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文献番号 2021WLJCC008
明治大学 教授
野川 忍
1.はじめに
労契法旧20条の解釈適用については、平成28年のハマキョウレックス事件※2及び長澤運輸事件※3の2件に加え、令和2年10月に出された5件の判決※4により、最高裁の基本的な判断の概要はほぼ示された。しかし、なお重要ないくつかの点で検討すべき点は残っており、本件はそうした状況を象徴する一つの実例として注目される。
2.本件の概要
自動車学校を経営するYの無期契約正職員であったX1とX2は、それぞれ60歳の定年退職後に、Yと有期労働契約を締結して「嘱託職員」として再雇用され、数回期間を更新して約5年間就労ののちに退職した。再雇用後の業務は、いずれも定年前と比べてその職務の内容及び当該職務に伴う責任の程度にも、また当該職務の内容及び配置の変更の範囲にも相違はなかった。
Yにおける正職員の労働条件は正職員に適用される就業規則と給与規定によっており、基本給、役付手当、家族手当、皆精勤手当、敢闘賞等で構成されていた。このうち基本給は一律給と功績給により構成され、賞与は毎年、夏季及び年末の2回、各季で正職員一律に設定される掛け率を各正職員の基本給に乗じ、さらに当該正職員の勤務評定分(10段階)を加算する方式で算定されていた。これに対しXら嘱託職員には嘱託規程が適用されるが、同規程に定めのない事項については正職員就業規則等が準用されることとされていたものの、実態に合わない場合や不都合と判断される場合にはその都度定めるものとされていた。嘱託規程では、賃金は勤務形態によってその都度決め、賃金額は本人の経歴、年齢その他の実態を考慮して決めるものとしていた。また、嘱託規程は、賞与について、嘱託職員に対しては原則として支給しないが、正職員の賞与とは別に勤務成績を勘案して支給することがあるとしていた。
X1は、定年退職時の基本給が18万1640円であったが、嘱託職員時の基本給は1年目が月額8万1738円であり、その後低下して、最終年まで月額7万4677円であった。またX2は、定年退職時の基本給が月額16万7250円であり、嘱託職員時の基本給は、1年目が月額8万1700円で、その後低下し、最終年まで月額7万2700円であった。このように、Xらの嘱託職員時の基本給は、正職員定年退職時と比較して、X1について45%以下、X2について48.8%以下となっている結果、若年正職員の基本給を下回っていた。また、Xらの定年退職時の月額賃金から残業手当を除いた金額は、いずれも約30万円強であり、賞与額も年間約50万円強にとどまっていた。また、定年前に支給されていた皆精勤手当と敢闘賞も減額され(これらは平成26年8月分からは精励手当として一本化された)、役付手当と家族手当は支給されなかった。
X1およびX2は、このような正職員との労働条件の相違は労契法旧20条に違反するものであるとして、主位的に差額賃金等を求め、また予備的に損害賠償を請求して訴えを提起した。
3.判旨の概要
請求一部認容。基本給と賞与の正職員との差額分について損害賠償を認め、家族手当については不合理性なしとして請求を棄却した。
判旨はまず、労契法旧20条につき、その趣旨を「有期契約労働者の公正な処遇を図るため,その労働条件につき,期間の定めがあることにより不合理なものとすることを禁止したものである」とし、同条の「期間の定めがあることにより」の趣旨、「不合理と認められる」の趣旨と不合理性の挙証責任の分配、「その他の事情」が労働者の職務内容及び変更範囲並びにこれらに関連する事情に限定されないことなどにつきハマキョウレックス事件最判を引用し、また有期契約労働者が定年退職後に再雇用された者であることが上記「その他の事情」として考慮されうるものであること、有期契約労働者と無期契約労働者との個々の賃金項目に関する労働条件の相違が不合理と認められるか否かの判断にあたっては、両者の賃金総額の比較のみならず当該賃金項目の趣旨を個別に判断すべきであることなどについて長澤運輸事件最判を引用している。そのうえで、本件における具体的判断をおおむね以下のように示した。
(1) 基本給
