ウエストロー・ジャパン
閉じる
判例コラム

便利なオンライン契約
人気オプションを集めたオンライン・ショップ専用商品満載 ECサイトはこちら

判例コラム

 

第250号 創業年と品質等誤認表示(不正競争防止法2条1項20号)の関係 

~八ッ橋創業年事件控訴審判決(大阪高判令和3年3月11日)※1

文献番号 2022WLJCC002
金沢大学 教授
大友 信秀

1.本件を紹介する理由
 本件は、創業年の表示が不正競争防止法2条1項20号(以下、「20号」という。)の品質等誤認表示に該当するかが争われた初めての事件である。具体的には、1689年という具体的な創業年を表示するために、どの程度の根拠が必要とされるかが争われた。
 本件判決は、300年以上前の創業年については、言い伝えや伝承である場合、客観的に真偽を検証、確定することが困難であるとして、具体的な根拠を示すことができなくても、20号には該当しないとした。
 しかしながら、本件のYの創業年は、実際の言い伝えや伝承をそのまま根拠とするものではなく、Y自身がそれら言い伝えや伝承を組み合わせて独自に創作したものであったため、本件判決が認めた基準にそのまま当てはまる事例ではなかった。
 本件判決は、このように、20号の条文の射程範囲と、具体的事実認定について、これまでにない判断を示した判決であり、今後の実務に大きな影響を与えると考えられるため、紹介する。

2.本件
(1) 第一審までの経緯
 X(原告・控訴人)及びY(被告・被控訴人)は、いずれも、京都を代表する和菓子の一つである八ッ橋を製造販売する。Yは、店舗の暖簾や看板、ディスプレイなどに「創業元禄2年」及び「since1689」の表示を付し、商品説明書等にYの事業である八ッ橋製造販売が元禄2年(西暦1689年)からなされていることを示す表示を付した商品を製造販売している(以下、上記各表示を併せて、「Y各表示」という。)。
 Xは、Yの創業または八ッ橋の製造開始が元禄2年(西暦1689年)であるとするY各表示がYの製造販売する商品及び役務の品質等を誤認させる表示であるから、Y各表示を表示する行為が、20号の不正競争(品質等誤認表示)に該当すると主張して、Yの暖簾等及びYが製造販売する商品の商品説明書等にY各表示を付することの差止請求及び600万円の損害賠償請求等を求めた。
 第一審(京都地判令和2年6月10日WestlawJapan文献番号2020WLJPCA06106001※2は、「20号に列挙された事項を直接的に示す表示ではないものも、表示の内容が商品の優位性と結びつくことで需要者の商品選定に影響するような表示については、品質、内容等を誤認させるような表示という余地が残ると解するのが相当である。」として、創業年を20号の対象から排除しなかった。そして、具体的なYの表示については、①江戸時代におけることがらが、特段の資料なしに正確にわからないことは需要者にも経験則上推測できること、②八ッ橋の発祥年や来歴につき、複数の業者により異なった説明がされており、どれが正しいかの決め手もないことを簡単に知ることができると推認できること、③長い伝統が需要者にとって当然に大きな意味を持つわけでないことが推認できることから、「Y各表示は、いずれも商品の品質及び内容の優位性と結びつき、需要者の商品選択を左右するとはいえないから、品質等誤認表示とはいえない。」として、Xの請求を棄却した。

(2) 本件判決
① 不正競争防止法2条1項20号の規制対象の範囲
 本件判決も、第一審同様、創業年の表示を20号の対象から排除せず、20号の規制対象については、以下のように説示した。
 「20号の定める『品質』『内容』に、これらの事項を間接的に示唆する表示が含まれる場合がありうるにしても、そのような表示については、具体的な取引の実情の下において、需要者が当該表示を商品の品質や内容等に関わるものと明確に認識し、それによって、20号所定の本来的な品質等表示と同程度に商品選択の重要な基準となるものである場合に、20号の規制の対象となると解するのが相当である。」

