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文献番号 2023WLJCC017
青山学院大学 教授※2
弁護士法人 早稲田大学リーガル・クリニック 弁護士※3
浜辺 陽一郎
1 はじめに
今回は、東芝の不正会計事件に関して個人投資家が提起した訴訟(以下「本件訴訟」という。)を取り上げる。本判例コラムでは、「複雑な損害額の計算は誰のため?東芝不正会計事件から考える」WLJ判例コラム第247号(文献番号2021WLJCC026)において、東芝が投資家への賠償を命じられた事件を取り上げたので、その続編でもある。
本件訴訟の原告らは、香川県など中国四国7県の個人株主ら30人であり、被告は東芝と旧経営陣5人である。高松地裁は、合計約9400万円の損害賠償請求のうち、東芝に対してだけ、22人の原告に合計約590万円を支払うよう命じた(高松地判令和5年3月28日。以下「本判決」という。)。日本的には「集団訴訟」といえるかもしれないが、米国のクラスアクションとは異なり、多くの人数が集まって原告団を形成して提訴したものにすぎない。
東芝の不正会計に関する事件は、多数提起されており、基本的な事実関係は共通する。ただ、どういう株主が、どの段階で株式を取得し、いつ、どのように株式を手放したか等の状況や、請求原因等が異なるので、この問題に対する結論が事案によって異なるのは当然だ※4。本件訴訟では、東芝だけではなく、関与した役員等の責任も追及されたが、本判決は、その責任を全部否定して、東芝に対してのみ「権利自白」に基づいて一部賠償を命じた点など、いくつかの特徴があり、法律的に検討されるべき論点は多岐にわたる。
そこで、本判決を理解するために、前のコラムで扱った東京地判令和3年5月13日(東芝に賠償を命じて確定。以下「東京判決」という。)※5や福岡地判令和4年3月10日(株主17人に対して合計約1450万円の支払いを命じた。控訴。以下「福岡判決」という。)※6等も参照しながら検討してみたい※7。
2 本件訴訟の請求原因と争点
本件訴訟の請求原因で引用された根拠条文としては、被告東芝に対しては、金融商品取引法(以下、「金商法」という。)21条の2、民法709条、715条、会社法350条であり、被告東芝の役員であった者(以下「被告役員ら」という。)に対しては、金商法24条の4、22条1項、民法709条、719条、会社法429条1項、2項1号ロ、430条であった(被告東芝と被告役員らは民法719条1項の関係)。重要なポイントは、先に「虚偽記載」が認められるかである。虚偽記載が認められることを前提として、会社や役員に対する金商法に基づく請求、民法の(共同)不法行為、役員の第三者責任のほか、代表者の不法行為等が検討される。
本判決は、次のように5つの争点に整理した。すなわち、被告東芝の責任については、「本件有価証券報告書等の重要な事項についての虚偽記載の有無及び範囲」(争点①)と「金商法21条の2、民法709条、715条、会社法350条の各責任の有無」(争点②)、また被告役員らの責任については、「本件有価証券報告書等の重要な事項についての虚偽記載の有無及び範囲(争点③)、「金商法24条の4で準用する22条1項、民法709条、719条、会社法429条1項、2項1号ロの各責任の有無」(争点④)及び「原告らの損害及び相当因果関係」(争点⑤)である。
3 被告東芝との関係では「権利自白」を認めた
本判決は、上記争点①の判断で、基本的に、原告の主張に沿った「重要な事項についての虚偽記載」は、一切認めなかった。しかし、被告東芝が争わないとする範囲に限って、「いわば権利自白として、裁判所に対する拘束力を認めることが相当である」として、争いのある部分を控除した差額部分に「重要な事項について虚偽の記載」があると判断し、第171期、第173期及び第174期の記載について虚偽記載を認めた(以下、この虚偽記載が認められた部分を「本件虚偽記載」という。)※8。本件虚偽記載を除き、原告の主張を退けた理由について、本判決は、次のように述べる。
「原告らとしては、・・・被告東芝の金商法21条の2に基づく責任を主張するのであれば、単に、本件有価証券報告書等に記載された財務諸表の内容の訂正があったと主張するのでは足りず、訂正前の有価証券報告書等に記載された財務情報について、その前提となった会計処理及び一般に公正妥当と認められる企業会計の基準を特定した上で、上記会計処理が一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に違反していることを主張する必要があると解され、その上で、さらに、企業会計の方法には必ずしも唯一の正しい方法というものがあるわけではなく、複数存在することがあり得ることからすると、当該企業会計の基準に違反したことをもって「虚偽の記載」があるという以上、当該企業会計の基準が従うべき唯一のものであって、それに従わない合理的な理由のないことなどや、上記違反の結果として生じた虚偽記載の内容(具体的に有価証券報告書等の記載の金額にどのような影響があったのか、実際の会計処理と適正な会計処理との間の差異やその結果生じた当該財務情報に対する増減等)等をも主張する必要があると解される。」
この帰結として、本判決は、「第172期及び第175期の各有価証券報告書並びに第176期の第1四半期ないし第3四半期報告書の当期純損益について」は、・・・「「重要な事項についての虚偽の記載」のあることを争っているところ、(中略)「虚偽の記載」を認めるべき具体的な事実を主張できていないから、そもそも、上記各有価証券報告書等に「虚偽の記載」があるとはいえない」というのである。
4 第三者委員会の報告は、「端緒」か「最終的結論」か?
