。あるいは、裁判官が事案に応じて柔軟な判断をなすことができるということで、これを歓迎するという評価もあり得よう※30。しかし、演奏の行為主体が問題となる事例は巷間にあふれており、大半は裁判に行くことなく決着することに鑑みれば、裁判所に行ってみなければ分からない、行ったところで裁判体が異なれば結論も異なるかもしれないといった不安定な基準が最高裁により定立されてしまったことは不幸な事態というほかない※31,※32

3) 事例判決としての意義~クラブ・キャッツアイ最判との関係~
 本判決が採用した総合衡量法理の弊害を少しでも解消するためには、同法理の下で本判決がなした本件の事例に対する具体的な当てはめから、最高裁がこの法理をどのように運用しようとしているのか、その意図を読み込んでいく作業をなすほかない。もちろん、具体的な当てはめに関する本判決の判例法理としての射程※33は、本件のような事案に限定されており、本判決が何ら判断を下していない他の事例に及ぶものではないが、ここで肝要なことは、少しでも予測可能性を得るために、本判決の具体的な当てはめに接した後の下級審の裁判所が、最高裁の意図をどのように忖度して判断を下すことになると予想されるか、という作業を行うほかなかろう、ということなのである。
 そこで、以下では、事例判決としての本判決の意義を検討していくが、ここで、一つ重要な情報として考慮しなければならないことは、前掲最判[クラブ・キャッツアイ]の判断が、判例法理として無意義なものとなったというわけではないことである。たしかに、本判決は演奏に関する一般論を打ち立ててはいるが、本判決は大法廷によって下されたわけではなく、ゆえに判例としての前掲最判[クラブ・キャッツアイ]を変更したわけではない。そうすると、本判決は、前掲最判[クラブ・キャッツアイ]をして、やはりその判文どおり事例判決と理解したのだといわざるを得ない※34。そして、その事例、つまりカラオケ店舗における客の物理的な歌唱が、当該事案の下で店舗の演奏と評価されたという結論に関しては、事例判決としての判例が生き残っていることになる。
 そうだとすると、かたやカラオケ店舗における客の演奏については店舗が演奏主体と判断した判例と、かたや音楽教室における生徒の演奏については、音楽教室の運営者ではなく生徒が演奏主体であると判断した判例が存在することになる(厳密にいえば、本判決は、教室が演奏主体ではないと判示したに止まるが、その結果、生徒が演奏主体であるという原判決が維持されたわけであり、ほかに候補もいないのであるから、本判決は生徒が演奏主体であると判断したと忖度されることになろう。以下ではそれを前提に議論を進める)。このような結論の相違がなにゆえもたらされたと考えるべきであろうか。
 第一に、結論の相違は、課題曲の選定や演奏の態様に関する管理の程度の差異によってもたらされたわけではないと考えられよう。音楽教室においては、控訴審判決が認定しているように、一般的には教室や教師が課題曲を選定し、そのなかからどの部分を演奏するのかということも教師の指示に従ってなされることが通例といえよう。前掲最判[クラブ・キャッツアイ]では予め用意されていたカラオケテープのなかからとはいえ客が歌唱する曲を選定し、それをいついかなるタイミングでどの部分(フル・コーラスが多いのであろうが)を歌唱するのかということも客が決めることが通例であったと思料されることと比すると、本件の音楽教室における教室や教師の生徒に演奏を管理する程度はより強力なものであるように思われる※35。もちろん、カラオケの場合には、通例、アカペラで歌うのではなく、店が用意したカラオケテープの伴奏に沿って歌唱がなされるのであるが、そうした事情は、音楽教室の場合にも、(多少、割合は低下すると目されるが)教師が伴奏したり、録音物を再生したりすることで、生徒の演奏を助けることが行われているのであるから、両者を区別する理由にはなり難い。それにも関わらず、本判決は教室を演奏主体とは認めなかったのであるから、管理の程度という事情は本件では決め手となっていないと評価すべきであろう※36
 第二に、もっとも、この点に関して、本判決は、次のように説く。「教師は、課題曲を選定し、生徒に対してその演奏につき指示・指導をするが、これらは、生徒が上記の目的を達成することができるように助力するものにすぎず、生徒は、飽くまで任意かつ自主的に演奏するのであって、演奏することを強制されるものではない。」あるいは、この説示をして、本判決は、前掲最判[クラブ・キャッツアイ]の店舗よりも、音楽教室の管理の程度は弱いと判断したがために結論を異にしたのだと理解する向きもあるかもしれない。しかし、この説示は、管理の程度、あるいは本判決の言葉を借りれば「関与の内容及び程度」という要素を単独で評価しているわけではないことに注意が必要である。あくまでも、関与の程度は、演奏「の目的を達成することができるように助力するものにすぎ」ないというレンズ(というよりは、色眼鏡とでもいうべきか)の下で観察された結果、生徒が当該目的を達成することができるように助力するものにすぎないという位置付けがなされ、それが、関与の程度の絶対値というよりは、関与の性質として、「生徒は、飽くまで任意かつ自主的に演奏するのであって、演奏することを強制されるものではない」との評価が与えられたのだと理解できる。そうだとすると、本件の決め手は、関与の程度の物理的な強弱ではなく、演奏の目的に鑑みた関与の性質決定であるということになる※37
 同様に、前述した教師による伴奏や録音物が再生されているという点に関しても、本判決の論理にあっては、やはり、「演奏の目的」というレンズを通した評価がなされた結果、「生徒の演奏は、教師の行為を要することなく生徒の行為のみにより成り立つものであり、上記の目的との関係では、生徒の演奏こそが重要な意味を持つのであって、教師による伴奏や各種録音物の再生が行われたとしても、これらは、生徒の演奏を補助するものにとどまる」と判断されている※38。ここにおいても、決め手は、関与の程度の物理的な強弱というより、演奏の目的に鑑みた関与の性質決定であるということになる。
 第三に、そうなってくると、前掲最判[クラブ・キャッツアイ]と結論を違える理由となったのは、「演奏の目的」が考慮されたからだということになる※39。管理要件+利益要件という二本柱のみで構成されるカラオケ法理の下では、直接的には決め手となりにくい「演奏の目的」がこれほどの役割を果たし得たのは、(その当否はさておき)まさに総合衡量法理が採用されたおかげであるといえよう。
 その肝心の本件における「演奏の目的」であるが、本判決は、これを「被上告人らの運営する音楽教室のレッスンにおける生徒の演奏は、教師から演奏技術等の教授を受けてこれを習得し、その向上を図ることを目的として行われるのであって、課題曲を演奏するのは、そのための手段にすぎない」と特定している。たしかに、カラオケ店舗における歌唱行為は、音楽教室における演奏に比すれば、自身の歌唱技術の向上というよりは、他者に聴かせたり、あるいはただ自己満足したりするために歌っていることが多いように思われる。とはいえ、カラオケにおいても歌唱技術の向上を目指して歌唱している者もいると思われるが、(例外はあり得るのかもしれないが)少なくとも前掲最判[クラブ・キャッツアイ]においては音楽教室における指導者に匹敵する人物が存在したと認定されているわけではない。「所論引用の判例は、いずれも事案を異にし、本件に適切でない」と断じる本判決としては、前掲最判[クラブ・キャッツアイ]における「演奏の目的」は、規範的な評価として、「教師から演奏技術等の教授を受けてこれを習得し、その向上を図ることを目的として行われるのであって、課題曲を演奏するのは、そのための手段にすぎない」という関係にはないと判断したのだと理解できる。
 第四に、カラオケ法理におけるもう一つの柱である利益要件に関しては、本判決が掲げる一般論としての考慮事情である「演奏の目的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情」には、明示的には掲げられていないものの、本判決は当てはめの末尾で、「なお、被上告人らは生徒から受講料の支払を受けているが、受講料は、演奏技術等の教授を受けることの対価であり、課題曲を演奏すること自体の対価ということはできない」と論じている。本判決には、このなお書きがなぜ挿入されているのか、その意義について一切語るところがないが、受講料がかりに課題曲を演奏することの対価であったとすると、そうした事情は本判決の結論とは逆の結論を肯定する方向に斟酌されることを意図していることは明らかである。おそらく、受講料が演奏の対価であったとすると、音楽教室のためにも演奏しているという要素が強まるために演奏が生徒の「演奏技術等の向上を図ることを目的としている」という要素が薄まり、ひいては「生徒は、飽くまで任意かつ自主的に演奏する」との性質決定に影響を与え得るということなのだろう※40

