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判例コラム

 

第72号 退職金に関する就業規則の不利益変更と同意の有無の判断手法 

~労働者は、如何に賃金と退職金を確保できるか~

文献番号 2016WLJCC010
専修大学法科大学院
教授 矢澤 昇治

最高裁第二小法廷(平25(受)2595号)平成28年2月19日判決 破棄差戻※1、第一審甲府地裁(平22(ワ)542号)平成24年9月6日判決※2、控訴審東京高裁(平24(ネ)6685号)平成25年8月29日判決※3

参照条文:平成19年改正前労働基準法93条、労働契約法7、8、9、10条

第1 本件の上告受理申立て理由

上告代理人の上告受理申立て理由によれば、本件は、A信用組合の職員であった上告人らが、同組合と被上告人(平成16年2月16日に変更される前の名称は、B信用組合)との平成15年1月14日の合併(以下、「本件合併」という。)により上告人らに係る労働契約上の地位を承継した被上告人に対し、退職金の支払を求める事案である。
上告人らの主張する退職金額は、A信用組合の本件合併当時の職員退職給与規程(以下、「旧規程」という。)における退職金の支給基準に基づくものである。これに対し、被上告人は、上告人らに係る退職金の支給基準については、個別の合意又は労働協約の締結により、本件合併に伴い定められた退職給与規程(以下、「新規程」という。)における退職金の支給基準に変更されたなどと主張して争った事件である。

第2 判決要旨

(1)本件基準変更に対する管理職上告人らの同意の有無につき、……、本件同意書への同人らの署名押印がその自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点から審理を尽くすことなく、同人らが本件退職金一覧表の提示を受けていたことなどから直ちに、上記署名押印をもって同人らの同意があるものとした原審の判断には.審理不尽の結果、法令の適用を誤った違法がある。

(2)本件労働協約書に署名押印をした執行委員長が本件労働協約を締結する権限を有していたというためには、本件職員組合の機関である大会又は執行委員会により権限が付与されていたことが必要であると解されるが、原審は、本件労働協約書に署名押印をした執行委員長の権限の付与の有無について、何ら審理を尽くすことなく、本件職員組合の規約の規定のみを理由に本件労働協約が権限を有しない者により締結されたものとはいえないとして、組合員上告人らにつき本件労働協約の締結による本件基準変更の効力が生じているとした原審の判断には、審理不尽の結果、法令の適用を誤った違法がある。

(3)原審の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、説示した点について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。

第3 第一審判決と控訴審判決

1 第一審判決

(甲府地裁(平22(ワ)542号)平成24年9月6日判決)退職金請求事件

争点:
1)管理職原告らの本件基準変更への同意は有効か、2)組合員原告らについては、本件労働協約により同原告らに本件基準変更の効力が及ぶか、3)原告らは、平成16年基準変更に同意したか、被告の予備的主張として、4)退職金計算における倍率、5)早期退職優遇制度により受領した金員の性格、の5点である。
裁判所の判断:
1)本件合併同意書による同意の意思表示を、単に「真意に基づくものではない」という理由で無効とするのは、法的根拠が明らかでないと言わざるを得ない。
2)原告らが主張する動機の錯誤の主張は認められず、本件基準変更への同意は有効である。本件労働協約の規範的効力がないとの主張は理由がなく、原告らにも本件基準変更の効力が及ぶ。
3)「合併に伴う新労働条件の職員説明について(報告書)」の原告らが署名した箇所には、「新労働条件による就労に同意した者の氏名」という文言が印刷されており、これに署名すれば、今聞かされた労働条件に同意したことになることは当然知り得たはずであり、署名が原告らの意思に基づくものである以上、原告らは16年基準変更に同意したものと認めることができる。
4)有効な本件基準変更及び16年基準変更によれば、原告らはいずれも、計算上の退職金額が厚生年金基金受取額と企業年金受取額の合計額を下回るので、本訴で請求できる退職金はない。
結論 本訴請求はいずれも理由がないから棄却する。

2 控訴審判決

(東京高裁(平24(ネ)6685号)平成25年8月29日判決)

控訴人の主張:
1)旧規程の不利益変更の可否について、判断を示していないことが不当である。
2)本件合併同意書に署名押印した際にもそのことを理解していたはずであると認定したことが誤りである。本件合併同意書は、先の同意書案とは内容が異なるものであるにもかかわらず、その旨の説明が一切されていない。
3)16年基準変更についても、署名した際にその内容を理解していたものではない。
4)本件労働協約の効力を肯定した原審の認定が誤りである。
5)職員組合が解散したことについて、本件労働協約の規範的効力とは直接関係しないとした原審の判断が誤りである。
6)本件労働協約を締結した執行委員長には労働協約の締結権限がなかったから、本件労働協約は無効である。
7)本件においては、本件労働協約の余後効は発生する余地がない。
8)16年基準変更に対する控訴人らの同意は内容の説明を受けておらず、理解することができなかった状態でされたものであって無効である上に、16年基準変更自体無効な本件労働協約に変更を加えたものであり、元となる本件労働協約が無効である以上、16年基準変更も無効である。