② Y各表示の品質等誤認表示該当性について
1) 品質等誤認表示該当性の判断基準について
 「創業年、又はYが製造販売する菓子である八ッ橋の来歴・・・は、具体的な取引の実情の下において、需要者が当該表示を商品の品質や内容等に関わるものと明確に認識し、それによって、20号所定の本来的な品質等表示と同程度に商品選択の重要な基準となるものである場合に、品質等誤認表示に該当し得ると解される。もっとも、品質等誤認表示に該当すると認められるには、さらに・・・当該表示が、実際の商品の品質や内容等とは、客観的事実として異なる品質や内容を需要者に認識させるものであることが必要である。かかる誤認の対象となるのは、客観的に真偽を検証、確定することが可能な事実であることが想定されているというべきであり、客観的資料に基づかない言い伝え、伝承の類であって、需要者もそのように認識するような事項は、対象とならないと解するのが相当である。」

2) Y各表示の品質等誤認表示該当性について
 「本件におけるYの創業年は、・・・300年以上前のことであるから、商業登記簿などといった公的な客観的資料により確定できるものでないことは明らかである。そして、・・・Yの創業年やこれに関連する八ッ橋の起源、来歴は、明確な文献その他の資料の存在しない言い伝え、伝承によるものと理解される。また、Y菓子である八ッ橋の起源についても、・・・その起源、来歴については、複数の説が存在し、多くが江戸時代の話を同時代の資料を提示せずに伝承として伝えるものにとどまり、客観的に真偽を検証、確定することが困難な事項というべきである。」

3) Y各表示に対する需要者の認識等について
 「Y各表示は、需要者にとって、Yが江戸時代前期に創業し、Y菓子の製造販売を始めたようであるとの認識をもたらすとしても、同時に、これらがいわゆる伝承の類にとどまり、客観的な真偽を検証、確定することが困難な情報であるということも、需要者に容易に認識されるものであるというべきである。」

4) 品質等誤認表示該当性についての結論
 「以上によれば、Y各表示は、需要者に商品の品質や内容の誤認を生ぜしめるものであるとはいえず、20号の規制する品質等誤認表示に当たるとは認められないと解するのが相当である。」

3.本件の問題の所在:創業年の商品等表示としての利用の一般的意味と本件の特徴
(1) 創業年の商品としての表示の一般的意味
 商品に対する創業年の表示は、不正競争防止法2条1項20号(平成30年法律第33号による改正前の2条1項14号)に規定される誤認表示のうち、商品の「品質」もしくは「内容」についての表示に該当するかについては、以下のように解するのが判例及び学説の認めるところである。
 20号の誤認表示として、創業年の表示は、明示されていないが、具体的な取引の実情の下で、実質的にみて、同号に明示された表示事項に関する表示と評価し得るものについては、同号の適用が認められる。
 20号が限定列挙規定か例示列挙規定かについては、豊崎光衛ほか『特別法コンメンタール不正競争防止法』(第一法規出版、1982)等、改正時のコンメンタールでこれを例示列挙とするものも見受けられるが、現在は、限定列挙と捉えるべきとの学説も見られる。本件では、いずれの説を採用しても、創業時の表示の20号該当性については否定されないため、この点についての詳細な検討は行わない。

(2) 本件で問題となっている創業年が商品自体の由来に関わっている点
 本件で問題となっている創業年は、事業者の創業起源がそのまま八ッ橋という商品の起源となっている点に特徴がある。
 通常、事業者の創業年は、客観的な事実として特定可能であり、まれに創業が古く、途中で天災や火事等で創業を証明する資料を紛失した場合等には客観的な事実を証することが困難となることもあるが、その場合にも、事業が継続していることから、おおよその創業時についてはこれを肯定することが可能となる。
 これに対して、本件では、Yは、自身の創業についてこれを証する客観的な事実が存在しないため、自身が継承したとするD家の伝承から創業年として元禄2年を利用し、八ッ橋の起源については、そのD家が伝承の根拠としてきた三河説ではなく、これとは全く関係ない八橋検校との関係を由来として利用している。
 このように、本件の特徴は、創業年が商品の由来と表裏一体でありながら、創業年と商品の起源(由来)の関係を示す客観的資料、伝承の類がまったく存在しないところにある。

