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文献番号 2017WLJCC016
中央大学法科大学院
教授 佐藤 信行
1.はじめに
社会の情報化が叫ばれて久しいが、その中でも分散型コンピュータ・ネットワークであるインターネットの普及は、様々な情報がネット上の「どこか」に存在し続け、かつ、その全体像については、データ主体本人を含め、誰も把握できないという新たな状況を生み出している。たとえば、自らが管理するウェブサイトにアップロードした写真(のデジタル・データ)は、当該ウェブサイトから削除したとしても、ネット内外のどこかにコピーが存在する可能性が否定できないのである。
他方で、インターネット(とりわけウェブサイト)上に存在する情報は極めて膨大であり、日々増加すると共に、情報の論理的存在場所もしばしば移動する。ニュースサイトの見出しが常に更新され、古いニュースがアーカイブされるのは、その一例である。そこで不可欠となるのが、強力な検索システムということになる。このようにして、今日、インターネット上のデータにアクセスするには、まずネット上の全文(インデックス)検索システムにアクセスし、その検索結果からリンクを辿ることが事実上の標準となっている。
そこで、インターネット上に名誉毀損、信用毀損あるいはプライバシー侵害等を引き起こす情報が存在している場合、当該情報自体の削除を行うよりも、検索システムの段階で当該情報へのリンクを切断してしまうことで、当該情報をいわば孤立させてしまうという手法での紛争解決が考えられる。こうした手法を支える基盤として、ヨーロッパでは「忘れられる権利」が主張され、司法的にも立法的にも認められつつあるが、日本でも、同様の発想に基づく訴訟が複数提起されている。
こうした中、最高裁判所は、当事者が「忘れられる権利」を主張して争った事件について、はじめて判断を示した(平成29年1月31日)。そこで、本稿では、この決定を中心に問題を考えてみることとしたい。
なお、本件以外の下級審裁判例には、札幌地決平成28年4月25日(2016WLJPCA04256006。削除否定)とその抗告審である札幌高決平成28年10月21日(2016WLJPCA10216001。否定)、名古屋地決平成28年7月20日(2016WLJPCA07206013。否定)、札幌地決平成27年12月7日(2015WLJPCA12076001。肯定)、東京地判平成22年2月18日(2010WLJPCA02188010。否定)などがある。
2.事実の概要
本件仮処分に係る債権者は、児童買春をしたとの被疑事実に基づき、平成26年法律79号による改正前の児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律違反の容疑で平成23年11月に逮捕され、同年12月に同法違反の罪により罰金刑に処せられた者である。同人が上記容疑で逮捕された事実は逮捕当日に報道され、その内容の全部又は一部は、インターネット上のウェブサイトの電子掲示板に多数回書き込まれている。他方で債務者は、利用者の求めに応じてインターネット上のウェブサイト情報を検索し、ウェブサイト識別符号であるURLを検索結果として当該利用者に提供することを業として行う検索事業者であり、「Google」を管理・運営する米国法人である。
債務者の検索システムGoogleでは、利用者が債権者の氏名及び居住県名をキーワードとして検索すると、複数のウェブサイトにつき、そのURL、表題及び抜粋(「URL等情報」)が検索結果として提供されるが、その中には、本件犯罪事実等が書き込まれたウェブサイトのURL等情報が含まれていた。そこで債権者は、人格権(当初は「更生を妨げられない権利」、保全異議申立審以降は「忘れられる権利」を主張)の侵害を理由として、上記検索結果の削除請求権を有すると主張し、民事保全法23条2項の仮の地位を定める仮処分命令として、上記検索結果の仮の削除決定を求めて出訴した。
3.仮処分申立審決定 2015WLJPCA06256001
さいたま地方裁判所は、平成27年6月25日に「……債権者の逮捕歴に関する記事が表示されるという本件検索結果の表示により、債権者は、更生を妨げられない利益が受忍限度を超えて侵害され、人格権に基づく妨害排除又は妨害予防の請求権に基づき、検索エンジンの管理者である債務者に対し、検索結果の削除を求めることができ、債権者は検索結果が今後表示し続けられることにより回復困難な著しい損害を被るおそれがあるため、その争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害を避けるため、仮の地位を定める仮処分として、債務者に対し、本件検索結果を仮に削除することを命ずる仮処分を発する必要がある」として、「債務者は、別紙検索結果目録にかかる各検索結果を仮に削除せよ。」との決定を下した。債務者が異議申立て。
4.保全異議申立審決定 2015WLJPCA12226003