控訴審の判断:
1)使用者が労働者との合意によらずに就業規則を変更して一方的に労働契約の内容を労働者に不利益に変更した場合にその効力が争われる、いわゆる就業規則の不利益変更の問題は生じない。したがって、原審がその問題について検討した上で判断を示さなかったことに不当な点はない。
2)署名押印を求められた管理職控訴人らもその相違に気付いていたことから、管理職控訴人らが本件合併同意書の内容を理解した上で署名押印したものであると認定した原審の認定が誤りであるとはいえない。
3)B信用組合の支店における支店長であった控訴人は、各支店の職員に対し、合併後の新労働条件について、添付された文書の内容を口頭で説明、周知した上で、説明後に報告書を作成し、理事長宛に提出することを指示する旨の指示書を受け取ったものである。
4)管理職に対して示した先の同意書案を殊更組合員に対して示さない理由も見当たらないのであって、管理職に対するのと同様組合員に対する説明会においても先の同意書案が配布されたとした原審の認定が誤りであるとはいえない。
5)本件労働協約が労働組合の目的を逸脱して締結されたものであるということはできないといわざるを得ない。
6)職員組合の組合規約が執行委員長の権限として、「組合を代表し、組合業を統括する。」と定め、職員組合が執行委員長に包括的な代表権限を付与している以上、事前の執行委員会の決定や総会決定等がされていなかったからといって、そのことから直ちに権限のない者によってされたものとすることはできないというべきである。
7)本件労働協約の内容は、本件労働協約終了後においても、合併後の労働条件として当事者間を規律するものと解するのが相当である。
8)仮に、支店長から十分な説明を受けていなかった支店があったとしても、その趣旨を理解した上で署名したものと推認することができ、これを覆すに足りる事情は存しない。
結論 控訴人らの請求は、いずれも理由がないから、これらを棄却した原判決は相当であって、本件控訴はいずれも理由がない。よって、本件控訴をいずれも棄却する。

第4 最高裁判決とその理由
本判決が控訴審判断をいずれも是認することができないとした理由は以下のとおりである。

1 本件基準変更及び平成16年基準変更に係る合意について

「ア 労働契約の内容である労働条件は、労働者と使用者との個別の合意によって変更することができるものであり、このことは、就業規則に定められている労働条件を労働者の不利益に変更する場合であっても、その合意に際して就業規則の変更が必要とされることを除き、異なるものではないと解される(労働契約法8条、9条本文参照)。もっとも、使用者が提示した労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば、当該行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきである。そうすると、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第1073号同48年1月19日第二小法廷判決・民集27巻1号27頁※4、最高裁昭和63年(オ)第4号平成2年11月26日第二小法廷判決・民集44巻8号1085頁等参照※4)」。

「イ(ア)これを本件基準変更に対する管理職上告人らの同意の有無についてみると、本件基準変更は、A信用組合の経営破綻を回避するために行われた本件合併に際し、その職員に係る退職金の支給基準につき、旧規程の支給基準の一部を変更するものであり、管理職上告人らは、本件基準変更への同意が本件合併の実現のために必要である旨の説明を受けて、本件基準変更に同意する旨の記載のある本件同意書に署名押印をしたものである。そして、この署名押印に先立ち開催された職員説明会で各職員に配付された…同意書案には、被上告人の従前からの職員に係る支給基準と同一水準の退職金額を保障する旨が記載されていたのである。ところが、本件基準変更後の新規程の支給基準の内容は、退職金総額を従前の2分の1以下とする一方で、内枠方式については従前のとおりとして退職金総額から厚生年金給付額を控除し、更に企業年金還付額も控除するというものであって、…上告人らの退職時において平成16年合併前の在職期間に係る退職金として支給される退職金額が、その計算に自己都合退職の係数が用いられた結果、いずれも0円となったことに鑑みると、退職金額の計算に自己都合退職の係数が用いられる場合には支給される退職金額が0円となる可能性が高いものであったということができ、また、内枠方式を採用していなかった被上告人の従前からの職員に係る支給基準との関係でも、上記の同意書案の記載と異なり、著しく均衡を欠くものであったということができる。」
「本件基準変更による不利益の内容等及び本件同意書への署名押印に至った経緯等を踏まえると、管理職上告人らが本件基準変更への同意をするか否かについて自ら検討し判断するために必要十分な情報を与えられていたというためには、同人らに対し、旧規程の支給基準を変更する必要性等についての情報提供や説明がされるだけでは足りず、自己都合退職の場合には支給される退職金額が0円となる可能性が高くなることや、被上告人の従前からの職員に係る支給基準との関係でも上記の同意書案の記載と異なり著しく均衡を欠く結果となることなど、本件基準変更により管理職上告人らに対する退職金の支給につき生ずる具体的な不利益の内容や程度についても、情報提供や説明がされる必要があったというべきである。」

「(イ)しかしながら、原審は、管理職上告人らが本件退職金一覧表の提示により本件合併後の当面の退職金額とその計算方法を知り、本件同意書の内容を理解した上でこれに署名押印をしたことをもって、本件基準変更に対する同人らの同意があったとしており、その判断に当たり、上記(ア)のような本件基準変更による不利益の内容等及び本件同意書への署名押印に至った経緯等について十分に考慮せず、その結果、その署名押印に先立つ同人らへの情報提供等に関しても、職員説明会で本件基準変更後の退職金額の計算方法の説明がされたことや、普通退職であることを前提として退職金の引当金額を記載した本件退職金一覧表の提示があったことなどを認定したにとどまり、上記(ア)のような点に関する情報提供や説明がされたか否かについての十分な認定、考慮をしていない」

「(ウ)したがって、本件基準変更に対する管理職上告人らの同意の有無につき、上記(ア)のような事情に照らして、本件同意書への同人らの署名押印がその自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点から審理を尽くすことなく、同人らが本件退職金一覧表の提示を受けていたことなどから直ちに、上記署名押印をもって同人らの同意があるものとした原審の判断には、審理不尽の結果、法令の適用を誤った違法がある。」

「ウ また、平成16年基準変更に対する上告人らの同意の有無については、上告人らが本件報告書に署名をしたことにつき、上告人らに新規程が適用されることを前提として更にその退職金額の計算に自己都合退職の係数を用いることなどを内容とする平成16年基準変更に同意したものか否かが問題とされているところ、原審は、上記イと同様に、前記アのような観点から審理を尽くすことなく、直ちに上記署名をもって上告人らの同意があるものとしたのであるから、その判断には、審理不尽の結果、法令の適用を誤った違法がある」。