Xらの定年退職時の賃金が、当時の賃金センサスによる平均額を下回っていたこと、嘱託職員として勤務してからの賃金の総支給額が定年退職時の労働条件で就労した場合と比較して6割ないしそれ以下の水準にとどまっていることに加え、「Xらが嘱託職員となる前後を通じて,Yとその従業員との間で,嘱託職員の賃金に係る労働条件一般について合意がされたとか,その交渉結果が制度に反映されたという事情も見受けられないから,労使自治が反映された結果であるともいえない」ことなどを踏まえると、「正職員の基本給は,長期雇用を前提とし,年功的性格を含むものであり,正職員が今後役職に就くこと,あるいはさらに高位の役職に就くことも想定して定められているものである一方,嘱託職員の基本給は,長期雇用を前提とせず,年功的性格を含まないものであり,嘱託職員が今後役職に就くことも予定されていないこと」が認められるとしても、「これら事実は,定年後再雇用の労働者の多くに当てはまる事情であり,・・・Xらの職務内容及び変更範囲に変更がないにもかかわらず,Xらの嘱託職員時の基本給が,それ自体賃金センサス上の平均賃金に満たない正職員定年退職時の賃金の基本給を大きく下回ることや,その結果,若年正職員の基本給も下回ることを正当化するには足りないというほかない。」そして、「Xらは,Yを正職員として定年退職した後に嘱託職員として有期労働契約により再雇用された者であるが,正職員定年退職時と嘱託職員時でその職務内容及び変更範囲には相違がなく,Xらの正職員定年退職時の賃金は,賃金センサス上の平均賃金を下回る水準であった中で,Xらの嘱託職員時の基本給は,それが労働契約に基づく労働の対償の中核であるにもかかわらず,正職員定年退職時の基本給を大きく下回るものとされており,そのため,Xらに比べて職務上の経験に劣り,基本給に年功的性格があることから将来の増額に備えて金額が抑制される傾向にある若年正職員の基本給をも下回るばかりか,賃金の総額が正職員定年退職時の労働条件を適用した場合の60%をやや上回るかそれ以下にとどまる帰結をもたらしているものであって,このような帰結は,労使自治が反映された結果でもない以上,嘱託職員の基本給が年功的性格を含まないこと,Xらが退職金を受給しており,要件を満たせば高年齢雇用継続基本給付金及び老齢厚生年金(比例報酬分)の支給を受けることができたことといった事情を踏まえたとしても,労働者の生活保障の観点からも看過し難い水準に達しているというべきである。
そうすると,Xらの正職員定年退職時と嘱託職員時の各基本給に係る金額という労働条件の相違は,労働者の生活保障という観点も踏まえ,嘱託職員時の基本給が正職員定年退職時の基本給の60%を下回る限度で,労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たると解するのが相当である。」
(2) 皆精勤手当及び敢闘賞について
「これら賃金項目の支給の趣旨は,所定労働時間を欠略なく出勤すること及び多くの指導業務に就くことを奨励することであって,その必要性は,正職員と嘱託職員で相違はないから,両者で待遇を異にするのは不合理である・・・から,皆精勤手当及び敢闘賞(精励手当)について,正職員定年退職時に比べ嘱託職員時に減額して支給するという労働条件の相違は,労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たると解するのが相当である。」
(3) 家族手当
「Yは、労務の提供を金銭的に評価した結果としてではなく,従業員に対する福利厚生及び生活保障の趣旨で家族手当を支給しているのであり,使用者がそのような賃金項目の要否や内容を検討するに当たっては,従業員の生活に関する諸事情を考慮することになると解される。そして,Yの正職員は,嘱託職員と異なり,幅広い世代の者が存在し得るところ,そのような正職員について家族を扶養するための生活費を補助することには相応の理由がある。」「正職員に対して家族手当を支給する一方,嘱託職員に対してこれを支給しないという労働条件の相違は,不合理であると評価することはできず,労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たるということはできない。」
(4) 賞与
「Xらは,Yを正職員として定年退職した後に嘱託職員として有期労働契約により再雇用された者であるが,正職員定年退職時と嘱託職員時でその職務内容及び変更範囲には相違がなかった一方,Xらの嘱託職員一時金は,正職員定年退職時の賞与を大幅に下回る結果,Xらに比べて職務上の経験に劣り,基本給に年功的性格があることから将来の増額に備えて金額が抑制される傾向にある若年正職員の賞与をも下回るばかりか,賃金の総額が正職員定年退職時の労働条件を適用した場合の60%をやや上回るかそれ以下にとどまる帰結をもたらしているものであって,このような帰結は,労使自治が反映された結果でもない以上,賞与が多様な趣旨を含みうるものであること,嘱託職員の賞与が年功的性格を含まないこと,Xらが退職金を受給しており,要件を満たせば高年齢雇用継続基本給付金及び老齢厚生年金(比例報酬分)の支給を受けることができたことといった事情を踏まえたとしても,労働者の生活保障という観点からも看過し難い水準に達しているというべきである。
