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今週の判例コラム

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今週の判例コラム

 

第276号 執行役員規程の定めのために調査費用等の賠償を阻まれた事例 

~合同会社の業務執行社員による従業員引き抜き事件(東京地裁令和4年2月16日判決※1)~

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文献番号 2022WLJCC028
青山学院大学 教授※2
弁護士法人 早稲田大学リーガル・クリニック 弁護士※3
浜辺 陽一郎

1 はじめに
 一般に、役員による従業員引き抜きの行為は、善管注意義務ないし忠実義務違反の一類型である。しかし、それが直ちに義務違反になるという見解は少数説のようであり、あくまでも取締役と当該部下との従来の関係等諸般の事情を考慮の上不当な態様のもののみが義務違反になり、社会的相当性を逸脱した態様の場合にのみ違法になる等と解されている※4。基本的に転職を決めるのは各個人であり、転職の自由を尊重する考え方のほか、実質が合弁契約の解消である事案を取締役の忠実義務で判断すると、事の本質を突かない判断になるとの指摘がある※5からである。
 今回取り上げるのは、違法な引き抜きの勧誘が行われたと評価された一事例の紹介である。舞台は、著名で国際的なビジネスプロフェッショナル・ネットワークのグループに属するメンバー企業であり、主に日本企業向けにコンサルティングサービス等を提供する合同会社(以下「X」という)であった。
 持分会社の業務執行社員も善管注意義務と忠実義務を負い(会社法593条1項、2項)、その競業避止義務は、株式会社の取締役よりも厳しい(同法594条)上、組合的な規律が適用されるので、会社の内部的な取り決めに違反した場合には、善管注意義務違反ないし忠実義務違反が認められやすいだろう。

2 事案の概要
 被告(以下「Y」という)は、戦略的ルール形成(新しい社会ルールの創成)を専門とするコンサルタントで、平成24年9月24日にXに入社し、平成26年6月1日からXの業務執行社員を務める者であった。Yが、Xのチーム(以下「本件チーム」という)その他のチームからなる特別の部門(以下「本件部門」という)の責任者を務めていた平成30年10月頃から、自らの転職だけでなく、Xの従業員に転職の勧誘を始めた。これを受けて、C、D、E及びFの間でメッセージのやり取りをするためのグループ(以下「本件グループ」という)が作られた。また、YがXを誹謗中傷するf誌オンライン等の記事を、Cを通じてX社内に流してX従業員らの不安をあおり、引き抜き工作の実効性を高めようとしたもので、非常に悪質である等と、Xは主張した。
 Yは、同年11月30日、自己都合によりXを退社し、その後、競合する企業であるZ社に入社した。また、その前後にYが勧誘したHがZ社に入社(その後、令和2年10月からZ社の関連会社の代表取締役)したほか、本件チームに所属していたC、E及びFが、それぞれ平成31年2月から3月にかけてXを退職してZ社に入社し、リクルーティング部門のマネージャーだったGも同じ頃Xを退職してZ社に入社した(以下、YとXを退職した従業員を「Yら」という)。
 ところで、Xには、業務執行社員等の身分や執務に関する社内規程として、執行役員規程、業務執行社員等の報酬等に関する社内規程であるパートナー人事に関する基本規程(以下「パートナー規程」という)等があり、そこに次のような定めがあった。
 *執行役員規程10条2項、パートナー規程9条11項「パートナーは、退任後にXと同一又は類似する事業に従事させることを目的として、Xの従業員等に対し引き抜き工作をしてはならない。退任パートナーは、退任後1年以内にX又はグループの他法人から他の従業員等を引き抜いた場合には、当該従業員等の前の1年間の報酬額(賞与金額を含む。)相当の金額をX又は当該法人に支払わなければならない。」(以下、この定めを「本件引き抜き禁止条項」という)
 *社員報酬規程10条3項「パートナーへの退職慰労金の支給後に、当該パートナーについて、〔1〕在任中の行為につき除名に相当する事由が発見された場合、〔2〕会社に損害若しくは不利益をもたらしたと経営会議が認めた者に該当することが判明した場合には、Xが当該パートナーに支給した退職慰労金の返還を求めることができる。」
 Xは、一連のYの行為は、上記の社内規程や、Yが業務執行社員を退任した際の誓約書に違反し、〔1〕善管注意義務及び忠実義務に違反した債務不履行にあたる、又は、〔2〕社会的相当性を逸脱した違法な引き抜きであり、不法行為にあたるとして、Yに対して、社内規程所定の損害金4255万4450円、調査費用6194万0168円及び弁護士費用1044万9461円の合計1億1494万4079円の賠償、及び年5分の割合による所定の遅延損害金の支払を求めた(〔1〕の請求と〔2〕の請求は選択的併合の関係)。
 また、Xは、YがXの業務執行社員を退任した際に退職慰労金を支給したが、上記勧誘行為がXに損害をもたらし、社員報酬規程に定める退職慰労金返還事由に該当する等と主張して、退職慰労金返還請求として、Yに支払った875万円、及び年5分の割合による所定の遅延損害金の支払を求めた。