2 本件基準変更に係る労働協約の締結について

「本件労働協約は、本件職員組合の組合員に係る退職金の支給につき本件基準変更を定めたものであるところ、本件労働協約書に署名押印をした執行委員長の権限に関して、本件職員組合の規約には、同組合を代表しその業務を統括する権限を有する旨が定められているにすぎず、上記規約をもって上記執行委員長に本件労働協約を締結する権限を付与するものと解することはできないというべきである。」
「そこで、上記執行委員長が本件労働協約を締結する権限を有していたというためには、本件職員組合の機関である大会又は執行委員会により上記の権限が付与されていたことが必要であると解されるが、原審は、このような権限の付与の有無について、何ら審理判断していない。」
「したがって、上記の点について審理を尽くすことなく、上記規約の規定のみを理由に本件労働協約が権限を有しない者により締結されたものとはいえないとして、組合員上告人らにつき本件労働協約の締結による本件基準変更の効力が生じているとした原審の判断には、審理不尽の結果、法令の適用を誤った違法がある。」
「原審の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、…説示した点について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。」

3 なお書き

平成16年基準変更に際して就業規則の変更がされていないのであれば、平成16年基準変更に対する上告人らの同意の有無につき審理判断するまでもなく、平成19年法律第128号による改正前の労働基準法93条により、就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める合意として無効となるものと解される。」(下線による強調は、筆者)

第5 検討

1 労働契約における就業規則の意義と本判決の判示事項

 就業規則とは、多数の労働者を就業させる事業所において、使用者が、労働条件を画一化・明確化・公平化することにより、効率的に事業を経営するために、従業員が守るべき服務規律や職場規律を含む労働条件の細目について定めた規則であり、当該事業所の労働者にとっては、労働組合の有無にかかわらず、非組合員を含めた全従業員の労働関係・生活内容を規律する重要な準則として機能するものである※6
労働基準法においては、就業規則の作成・届出義務及びその手続等に関して規律がなされているが、使用者より一方的に作成される就業規則の労働契約上の効力については、特に言及されておらず、もっぱら解釈・判例にゆだねられていた。その結果として、就業規則が労働契約に対して有する効力などが争点となることが多く、現在に至るまでに数多くの判例や学説等が積み上げられてきた。そして、後述するように、昭和43年にその後の判例法理の嚆矢となる[秋北バス事件]に対する最高裁大法廷判決が下された。この判例法理は、2008年3月1日から施行された労働契約法(以下、「労契法」という)において、明文規定化されることにより、就業規則の労働契約上の位置付けがなされることとなった。
本判決は、労契法の下で、1)就業規則に定められた賃金と退職金に関する労働条件の不利益変更に対する従業員の同意の有無の判断とその判断基準・方法、2)就業規則に定められた退職金の支給基準を変更することにつき従業員の自由な意思に基づいてなされたと認める合理的な理由の客観的な存在の有無、3)退職金の支給につき基準変更を定める労働協約書に署名押印した職員組合の執行委員長の労働協約を締結する権限の有無について、明晰な判断をしたものである。

2 合意による労働条件の設定における合意原則

(1)労契法は、労働条件が労働契約当事者の合意により設定・変更されるべき合意原則を定める。それを条文で確認すると、「労働契約が合意により成立し、又は変更されるという合意の原則」を定め(1条)、労働条件が合意により設定され、「労働契約は、労働者及び使用者が対等の立場における合意に基づいて締結し、又は変更すべきもの」とする(3条)。そして、労働契約の成立の事項である労働者の労働義務、使用者の賃金支払義務については、「労働者及び使用者が合意することによって成立する」と定め(6条)、労働者と使用者が「合意により、労働契約の内容である労働条件を変更することができる」とする(8条)。
労契法7条但書、10条但書では、個別合意が存するときには、就業規則の契約内容規律効が及ばないとしているが、これもこの合意原則を就業規則の効力との関係で確認した規定と理解することができる。労働者間の労働条件についての合意の効力により、就業規則上の労働条件は、労働契約の内容となる。そして、就業規則に示される労働条件は、強行的規範(労基法13条、労契法12条、労組法16条)や強行法規、公序良俗(民90条)に反しない限り、その効力が認められ、合理性審査も問題とならないのである。

(2)就業規則に記載された労働条件についての合意の認定方法には、問題が生じうる。合意には、明示の合意と黙示の合意があるが、継続的就労関係である労働関係では、使用者の提示する就業規則条件に明示的に異議を表明することなく就労を継続することも少なくない。しかし、この場合に、当然に黙示的に同意したものと解すると、当該労働条件の合理性を問題とすることなく拘束力が生じることになる。それゆえ、このような黙示の合意の認定は、労使間の交渉力格差を踏まえた労使対等決定の原則(労契法1条、3条1項参照)が要請される労働契約においては妥当ではない。特に、合意が認定できない場合について、労契法によって合理的処理枠組みが用意されるに至っていることを踏まえると、黙示の合意の認定は、厳に慎むべきである。明示の合意に匹敵するような意思の合致を明確に認定できる特段の事情のある場合等に限定し、そのような場合に該当しなければ、むしろ就業規則の合理性審査に服させるのが妥当であると考えられるとの見解がある※7

