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文献番号 2013WLJCC017
専修大学法科大学院教授
弁護士 矢澤昇治
1. はじめに
2013年10月16日付けで、最高裁第一小法廷(櫻井龍子裁判長)は、「名張毒ブドウ酒事件※2」の第7次再審請求について、Xからの特別抗告を棄却した。この再審請求で、弁護人側は、「新証拠」として、①別の人物が他の場所で農薬を混入する機会があった可能性を示す実験報告書、②ブドウ酒瓶の内栓は「歯で開けた」との自白と矛盾する鑑定書を提出していたのであるが、差戻し前に最高裁から排除された。差戻審で審理の対象となったのは、唯一の「科学的証拠」たる、新証拠3に係る毒物とされたニッカリンTに関する鑑定書であった。そこで、弁護団は、原決定の判断に到る推論が鑑定の実験事実に基づいておらず、判示が科学的知見に基づいた合理的説明となっていないとの特別抗告申立書及び補充書を提出していた。ところが、最高裁は、新たなる、検察側の毒物鑑定に誤りがあるとする専門家3人の意見書3通と農薬に関する文献の計4点が提出された2013年9月30日からわずか2週間後に本決定を下すに及び、名古屋高裁の独自の鑑定(鑑定方法によっては、ニッカリンT特有の副生産物が検出されない)が科学的根拠を示していると判断した。弁護団は、第8次再審請求を申し立てる方針を明らかにしている。
2. 52年間に及ぶ裁判のプロセス
起訴から差戻審に至るまでの裁判のプロセスについて一瞥する。津地方裁判所は、1964年12月23日、唯一の物証とされたぶどう酒瓶王冠の歯痕は、Xのものとは断定できず、また、ぶどう酒が届けられた時間経過などの証言は信用できないとし、無罪判決を下した(下刑集6巻11・12号1426頁)。しかし、名古屋高裁は、1969年9月10日、自白では有罪認定できないとしながら、王冠の傷痕はXの右側の上顎の歯形と一致するという松倉鑑定などの3つの証拠群を根拠に、一転して死刑の判決を宣告した(判時576号22頁)。1972年6月15日、最高裁第一小法廷は上告棄却し、死刑判決が確定した(判時669号101頁)。
1973年4月15日の第1次から第5次再審請求は棄却された。第5次再審では、鑑定が捏造だったことなどを明らかにしたが、名古屋高裁刑事一部(請求審)は1988年12月14日、申立人の自白を総合判断すれば、確定判決の有罪認定に合理的な疑いは生じないとした(判タ834号267頁)。これに対する異議申立審で、名古屋高裁刑事二部は、1993年3月31日、異議の申立てを棄却した(判タ834号228頁)。また、特別抗告審たる最高裁第三小法廷(大野正男裁判長)は、1997年1月28日、再審請求段階で新たに提出された歯形鑑定の偽証について証明力が大幅に減殺されても、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」にあたらないと判断したのみならず、犯行に関する状況証拠から全く新しい事実を独断で認定して、特別抗告を棄却した(刑集51巻1号1頁)。弁護団は、同月30日、第6次再審請求を出したが、名古屋高裁は、原決定を是認して1998年10月8日請求を棄却し、最高裁も、1999年4月8日、異議申立を棄却した(判タ1087号106頁、判時1781号1頁)。
3. 新たなる転機たる第7次再審開始決定とそれを阻む異議審決定
第7次再審請求について、2005年4月5日、名古屋高裁刑事第一部小出錞一裁判長は、ニッカリンTがぶどう酒に入っていたとすると検出されるはずの0.58スポットの物質が事件検体から検出されていないことから、犯行に使用された農薬はニッカリンTではない可能性が高いと判断し、弁護団が提出した科学証拠等の新規・明白性を認め、犯行の機会に関する新証拠についてもその価値を認めて再審開始を決定したのである※3。ところが、異議の申立てについて、2006年12月26日、名古屋高裁刑事第二部門野博裁判長は異議申立てを認め、再審開始の決定を取り消した※4。この刑事第二部決定は、素人の独自の判断であり、佐々木鑑定人や宮川鑑定人の見解を否定したものである。決定では、エーテル抽出効率の影響等を根拠に挙げて、ニッカリンTが犯行に使用されたとしても事件検体からトリエチルピロホスフェート(TRIEPP)が検出されなかったと考えることも十分に可能であると判断し、犯行の機会に関する新証拠についてもその価値を否定し、自白に依拠して再審開始決定を取り消したのである※5。
野嶋弁護士によれば、「有機燐化学について基礎知識もない裁判官にとって、新証拠3の論点を正確に理解するのが難しかったことは致し方ないが、裁判官は、…科学的な論点についてはよくわからないので、心証形成のうえで重視しなかったというのが真相ではないだろうか。このような事実認定が許されるならば、裁判は科学的なものではなくなる」※6〔下線は筆者による〕。異議審決定の特徴は、科学的な証明を伴う新証拠を、非科学的な独断によって排斥する一方、捜査段階の自白を過度に評価し、有罪認定の主要な根拠としている点にある。過去の幾多の冤罪事件で明らかにされた虚偽自白の教訓をまったく没却し、きわめて時代遅れな自白偏重の立場に立っているといえる※7。