3 東京地裁判決(本判決)の要旨
 裁判所は、Yらの詳細なメールのやりとりを踏まえ、「最大手会計事務所『X』の国家機密情報が中国に狙われる」とのf誌オンラインの記事や「X『漏洩憂い』首脳退職」とのh誌の記事等にもYが関与し、極めて積極的な工作活動をしていたことを認定した※6
(1)社内規程に基づく損害額の認定
 本件引き抜き禁止条項に基づき、Yは、C、E、F及びGがXを退職した平成31年の前年である平成30年にXがこの4名に支払った報酬相当額を支払う義務を負うとし、Xは平成30年度にCに対し1781万2000円、Eに対し858万0700円、Fに対し546万1304円、Gに対し1070万0446円の報酬をそれぞれ支払っていたとして、合計4255万4450円のYの支払義務がある。
 Xは、社員報酬規程10条3項に基づき、Yに支給した退職慰労金の返還を求めうるが、退職慰労金875万円のうち、830万8000円は業務執行社員としての業務に対するものであり、44万2000円は従業員としての業務に対するものであった。従業員としての勤務に係る退職慰労金は、賃金の後払や功労報酬として支払われるものであるから、Xの請求のうち、Yの従業員としての勤務に係る退職慰労金44万2000円の返還を求める部分は理由がないとして、業務執行社員としての勤務に対して支払われた退職慰労金830万8000円の返還義務がある。
 以上より、Yに対して、合計金5086万2450円及びこれに対する令和元年8月15日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を命じた。
(2)調査費用と弁護士費用
 しかし、Xのその余の請求は、いずれも棄却された。特にXの執行役員規程及びパートナー規程に基づいて、引き抜かれた従業員へ前年に支払った報酬相当額を支払う義務について、裁判所は、「損害額の予定」(民法420条)と解して、XのYに対する損害賠償金はその金額に限定されるとし、フォレンジック調査費用や弁護士費用等に基づく損害賠償を退けた。その結果、本判決の訴訟費用を5分し、その3をXの負担とし、その余をYの負担とするものとした。

