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判例コラム

 

第299号 「結婚の自由をすべての人に」訴訟福岡地裁判決  

~福岡地裁令和5年6月8日判決※1

文献番号 2023WLJCC021
名古屋市立大学大学院 教授
小林 直三

1.はじめに
 本稿は、いわゆる「婚姻の自由をすべての人に」訴訟に関する2023年6月8日の福岡地裁判決を紹介し検討するものである。これは、同性婚を認める規定を設けていない民法等の規定の違憲性が争われた一連の国家賠償請求訴訟の5番目の地裁判決にあたるものであり、本稿で扱う福岡地裁判決以前にも、すでに札幌地裁判決※2、大阪地裁判決※3、東京地裁判決※4、そして、名古屋地裁判決※5が出されている。 本件福岡地裁判決では、国家賠償請求そのものは棄却しているが、同性間の婚姻を認めていない現状を憲法24条2項に違反する状態であるとした。

2.判例要旨
 日本国憲法24条1項について、本件福岡地裁判決は、「憲法24条1項の制定時において同性婚は想定されていなかったものと認められ、当該規定は同性婚を禁止する趣旨であるとはいえないものの、同条でいう『婚姻』は異性間の婚姻を指し、同性婚を含むものではないと解するのが相当である」とした。また、「婚姻は・・・・・・法律上の制度であり、当事者の意思のみによってその要件や効果を決定できるものではないことからすれば、婚姻の自由が憲法上尊重すべき利益であるとしても、これを超えて憲法上の権利と構成するのは困難である」とした。ただし、「婚姻についての社会通念や国民の意識、価値観は変遷し得るものであり、こうした社会通念等の変遷により同性婚が異性婚と異ならない実態と国民の社会的承認がある場合には、同性婚は『婚姻』に含まれると解する余地があると言い得る」が、しかし、「婚姻についての社会通念や価値観が変遷しつつあるとは言い得るものの、同性婚が異性婚と変わらない社会的承認が得られているとまでは認め難い」とし、「同性婚を憲法24条1項の『婚姻』に含むと解釈することは少なくとも現時点においては困難であ」るとした。
 次に、日本国憲法13条1項について、「婚姻とは当事者の意思を前提に各種法律によりその要件が定められ、これを満たしたときに一律に権利義務が発生する法律上の制度であり、当事者の意思のみによってその要件や効果を決定できるものではなく、婚姻を基礎とした家族の形成も当事者の意思によりその要件や効果が全て定まるものではない。このように婚姻に関して、法律により要件が定められている理由は、婚姻自体が国家によって一定の関係に権利義務を発生させる制度であることからの当然の帰結であって、同性愛者の婚姻の自由や婚姻による家族の形成という人格的自律権が憲法13条によって保障されている憲法上の権利とまで解することはできない」とした。
 また、日本国憲法14条1項について、「憲法24条1項にいう『婚姻』は異性間の婚姻を指し、異性間の婚姻の自由は尊重されるべきものと解され、同条2項においては、異性間の婚姻についての立法を要請して」おり、「そうすると、憲法24条2項の異性婚の立法の要請に従って定められた本件諸規定は憲法のこうした要請に基づくものということができるから、本件諸規定の区別取扱いについては合理的な根拠が存するものと認められる」ため、「本件諸規定が婚姻を異性間のものに限り同性間の婚姻を認めていないことが性的指向による区別取扱いに当たりその合理性には慎重な判断を要するとしても、立法裁量の範囲を超えるものとして、憲法14条1項に違反するとはいえない」とした。