そうすると,Xらの正職員定年退職時の賞与と嘱託職員時の嘱託職員一時金に係る金額という労働条件の相違は,労働者の生活保障という観点も踏まえ,Xらの基本給を正職員定年退職時の60%の金額・・・であるとして,各季の正職員の賞与の調整率・・・を乗じた結果を下回る限度で,労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たると解するのが相当である。」
4.本判決の意義と課題
(1) 序
本判決が扱った事案は、定年退職後に有期労働契約を締結して再雇用されたところ、労契法旧20条にいうところの「職務の内容」や「変更の範囲」が無期契約労働者(実質的には定年前の当該労働者)とほぼ同じでありながら、賃金が低下している、という場合を扱ったという点では、長澤運輸事件と同様の類型に属するが、その低下の程度や労使自治の関与などがかなり異なること、また判断基準においても賃金センサスや賃金の生活保障的性格に言及していることなどにおいて新たな視点がみられることなど、判断事例としては長澤運輸事件の射程に必ずしも入りきらない側面を有している。以下ではこの観点から、本判決の意義と課題を抽出したい。
(2) 事案としての特質
本件事案には事実認定について必ずしも明確でない点が多くあり(たとえば、Xらの有期労働契約に付されていた期間の具体的内容、Yの嘱託職員に対する賃金決定の具体的内容、労働組合の対応など)、また判旨の論理の運びも十分に説得的であるとはいえないが、それはYにおける嘱託職員の地位や賃金制度のありかた自体にわかりにくい点が少なくないことも一因となっているものと思われる。したがって本件の事案としての特質も、事実認定に現れた内容を整理した限りで認識できる範囲に制約される(本件は控訴されているので、控訴審ではもう少し事実関係がクリアーになると期待したい)が、その前提においてみられる特質は以下の点である。
第一に、中心的な争点となっているのが、定年退職後に有期労働契約によって再雇用された労働者の労働条件、とりわけ賃金が、仕事の内容が定年前と変わらないにも関わらず定年前の支給額より減額されるという措置の適法性であり、このような措置は日本の企業社会においてごく一般的であるために、事実関係の基本構造自体に普遍性がみられることである。
第二に、本件では、Xらに対する賃金の減額分が、定年時に受給していた額に比べ60%を下回っており、同じ類型の先例として注目された前掲長澤運輸事件の場合(79%)に比べて減額幅が非常に大きいこと、そしてそれが諸手当、賞与等の不支給などによるものではなく基本給の大幅な減額によるものであることも注目される。
第三に、Y側の主張によればYには労働組合が存在しており、Xらも組合員であったこと、またX1が「分会長」であったことなどが確認できるが、本件にかかるテーマについて団体交渉や労使協議などが行われた実績がみられないのみならず、そもそも労働組合の組織率や活動実績、本件における対応などが一切認定されていない。他方で事実認定においては「職員代表との間で再雇用制度に係る協定書を作成している」との表現があるが、この「職員代表」の性格や位置付けも判旨からは全くうかがえない。長澤運輸事件では労働組合が使用者側と交渉を重ね、使用者側の措置に一定の理解を示していたとの事実認定がされていたが、本件ではこの点に関する検討が全く欠落しているといわざるを得ない。
以上のように、本件は基本給や賞与の支給格差について不合理性が認められた注目すべき事案ではあるが、事実関係そのものに、特に先例として位置付けられる長澤運輸事件最判とは大きく異なる内容があることは、裁判例としての評価にも色濃く影響せざるを得ないものといえよう。
(3) 判断基準の特徴
本件は、判旨の特徴としても注目すべき点を少なからず含んでいる。
第一に、最判の一般的な判断基準をほぼすべて踏襲することで、具体的判断の正当化をはかる意図が強くみられることである。上述のように判旨は、特に先例となる長澤運輸事件やハマキョウレックス事件の最判に示された一般的な判断の内容を忠実に踏襲する姿勢を示しているが、具体的判断においては、基本給及び賞与について不合理性を認めており、その判断が独自の判断基準によるものではなく先例を十分に踏まえた上での普遍性のあるものであることを強調する必要があったものと考えられる。