3 [秋北バス事件]最大判による「就業規則の合理的変更法理」の確立

(1)労働条件変更における合意原則と就業規則の不利益変更問題
実務上、就業規則をめぐる労働契約紛争の最大の問題として争われたのが、就業規則が労働者に不利益に変更された場合、これに同意しない労働者もこれに拘束されるか否かという点である。[秋北バス事件]最大判※8は、その後段部分において、「新たな就業規則の作成又は変更によつて、既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として、許されないと解すべきであるが、労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいつて、当該規則条項が合理的なものであるかぎり、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒否することは許されない」と判示した。しかし、この立論は、「合理性基準論」又は「合理性テスト」と称され、学説により理論上根拠に欠けるとの理由で激しい批判を受けたが、その後の[大曲市農協事件]※9 、[朝日火災海上保険事件]※10、[第四銀行事件]※11、[みちのく銀行事件]※12における最高裁判決により踏襲され、「就業規則の合理的変更法理」として確立した。そして、[秋北バス事件]最大判以来、最高裁判例で踏襲された「新たな就業規則の作成又は変更によって、労働者の既得の権利を奪い、不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として、許されない」という原則的ルールが労契法9条の明文で確認されたのである※13。しかし、判例法理として確立したルールの法的根拠については、種々議論があり、労契法の立法過程でも論争の的となったが、現在では、この論争はほぼ終息しているといわれる。

(2)労働条件変更について、労契法8条ないし11条は、この事項を体系的に規定する。まず、同3条1項で規定された合意に基づく労働条件変更の原則の理念を「労働者及び使用者は、その合意により、労働契約の内容である労働条件を変更することができる」として、同意による労働条件変更の原則を宣明したのが労契法8条である。そして、労契法9条本文は、「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない」とし、合意原則の趣旨を、就業規則変更による労働条件変更との関係で具体的に規定した。そして、その帰結として、労働者との合意を前提としていない就業規則の変更による労働条件変更は原則としてなし得ないことを確認した上で(同9条本文)、その例外として、判例法理によって確立された就業規則の合理的変更によって労働条件が変更される場合の要件を定め(同10条)、さらに、個別特約がある場合にはこの就業規則の合理的変更法理の及ばないことを明らかにした(同条但書)。そして、就業規則変更手続に関しては労基法上の手続(意見聴取、届出)によることを確認している(労契法11条)。

4 就業規則の不利益変更と労働者の個別同意

(1)以上の一般論を踏まえて、本件を検討するに、労契法8条による労働契約の成否が問題となる。労契法8条は、「労働者及び使用者は、その合意により、労働契約の内容である労働条件を変更することができる」と定めるが、ここで、変更の対象となる労働条件とは、労働者と使用者の合意により労働契約の内容となった労働条件に加え、同7条及び10条により就業規則の定める労働条件が労働契約の内容となった場合も含まれる。
判例上、数多く取り上げられてきたのは、「労働者の合意」があったといえるか否かである。無論、合意があったと認められれば、その内容の合理性が審査されることなく、変更の拘束力が生じる。しかし、労働者の合意がなければ、就業規則の変更により労働契約の内容を労働者に不利に変更することができないのが原則とされているので(労契法9条本文)、合意が認められないときには、変更後の就業規則が労働者に周知されており、かつ、変更後の就業規則が合理的なものであれば、就業規則の変更によって労働契約の内容の不利益変更が可能とされているところである(同9条但書)。
本件では、合意があったと認められるかが争点とされ、予備的にであれ、合意があったと認められない場合の合理性の有無の問題は、争点とされなかった。この理由で、労契法10条、[第四銀行事件]で取り上げられた就業規則における労働条件の不利益変更に係る「合理性」の判断要素については、検討しないこととする。

(2)就業規則は、事業場での労働条件の最低基準を画する機能を有するので、企業が事業を継続するにあたり、業績不振に伴う労働条件の切下げ、または、事業譲渡、合併等の組織再編に伴う労働条件の統一を実施する必要に迫られる場合がある。このような場合、個々の労働者との合意や労組との労働協約変更合意が困難であり、また、多数派労組が同意をしていたとしても少数派労組が争っているといった状況にあるときに、使用者が就業規則の不利益変更を行うことがある。そして、不利益変更の対象は、賃金、退職金、定年、降格などに関する定めに及ぶのが一般的であり、本件では、賃金と退職金に関する定めが問題の対象となった。

(3)労働条件変更の合意には、具体的な変更労働条件について労働者が同意を与える場合(具体的変更労働条件に対する合意)と、使用者に変更権限を与えることに労働者が同意する場合(変更権留保の合意)がある。本件は、変更権留保の合意の場合ではないので、具体的変更労働条件に対する合意の場合についてだけ検討する。

(4)周知のように、就業規則の不利益変更に対する労働者の個別同意によって、変更後の就業規則が当該労働者の労働契約内容となったか否かが問題とされるときには、労契法の制定を契機として活発に議論がなされるようになり、学説上、大別するに、二つの学説が対立している。まず、合理性必要説(合理性基準説)であり、この立場は、個別同意の有無にかかわらず、就業規則の不利益変更には合理性(労契法10条)が必要であるとする。これに対して、合理性不要説(合意基準説)があり、この学説は、労契法9条の反対解釈から、個別同意がある場合には合理性審査は必要ないとするものである※14
さらに、労働者が就業規則の不利益変更に個別に同意した場合、不利益変更の合理性審査が必要となるかの問題があり、就業規則の不利益変更問題の核心について白熱した議論が展開されるのである。この点に関して、合理性必要説は、平成19年改正前労働基準法93条(労契法12条)の要請に基づいて定立された職場の最低労働基準は、個々の労働者の意思によって変更されるべきでないとし、変更後の就業規則が労働契約内容となるためには、あくまでも変更の合理性が必要であるとする※15 。これに対し、合理性不要説は、労契法9条の反対解釈及び合意原則を定める労契法8条を根拠として、個別同意のみによる不利益変更を認めるが、かかる個別同意の認定は厳格かつ慎重になされるべきとする点で一致している※16
この他、合理性審査を不要とする見解の中には、賃金債権の放棄・相殺合意に関して展開された判例法理を参考にして、就業規則変更に対する労働者の個別同意に加えて、当該同意が自由な意思に基づくものと認めるに足りる合理的な事由が客観的に存在する場合には、変更後の就業規則が当該労働者の労働契約内容を規律する効力を持つ、とするものがある※17※18
本件では、合理性テストの問題が生じないが、凡そ合理性テストが不要であるとするときには、合意が認定されると、原則として合理性審査を経ることなく拘束力が肯定されることとなるので、裁判例では、「合意」の認定において、慎重な態度を取るべきであるとする立場と、緩やかな基準で認めてもよいとする立場の対立が見られる。特に、黙示の同意を認定するときの事情は、そのようである※19。これらの裁判例については、後述する。