(3) 本件で問題となっている創業年を示す客観的資料等がない点
 八ッ橋という商品を扱う業界では、八ッ橋の起源として、Yが事業を引き継いだとするD家が採用してきた三河説、Xが商品である八ッ橋の起源とする八橋検校説、Yが採用している理由付け(以下、「Y説」という。)の3つが唱えられており、このうち、D家の採用する説及びYの説については、商品の起源がそのまま事業の起源とされている。
 このように、3説が併存していることからも、八ッ橋の起源が歴史的に一つの事実が客観的に認められているわけではなく、決定的資料を欠いたまま、言い伝えや伝承として現在まで継承されてきたことがうかがえる。
 このような言い伝えや伝承を理由とする起源が商品表示としての使用を許容されるのは、したがって、歴史的事実の客観的真実性ではなく、そのような事実が歴史的正しさとは別に、長期間にわたって世間が認める伝承として継続してきたことにある。とりわけ、本件のように、その起源が何百年も前のことになれば、創業から現在までを知る需要者は存在しないため、商品に接する需要者は、自身が需要者となる以前から、商品の起源が一貫して需要者に許容されてきたという事実状態を信用することとなる。
 したがって、本件のように、創業を示す客観的資料が存在しないことが許容されるほど古い歴史を持つ事業もしくは商品の場合には、創業を示す客観的資料を要求することは現実的でなく、また、需要者にとっても、大きな関心対象とはならないことがわかる。
 しかしながら、上述のように、需要者は事業の継続性については、当然関心を持つものであり、創業の起源から現在の事業まで一貫してきたという事実について、明らかに断絶があるという場合は、その継続性について需要者の信頼は途切れてしまっており、これを使用することは、起源を偽ることとなり、需要者の信頼を害する表示と評価されることになる。
 さらに、伝承と、事業者の創作は異なるため、事業者が伝承を脚色して、明らかに伝承とは異なる内容を創業理由として創作した場合には、もはや伝承ではないため、これをあたかも伝承であるかのように需要者に示すことも、需要者の信頼を害する表示と評価されることになる。

4.不正競争防止法2条1項20号と創業年の関係
 上述のように、20号の「品質」もしくは「内容」に創業年が含まれ得ることについては、学説及び判例が一致して、これを認めている。
 創業年に類似する、「元祖」の意味が問題となった大阪地判平成19年3月22日(平成18(ワ)140)WestawJapan文献番号2007WLJPCA03229004、大阪高判平成19年10月25日(平成19(ネ)1229)WestlawJapan文献番号2007WLJPCA10259001では、「本件商品のような新しい着想による、歴史・伝統の浅い商品について『元祖』表示を付することが、その品質に係る優位性を強調することに繋がるとは必ずしもいえず」、「直ちに商品選定に影響するとは認められない」とされたが、このことは、逆に、歴史や伝統のある商品については、商品選定に影響する表示として評価できることを意味する。
 そして、本件における八ッ橋はまさにそのような伝統をうたっている商品であることから、事業主体の起源に関する表示は、20号の適用対象になり得ることになる。

