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判例コラム
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第198号 科学的証拠の意味- 揺さぶられっ子症候群と傷害致死罪

~東京地立川支判令和2年2月7日 傷害致死被告事件※1

文献番号 2020WLJCC010
東京都立大学法科大学院 兼任教授
前田 雅英

Ⅰ 判例のポイント

 大阪高判令和元年10月25日(WLJ判例コラム第190号文献番号2020WLJCC002参照)が、生後2か月の孫の頭部に強い衝撃を与えて急性硬膜下血腫等の傷害を負わせ、脳機能不全により死亡させたとして起訴された傷害致死の事案につき、第一審が懲役5年6月に処したのに対し、無罪を言い渡した。
 本件も、求刑が懲役8年という傷害致死事案について、東京地裁立川支部は無罪を言い渡した。「揺さぶられ症候群」に関する有力な医学的見解による立証が続けて退けられたことが注目されるが、より広く、傷害罪の認定における専門家の証言の評価の困難性が示されている。

Ⅱ 事実の概要

 本件公訴事実は、被告人は、平成29年1月13日午後11時10分頃から同日午後11時30分頃までの間に、m市内の被告人方において、A(当時生後1月)に対し、その頭部を揺さぶるなどの暴行(以下、単に「揺さぶる暴行」ともいう。)を加え、同人に蘇生後脳症の後遺症を伴う急性硬膜下血腫、脳浮腫、左眼網膜出血、多発性肋骨骨折等の傷害を負わせ、よって、同年3月22日午前4時3分頃、搬送先のB病院において、同人を前記傷害に起因する肺炎により死亡させたというものである。
 被告人は、Aに対し、公訴事実に記載されているような揺さぶる暴行を加えた事実はない旨、捜査の当初から一貫して供述していたのに対し、検察官は、上記の各傷害は、身体をつかまれ、揺さぶられるなど、頭部に振り子のような回転性の外力が加わり、頭蓋内で脳が揺れるとともに、首が過度に屈曲したことによって生じたものであり、Aが受傷した時間帯に、そのような外力を加えることができたのは被告人だけであるとし、被告人の上記供述は信用することができない旨主張した。
 東京地裁立川支部は、被告人が、Aに対して揺さぶる暴行を加えたと認定し得る直接の証拠はなく、Aが生まれてから本件当日までの間に、被告人が、揺さぶり行為はもちろん、Aに対して暴力的な行為に及んだ形跡は何ら認められないとし、被告人が生まれたばかりの子供の扱いに慣れていなかった時期には、周囲から見ていて危険を感じるような方法であやすこともあったが、およそ暴力的とはいえない態様で、本件当日に至る事実経過も、夫婦げんかをしていたとか、Aが大泣きするなどといった被告人がストレスを感じるような状況もなく、被告人が暴力的行為に及ぶ原因となるような事情は認定し得ず、当日はAの容体急変まで家族円満に過ごしていたことが認められ、突然の暴行のきっかけとなるような状況もうかがえないし、元妻が容体が急変したAを発見した際、Aの体勢やベッド上の布団等の状態に変化はなかったと元妻が述べていることも、被告人がAに揺さぶる暴行を加えたという推認を妨げる事情であるとし、無罪を言い渡した。