保全異議申立審では、さいたま地方裁判所は、「忘れられる権利」を根拠に加えた上で、「……当裁判所が平成27年6月25日にした仮処分命令を認可する。」と決定した(平成27年12月22日)。債務者が保全抗告申立て。
5.保全抗告審決定 2016WLJPCA07126002
保全抗告審において、東京高等裁判所は、保全異議申立てに係る決定及び当初の仮処分決定を取り消した上で、「被保全権利及び保全の必要性のいずれも疎明があるとは認められ」ないとして、債権者が行った仮処分命令申立てを却下した(平成28年7月12日)。
債権者は、保全抗告審において、その被保全権利を「忘れられる権利を一内容とする人格権に基づく妨害排除請求権としての差止請求権」等と構成し主張しているが、東京高裁は、「『忘れられる権利』は、そもそも我が国において法律上の明文の根拠がなく、その要件及び効果が明らかではない。……その実体は、人格権の一内容としての名誉権ないしプライバシー権に基づく差止請求権と異ならないというべきである。」「人格権の一内容としての名誉権ないしプライバシー権に基づく差止請求の存否とは別に、『忘れられる権利』を一内容とする人格権に基づく妨害排除請求権として差止請求権の存否について独立して判断する必要はない。」とした上で、人格権としての名誉権ないしプライバシー権に基づく差止請求権の存否については、「本件犯行に係る事実は、相手方の品性や徳行に関するもので、それを公表することは、相手方の社会的評価を低下させるから、名誉権の侵害に当たり得る」が、「本件犯行は、……社会的関心の高い行為であり、特に女子の児童を養育する親にとって重大な関心事であることは明らかであ」り「……その発生から既に5年程度の期間が経過しているとしても、また、相手方が一市民であるとしても、罰金の納付を終えてから5年を経過せず刑の言渡しの効力が失われていないこと(刑法34条の2第1項)も考慮すると、本件犯行は、いまだ公共の利害に関する事項であ」り、「本件犯行は真実であるし、本件検索結果の表示が公益目的でないことが明らかであるとはいえないから、名誉権の侵害に基づく差止請求は認められない」としている。
これに対して、債権者は許可抗告の申立てを行った。
6.本決定(許可抗告審) 2017WLJPCA01319002
平成29年1月31日最高裁第三小法廷は、仮処分決定認可決定に対する抗告審の取消決定に対する許可抗告事件で、保全抗告審の判断を支持し、抗告を棄却すると決定した。
同法廷は、前科照会事件最高裁判決(昭和56年4月14日民集35巻3号62頁・1981WLJPCA04140001)や、「逆転」事件最高裁判決(平成6年2月8日民集48巻2号149頁・1994WLJPCA02080001)等を引きつつ、「個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益は、法的保護の対象となるというべき」ことを確認する一方で、検索事業者による検索結果の提供について「検索結果の提供に関する検索事業者の方針に沿った結果を得ることができるように作成された」(プログラムによる)「ものであるから、検索結果の提供は検索事業者自身による表現行為という側面を有」し、「検索事業者による検索結果の提供は、公衆が、インターネット上に情報を発信したり、インターネット上の膨大な量の情報の中から必要なものを入手したりすることを支援するものであり、現代社会においてインターネット上の情報流通の基盤として大きな役割を果たしている。そして、検索事業者による特定の検索結果の提供行為が違法とされ、その削除を余儀なくされるということは、上記方針に沿った一貫性を有する表現行為の制約であることはもとより、検索結果の提供を通じて果たされている上記役割に対する制約でもあるといえる。」とする。
その結果「検索事業者が、ある者に関する条件による検索の求めに応じ、その者のプライバシーに属する事実を含む記事等が掲載されたウェブサイトのURL等情報を検索結果の一部として提供する行為が違法となるか否かは、当該事実の性質及び内容、当該URL等情報が提供されることによってその者のプライバシーに属する事実が伝達される範囲とその者が被る具体的被害の程度、その者の社会的地位や影響力、上記記事等の目的や意義、上記記事等が掲載された時の社会的状況とその後の変化、上記記事等において当該事実を記載する必要性など、当該事実を公表されない法的利益と当該URL等情報を検索結果として提供する理由に関する諸事情を比較衡量して判断すべきもので、その結果、当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合には、検索事業者に対し、当該URL等情報を検索結果から削除することを求めることができるものと解する」との判断基準を示し、本件においては、債権者(抗告人)は「……本件検索結果に含まれるURLで識別されるウェブサイトに本件事実の全部又は一部を含む記事等が掲載されているとして本件検索結果の削除を求めているところ、児童買春をしたとの被疑事実に基づき逮捕されたという本件事実は、他人にみだりに知られたくない抗告人のプライバシーに属する事実であるものではあるが、児童買春が児童に対する性的搾取及び性的虐待と位置付けられており、社会的に強い非難の対象とされ、罰則をもって禁止されていることに照らし、今なお公共の利害に関する事項であるといえる。また、本件検索結果は抗告人の居住する県の名称及び抗告人の氏名を条件とした場合の検索結果の一部であることなどからすると、本件事実が伝達される範囲はある程度限られたものであるといえる。」「以上の諸事情に照らすと、抗告人が妻子と共に生活し、……罰金刑に処せられた後は一定期間犯罪を犯すことなく民間企業で稼働していることがうかがわれることなどの事情を考慮しても、本件事実を公表されない法的利益が優越することが明らかであるとはいえない。」としたものである。