(5)本判決が判断の対象としたのは、「同意」の有無であるが、その前提問題として、労働条件の集団的変更がなされたかがまず問題となる。すなわち、本件に即していえば、職員組合の執行委員長が本件労働協約を締結する権限を有しており、本件基準変更に係る労働協約の締結により基準変更の効力が生じているか否かということがある。本判決は、控訴審がこのような権限の付与の有無について、何ら審理判断しなかったとする。
控訴審の判断によれば、「職員組合の組合規約が執行委員長の権限として、『組合を代表し、組合業を統括する。』(18条(1))と定め、職員組合が執行委員長に包括的な代表権限を付与している以上…、事前の執行委員会の決定や総会決定等がされていなかったからといって、そのことから直ちに権限のない者によってされたものとすることはできないというべきである」。「本件労働協約の内容は、本件労働協約終了後においても、合併後の労働条件として当事者間を規律するものと解するのが相当である」とした。
しかし、本判決の判断するところによれば、「本件労働協約は、本件職員組合の組合員に係る退職金の支給につき本件基準変更を定めたものであるところ、本件労働協約書に署名押印をした執行委員長の権限に関して、本件職員組合の規約には、同組合を代表しその業務を統括する権限を有する旨が定められているにすぎず、上記規約をもって上記執行委員長に本件労働協約を締結する権限を付与するものと解することはできないというべきである」。「そこで、上記執行委員長が本件労働協約を締結する権限を有していたというためには、本件職員組合の機関である大会又は執行委員会により上記の権限が付与されていたことが必要であると解される」が、控訴審は、このような権限の付与の有無について、何ら審理判断していない。したがって、「審理を尽くすことなく、上記規約の規定のみを理由に本件労働協約が権限を有しない者により締結されたものとはいえないとして、組合員上告人らにつき本件労働協約の締結による本件基準変更の効力が生じているとした原審の判断には、審理不尽の結果、法令の適用を誤った違法がある」と断じたのである。
本件職員組合の組合員に係る退職金の支給につき本件基準変更を定めた本件労働協約が執行委員長の単独の判断で本件労働協約書に署名押印されたとしても、権限を有する者により締結されたとは到底いえるはずもなく、職員組合の機関である大会又は執行委員会により上記の権限が付与されていたことが必要であると解く本判決は、極めて説得力を有する。したがって、本件では、労働条件の集団的変更がなされたとはいうことができない。

5 裁判例における「自由な意思に基づく同意」理論

(1)本件において、労働協約の余後効が発生せず、その協約が合併後の労働条件について当事者間を規律しないとすれば、残された検討課題は、労働者の個別的な同意が存在したか否か、また、その「同意」の有無の判断がいかなる観点から判断され得るかである。すなわち、本件では、控訴審は同意書に対する上告人らの署名押印、報告書への署名がなされているので、上告人らについて、基準変更の効力が生じていると判断したのであるが、本判決では、この判断に疑問を示し、「管理職上告人らを含む20名の管理職員」による同意のような事態について、自由な意思に基づいてなされた個別的同意が認められ得るかということにつき判断した

(2)労契法8条は、労働者と使用者が合意により労働契約の内容である労働条件を変更できる旨を定め、労使間合意の基本的要件である合意原則を明示した。同条は、労働条件の個別的変更と集団的変更について労使間合意を原則とし、使用者により労働条件が一方的に変更されることを許さないこととした。この合意原則の重要性に鑑み、労使間合意は、厳格かつ慎重に認定すべきものと解され、そのための要件として、特に賃金の不利益変更の場面で定立されたのが、「労働者の自由意思に基づく同意」要件である※20

(3)「労働者の自由意思に基づく同意」の要件については、これを手続的審査と実体的審査に分別して検討することが可能である。前者の審査に関して、学説の多くは、使用者による労働条件変更の申込み及び労働者の承諾の両面から慎重かつ厳格に認定する必要があると説いている。後者の審査に関しては、労働条件変更合意の内容の合理性・相当性を同合意の認定基準又は効力要件として位置づける見解も見られる。

(4)これらを、賃金の変更に係る同意に関して具体的に学説を散見するに、1)賃金以外の領域をも含めた労働者の個別同意の有効性一般については、同意に至るまでのプロセスを重視し、「使用者は、同意を得るまでの過程で、労働者に生じる不利益の意味・内容について十分に情報提供をして説明していれば、そのほかに真意性を疑わしめる事情がない限り、労働者の同意は真意によるものとし有効となる」とする見解※21、2)特に賃金引下げに対する労働者の個別同意については、労使間の情報力・交渉力格差及び賃金の安定性・確定性の保護を正当化根拠として、当事者間の交渉プロセスについて審査がなされるべきとの見解もある※22。この見解によれば、「賃金引下げの必要性、変更後の内容、代償措置の有無等の変更内容について、使用者が十分な説明・情報提供を行い、意見を聴取するなど、交渉を尽くしたか否かがポイントとなる」。
これらの手続(プロセス)審査を重視する見解に対しては、同意の内容にも踏み込んで審査を行うべきとの見解※23も有力に主張されている※24。代表的なものとしては、「労働者の自己決定=同意がその真意にもとづくものであったかどうかに視点をあてて司法審査がなされるべき」であり、情報提供や誠実交渉のみでは、真意性の担保のためには不十分であるから、「一旦成立した合意に労働者の真意が反映しているかどうかの審査に当たっては、合意内容の適正さを考慮に入れることが不可欠である」とする見解※25を挙げることができる。