第二に、賃金に関する不合理性判断の前提として、賃金センサスによる平均賃金を判断要素として重視し、また「労働者の生活保障」という観点を強く打ち出していることである。すなわち判旨は、Xらの嘱託職員時の賃金が大幅に減額されていることに加え、そもそも定年退職時の賃金が一般的な水準からして低額であったことを示して、賃金格差の不合理性を判断する補強要素としている。この点は、もともと定年退職時の賃金がかなり高額であった場合には相当な減額であっても不合理とまではいえないとの判断を導きうるとの想定を踏まえたものであろう。確かに、労契法旧20条に定められた不合理性は相対的な評価基準であるから、判旨が賃金統計の中でも最も大規模で信頼性もある賃金センサスを用いて、一般社会における賃金水準に比べても深刻な低額であると評価しうるとの判断を示したことは、一つの工夫として注目されよう。ただ、賃金センサスの結果はあくまでも事実としての賃金の現状を示したものであって、最低賃金などとは異なり規範的な要素はない。稼得のない主婦(夫)や学生などの無業者の逸失利益の算定に使用されるのも、無色の「データ」として活用できると考えられているからであろう。したがって、賃金格差の不合理性判断の要素としてどの程度意義を認めうるかはなお検討の余地がある。また、本件においてXらの嘱託職員時の賃金が、賃金センサス上の平均賃金に達していなかった定年退職時の賃金をさらに大きく下回ることにつき、「労働者の生活保障という観点からも看過し難い水準」とする判旨の態度にも一定の疑念が生じうる。賃金が実質的に生活保障の機能を果たしていること自体は是認しうるとしても、使用者としては最低賃金の定めなど法により明確に義務付けられている水準を確保すれば、それを超えて労働者の生活保障として機能しうる賃金の支給を行う法律上の義務はない。もっともこの点、判旨は、「労使自治が反映された結果でもない以上」という判断をその前提として示していることからすると、生活保障という観点は使用者にそれを義務付けるという趣旨ではなく労契法旧20条違反を構成する不合理性判断の一要素として、定年退職時の賃金と嘱託職員としての賃金との格差の大きさを評価する指標としてのみ位置付けているのかもしれない。そうであるとすれば、まさにそのような判旨の対応自体が議論の対象となり得よう。
第三に、判旨は基本給についても賞与についても、定年退職時の賃金をベースとしてその60%を基準とした額を下回る限度で不合理であるとしているが、これは一見、かつて下級審裁判所が、基本給、賞与、退職金などについていわゆる割合的認定(不合理と認められる水準や損害額について無期雇用労働者に支払われた額の一定の割合を認定する)を行っていた※5傾向を再現するかのような印象を与える。この点は、判旨の意図をそのように読むのか、あるいは本件では賃金センサスを指標として定年退職時の賃金の低さを指摘しており、本件におけるそうした実態を踏まえた特別な判断が示されているとみるのかはただちには断定できない。しかし、少なくとも、令和2年のいわゆる最高裁5判決においておよそ割合的認定の要素が払拭されたかのように受け止められた裁判所の対応が、なおそのように断言できるか不分明であることを示す証左としての意味は認められよう。
第四に、判旨が、本件における賃金格差に労使自治が反映されていないことを繰り返し強調するなど、これまでの最判で重視されてきた観点を踏まえた判断であることを意識的に示していることも注目される。確かに、最高裁は長澤運輸事件においても同日に出されたハマキョウレックス事件においても、労契法旧20条にいう「その他の事情」の判断にあたって、使用者の経営判断に加え、労使間の交渉を重視すべきことを示しているので、本件のように労働組合があり、また「職員代表」なる存在もみられる状況の下で労使間の交渉が行われた形跡がないことは、不合理性の判断の帰趨に大きな影響を与えうると考えられる。ただ、判旨がそれを、仮に十分な労使間の交渉があれば本件のように大きな賃金の格差であっても不合理性が否定される場合があると想定しているのか、あるいは労使間の交渉の存否やその内容も、不合理性判断の相対的な一要素としてのみ位置付けているのかは定かではない。また、上述のように本件では労働組合の実態や本件における対応、「職員代表」の内実など事実認定からうかがいしれない面が大きく、不合理性判断における労使間の交渉の位置付けについて、本件判旨に一定の先例性を認めることは困難であろう。
(4) 今後の課題
以上のような判断の特質を前提として、判旨は、基本給については定年退職時の額の60%を下回り、賞与については基本給の60%に各季の正職員の賞与の調整率を乗じた額を下回る限度で不合理性を認定した。上述の検討から明らかなように、これらを一般的な「相場」のようにとらえ、「定年後再雇用の労働者には、定年時の賃金の8割程度を払えば不合理ではないが6割程度ではあぶない」という見通しが生まれたとみることは妥当ではない。事案の特殊性や判旨のスタンスからすれば、本判決はあくまで最判による一定の判断基準が定着しつつある中での注目すべき一事例として位置付けるべきであり、その具体的判断の一般性や普遍性については十分な検討が必要である。なお、家族手当の不支給が不合理ではないとした判断については、同手当の不支給を不合理とした他の事案※6や同種の意味を有する扶養手当の不支給を不合理とした最高裁の立場※7との整合性について議論の余地があることを指摘するにとどめたい。
(掲載日 2021年4月5日)