4 今後の下級審の裁判例に与える影響
 今後、下級審が、以上のように分析される本判決の判旨の論理の構造に則した判断をなすとなると、どのような傾向になると予想されるか。
 従前の裁判例の傾向として掲げた三つの類型のうち、第一類型(雇用・請負型)に関しては、本判決が教師の演奏に関する上告を受理しなかった以上、本判決の判断は示されていないが、この類型に関する従前の裁判例は安定しており、今後も、教師の演奏に関する本件の第一審判決と控訴審判決と同様、演奏主体性を認める判断が続くと予想される。
 第二類型(積極的関与型)に関しては、前述したように、前掲最判[クラブ・キャッツアイ]は、本判決をもってしても、カラオケにおける歌唱行為に関する事例判決としての判例法理としてその意義を失っていないことを銘記する必要がある。そして、本判決は、前掲最判[クラブ・キャッツアイ]との事案の相違を、「演奏の目的」に見出したと目されるのだから、「演奏の目的」において本件と共通する要素が濃い事案、つまり本稿のいうところの第二’類型(教室型)については、本判決と同様の判断をとると目される。
 具体的には、歌唱教室、ギター教室、ダンス教室などにおける楽曲の演奏(歌唱を含む)などで、「教師から演奏技術等の教授を受けてこれを習得し、その向上を図ることを目的として行われる」と評価し得る事例にあっては、特段の事情がない限り、原則として、教室の運営者ではなく、生徒が演奏の主体であると判断されることになろう。演奏ではないが、口述、上演などで、演奏と同様、実施者の技術にその出来ばえが左右されるタイプの著作物の利用行為についても、演奏と区別する理由を見出せない以上、同様の判断がなされるものと思われる※41
 ただし、特定の課題曲を演奏できるようになることを宣伝して生徒を募集しているような場合には、本判決のなお書きの趣旨に鑑みて、受講料は当該課題曲を演奏することに対する対価も含まれているとの媒介項などの下で、教室側も主体である※42、あるいは(関与の程度次第では)教室が単独の主体であると判断されることもあり得よう。
 また、教室が主催する発表会や、教室の宣伝のための公開レッスンなどに関しては、生徒の演奏技術等の向上を目的としている要素があることは否めないとしても、教室の利益のために演奏曲等が選定され利用されているという要素が強まるので、教室側も、あるいは教室側のみが演奏等の主体であると判断される事例が出てくるのではないかと思われる※43
 他方、通常の第二類型(積極的関与型)、つまり、演奏等の目的が「教師から演奏技術等の教授を受けてこれを習得し、その向上を図ることを目的として行われる」とは評価し得ない類型においては、事例判決としての意義を失っていない前掲最判[クラブ・キャッツアイ]と同程度の管理がなされているのであれば、管理者が演奏等の主体であると扱われることになろう。前述したように、この第二類型に関しては、事案と結論との関係でいえば、カラオケ法理の下で演奏等に対する管理が肯定される類型に関しては、第二’類型に属する事案に対するものである本件の控訴審判決と本判決を除けば、従前から、管理者が行為主体と評価されていたのであって、そのことは今後も変わらないのではないかと予想される。ただ、この種の事例に対して用いられる説示は、かつてはカラオケ法理であり、近時は総合衡量法理であったが、今後は、本判決を受けて、一般論として用いられる文言は、 演奏等の「目的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情」になるのであろう。
 最後に、第三類型(消極的関与型)、つまりカラオケ法理がかりに適用されるとすれば管理要件を満たさない事例に関する取扱いはどのようになるのだろうか。
 この類型に関しては、従前の裁判例では、飲食店やライブハウスにおいて第三者が行う演奏で、店舗が演奏楽曲の選定などの演奏の内容に関与しない場合に関しては判断が分かれており、カラオケ法理の下で店舗の演奏主体性を否定した判決(前掲大阪高判[デサフィナード])と、総合衡量法理の下で店舗の演奏主体性を肯定した判決(前掲知財高判[Live Bar X.Y.Z.→A])の双方が並び立っていた。本判決によって、カラオケ法理の拘束が解かれ、管理要件を充足しなかったとしても非物理的利用者に演奏主体性が拡張される可能性が開かれたということは、この種の事例において、必ず前者のような判断を下さなければならないというわけではなくなったことを意味する。しかし、そうはいっても、本判決が扱った事例がこの種の事例とは異なるものである以上、本判決の法理の下で、この種の事例がどのように扱われるのかということに関しては、最高裁の立場は不明であり、今後の裁判例のフリー・ハンドに委ねられたと解さざるを得ない。