5.創業年が事業の始期を示すだけでなく、問題となっている商品表示が付されている商品の由来を示すものであることと、不正競争防止法2条1項20号の関係
(1) 本件の表示が付されている商品の特徴
 本件で表示が付される商品として問題となっているのは、「八ッ橋」という和菓子である。八ッ橋として販売されている商品には、伝統的な焼き菓子に加え、生八ッ橋と呼ばれる、生地を焼かずにそのまま食すものがあり、後者には、さらに、生地で餡子を包んだもの等がある。
 これら八ッ橋の主な需要者は、観光客等、お土産物として自身もしくは他者のためにこれを購入する者である。平成14年ころ、関西2府4県に在住する和菓子に関心がある者に対するアンケートでも、八ッ橋は、もらってうれしい菓子のトップになったことがある。
 このように、八ッ橋は著名な菓子といえるが、需要者は、それだけ著名なものであれば、特徴を有する名称が、たとえば、橋が八つあること等に由来しているだろう等と想像し、それを知りたがるだろうし、実際、事業者は、そのような期待に応えるべく、それぞれが由来を示してきた。
 このように、需要者の関心を引く商品の起源が事業の創業時と密接にかかわる場合には、その関係性について、何らかの根拠は必要とされるし、そのような根拠が存在しないにもかかわらず、あたかも関わるかのように説明する場合には、それが数百年の時を経て、すでに伝承と呼ばれるものとなっている等の特段の事情がない限り、需要者に対して事実と異なる内容を提示するものであり、需要者の商品選択に影響を与えるものであれば、20号の誤認表示に該当するものと評価される。

(2) 八ッ橋の由来について
 業界内には、八ッ橋の由来について、おおむね、以下の3つがある。
① 三河説
 平安時代中期の歌物語である「伊勢物語」で在原業平が読んだ歌に出てくる三河国八橋(現在の愛知県知立市)にあった八枚の板を互い違いに重ねていた橋が由来であるとする説である。この説は、明治33年11月に発行された菓子業者向けの書物に記載されており、京都府内務部が大正15年に作成した『京の華』にも、Yが承継したとするD家の創業時が元禄2年であることと合わせて記載されている。その後、昭和11年に公表された、京都府女子師範学校「郷土研究」3号にも記載されている。ただし、起源を直接示す資料はない。
 この説は、Yが事業を承継したとするD家が採用している説である。

② 八橋検校説
 近世中期に筝曲の基礎を築いたとされる八橋検校を由来とする説である。F地区の発展に貢献した八橋検校への感謝の念から筝をかたどった堅焼き煎餅が八ッ橋と名付けられ販売されるようになったとする説である。ただし、起源として特定の年を示す資料はない。
 この説は、Xが採用する説である。

③ Y検校説
 上記検校説を土台にしながら、検校の死後4年後(元禄2年)に、F地区及びその周辺ではなく現在のY本店所在地で八ッ橋を販売してきたことが起源であるとする説である。
 この説も起源を直接示す資料はないことに加え、八橋検校との関係で現在のYの本店所在地で販売されるようになったとの部分はYの創作であると思われる。

(3) 業界内の事業者の創業年と商品の起源の関係
 八ッ橋の起源については、上記のように3説に分かれているが、これに対して、事業者の創業年と八ッ橋という商品の起源との関係については、おおむね以下のように同様に3説に分かれている。
① D家の創業(八ッ橋については三河説を採用)
 D家は、元禄年間(1687年~)にGの森の「八ッ橋屋H店」で白餅を販売したことを起源としたり(本家D八ッ橋)、熊野神社の境内の茶店が起源であるとしている(本家八ッ橋)。文政7年(1874年)に熊野神社に奉納された絵馬に八ッ橋屋○○という名前が残っていること等が客観的資料として示されているが、創業年とする元禄2年を根拠付ける資料はない。また、八ッ橋の起源を三河説とする資料についても、直接起源を示す資料はない。

② X・原告(八ッ橋については検校説を採用)
 X・原告は、1603年にI茶店が創業され、その後、I茶店と関わりを持つJが「I」を1805年に開業したことを創業とする。八ッ橋との関係については、その当時茶店で人気を博していたのが堅焼き煎餅である八ッ橋であるとしている。

③ Y(八ッ橋については八橋検校を由来とするとの説を採用)
 Y・被告は、D家の事業を継承したため、当初は、D家と同様の創業理由に従っていたが、その後、昭和27年ごろに、現在の創業理由に変更したことがうかがえる。上述のように、八橋検校の死後、現在の本店所在地で八ッ橋を販売したことを起源としているが、そのような起源を示す資料はD家にも伝わっておらず、Y自身による説明以外には伝承としても存在しない。