7.研究
本事件は、インターネット(とりわけウェブサイト)上の情報についての検索事業者を相手方として、その検索結果の削除を求める仮処分が認められるかが争われたものであり、債権者側が「忘れられる権利」を主張し、最高裁がこれを「否定した」と広く報道されたこともあって、大きな注目を集めた。
本件訴訟の特徴は、分散型ネットワークであるインターネットにおいて、過去の犯罪事実を掲載しているウェブサイトに対して、当該情報の削除を求めたのではなく、検索システム運営者であるGoogleに対して、「氏名+住所の都道府県名」で得られる検索結果の削除を求めたところにある。もとより、債権者の人格的利益を直接侵害しているのは各ウェブサイト上の記事であるが、それらに対するアクセスの多くは検索システムを経由しているというインターネットの現実に鑑みると、この訴訟構成は極めて実効性の高いものといえる。本件では、検索結果として49件が表示されるとのことであったが、仮にこれら全てに対して個別に削除を求めても、他のウェブサイトに転載がなされる「いたちごっこ」の状態が生じる。これに対して、検索システムの検索結果をコントロールすれば、実質的な被害を回避できるのである。とりわけ、Googleの検索エンジン(データベースとそこから検索結果を得る特定のアルゴリズムに基づくプログラムの総体)は、Googleだけでなく他の大手検索サイトでも利用されており、寡占を形成しているから、ここを押さえることは極めて効果的なのである。
しかしこれを裏面から見れば、検索結果のコントロールにより、インターネット上の表現の自由を実質的に破壊することができるということである。たとえば、特定の課題(キーワード)について、政府の方針に合致する主張を展開するサイトを検索結果上位に表示し、逆の主張をするサイトは検索結果から除外すると、後者の主張は、「実質的には存在しない」ことになってしまう。ここから、検索エンジンの公共性という概念が登場するのである。すなわちGoogle自身、民間企業でありながら「検索エンジンは、インターネット上の膨大な情報を効率的に利用するために欠くことのできないものとして、いわば知る権利に資する積極的かつ公益的な重要な役割を担っている。このような検索エンジンの果たす公共的役割は、検索結果の表示に人為的な操作が介在しないことによって基礎付けられるものである」(仮処分申立審での主張)として、自らの検索エンジンの公共性から検索結果に対する介入禁止原則を導いている。このような主張は、同じく民間企業である報道機関が「国民の知る権利に奉仕する」ことから「取材の自由」「取材源秘匿」等を主張することと同様の構造をもっているものといえよう(いわゆる博多駅テレビフィルム提出命令事件の最大決昭和44年11月26日刑集23巻11号1490頁・1969WLJPCA11260012は、この論理構造を認めたものとして重要である)。
そこで、この問題については、債権者の人格的利益との比較衡量を基礎とする判断が必要となるが、その衡量のあり方の差異が、さいたま地裁と東京高裁及び最高裁の結論の差異に繋がっている。
Google側は「検索結果を削除することは、それが必ずしも違法ではない内容を含むウェブページに係る表現の自由や知る権利を著しく制限する結果を生じさせることに照らすと、検索サービスを提供する者への検索結果の削除請求が認められるのは、検索結果における表示内容が社会的相当性を逸脱することが明らかであって、検索結果に係る元サイトの管理者等に当該ウェブページに含まれる表現の削除を求めていては、削除請求者に回復し難い重大な損害が生じるなどの特段の事情がある場合に限られる」という判断枠組みを主張する。つまり検索エンジンの公共性を強調し、例外としての削除を認めるというアプローチである。
これに対して、さいたま地裁は、保全異議申立審において、「……検索エンジンの公益的性質も十分斟酌すべきであるが、そのような検討を経てもなお受忍限度を超える権利侵害と判断される場合に限り、その検索結果を削除させることが、直ちに検索エンジンの公益的性質を損なわせるものとはいえない。検索結果の表示により他人の人格権が侵害され、それが検索エンジンの公益的性質を踏まえても受忍限度を超える権利侵害と判断される場合には、その情報が表示され続ける利益をもって保護すべき法的利益とはいえないからである。このような利益衡量をした上で、権利侵害への個別的な対応として権利侵害にあたる一部の検索結果のみを削除することは、それにより元サイトの情報発信者に対して何らの弁明の機会ないし手続的な保護を与えることなく検索エンジンからの削除を認めることになったとしても、その情報発信者の表現の自由ないし公開の情報流通の場に置かれる利益を著しく害するとはいえない。」と等価的比較衡量基準を設定して、本件の場合の削除を認めている。