5 結びに代えて
 本判決が上告を受理しなかったために、教師による演奏については著作権が及ぶとする控訴審判決が確定しているが、音楽教室における演奏は割合的にはその多くが生徒による演奏であることに鑑みると、それが本判決により著作権の範囲の外に置かれた意味は大きく、料率の算定にかなりの影響を与えるのではないか、と指摘されている※44
 筆者自身は、生徒の演奏について音楽教室の演奏主体性を否定した本判決の結論には疑問を覚える。演奏技術等の向上を目指すのであれば、パブリック・ドメインに属する楽曲を利用すれば足りることも多いように思われるところ、課題曲の選定においてあえて被告管理楽曲が選定される動機のなかに、当該楽曲が演奏技術等の向上に相応しいからという観点ばかりでなく、本教室で学べばこのヒット曲を演奏できるようになるということを明示的ないし黙示的にセールスポイントとすることで、より多くの生徒を獲得しようという意図も多分に含まれているように思われる。また、主観的動機はともあれ、ヒット曲を課題曲に選ぶ音楽教室の方が、パブリック・ドメインに属するものばかりを課題曲とする音楽教室よりも、より多くの受講者を惹き付けることになるだろうということは想像に難くない。これまで使用料の徴収がなされていなかったという従前の経緯はともかく、音楽教室が著作物の利用から利益を得ようとする事業を展開している以上は、そのような利益の獲得に貢献している著作物の創作者に報いるという観点からも(自然権的な説明)、あるいはそれだけの価値を生む著作物の創作のインセンティヴを確保するためにも(インセンティヴ論に基づく説明)、著作権者に一定の対価を還流させるべきなのではなかろうか※45。その意味でカラオケにおける著作物の利用と区別する理由はないのではなかろうか。著作権が及ばないとする一刀両断の解決ではなく、むしろ使用量の多寡の問題として議論すべきであり、問題があるならば著作権等管理事業法による規律に委ねるという処理を志向すべきであったように思われてならない※46


(掲載日 2023年5月8日)



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