6.創業年を示す客観的資料等がない場合に、そのような創業年の商品表示としての利用が許容されるか
(1) Yが属する業界における創業時の表示一般
 20号の「品質」「内容」に該当するかは、「具体的取引の実情の下で、実質的に見(る)」必要があるため、以下、Yが属する業界における創業時の表示一般の状況を分析する。
 Yが製造・販売する八ッ橋は、京都を発祥とする伝統ある和菓子との需要者の理解を得ていることは、上述の通りである。京都で和菓子を製造・販売する事業者には、何百年もの歴史を有する者が数多く存在しており、それら事業者は、何百年も以前のことだから創業起源についてはあいまいでも構わないという姿勢は採用せず、古い歴史について誰もが否定しない場合にも、その起源を示す資料が消失している場合等には、〇〇年間とか、〇〇年代と表示している。
 たとえば、亀谷伊織は、創業約400年と言われているが、天明8年(1788年)に発生した大火事で焼失して創業年の詳細は不明としている。川端道喜は、文亀3年(1503年)と言われているが、初代から暖簾を絶やしたことがない。長五郎餅本舗は、特定の年ではなく、天正年間(1573~92年)創業としている。水田玉雲堂は、商品の起源(貞観5年(863年)、疫病が流行した際に当時の天皇が御霊会を行い、疫病よけとして「唐板煎餅」が神前に供えられたのが、銘菓「唐板」の始まりとされている。)ではなく、現在の本店に移転した時期(文明9年(1477年))としている。また、虎屋も、特定の年ではなく、室町時代後期としている。
 このように、Yが属する京都及び京都を発祥とする和菓子業界では、創業が古い事業者が数多く存在するが、その創業年については、事実に忠実に表示しており、したがって、これら事業者の商品に接する需要者は、事業者の創業年については、それなりの事実が存在するであろうことを当然のこととして予測するものといえる。

(2) 客観的資料等がないのに、創業年の表示が許容される場合
① 業界や需要者が疑問を持たない程度に知られている事実に基づき、年代で特定する場合
 創業時について、上述のように、長五郎餅本舗は、天正年間(1573~92年)創業としていたり、虎屋は、室町時代後期としている。創業年を特定する客観的資料がない場合は、このように特定することが一般的であり、需要者に対しても偽りのない形であるといえる。

② 事業者が相当程度、創業年の表示を継続しており、すでに業界及び需要者にその創業年がある程度正当なものとして認識されている場合
 八ッ橋業界では、Y以外にも、Yが事業を承継したとするD家が創業時を元禄2年としているが、ともに、創業時を示す客観的資料を欠いている。
 ただし、大正15年(1926年)には、京都府内務部作成の書物にD家の創業が元禄2年であると記載されており、昭和44年(1969年)には、京都府が、「100年以上続く老舗業者」を表彰した際に「最古の八ッ橋業者」として本家D八ッ橋を表彰している。
 このように、創業年に関する一定の社会的評価を得ている資料が100年近く前からすでに存在してきたこと、また、おそらく、そのような評価を前提として、京都府がD家の創業を業界最古と認めたことは、歴史的真実はどうあれ、D家の創業について、需要者もまた、同様に、創業時に関して、これを一定程度正当化され得るものとして認識してきたことがうかがえる。

7. 本件への当てはめ
(1) Yの創業年に関する表示の根拠
 Yの創業年は、自身が製造・販売している商品である八ッ橋の発祥と密接に関係するものと説明されている。そして、Yが採用している八橋検校由来説については、その発祥年を特定する客観的資料は存在しない。また、創業年とする元禄2年は、Yが事業を継承したとする、八ッ橋の創業家とされているD家が採用するものであるところ、Yは、D家が採用する八ッ橋の由来を昭和27年ごろまったく異なるものに変更することで、D家の創業伝承を自ら排除した。
 したがって、Yの創業年については、創業家を継承することにより可能となる、創業家の伝承を利用することができず、また、商品の発祥由来とする八橋検校由来説にも、特定の年が発祥とされる根拠を示す資料はなく、根拠が存在しないことになる。