4 若干の検討
 (1)引き抜き行為をする側の論理

 本件とは離れて、一般論として、引き抜きを試みる側には、どんな心理が働いているのだろうか。背景には、その時点で帰属する会社に対する不満があり、「隣の芝生」は青く見える心理から、転職の自由、職業選択の自由があると自己正当化をしているかもしれない。また、密室での会話はばれないだろうし、仮に調査を受けても、引き抜いた従業員は口裏を合わせてくれるだろうとの期待が働く※7。まさに「不正のトライアングル」が揃った状況だ。
 本判決の裁判所の認定によれば、Yは「Qさんに、退職者との接触を慎ませているのですか?私の仕掛けとは関係ない議論ですね。」「訴訟してもらえれば世間が注目するので最高ですね!是非、訴訟を煽って下さい。今週、まずは数名が辞表を出し始めるので崩壊がスタートしますよ」等の返信をしたことからすると、Yは自ら「仕掛け」等と表現し、訴訟になっても十分に争えると見込んでいたようである。
 しかし、裁判所は、Yらのメールでの詳細なやり取りを認定した上で、Yの反論を裏付ける証拠は見当たらないとして、その信用性を、ほぼ全面的に否定した。
(2)事実認定の方法
 本件ではフォレンジック調査が行われて、Yらの目論見は大きく外れたように見える。口頭で交わされた話の内容は不明だが、電子メールを使ったやり取りが白日の下に晒され、どのような勧誘をしていたかが、かなり詳細に認定された。
 Xは、Yらの引き抜き工作に関する情報を有する可能性が高い14名、これとは異なる非行をした疑いがある者5名、関係者11名等、合計30名に絞って、携帯電話等についてデジタルフォレンジック作業を依頼し、3867万6580円を支払った。
 Xは、Yが引き抜き工作をしている疑いがある旨の報告を従業員から受けて、その真否や、それが事実である場合にいかなる法的措置を講ずるべきかを慎重に検討するため、法律事務所に調査を依頼した。その結果、証拠保全の観点からデジタルフォレンジック作業を実施すべき範囲の確定やその内容の検証、その他の事実調査に関する法的観点からの助言等、本件訴えを提起するか否かの調査に対して、Xは2326万3588円を支払った。
 Xは、これらの調査費用の全部について、「いずれもYの引き抜き行為と相当因果関係を有する損害である」等と主張した※8。しかし、裁判所は、それらの調査費用が相当因果関係の範囲内であるか否かを判断する前に、後述のとおり、「損害額の予定」(民法420条)による賠償額しか請求できないと判断して、調査費用に関する賠償金の支払を認めなかった。
(3)損害論
 競業避止義務違反や従業員の引き抜きによる損害額をどう考えるかは、本判決も指摘するとおり困難な問題である。厳密に、通常の損害や当事者が認識していたであろう損害の範囲は事実の確定が困難であり、何が相当因果関係の範囲であるかの評価も難しい。このため、会社法も競業避止義務違反については損害額の推定規定を設けている(423条2項)。
 Xの社内規程においても、そうした問題意識から、いかなる損害賠償を求めうるかを明記していたのだろう。問題は、この定めが「損害額の予定」となり、それ以上の実損害について賠償請求ができなくなるのか否かである。
 一般的には、不正疑惑が発生した場合の調査費用については、不法行為等の損害の相当因果関係の範囲内にあるものとして認容されるケースが少なくない。例えば、本コラムで筆者が解説したユニバーサルエンターテインメント事件※9の関連事件でも、元代表取締役の任務懈怠により通常生ずる損害と会社が調査委員会に支払った調査費用との間に相当因果関係が認められた※10ほか、各種の不法行為等の事件で調査費用等の賠償が命じられている※11
 もっとも、原告が、元取締役の被告に対する、在職中の会社経費の不正な精算を行ったとされ、当該精算額の返還に加えて、不法行為責任に基づき、調査費用及び弁護士費用の支払が請求された事案で、当該不法行為はフォレンジック調査の結果、偶然に判明したことが窺われ、同調査費用が相当因果関係のある損害としては認められず、弁護士費用相当額も家族分の渡航費の精算額等に照らして3万円しか認められなかった裁判例もある※12
(4)賠償額の予定
 裁判所は、本件引き抜き禁止条項が、引き抜かれた従業員等の報酬相当額を支払う旨規定されている点について、「引き抜き行為によりXに生じた損害を算定することは一般に困難であることに照らすと、これは、退任した執行役員が上記義務に違反した場合の損害賠償額の予定を定めたものと解するのが相当である」と判断した。その帰結として、「Xに具体的な損害が生じたとしても、Xは、Yに対し、損害賠償の予定額を超えて損害賠償を求めることはできない」と解し、業務執行社員在任中の行為と退任後の行為やそれぞれによる損害を截然と区別することは困難だとして、本件引き抜き禁止条項における損害賠償額の予定は、業務執行社員在任中の行為についての債務不履行による損害賠償をも、その対象として包含するものと判断した※13
 これに対して、Xは、Yによるメディアの不当な利用による信用の毀損や敵対的な行為の全容を解明するための調査費用の支出による損害は、本件引き抜き禁止条項によってはカバーされない等と主張した。しかし、裁判所は「引き抜き行為があった場合に、その実態を解明し、法的責任を追及するために調査費用や弁護士費用を要することは通常想定されることであり、本件においてデジタルフォレンジック作業や法的調査に多額の費用を要したとしても、本件引き抜き禁止条項において予定された損害賠償の対象範囲を超えるものとはいい難く、また、Xの主張に係る執行役員規程及びパートナー規程の損害賠償についての規定が、損害賠償の予定額を超える損害の支払義務を定めたものと解することは、損害賠償額の予定の定めをした趣旨と相容れない」として、Xの上記主張を退けた。
 さらに、「本件引き抜き禁止条項は、Xを退社した業務執行社員が本件引き抜き禁止条項に違反するという債務不履行に基づく損害賠償義務を負う場合の損害賠償額の予定のみならず、同一の行為を理由として不法行為に基づく損害賠償義務を負う場合の損害賠償額の予定をも定めたものと解するのが、本件引き抜き禁止条項制定時の関係者の合理的意思に沿う」として、引き抜き行為という不法行為により生じた損害の額は、債務不履行によりXに生じた損害の額を超えないとして、上記の結論となった。
 民法420条3項が「違約金は、賠償額の予定と推定する」と定めていることから、これを覆すことができなければ、こうした結論となることもやむを得ない面があろう。
(5)執行役員規程等の拘束力
 なお、Yは、執行役員規程及びパートナー規程に本件引き抜き禁止条項が追加されたことを認識していなかったから、本件引き抜き禁止条項に拘束されない等とも主張していた。
 しかし、裁判所は、平成25年10月29日開催の当時株式会社であったXの取締役会で平成26年1月1日付けで執行役員規程に本件引き抜き禁止条項を追加する旨の議案が満場一致で可決されたことや、Yがこの改定と同日に執行役員規程を遵守することを誓約して執行役員に就任したことを認定し、更にパートナー規程に本件引き抜き禁止条項を追加することについて、平成27年4月20日から24日までの電子メールによる投票の結果、臨時社員総会における可決がされたことを踏まえて、Yについても執行役員規程及びパートナー規程における本件引き抜き禁止条項の効力が及ぶと判断した。この点は当然の結論で、Yの主張にはかなり無理があろう。