東京高裁は「本件検索結果を削除することは、そこに表示されたリンク先のウェブページ上の本件犯行に係る記載を個別に削除するのとは異なり、当該ウェブページ全体の閲覧を極めて困難ないし事実上不可能にして多数の者の表現の自由及び知る権利を大きく侵害し得るものであること、本件犯行を知られること自体が回復不可能な損害であるとしても、そのことにより相手方に直ちに社会生活上又は私生活上の受忍限度を超える重大な支障が生じるとは認められないこと等を考慮すると、表現の自由及び知る権利の保護が優越する」ために「……プライバシー権に基づく本件検索結果の削除等請求を認めること」もできないとしている。
最高裁は、検索エンジンが「情報流通の基盤として大きな役割」を有することを指摘した上で、「当該事実を公表されない法的利益と当該URL等情報を検索結果として提供する理由に関する諸事情を比較衡量して判断すべきもので、その結果、当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合には、検索事業者に対し、当該URL等情報を検索結果から削除することを求めることができる」(下線部強調筆者)として、等価的比較衡量よりも検索エンジン側の利益に比重を置いた判断基準を示している。つまり、最高裁は、高裁判決とは異なり「表現の自由及び知る権利」という憲法上の利益を対抗利益として直接認めることは回避した上で、検索エンジンが単に私企業のビジネスであることを超えた役割を担うことを根拠として、本件削除を否定する衡量を行ったものといえる。
さて、ここで問題となるのが、「忘れられる権利」の位置づけである。
本件では、保全異議申立審決定が「一度は逮捕歴を報道され社会に知られてしまった犯罪者といえども、人格権として私生活を尊重されるべき権利を有し、更生を妨げられない利益を有するのであるから、犯罪の性質等にもよるが、ある程度の期間が経過した後は過去の犯罪を社会から『忘れられる権利』を有するというべきである。」「そして、どのような場合に検索結果から逮捕歴の抹消を求めることができるかについては、公的機関であっても前科に関する情報を一般に提供するような仕組みをとっていないわが国の刑事政策を踏まえつつ、インターネットが広く普及した現代社会においては、ひとたびインターネット上に情報が表示されてしまうと、その情報を抹消し、社会から忘れられることによって平穏な生活を送ることが著しく困難になっていることも、考慮して判断する必要がある。」として認めたが、東京高裁は「そもそも我が国において法律上の明文の根拠がなく、その要件及び効果が明らかではない」として、本件を「人格権の一内容としての名誉権ないしプライバシー権」問題として処理する。また最高裁も同様に、本件被保全利益を「個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益」として捉え、「忘れられる権利」については一切言及していない。
確かに、「忘れられる権利」は、言葉のインパクトから話題となってはいるが、論者によって意味するところが相当に異なっている。一方では、古典的な「私生活の平穏」を保護法益とするプライバシー権(の一部)を指して(いわばニックネームとして!)用いられ、他方では、自己情報(あるいはイメージ)コントロール権論からの派生物として主張されることもある。ただ本件についてみると、保全異議申立審決定が用いているのは、前者の語法であると解されるから、これを「忘れられる権利」というか、高裁決定のように「人格権の一内容」というかは、本質的な問題ではない。
このように考えると、高裁決定やとりわけ最高裁決定について、「忘れられる権利を否定」という報道等がなされたのは、かなりのミスリードであったのではないだろうか?なぜならば、これらは、上に述べたような基準に基づく衡量を行った上で、本件において検索結果削除を認めなかったに過ぎず、古典的プライバシー権の枠組みで削除をなし得ること一般を否定しているものではないからである。
すると、次に取り組むべき課題は、検索エンジンの公共性を担保しつつ検索結果の削除を行う具体的な仕組みを、どのように構築するかにあると考えられる。この際、判例の蓄積が極めて重要であることはいうまでもないが、他方で、「私生活の平穏」と独立した法益の設定や、行政審判やオンブズマンによる簡易・迅速な救済を受ける権利導入等の検討は、インターネットの特性や検索ビジネスの実態を背景とする制度構築という面が強いものであるから、立法論として行う必要もあろう。そして、こうした「制定法上の権利としての忘れられる権利」論については、既にEUでなされた先行的議論とその成果である「一般データ保護規則」に学ぶところも大きい。国内外の判例だけでなく、EU法をはじめとする諸立法・法運用動向をも注視すべき所以である。