4. 科学的知見の探求の必要性:特別抗告審決定
弁護団は、2006年12月26日の名古屋高裁異議審決定に対し、特別抗告を申し立てた。最高裁第三小法廷(堀籠幸夫裁判長)は、2010年4月5日、「原決定が、本件毒物はニッカリンTであり、トリエチルピロホスフェート(TRIEPP)もその成分として含まれていたけれども、三重県衛生研究所の試験によっては、それを検出することができなかったと考えることも十分に可能であると判断したのは、科学的知見に基づく検討をしたとはいえず、その推論過程に誤りがある疑いがあり、いまだ事実は解明されていないのであって、審理が尽くされているとはいえない。これが原決定に影響を及ぼすことは明らかであり、原決定を取り消さなければ著しく正義に反するものと認められる」〔(TRIEPP)は筆者による〕とし、原取消決定について、取消決定を破棄して名古屋高裁に差し戻した※8。その上で、本決定は、化学的専門知識の必要な事項について、法律家が独自に推論することの危険性を指摘した。
5. 検察官も鑑定人もまったく主張していない裁判官の独自の推測:差戻審決定
2012年5月25日、名古屋高裁刑事二部の差戻審は、Xが農薬ニッカリンTを所持していた事実が状況証拠としての価値を失ったことも、Xの捜査段階の自白が客観的事実と矛盾するともいえず、無罪を言い渡すべき明らかな新証拠があるとして、再審を開始し刑の執行を停止した判断は失当であり、再審を開始する理由は認められないとし、改めて再審開始決定を取消し、再審請求を棄却した※9。しかし、2012年5月の差戻審決定の見解は、事件当時のエーテル抽出の方法についてなんら検討していなかったことに誤りの原因があり、検察官も鑑定人もまったく主張していない裁判官の独自の推測であり、化学的専門知識の必要な事項について、法律家が独自に推論したことに誤りの原因があった。
6. 特別抗告審における闘い~原決定判断の誤りの指摘~
弁護人らは、差戻審決定に対して最高裁判所に特別抗告を申し立てた。弁護人らは、昭和36年当時、農薬の抽出に際してどのような方法が行われていたのか調査するため、特定毒物研究者に昭和30年代の農薬の抽出方法に関する文献調査を依頼した。その結果、抽出に際して塩化ナトリウムを飽和するまで加えると書かれているものが多く、当時塩析が一般的に行われていたことが明らかになった。そこで弁護人らは中立公平な成分分析機関に、ニッカリンTの新たな合成と、合成したニッカリンTを模擬ぶどう酒に添加して、エーテル抽出を行って成分を分析する実験を依頼した。その結果、TRIEPPは塩析を行うことによってエーテルで抽出され、常温で1日経過させても加水分解が非常に遅いため量の変化がほとんどないとされ、PETPは非常に加水分解が早いため、エーテル抽出後のエーテル層からは検出されなかった。弁護人らは、この実験結果を化学理論的に説明するための意見書の作成を専門家に依頼し、実験結果と併せて2012年12月、最高裁判所に提出した。これによって差戻審決定の判断の誤りが明らかになり、犯行に使用された毒物がニッカリンTではなく三共テップ等の別の農薬であると認められるべきことが明らかになった。
7.一欠片の科学的知見が存在しないこと~最悪内容の決定~
2013年10月16日、最高裁第一小法廷は、「名張毒ブドウ酒事件」の第7次再審請求について、特別抗告を棄却した※10。その判旨は、次のようなものである。「原審(差戻し後の異議審)の鑑定は、科学的に合理性を有する試験方法を用いて、かつ、当時の製法を基に再製造したニッカリンTにつき実際にエーテル抽出を実施した上でTRIEPPはエーテル抽出されないとの試験結果を得たものである上、そのような結果を得た理由についてもTRIEPPの分子構造等に由来すると考えられる旨を十分に説明しており、合理的な科学的根拠を示したものであるということができる。同鑑定によれば、本件使用毒物がニッカリンTであることと、TRIEPPが事件検体からは検出されなかったこととは何ら矛盾するものではないと認められる。所論は、農薬を抽出する際には塩化ナトリウムを飽和するまで加える方法(塩析)が当時は行われており、塩析した上で試験をすればTRIEPPはエーテル抽出後であっても検出されると主張するが、当時の三重県衛生研究所の試験において塩析が行われた形跡はうかがわれず、所論は前提を欠くものである。また、対照検体からはTRIEPPが検出されている点についても、当審に提出された検察官の意見書の添付資料等によれば、TRIEPPがエーテル抽出された後にTRIEPPを生成して検出されたものと考えられる旨の原判断は合理性を有するものと認められる。
以上によれば、証拠群3は、本件使用毒物がニッカリンTであることと何ら矛盾する証拠ではなく、申立人がニッカリンTを本件前に自宅に保管していた事実の情況証拠としての価値や、各自白調書の信用性に影響を及ぼすものではないことが明らかであるから、…同旨の原判断は正当である。」