 ただし、日本国憲法24条2項については、「同性カップルも異性カップルと変わらない人的結合関係にあるということができるし、前記のとおり『婚姻』を異性婚に限ると理解するとしても、婚姻と並んで『家族に関するその他の事項』が対象となっていること、『家族』の概念については憲法24条の制定過程からすれば夫婦及びその子の総体を中心とする概念であると理解されるものの、他方で前記のとおり婚姻、家族の形態が多様化し、これに伴い婚姻、家族の在り方に対する国民の意識が多様化している現在においてはこれに限定される必要はなく、同性カップルを『婚姻及び家族に関するその他の事項』に含めることは文言上自然であるし、上記憲法24条2項の裁量の限界を画するものとして『両性の本質的平等』と併せて『個人の尊厳』が挙げられているところ、個人の尊厳については同性愛者も異性愛者と変わらず尊重されるべき」とし、「本件諸規定の下では、原告らは婚姻制度を利用できずこれによりもたらされる権利利益を享受する機会を得られず、法的に家族として承認されないことで重大な不利益を被っており、このような不利益は個人の尊厳に照らして人格的利益を侵害するものとして到底看過することができないものである。すなわち、婚姻は家族の単位の1つであり・・・・・・永続的な精神的及び肉体的結合の相手を選び、公証する制度は、基本的には現行法上婚姻制度のみであるところ、同性カップルが婚姻制度を利用できず、公証の利益も得られないことは、同性カップルを法的に家族として承認しないことを意味するものである。そして・・・・・・婚姻制度を利用できるか否かはその者の生涯にわたって影響を及ぼす事項であり、国民の意識における婚姻の重要性・・・・・・も併せ鑑みれば、婚姻をするかしないか及び誰と婚姻して家族を形成するかを自己の意思で決定することは同性愛者にとっても尊重されるべき人格的利益であると認められるところ、原告らが婚姻制度を利用できない不利益は前記のとおり憲法13条に反するとまでは言えないものの、上記人格的利益を侵害されている事態に至っている」とした。さらに、「本件諸規定の下で原告ら同性カップルは婚姻制度を利用することによって得られる利益を一切享受できず法的に家族と承認されないという重大な不利益を被っていること、婚姻制度は異性婚を前提とするとはいえ、その実態が変遷しつつあること、婚姻に対する社会通念もまた変遷し、同性婚に対する社会的承認がいまだ十分には得られていないとはいえ、国民の理解が相当程度浸透されていることに照らすと、本件諸規定の立法事実が相当程度変遷したものと言わざるを得ず、同性カップルに婚姻制度の利用によって得られる利益を一切認めず、自らの選んだ相手と法的に家族になる手段を与えていない本件諸規定はもはや個人の尊厳に立脚すべきものとする憲法24条2項に違反する状態にあると言わざるを得ない」とした。
 しかし、「婚姻をするかしないか及び誰とするかを自己の意思で決定することは同性愛者にとっても尊重されるべき人格的利益ではあるものの、憲法上直接保障された権利とまではいえず、その実現の在り方はその時々における社会的条件、国民生活の状況、家族の在り方等との関係において決せられるものであ」り、「制度設計や枠組みの在り方については、我が国の伝統や国民感情を含めた社会的状況における種々の要因を踏まえつつ、さらに、子の福祉等にも配慮するといった様々な検討・調整が避けられず、立法府における検討や対応に委ねざるを得」ず、また、「国民意識として同性婚又は同性愛者のカップルに対する法的保護に肯定的な意見が多くなったのは、比較的近時のことであると認められる。そうすると、立法府による今後の検討や対応に委ねることが必ずしも不合理であるとまでは言えない」ことから、「同性間の婚姻を認めていない本件諸規定が立法府たる国会の裁量権の範囲を逸脱したものとして憲法24条2項に反するとまでは認めることができない」とした。
 そして、国家賠償請求に関しては、「同性カップルに婚姻制度によって得られる利益を一切認めていない本件諸規定は、憲法24条2項に反する状態にあり、立法者としてはこの状態を解消する措置に着手すべきとはいえるものの・・・・・・この方法は多種多様な選択肢があり、上記の状態にあることから原告らが主張する同性間の婚姻を可能とする立法措置を講ずべき義務が直ちに生ずるものとは認められない」として、「本件諸規定を改廃していないことが、国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない」とした。
 以上のことから、原告の国家賠償請求を棄却した。