5 教訓と対策
 本判決は、社員間の取り決めに損害賠償額の予定があったから、フォレンジック調査費用や弁護士費用の賠償を求めることはできないという結論を導いた。本来は、損害額の立証が困難であることを見越して、時には違約罰として定められることもある賠償額の予定※14であるが、それを定めたことが仇となった格好である。
 だとしたら、今後、どうしたらよいのか。一つの対応策としては、予定された賠償額に加えて、実際に発生した調査費用等の実費損害の賠償を求めうることを執行役員規程等に明記しておくことが考えられよう※15。合同会社は、組合的規律の下に、社員の契約自由が尊重される形態であるし、特にセキュリティの専門であれば、フォレンジック調査にどれほどの費用がかかるかは予測もできるはずだろう。また、引き抜かれた従業員等の「前の1年間の報酬額」という額も、採用コストや期待される利益等を考えれば、合理的というよりも、かなり控えめともいえるものだ。それが年俸の数倍にもなれば別だが、そうした事情のない限り、暴利行為等として公序良俗に反するとまではいえないから、実費損害と併せてその程度の賠償を支払わせる定めをすることも許容されるべきだろう。
 執行役員規程等の定め方のちょっとした記載の仕方が、損害賠償を妨げることもあるという教訓を残した事件であった。ただ、これは執行役員規程に限らず、損害額について定める他の社内規程や契約等においても留意すべきポイントと考えるべきだろう。


(掲載日 2022年11月28日)

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