虚偽記載の主張については、いずれの事件の原告も、会社の情報開示で修正が加えられた点を、虚偽記載等を修正するためと見立てて、第三者委員会の調査報告書を基礎として、その主張を組み立てているようである。
本件のような企業不祥事が発生した場合、関係者は、警察・検察、メディア、社内の監査人や調査機関等、様々な方面から質問や調査を受けることになろうが、それが多ければ、法的義務のあるもの以外は拒否するであろうことは当然で、無理からぬことでもある。このため、民間人が事実関係の主張・立証のために必要な情報を収集することは、無理を強いるに等しい。株主に認められた所定の文書の閲覧請求権等では、会計不正の実態に迫ることは困難である。会社が第三者委員会を設置した場合、株主・投資家等の利害関係人の請求に基づく検査役の選任等が認められるのだろうか。現実には、第三者委員会の調査以上に、不適切会計に至った経緯を明らかにできる者がいるとは考えにくく、原告としては、基本的に、第三者委員会の調査に沿った主張が、その限界かもしれない。
この点で、東京判決が、第三者委員会の不適切な会計処理の指摘も踏まえて、第171期から第175期までの有価証券報告書や第172期第1四半期から第176期第3四半期までの四半期報告書の全部について、組替えの影響を反映する前の額と訂正報告書の額との差額の範囲内の額は、いずれも「不適正な会計処理に起因するもの」として、虚偽記載に該当すると推認するのが相当であると判断した※9のは、優れたバランス感覚であったといえよう。
ただ、そのような東京判決に対しては、明確な判断基準を示していないとか、虚偽記載の認定に至った判示の明確性や妥当性には疑問があるとの批判もある※10。調査報告書も会計処理の不適切性を指摘するにとどまり、一般に「不適切な会計処理」は直ちに虚偽記載に該当しないため、訂正金額が全て虚偽記載に相当するかは個別・慎重に検討すべきだというのである。そのような論調を受けてか、本判決は、原告の主張が「あまりに抽象的」であり、平成27年7月20日付けの「本件調査報告書」によるとしても、「様々な行為や段階が複合していて上記虚偽の有価証券報告書提出に至った原因は必ずしも帰一しない」、「原告らが、本件調査報告書の記載を引用等して主張したからといって、(中略)「虚偽の記載」を認めるべき具体的な事実を主張しているということもできない。」等という※11。
しかし、当該報告書だけから虚偽記載の詳細な中身を明確にできないことにはやむを得ない面がある。もとより、第三者委員会に対しては「禊」のツールとなっている等の批判があり、経営者等の責任をカモフラージュするような報告書を作成することがビジネス化していることが問題となっている※12。特に、当該報告書に対しては、第三者委員会報告書格付け委員会でもC評価が4名、D評価が1名、F評価が3名と、総じて低い評価が下された※13。調査範囲を東芝からの委嘱事項に限定し、かつ、この調査は東芝のためだけに行われ、東日本大震災以降の原発事業の環境変化やウェスティングハウスの減損問題に触れていない点にも厳しい批判があり※14、本委員会の誠実性・不実性の問題まで指摘される状況であった。
結局、調査委員会報告書は、東芝自体ないし東芝株主のためというよりも、東芝の経営陣の責任につながるような不利益記載を回避していたようにさえ見える。経営者側から起用された第三者委員会が忖度して、抽象的な記載にとどめ、それを受けて、本判決のような帰結を導くことがパターン化されてしまえば、こうした第三者委員会報告書を追認するようなことにもなりかねない。「第三者委員会が具体的な原因やプロセスに踏み込んだ認定をしなければ、裁判所もそれに限定された判断しかしない」というのでは、経営者の責任回避に都合良く使われるだけである。
思うに、調査報告書から不適切な会計処理があり、問題の発生原因の究明や再発防止策が必要とされる事象が生じたのであれば、そこから虚偽記載について一応の推認をする余地はあるだろう。調査報告書は、最終的な結論の証拠として見るのではなく、むしろ訴訟審理の「端緒」として捉えるほうが良い。本件では、その訂正も潔く一気に出したのではなく、事後の調査経過に伴って徐々に判明していく事実を数回に渡って開示し、最終的には、過年度修正は2000億円を越えることになった事案だ※15。福岡判決は、虚偽記載が「行政による処分や被告東芝が執った経営上の措置等の事後的な事情により判断が左右されるものではない」というが、事後的な事情から遡って何が当時起きていたかを合理的に推認することは、多くの事実認定において行われている。それらを考えれば、企業会計準則の裁量からの逸脱があったと推認することも合理的であって、虚偽記載に関する主張・立証責任は、本判決が述べていることとは逆に考えることが適切だ。