3.検討
 本判決は、一連の訴訟の最後の地裁判決にあたる。札幌地裁判決は憲法14条1項に違反するとした違憲判決、大阪地裁判決は合憲判決、東京地裁判決は憲法24条2項に違反する状態であるとした判決、名古屋地裁判決は憲法24条2項および14条1項に違反するとした違憲判決、そして、本件福岡地裁判決は、東京地裁判決と同様に憲法24条2項に違反する状態であるとした判決となった。ただし、合憲判決である「大阪地裁判決も現状を問題であるとしているのであって」、本判決以前の「いずれの判決においても現状の改革を求めている点は、強調されて然るべきであ」り、「いずれの判決も、直ちに『同性婚』という制度を憲法上要請しているとしているわけではないが、少なくとも、同性カップルを公証あるいは公認する制度が求められているとして」おり※6、これらの点では、本件福岡地裁判決も同様である。
 このように一連のすべての地裁の判断で現状の改革を求めたことは注目すべきことであり、その意味では、違憲状態とする判断に留まっているにしても、本件福岡地裁判決には重要な意味があると考えられる。その意味で、本稿は、ある程度、本件福岡地裁判決を評価するものであるが、いくつか問題点も指摘しておきたい。
 まず、本件福岡地裁判決と東京地裁判決にみられる違憲「状態」とする判断には、慎重な検討が必要であるものと思われる。すなわち、違憲「状態」とする判断は、しばしば、いわゆる「定数不均衡訴訟」でみられるものであるが、その判断枠組みを他の領域にまで拡大して良いかどうかは慎重な検討が必要であるものと考えられる。
 2021年(令和3年)衆議院選挙に関する定数不均衡訴訟最高裁判決※7の反対意見で宇賀克也裁判官は、定数不均衡訴訟において、違憲状態かどうか、違憲かどうか、無効かどうか、という「段階を経て判断を行う手法が採られてきたのは、憲法の予定している司法権と立法権の関係に由来するものと考えられると説明してきた。すなわち、裁判所において選挙制度について投票価値の平等の観点から憲法上問題があると判断したとしても、自らこれに代わる具体的な制度を定め得るものではなく、その是正は国会の立法によって行われることになるものであり、是正の方法についても国会は広い裁量権を有しており、上記の判断枠組みのいずれの段階においても、国会において自ら制度の見直しを行うことが想定されていること、換言すれば、裁判所が選挙制度の憲法適合性についての上記の判断枠組みの各段階において一定の判断を示すことにより、国会がこれを踏まえて所要の適切な是正の措置を講ずることが、憲法の趣旨に沿うというのである」とする。確かに、これらの点では、本件事案も類似の事案であるといえるかもしれず、同様の判断枠組みが適用されて良いと考えられるかもしれない。しかし、宇賀裁判官は、「違憲状態にあれば違憲であると判示したとしても、裁判所が具体的な制度を定めることになるわけではなく、その是正方法については、国会の立法に委ねられることに何ら変わりはないから、そのことが憲法の予定する司法権の限界を超えるとか、立法権の侵害になるということにはならない」し、また、「憲法81条により違憲立法審査権を有する最高裁が違憲判決を出した場合、憲法99条により国会はそれを尊重する義務を負うが、違憲状態であるものの合憲という判決であれば、国会に対して、違憲状態を解消するように促す事実上の警告機能はあるとしても、違憲状態を解消する義務が国会に生ずるとまでいえるかは疑問である」と指摘する。
 こうした宇賀裁判官の指摘を踏まえれば、定数不均衡訴訟における最高裁の判断枠組みそのものが再検討すべきものと考えられ※8、少なくとも、そうした判断枠組みの適用領域を安易に拡大すべきではないものと思われる。  また、本件福岡地裁判決は、「婚姻をするかしないか及び誰と婚姻して家族を形成するかを自己の意思で決定することは同性愛者にとっても尊重されるべき人格的利益であると認められるところ、原告らが婚姻制度を利用できない不利益は・・・・・・憲法13条に反するとまでは言えない」としながらも、「個人の尊厳に立脚すべきものとする憲法24条2項に違反する状態にあると言わざるを得ない」としているが、憲法13条を包括的人権規定とするならば、憲法24条2項に違反する状態である以上、憲法13条にも違反する状態と考える方が素直な理解ではないだろうか。少なくとも、この点に関して、本件福岡地裁判決の説明は十分なものとはいえないと思われる。

4.おわりに
 前述のように、一連のすべての地裁の判断で現状の改革を求めたことは注目すべきことであり、今後、これらの司法判断に政治や社会がどのように応えていくのかが問われることになる。地方公共団体では、パートナーシップ制やファミリーシップ制の導入が進められているが、そうしたことに加えて、「直接的には憲法上の要請ではないにしても、企業の社会的責任を踏まえれば、企業においても、これらの判決を踏まえた対応を積極的に促進すべきであると思われる」※9
 これらの司法判断にどのように応えていくのかに関して、国や地方公共団体、そして、企業の今後の動向に注目していかなくてはならないだろう。


(掲載日 2023年10月16日)



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