8.鑑定を無視した机上の空論~冤罪に加担する鑑定人、検察官ならびに裁判官~
第7次再審開始決定以後の裁判官や検察官のあり方には、疑問を抱かざるを得ない。わが国の再審裁判を象徴する悪しき裁判であるといわなければならない。まず、2006年の名古屋高裁刑事第一部決定は、科学的証拠である鑑定証拠を否定した。この根拠としたのは、「不可能論」「可能性論」である。事実認定を歪めるために、本件では「可能性論」が採用された。例えば、「その時の気象状況等々条件如何によって、…トリエチルピロフースフェートが…検出しなくなるということもあり得ないことではなくない」。ニッカリンTでない「可能性も全く否定はできないが」、「本件毒物はニッカリンTであり、トリエチルピロフースフェートを検出することができなかったと考えることも十分可能」の文言である〔下線は筆者による〕。本決定は、化学に素人の裁判官が科学的証拠の価値を有する鑑定を完全に無視して、「机上の空論」を展開し、独自の判断をしたものに過ぎない。科学的証拠の価値を否定し、独善的と思われる虚偽自白に依存したものであり、時代錯誤に陥るものといわなければならない。
2012年5月の名古屋高裁刑事第二部の差戻審決定も科学的知見からの判断に耐えるものでない。すなわち、差戻審決定の見解は、事件当時のエーテル抽出の方法についてなんら検討していなかったことに誤りの原因があり、「PETPがエーテルで抽出され、これがペーパークロマトグラフ試験の展開中に加水分解してトリエチルピロホスフェートが検出されたためであるとし、ニッカリンTが本件犯行に使用された可能性があると認定した」ことについては、検察官も鑑定人もまったく主張していない裁判官の独自の推測であった。やはり化学的専門知識の必要な事項について、法律家が独自に推論したことに誤りの原因があった。この決定でも、「可能性論」=「不可知論」が用いられているのである。
2013年10月16日の最高裁特別抗告審決定は、うわべだけの言葉の羅列、詭弁にすぎない。なぜならば、弁護人の「特別抗告申立補充書(1)-新証拠3に関する補充-」が指摘した2つの問題点に何ら答えるものでないからである。決定は、原審の鑑定が「科学的に合理性を有する試験方法」を用いたものであることを認めているが、原審の推論は、鑑定の実験事実に基づいておらず、そもそも検察官すら主張していなかったのである。この推論の大前提とされた実験方法が、思惟上の結論として、唐突に、科学的に合理性を有すると断定されているにすぎない。また、鑑定の実験結果が十分な条件設定に基づくものでないとの弁護人からの指摘に対しても、「当時の三重衛生研究所の試験において塩析が行われた形跡はうかがわれず」と言及するにとどまる。弁護人らは、45年前に三重衛生研究所で行われた試験方法であるペーパークロマトグラフィーよりも比較にならない程に正確に定量分析できる31P-NMR分析の機器があり、その分析によれば、テップの加水分解速度がTRIEPPよりも圧倒的に速いとの実験結果が出ていたはずである、としている。決定の判断は、過去に塩析が行われていないとの理由で、最新の分析方法による実験結果を過去の分析方法の不備により正当化するものである。三重衛生研究所で行われた試験方法は科学的証拠の価値を著しく減殺したといわざるをえない。
9.おわりに
わが国では、数々の冤罪事件と誤判が生じてきた。その原因は多種多様であるが、その要因の一つが鑑定である。誤判を回避するための鑑定という科学的技術の正確性の進化により、科学的証拠の価値がますます重要になることは疑いを入れない。しかしながら、明らかに無罪認定のための科学的証拠とされるはずの鑑定が、誤判を招いてきたのである。鑑定が科学的証拠として悪用されると、科学的知見に疎い裁判官や弁護士は、ひたすらそれを信ずる他に途がなくなり、選択の余地がないのである。鑑定人の党派性という言葉がこれを簡潔に象徴した。しかし、科学的鑑定がそもそも無色であるにもかかわらず、検察官また裁判官の党派性が鑑定を悪用することがある。科学的知見がないので、また、科学的知見があったとしてもその鑑定では有罪に持ち込めないときには、「可能性論」や「不可知論」を振りかざして、鑑定結果を否定することに導くのである。補強証拠としての鑑定の価値を否定して、自白に拠り所を求めようとする悪質な意図が見て取れる。我々は、「不可知論」を楯として、真実の解明を封鎖しようとする裁判のあり方に徹底的に批判を続けていかなければならない。
科学的証拠としての鑑定は、まさしく、真実を写す鏡である。この科学的証拠は、自白や状況証拠を補強する要としての機能を果たすことも期待できるであろう。ところが、遺憾なことなのではあるが、わが国の司法では、虚偽の自白を補完するための手法として、悪魔の証拠として、鑑定が登場したのである。そして、真実が歪められ、無辜の民は陥穽の罠に貶められるのである。こうして、Xは、52年間、死刑確定囚として獄中にいるのである。
(掲載日 2013年11月25日)