(2) 創業年と伝承
 創業年の表示について、Yの事業が属する京都を発祥とする和菓子の事業者が、Yのように根拠がないにもかかわらず、特定の年を示す者はほぼ皆無である。
 唯一見られるのが、同じ八ッ橋の業界におけるYが事業を継承したとする八ッ橋の創業家とされるD家の創業伝承である。
 D家の創業伝承については、大正15年に京都府内務部によってこれを認める書物が作成されており、また、今日まで、一貫して、商品である八ッ橋の発祥由来とともに示し続けてきたことからすると、需要者にとっては、一定の正当性を持つ伝承と呼べる水準にあるものと位置付けることが可能である。
 これに対して、YがD家の創業年のみを取り出し、その由来として、八ッ橋の起源としての検校説を合わせて利用し始めたのは、昭和27年ごろと考えられ、Y以外の者によって示されたことのないYの創業の由来がすでに需要者にとって伝承と呼べる水準に達したと認めることはできない。

(3) 本件判決の判断齟齬について
① 創業年に対する需要者の認識について
 本件の第一審判決は、「・・・Y各表示に接した需要者が、歴史の古さがY菓子の品質及び内容の優位性を推認させると受け取ることがあるとしても、それが、必ずしも需要者の行動を左右する事情であるとはいえない。Y各表示は、いずれも商品の品質及び内容の優位性と結びつき、需要者の商品選択を左右するとはいえないから、品質等誤認表示とはいえない。需要者の認識を考えれば、Y各表示は、もともと、創業が320年前のようであるという程度の受け止められ方になると推認され、これが実際と大きく異なるともいえず、誤認を招くとはいえない。」と需要者の認識を特定している。
 しかしながら、京都を発祥とする和菓子の業界では、創業時に関して、厳格な表示の採用が通常とされており、このような業界の実態からは、需要者は、創業年として特定の年が示してあれば、当然、その年に創業されたと認識する。
 このような第一審判決を相当とする本件判決は、創業年に対する需要者の認識の特定を誤っており、したがって、そのような誤りに基づく創業年表示の品質等誤認表示該当性の判断は、根拠を欠いており、20号該当性についても自ら「・・・具体的な取引の実情の下において、需要者が当該表示を商品の品質や内容等に関わるものと明確に認識し、それによって、20号所定の本来的な品質等表示と同程度に商品選択の重要な基準となるものである場合・・・」という判断基準(すなわち法解釈)を示しながら、「具体的な取引の実情」を全く考慮せず、これに従っていない点でも、具体的事実に基づかない判断を行っているという点(すなわち事実認定)でも誤っている。

② 伝承と単なる創作話の混同について
 本件判決は、「Y菓子の需要者である全国の一般消費者の認識としても、300年以上前の江戸時代に起こった事柄は、特段の資料を提示した説明がされているような場合以外、客観的に検証、確定できないことは、経験則上、容易に推測できるといえる。」とする。
 しかしながら、京都を発祥とする和菓子事業者の創業に関しては、具体的な資料が消失していても、事業継続それ自体が事業の古さを証明していることから、このような経験則自体が存在しないことが明らかである。
 また、伝承については、客観的検証や歴史的事実の確定が困難であると言えても、同様に、江戸時代に起こったとされる事柄について、資料を提示した説明がされていない場合に、すべてが伝承として民衆から信頼を得ているわけではなく、後世に特定の者が創作する場合もあり得ることは、経験則上、容易に推測できるといえ、本件のYの創業由来は、まさにそのような本人による創作であることが明らかである事例である。
 この点で、特定の者による創作を民衆が広く認める伝承と同列に扱う本件判決の判断は、経験則に反しており、誤りである。