すなわち、会社側が、その会計処理が誤りではないというのであれば、訂正前の有価証券報告書等に記載された財務情報について、その前提となった会計処理及び一般に公正妥当と認められる企業会計の基準を特定した上で、その会計処理が一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に違反していないことを説明する必要があると解される。本判決が言うように、「企業会計の方法には必ずしも唯一の正しい方法というものがあるわけではなく、複数存在することがあり得る」というのならば、その可能性のある選択肢の全部を原告に否定させるよりも、会社側に、会社ないし担当者が根拠とした「企業会計の基準に違反していない理由」や「虚偽の記載に該当しないこと」を説明させることが効果的・効率的な審理の方法ではなかろうか。
さらに、有価証券報告書等の記載の金額の影響がない(又は乏しい)とか、実際の会計処理と適正な会計処理との間の差異の結果生じた当該財務情報に対する増減等が重要なものではないというのであれば、それを主張・立証するのも、大きな疑念を抱かれた有価証券報告書を提出した会社側に負わせることが合理的であって、事実上の主張・立証責任の転換を図ることが合理的ではなかったかと思われる。
5 被告役員らとの関係で「虚偽記載」を全部否定
被告東芝について本件虚偽記載が認められたのに対して、本判決は、被告役員らとの関係で、原告が「虚偽の記載」を認めるべき具体的な事実を主張できていないとして、一切「虚偽記載」を認めなかった。このため、本件有価証券報告書等に虚偽記載のあることを前提とする金商法24条の4で準用する22条1項、会社法429条2項1号ロ、民法709条の責任は全部否定された(上記争点③と④)。福岡判決でも、被告役員らとの関係では虚偽記載が存在するとは認められないとして、被告役員らに対する請求は棄却されており、役員個人に責任を負わせることについては抵抗が強いことが窺われる。
こうした結論が導かれるのは、「共同訴訟人独立の原則」により、各訴訟当事者は、それぞれ独立に、請求の放棄、認諾、自白などが認められ、他の共同訴訟人に掣肘されないという考え方によるものである。しかし、この共同訴訟人独立の原則には、その限界として、共同訴訟の効用や当事者間の公平から、合理的な取扱いも認められ、共同訴訟人間には「証拠共通の原則」が適用される。
本件訴訟では、被告東芝が本件虚偽記載を認めたからといって、被告役員らについて当然に虚偽記載が認められる関係でないことは理解できる。ただ、本判決は、そこからストレートに、被告役員らとの関係では虚偽記載を要件とする一切の検討まで否定してしまっている。しかし、本件虚偽記載が認められた基礎となる有価証券報告書や、その評価をめぐって調査報告書が様々な指摘をしている以上、原告の主張が不十分だといって片付けて、被告役員らに十分な反証を求めないといったことでよいのだろうか。
会社法429条2項1号ロに基づく計算書類の重要な事項についての虚偽記載があった場合には、被告役員らの側で「注意を怠らなかったこと」を証明しなければ第三者に対する責任を免れないはずであるが、被告役員らはそのような主張・立証責任を負わずに済んでしまっているが、この点の審理が不十分になるような形の処理となっているきらいがある。
6 組織的不法行為の否定
本判決は、争点②の判断で、本件虚偽記載について「被告東芝は、金商法21条の2の責任を負う」としたが、民法709条の責任、民法715条、会社法350条の責任については、「被告東芝の被用者、代表者に係る具体的な注意義務及びその注意義務違反の主張が必要となるところ、原告らはこれらについて具体的な主張をしない」、「直接・間接の諸原因は様々挙げられているものの、もとより本件有価証券報告書等の記載が虚偽と判断されるのも、被告東芝の各当該年度にした各行為に関する一定の算出方法を前提とする財務会計上の諸数値の将来予測等を含めた総合判断となるものであるが、これらのうち、いかなる誤りが注意義務違反であるというのかは判然としない」等と述べて、不法行為責任を否定した※16。