(5)次に、労働条件の不利益な変更に対する労働者の個別的同意の有無に関する裁判例を検討する※26

1)労基法24条1項を用いた、いわゆる「自由な意思に基づく同意の理論形成」の嚆矢となった判例であり、その後、批判的考察の対象とされたのは、[日新製鋼事件](最二小判平成2年11月26日)である※27。本件は、Y社における退職金制度の変更に対する労働者の個別同意が問題となったものであるところ、退職金債権と労働者の住宅資金のための借入金返済債務との合意相殺が問題となったが、最高裁は、労働基準法24条1項本文の定めるいわゆる賃金全額払の原則は、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することを禁止する趣旨をも包含するものであるが、労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右同意を得てした相殺は右規定に違反するものとはいえないとの一般論を述べたうえで、同事件においては、合意相殺が自発的であったこと、使用者の強要にわたる事情がなかったこと、労働者は関係書類への署名押印に異議なく応じていること、借入金は労働者にも利益となるものであったこと、借入金につき残債務は退職時に退職金により一括返済する約束を十分認識していたことに照らすと、労働者の同意は「自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在していた」と判示した※28
[日新製鋼事件]最判は、労基法24条1項の直接の保護を受ける既発生の退職金債権との合意相殺についてのものであったが、その後の裁判例は、[シンガー・ソーイング・メシーン事件]※29と[日新製鋼事件]の一般論の射程を、将来における賃金の引下げに対する労働者の個別同意についてまで広げている。

2)その一例として、[アーク証券(本訴)事件](東京地判平成12年1月31日判決)では、就業規則の変更による職能資格制度における降格による職能給の引下げ、賃金(退職金)減額が問題となったが、[日新製鋼事件]最判の趣旨に照らせば、「賃金の引下げについても、労働者がその自由な意思に基づきこれに同意し、かつ、この同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在することを要するものと解するのが相当である」としたうえで、会社の決定内容について労働者らが明示的に異議を述べなかったことが、黙示の承諾又は同意に当たるという会社側の主張を排斥した※30

3)使用者による賃金減額の申込みについては、使用者による説明・情報提供を重視する一連の裁判例がある。
[更生会社三井埠頭事件](東京高判平成12年12月27日)は、賃金の不利益変更に関する裁判例であり、使用者による賃金減額の申込みについては、使用者による説明・情報提供を重視する一連の裁判例が存在する。例えば、会社が管理職を一堂に集めて20%の賃金引下げを通告した際、その理由を十分に説明せず、意思確認も行わなかったが、明確な反対意見もなかったというケースにつき、客観的に見て自由意思に基づく同意は認められないと解し、賃金減額を無効と判断した※31
[NEXX 事件](東京地判平成24年2月27日)は、20%の給与減額について、反対の声を上げることが困難であり、激変緩和及び代替的措置がとられず、言及について理解を求めるための具体的説明を行わなかったとして、たとえ、3年間にわたって減額後の給与を会社より受領し続けていたとしても、解雇された労働者が給与減額による不利益変更を、その真意に基づき受け入れたと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとはいえず、本件給与減額につき、上記労働者との間で黙示の合意が成立したとはいえないとして、給与の減額分のうち、時効により消滅した分を除いて支払請求が認められた(控訴)※32
[技術翻訳事件](東京地判平成23年5月17日)は、就業規則に基づかない賃金の減額について、労働者の明示的な承諾がない場合において、明示的な承諾の事実がなくても黙示の承諾があったと認め得るだけの積極的な事情として、使用者が労働者に対し書面等による明示的な承諾を求めなかったことについての合理的な理由の存在等が求められるとして、賃金減額の実施から退職までの3か月余の間、労働者が減額後の賃金を受領し、抗議等も行っていないとしても、賃金減額に対する事後的な追認を認めることはできないとされた(確定)※33
[東武スポーツ事件](東京高判平成20年3月25日)は、使用者が複雑多岐にわたる労働条件変更の内容(期間の定めのない労働契約から有期労働契約への変更、賃金体系の不利益変更、退職金制度の廃止等)を完全に明示しないまま申込みを行った場合につき、申込み内容の特定が不十分であり、それを補う説明も行われていないとして、変更合意の成立を否定する※34※35
説明・情報提供の内容(対象)を見ても、労働条件変更の理由・必要性を明示して労働者の理解を求めるべきものと解するなど、高度な内容を求める裁判例が増えている。

4)近年には、書面に基づく明示の合意を基本と解し、その欠如を理由に労働条件変更合意の成立を否定する裁判例が増加している。例えば、賃金の不利益変更については、労働者の同意書等によって意思表示の確実を期さなければ確定的な合意があったとは認め難いとして黙示の合意を否定する例や、賃金削減に関する労働者の黙示の同意について、使用者が労働者に対して書面等による明示の同意を求めなかったことに関する合理的な理由の存在を要件と解した上、合理的理由の存在を否定して黙示の合意を否定する例等がある。特に、[技術翻訳事件]は、書面によらない黙示の合意によって、賃金を不利益変更することについての合理的理由を求め、かつ、その立証責任を使用者に課す判断を示した点で注目される。また、労使間の交渉力の格差を踏まえて、賃金減額について同意認定につき原則として書面による合意を求めた判例として、[日本構造技術事件](東京地判平成20年1月25日)がある※36。また、同旨の裁判例として、[ゲートウェイ21事件]、[ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル事件]がある※37