③ 本件表示が付される対象である八ッ橋という商品の性質の特定に関する認定の誤り
 本件の第一審判決は、「京都において、生八ッ橋など、八ッ橋よりも歴史が新しい菓子もまた、よく売れている。このことも、京都の老舗であるからといって、長い伝統が、需要者にとって当然に大きな意味を持つわけではないことを、推認させるといえる。」としている。
 しかしながら、この本件の第一審判決の判断は、商品の伝統と事業者の歴史を混同している。歴史の古い事業者であっても、常に新しい商品を開発することで市場での優位性を確保する必要があり、実際、生八ッ橋で餡を包むという新しい商品を、昭和22年に開発したのは、本件のXである。
 もちろん、伝統のない事業者は、市場において、伝統という優位性を持つ競争相手に対して、機能性等の他の要素で優位に立たなければならず、その後、餡を包んだ生八ッ橋の大量生産を実現し、売り上げを伸ばした事業者には、比較的歴史の浅い業者もあった。
 このように、伝統を有さない事業者は、需要者に対する競争優位を獲得するために、伝統以外の要素を必要とするが、これによって、伝統という要素が市場において否定される根拠となることはない。
 このように、本件の第一審判決は、市場における需要者に対する優位性の判断において、明らかな誤りを犯している。したがって、当該第一審判決を相当とする本件判決も疑問である。

④ Yの主張が禁反言に該当すること
 Yは、その事業を業界創業家であるD家から承継した。古い事業の歴史的由来については、通常、本家なのか分家なのか、元々の創業家なのか、そうではないのか等、様々な要素が注目され、八ッ橋の業界でも、創業家の経営権を法的に承継したとするYと創業家の血を引くD家とがそれぞれ事業を営んでいる。
 この点につき、Yは、経営権の承継という客観的な理由を強調することで、創業家を、自身の事業の創始者とは扱わない姿勢を採用している。それにもかかわらず、実際の創業時である元禄2年の根拠については、客観的な資料がまったくないのにもかかわらず、創業家が継続して示してきたことを利用し、これが認められると主張している。
 また、Yが創業由来をD家が採用してきた三河説から八橋検校説に変更したことも、D家の経営を承継しながら、その由来は否定し、これとの差別化を求める必要性により他説を求めたためとも考えられ、自身の言動が矛盾しており、いわゆる禁反言に該当する状態になっている。

(4) 結論
 Yが扱う八ッ橋は和菓子という食品であり、生八ッ橋という比較的賞味期限の短いものも含まれている。このような商品を購入する需要者は、表示を付している製造者ないし販売者が食品としての表示に関して誠実な者であるとの信頼を基礎にしている。なぜなら、食品に関する表示に関して、賞味期限や材料の表示以外の表示であっても、そのような表示について事実と異なる表示をする者は、賞味期限や材料の表示に関しても事実と異なる表示をする可能性があると考えるからである。
 また、Yが扱う八ッ橋は、京都を発祥とする和菓子であり、歴史のある多くの事業者によって成り立っている業界に含まれる。このような業界においては、歴史の正当性は絶対的に守るべきことであり、需要者の商品選択に対して大きな影響を与える要素である。
 Yが商品に「創業元禄2年」や「since1689」との表示を付しているのも、まさにそのような要素であることを認識しているからであり、ホームページには、より直接的に「長年続いてきた味には、やはりそれなりの美味しさの理由があります。」と記載している。
 以上のように、本件Yの創業年の根拠は、客観的な資料が存在しないだけでなく、伝承としても存在しないことから、自身の創作であると考えられ、それにもかかわらず、商品表示として利用することは、創業年を適正に表示する商慣行が存在する京都発祥の和菓子業界を対象とする需要者にとって、そのような事実が客観的に存在するであろうとの誤認を生ぜしめる。
 このように、20号該当性が問題となった本件において、業界の商慣行を無視し、そのために、本来の需要者の認識とは異なるものを裁判所独自の経験則なるものから導き出した本件判決の判断は、20号の解釈基準の定立の誤りならびに事実認定における審理不尽が甚だしいものといえる。
 なお、本件は、上告不受理により確定※3しているが、上述の通り、創業年の20号該当性に関する判例となる基準を示したものとは評価できない。


(掲載日 2022年1月17日)

» 判例コラムアーカイブ一覧