この点について、東京判決や福岡判決は、東芝が提出した有価証券報告書の重要な事項の一部に虚偽の記載があることを認め、業務遂行に関わる代表者や被用者個人の行為や故意又は過失を個別に問題とすることなく、東芝自身が有価証券報告書等の提出に当たり、その重要な事項について虚偽記載がないように配慮すべき注意義務を怠った等として、原告らに対して直接民法709条に基づく損害賠償責任を負うとした。
こうした判断に対しては、虚偽記載で発行会社に賠償責任を課すことについて、利益を得ていない会社から、その財産が一部株主に流出するにすぎず、合理性や妥当性について学説からの批判もあり、組織的過失として不法行為責任を認めるには、相応の理由付けを要するとの批判的な見解※17が根強いようである。
しかし、不適切な会計処理ないし虚偽記載の事態を招いたのは、被告役員らであったことを考えると、虚偽記載等の抑止の観点から、もう少し被告役員らに反証を求めるべきであり、被告役員らの説明が不十分であるために真相が明らかにならないというのであれば、組織的な不法行為を認める便法もバランスが取れているかもしれない。役員個人らとの関係において虚偽記載を否定して、役員らが反証のための主張や説明を要せず、真偽不明の負担を原告側に負わせるのは公平ではないだろう。
もっとも、役員個人らの責任を問題とするお膳立てとしては、原告らに対する損害についての注意義務違反の立証を要する民法709条や、職務についての「悪意又は重大な過失」までの主張・立証を要する会社法429条1項よりも、会社法423条責任を追及させるほうが合理的であるから、この点は株主代表訴訟のほうが適切な道筋かもしれない。
7 損害論(上記争点⑤)
本判決は、権利自白をしたとされる本件虚偽記載の部分に限って、重要な事項について虚偽の記載であると認め、「被告東芝は、金商法21条の2の責任を負う」として、損害の範囲を論じている。そして、損害賠償の対象となる株式については、本判決も、他の判決と同様に、第171期有価証券報告書が提出された平成22年6月23日の翌日である同月24日から平成27年4月3日までに取得されたものであると判断している※18。
しかし、本件訴訟で、原告らは、金商法21条の2第3項の推定損害額を用いた請求を行っていなかった。推定損害額を求めなかった理由は定かではないが、この点に関する事実認定や法適用がかなり複雑なうえ、実益が乏しいと考えたのだろうか。
東京判決は、不法行為に基づく損害賠償請求の場合における損害額の算定については、民訴法248条を適用したが、改正前金商法21条の2第1項に基づく損害賠償請求で損害額の立証が困難な場合には、同条2項によると解するのが同条の立法趣旨にかなうから、民訴法248条の適用があると解するのは相当ではないと判断していた。それに対して、本判決では、金商法21条の2第1項の請求について民訴法248条の適用を認めた。
その「損害」とは、一般不法行為の規定に基づきその賠償を請求することができる損害と同様に、虚偽記載等と相当因果関係のある損害を全て含むものと解される※19から、本判決も「本件虚偽記載がなければ形成されていたであろう被告株式の市場価額(想定価額)と上記の実際の取得価額との差額(いわゆる「高値取得分」ないし「高値取得損害」)については、当然、本件虚偽記載と相当因果関係のある損害に含まれる」とした。しかし、本判決は、「本件虚偽記載と会社の信用毀損やろうばい売りによる株価下落という損害との間に相当因果関係があるとは認め難い」とした※20。また、本判決は、本件虚偽記載の公表前後の株価下落部分のうち、高値取得分に限定した※21上で、虚偽記載以外の要因による株価下落分を控除して※22、被告株式の取得時期や虚偽記載の内容・程度等を加味して、さらに損害額を限定した※23ので、その認容額はかなり抑えられた。
本判決が認めた金商法21条の2に基づく会社の責任は、一部の投資家だけを救済する点で、裁判所に原告に肩入れしがたい感覚が働いているのかもしれない。しかし、だからといって、日本の資本市場の公正性を確保し、いまだに後遺症を引き摺るような大事件を招いた経営責任者に対してキチンとした責任を取らせなくてもよいということにはならない。原告も、訴えを提起するには、それ相応の負担がかかっているのだ。個人投資家が日本の市場に安心して参加できるような制度環境への道のりは、まだまだ遠い遙か彼方のようである。
(掲載日 2023年7月31日)