Ⅲ 判旨

 ただ、検察官が、本件各傷害は、揺さぶりによる振り子のような回転性の外力によって生じたものとしか説明できないと主張していることから、「揺さぶられ症候群」に関する以下の判旨が重要である。
 検察官の論拠は、①多発性急性硬膜下血腫が脳表と硬膜をつなぐ架橋静脈の破断によって生じたものであることからすると、頭部に回転性の外力が加わり、頭蓋内で脳が激しく揺れたと考えられること、②延髄及び頸髄の損傷状況からすると、頭部に加わった振り子のような外力により首が前後に大きく振られる力が加わったと考えられること、③脳浮腫が左右非対称でまだらであることなどからすると、呼吸停止による低酸素の影響だけではその機序を説明することができず、頭部への外力、それによって生じた急性硬膜下血腫によって、脳浮腫の一部が生じたと考えられること、④網膜出血が3層以上に及ぶ多層性のものであり、両手で数え難いほどの多発性のものでもあることからすると、脳が激しく揺さぶられたことで硝子体が何度も引っ張られて生じたものと考えられること、⑤肋骨骨折は、前後左右合計14か所にも及んでおり、とりわけ背部肋骨骨折は、大人が乳幼児の身体を掴んで揺さぶる際に骨折しやすい反面、心臓マッサージによっては骨折しにくいことである。
 これに対し、本判決は、①多発性急性硬膜下血腫に関し、小児脳神経外科医Cと小児科医Dは、Aの頭部が揺さぶられたことによって多発性急性硬膜下血腫が生じたと考えられると証言しているが、脳神経外科医である証人Eは、皮下血腫・硬膜外血腫が認められる右側頭部への打撲のみによっても、多発性硬膜下血腫は説明可能であるとする。証人C、D、Eの信用性はいずれも高く、Aに生じた硬膜下血腫は、架橋静脈が破断したことにより生じた可能性は十分に認められるが、証人Eが述べた硬膜下血腫が打撲によって生じた可能性も否定できず、Aの状態を見て冷静さを失った被告人がAを抱えて場所を移動させたり、カーペットや調理台の上で心臓マッサージをしたりした際に、Aの頭部に打撃を含む何らかの外力が加わった可能性は否定できず、「回転性の外力により架橋静脈が剪断されたことによるものと断定することはできない」とした。
 ② MRI画像に見られる延髄及び頸髄の損傷に関し、証人Cは、首を強く前後に曲げるなどの無理な曲げ伸ばしという動きが加わったときに生じたものと考えられるとするが、証人Eは、MRI画像上の頸部の損傷は、50分程度心肺停止の状態にあり血流が止まったときには、頸部の神経線維が損傷して本件のようなMRI所見を示すことがあるとし、延髄の損傷によって呼吸停止が起きる場合は、次第に呼吸が衰えていく、いわゆる失調性呼吸になると考えられることからすると、本件の事実経過とそぐわないのではないかと反論している。本判決は、証人Eの見解にも十分な医学的根拠が認められるとし、「延髄及び頸髄の損傷も揺さぶる暴行のみにより生じたことを示す傷害とはいえない」とした。
 ③ Aの脳に生じていた脳浮腫が、心肺停止による低酸素虚血の影響であることについては、証言の一致するところであり、いずれの医師の証言によっても、脳浮腫が直ちにAの頭部が揺さぶられたことを示すものとは認められない。
 ④ 証人Dは、揺さぶりにより多層性・多発性網膜出血が生じるとし、網膜と硝子体がくっついているところ、揺さぶられることで硝子体に接着した網膜が引っ張られ、血管が破れて出血すると説明し、一回的な衝撃では多層性・多発性の網膜出血が生じにくいとするが、証人E、Fは、低酸素などを原因として脳浮腫が生じれば、頭蓋内圧亢進が起こり、網膜の静脈が心臓側に戻れない状況になり、網膜に鬱血が起き、眼底、網膜に出血が起きることがあるとする。本判決は、「多層性・多発性の網膜出血は、相当程度Aの頭部が揺さぶられた事実を推認させる事情であるとは言い得る」としつつ、網膜出血が発生した時期については証拠上特定できないことに加え、証人E及び証人Fが述べるとおり、「左目の多層性・多発性網膜出血をもって、直ちにAの頭部が揺さぶられたことを示す傷害と認めることまではできず、被告人がAに対して揺さぶる暴行を加えたと断じるには疑問が残る」とした。
 ⑤ Aの肋骨が多数箇所骨折していた点に関し、証人Dは、心臓マッサージを実施したときに、特に乳幼児の場合骨折が生じる可能性はごく稀であり、乳児を掴んで乱暴に前後に揺さぶった場合、てこの支点にあたる背骨と肋骨の接合部である肋椎関節の近傍にかなり強い外力が加わって折れるため、肋骨の後部骨折は、虐待の場合に生じるかなり特異的な骨折であるとするが、証人F、Gは、心臓マッサージで背面の肋骨骨折をしたケースは記憶にないが、心臓マッサージによってAに生じていたような多発性の肋骨骨折が生じる可能性自体はあり得るとした。
 本判決は、被告人が体重95kgの成人男性であること、生後約1か月のAに対し、大人にするのと同様に両手で、少なくとも数分間にわたり、カーペットの上や調理台の上といった場所で心臓マッサージを行ったこと、特に手加減をしていた様子もうかがわれず非常に強い力が加わっていたことは容易に想像でき、一度の機会に行われた揺さぶる暴行により、指の跡などの外傷を残すことなく、前後合計14本という多くの肋骨を同時に折ることが可能かについては疑問も残ることも考えると、心臓マッサージによってAの肋骨、特に後部の肋骨が骨折した可能性を完全に否定することはできず、肋骨骨折も揺さぶる暴行が加えられたことを示す事情とはならないとした。
 その上で、「本件各傷害を個別にみれば、いずれも揺さぶる暴行のみにより生じたものであると断定することはできず、いずれの傷害についても、別の機序による医学的に合理的な説明が可能である。」
 「各医師の証言や見解によれば、本件各傷害の発生時期やその原因は医学的にも確定することができないのであるから、本件各傷害が被告人の揺さぶる暴行という一元的な原因で生じたと断じることには無理がある。本件のように、犯罪を証明するための直接的な証拠がなく、高度に専門的な立証を求められる傷害致死事件においては、生じた傷害結果について医学的な説明が可能かということだけではなく、本件に即していえば、被害者の年齢、事件前の被告人の暴行の有無やその態様、事件に至る事実経過、動機の有無やその合理性、事件後の被告人の言動などの諸事情を総合的に検討し、常識に照らして、被告人が犯行に及んだことが間違いないと認められるかを判断する必要がある。
 そして、前述した本件の事実経過からは、被告人がAに揺さぶる暴行を加えたことをうかがわせる事情は見当たらず、Aに暴行を加えていないと一貫して主張する被告人の供述には一応の根拠が認められることや、Aに生じた本件各傷害の発生機序に関する検討結果を併せてみれば、結局、被告人がAに揺さぶる暴行を加え、その結果、本件各傷害を負ったと認めるには合理的な疑いが残ると言わざるを得ない。」と判示した。

Ⅳ コメント


(掲載日 2020年4月6日)

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