5)労働者の同意(承諾)の意思表示については、学説と同様、労働者の黙示の同意の認定に慎重を期すべきことを述べ、労使間合意を否定する多くの裁判例がある。前述した[NEXX事件]はその典型であり、労働者が賃金減額後、3年間にわたって減額賃金を受領し続けていても、使用者が十分な説明を行っていない場合には、労働者の真意に基づく黙示の合意を否定した。そして、黙示の同意の認定を認めることに慎重な立場に立つ多くの裁判例がある※38

6 本件最高裁判決の分析と評価

(1)本判決は、「労働契約の内容である労働条件は、労働者と使用者との個別の合意によって変更することができるものであり、このことは、就業規則に定められている労働条件を労働者の不利益に変更する場合であっても、その合意に際して就業規則の変更が必要とされることを除き、異なるものではないと解される(労働契約法8条、9条本文参照)」と述べ、まず、「同意による労働条件の設定における合意原則」に依拠することを確認した。

(2)ついで、使用者が提示する労働条件の不利益変更が賃金や退職金に関するものである場合には、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきであるとして、合意原則の重要性に鑑み、労使間合意は、厳格かつ慎重に認定すべきものと解され、そのための要件として、特に賃金の不利益変更の場面で定立された「労働者の自由意思に基づく同意」要件に依拠することを明示した。
すなわち、「もっとも、使用者が提示した労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば、当該行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきである。そうすると、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第1073号同48年1月19日第二小法廷判決・民集27巻1号27頁、最高裁昭和63年(オ)第4号平成2年11月26日第二小法廷判決・民集44巻8号1085頁等参照)」とする。
本判決は、本件基準変更に対する管理職上告人らの同意の有無について、以下の諸点の事実認定を行った。

①本件基準変更は、A信用組合の経営破綻を回避するために行われた本件合併に際し、その職員に係る退職金の支給基準につき、旧規程の支給基準の一部を変更するものであり、管理職上告人らは、本件基準変更への同意が本件合併の実現のために必要である旨の説明を受けて、本件基準変更に同意する旨の記載のある本件同意書に署名押印をしたこと

②この署名押印に先立ち開催された職員説明会で各職員に配付された同意書案には、被上告人の従前からの職員に係る支給基準と同一水準の退職金額を保障する旨が記載されていたこと

③ところが、本件基準変更後の新規程の支給基準の内容は、退職金総額を従前の2分の1以下とする一方で、内枠方式については従前のとおりとして退職金総額から厚生年金給付額を控除し、更に企業年金還付額も控除するというものであること

④上告人らの退職時において平成16年合併前の在職期間に係る退職金として支給される退職金額が、その計算に自己都合退職の係数が用いられた結果、いずれも0円となったことに鑑みると、退職金額の計算に自己都合退職の係数が用いられる場合には支給される退職金額が0円となる可能性が高いものであったということ

⑤また、内枠方式を採用していなかった被上告人の従前からの職員に係る支給基準との関係でも、上記の同意書案の記載と異なり、著しく均衡を欠くものであったということ

①ないし⑤の事実認定から、本判決は、「本件基準変更による不利益の内容等及び本件同意書への署名押印に至った経緯等を踏まえると、管理職上告人らが本件基準変更への同意をするか否かについて自ら検討し判断するために必要十分な情報を与えられていたというためには、同人らに対し、旧規程の支給基準を変更する必要性等についての情報提供や説明がされるだけでは足りず、自己都合退職の場合には支給される退職金額が0円となる可能性が高くなることや、被上告人の従前からの職員に係る支給基準との関係でも上記の同意書案の記載と異なり著しく均衡を欠く結果となることなど、本件基準変更により管理職上告人らに対する退職金の支給につき生ずる具体的な不利益の内容や程度についても、情報提供や説明がされる必要があった」と判断した。

(3)本判決は、このような理解に基づいて、論理必然的に、「原審は、管理職上告人らが本件退職金一覧表の提示により本件合併後の当面の退職金額とその計算方法を知り、本件同意書の内容を理解した上でこれに署名押印をしたことをもって、本件基準変更に対する同人らの同意があったとしており、その判断に当たり、上記(ア)のような本件基準変更による不利益の内容等及び本件同意書への署名押印に至った経緯等について十分に考慮せず、その結果、その署名押印に先立つ同人らへの情報提供等に関しても、職員説明会で本件基準変更後の退職金額の計算方法の説明がされたことや、普通退職であることを前提として退職金の引当金額を記載した本件退職金一覧表の提示があったことなどを認定したにとどまり、上記(ア)のような点に関する情報提供や説明がされたか否かについての十分な認定、考慮をしていない。」と結論した。
そして、その帰結として、本判決は、「本件基準変更に対する管理職上告人らの同意の有無につき、上記(ア)のような事情に照らして、本件同意書への同人らの署名押印がその自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点から審理を尽くすことなく、同人らが本件退職金一覧表の提示を受けていたことなどから直ちに、上記署名押印をもって同人らの同意があるものとした原審の判断には、審理不尽の結果、法令の適用を誤った違法がある。」とした。至当な判断である。

(4)平成16年基準変更に対する上告人らの同意の有無についても、本判決は、管理職上告人らを含む20名の管理職員に対し、同日付けの同意書を示し、これに同意しないと本件合併を実現することができないなどと告げて本件同意書への署名押印を求め、上記の管理職員全員がこれに応じて署名押印をしたのであるから、「本件同意書への署名押印により本件基準変更に同意したものということができる。したがって、管理職上告人らについては、合意による本件基準変更の効力が生じている」との原審の判断を、「審理を尽くすことなく、直ちに上記署名をもって上告人らの同意があるものとした」と的確に論難した。

(5)本件基準変更に係る労働協約の締結についても、本判決は、控訴審の空虚とも表現することができる形式的な判断を弾劾する。すなわち、「本件労働協約は、本件職員組合の組合員に係る退職金の支給につき本件基準変更を定めたものであるところ、本件労働協約書に署名押印をした執行委員長の権限に関して、本件職員組合の規約には、同組合を代表しその業務を統括する権限を有する旨が定められているにすぎず、上記規約をもって上記執行委員長に本件労働協約を締結する権限を付与するものと解することはできないというべきである。」とした。
本判決が指摘するように、まさしく、「執行委員長が本件労働協約を締結する権限を有していたというためには、本件職員組合の機関である大会又は執行委員会により上記の権限が付与されていたことが必要であると解される」べきであり、「規約の規定のみを理由に本件労働協約が権限を有しない者により締結されたものとはいえないとして、組合員上告人らにつき本件労働協約の締結による本件基準変更の効力が生じているとした原審の判断には、審理不尽の結果、法令の適用を誤った違法がある」との判断は、まさしく至当であると評価できる。

(6)本判決が、記載した「なお書き」は、ある意味で、本判決の最善な判旨であるといいうる。この主張が、原告ら、控訴人ら、ならびに、上告人らによりなされていたとするならば、本件の審理は全く別の様相を呈していたことであろう。本判決が指摘するように、平成16年基準変更に際して就業規則の変更がされていないのであれば、平成16年基準変更に対する上告人らの同意の有無につき審理判断するまでもなく、平成19年法律第128号による改正前の労働基準法93条により、就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める合意として無効となるものと解されるのである。本件は、この主張を立証するだけで終了できたということである。

第6 おわりに - 忍び寄る老後破産に瀕して

本稿は判例コラムであるので、洒脱であるとはいえなくとも多少なり軽妙なものにしたかったが、読んでのとおり裃をまとう代物となった。とはいえ、本判決は、団塊世代を中心とした労働者がこれから対応すべき老後破産に対して司法の見識のある判断をしたと評価できるものである。昨今の企業においては、経営の合理化の名の下に、労働者の賃金や退職金の不払や労働機会の切り捨ても日常的に正当化される中で、長年に及び、職場を通して企業に奉仕してきた労働者達が経営危機に瀕した企業の吸収合併のあおりを受けて、明日を生きるための財政基盤たる賃金のみならず退職金について劣悪な削減を受ける事態が生じうる。
本件は、まさしく信用組合という金融機関たる企業体で働く人々の賃金と退職金に関する労働条件の不利益な変更という、吸収合併の瀬戸際で起きた事件である。本件では、吸収される信用組合が管理職と職員組合の組合員に対して、吸収合併に係る説明に際して、従前からの職員に係る支給基準と同一水準の退職金額を保障する旨等が記載されている書面を提供しながら、本件基準変更後の新規程の支給基準の内容は、退職金総額を従前の2分の1以下とする一方で、内枠方式については従前のとおりとして退職金総額から厚生年金給付額を控除し、更に企業年金還付額も控除するというものであって、上告人らの退職時において平成16年合併前の在職期間に係る退職金として支給される退職金額が、いずれも0円となるという詐欺的ともいえる極めて不均衡な結果を引き起こす事態となったのである。
過去には、金融界でも[第四銀行事件][みちのく銀行事件]などの就業規則の不利益変更に関する多くの事件が生じてきた。筆者は、本判決を解説・評論するために百家繚乱とも表現できる学説と数多くの判例に接することができた。しかし、この事項に関して、多様な学説と多数の裁判例が存在することは、わが国における、この賃金や退職金に関する労働条件の不利益変更に対する労働者の同意の有無についての判断の方法に係る根本問題に対して、労働者に不利となる不安定な状況が存続していることを示していると考える。
本判決は、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無についての判断の方法について、良識のある明晰な判断をした。本判決でも知りうるように、労働条件の不利益変更に対する当該職員の同意があると認定された場合に、さらに、手続審査だけではなく、同意の内容にも踏み込んで審査を行うべきであるか否かの核心問題がある。本判決は、情報提供や誠実交渉のみでは、真意性の担保のためには不十分であるとして、署名と押印に先立ち開催された職員説明会で各職員に配付された同意書案や本件基準変更後の新規程の支給基準の内容を検討していることから、合意内容の適正さを考慮に入れて判断していることを確認することができる。本判決は、自己に不利益な労働条件に対する同意の有無を手続的審査にとどまらず、同意の内容についても審査を踏まえた上で、判断を下したものである。
今、私は、1970年頃のヨーロッパの諸国で、「人間の顔を持った司法(justice with a human face)」というスローガンの下に、数多くの司法改革がなされてきたことを思い出す。喜怒哀楽という言葉で表現できる人間性に満ちた司法の実現である。本判決は、労働者の置かれた状況を的確に考慮したことから、いわば表情のある顔を有する判決であるが、動脈を流れている生きた血液であるということができるのではないかと思う。これに対して、第一審と控訴審判決は、血の通っていない血脈、または、その中を通り抜ける空気のような虚しいものに過ぎないと感じられた。
終わりに、本判決が判示の対象とした労働条件の不利益変更の問題は、本稿では取り上げることができなかった退職年金、確定給付企業年金、厚生年金、年金契約における支給額の減額問題と軌を一にするものである※39。企業の経営や制度維持のための必要性と合理性の論理だけで軽々に正当化を認めるべきでない※40ことも、わが国を支えてきた労働者に忍び寄る老後の悲惨な状態を引き起こさないために不可欠なことであることを指摘しておく必要がある。

(掲載日 2016年4月25日)

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