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文献番号 2023WLJCC006
青山学院大学 教授※2
弁護士法人 早稲田大学リーガル・クリニック 弁護士※3
浜辺 陽一郎
1 はじめに
今回取り上げる訴訟(以下「本件訴訟」という。)は、主として日本と韓国で菓子製造、ホテル経営等の各種事業を行う某大企業(以下「Lグループ」という。)の創業者Bの長男と次男が争うお家騒動の一幕で、役員の責任が問題となった一事例である。Lグループは大企業であり、大会社である会社には内部統制の構築も義務づけられているが、日本の市場においては上場会社のようなガバナンスの規制を直接に受けるわけではない。そうした事情もあったのか、ガバナンス上の脆弱な実態が露呈した格好である。
本件訴訟で責任を追及されたのは、Bの長男(以下「Y」という。)だったが、残念ながらY個人にも、コンプライアンスに対する基本的な理解が及んでおらず、弁護士からの助言の受け止め方や弁護士の法律意見書の取り扱い方を見ると、経営者としての資質に問題を感じさせるような言動が見受けられ、それが敗因の一つとなったようだ。
2 事案の概要
Lグループは、日本国内では、持株会社である株式会社Lホールディングス(以下「LHD」という。)の傘下に、その中核事業子会社のほか、本件で原告となる株式会社(以下「X」という。)やL商事株式会社等の多数の事業子会社を有し、グループ全体が一体として事業活動を行っていた。
Yは、平成18年9月21日から平成26年12月26日までの間、Xの唯一の取締役かつ代表取締役であった。YがXの代表取締役として実施した事業(以下「本件事業」という。その具体的な内容には争いがある。)は、明示的に写真撮影を禁止する小売店舗に組織的かつ継続的に無断撮影目的で立ち入り、隠し撮りをして画像を収集する行為を必然的に伴うものであった。本件事業は、店頭での「売られ方」を店頭調査によりデータ化して有益なマーケティングデータとして提供する事業のアイディアを出発点として、Xの従業員DがLグループ内の新規事業提案制度に応募したことから検討が開始されたが、最終的には、別の形で進められることになった。
Lグループの事業子会社が新規事業を開始する際は、当時LHDの代表取締役会長であったBの承認を得ることがLグループ内の共通認識であったところ、Y及びDは、平成23年10月11日、Xで本件事業を実施することの了承を求めるため、Bに対し、本件事業の説明を行い、Bの承認を得た。また、同年12月21日、LHDの取締役会(以下「本件取締役会」という。)が開催され、Yその他のLHDの取締役やXにおける本件事業の担当課長であったDが出席した上で本件事業の検討を行い、最終的に、事業開始後3年度終了時点で事業継続についてレビューすることを前提として、全会一致で本件事業の実施を承認する決議がされ、Xでは、同日付けで、本件事業のための約4億7000万円の概算稟議が承認され、それ以降、本件事業が進められていった。
しかし、本件事業は結果的に失敗に終わり、Xは、本件事業から何らの利益も得られなかった。Xは、Yが、本件事業を実施してはならなかったのに、これを実施したことが取締役としての任務懈怠(法令違反及び善管注意義務違反)にあたり、これにより、Xが本件事業に要した費用9億6054万4899円に相当する損害をXに与えたとして、会社法423条1項に基づき、Yに対し、同額の損害金等を支払うよう求めた。これに対して、Yは、本件事業が違法行為を必然的に伴うものであったことを否認する等してXの請求を争った。
3 東京地裁判決の要旨
(1)本件事業で無断撮影を行うことは、違法性の点やLグループと小売業者との信頼関係を破壊しかねない点でリスクがある旨の指摘を受け、Y及びLHDの総務担当部長のLは、DとGに対し、費用が掛かってもよいので本件事業の違法性の有無について弁護士が作成する法律意見書を取得するよう指示し、Hら意見書、F意見書及びE意見書(以下、これらを「本件各意見書」という。)を取得した。
小売店舗の無断撮影目的の立入りを直ちに違法とは断定できないが、本件各意見書のいずれにおいても、明示的に撮影禁止が表示されている小売店舗における無断撮影目的の立入りが、民事刑事の両面において違法となる場合があるとされていた。
(2)Yは、①本件各意見書取得の際、本件事業について違法性等の点がグレーならゴーすると述べていたこと、②その後も、Dからは、適宜、検討状況等の電子メールによる報告も受け、本件事業に関わったP社のCも含めたYに対する報告会で詳細な報告も受けており、50店舗トライアルにおいて店舗に無断で調査を行うことが前提であったことも認識していたこと、③本件事業において消費財メーカーが自ら取得した店頭画像の分析委託を受けることがオプション事業として位置づけられることの報告を受け、これについて、本業のデータに遅れや支障が出ないように行うよう指示していたこと等に照らせば、DのBへの説明、本件概算稟議における説明及び本件取締役会での説明の時点においても、Dの説明内容が虚偽であることを認識していたものと認められ、DがYの了承なく独断で虚偽説明をするとは考え難いことから、当該虚偽説明は、Yの指示ないし承認に基づくものであったと認めるのが相当であり、これは、Y自身により虚偽説明がなされたものと同視し得るというべきである。
・・・Lグループ内では、LHDの代表取締役社長であったMを始めとする取締役が、小売店舗内の無断撮影により小売業者と大きなトラブルになる可能性を理由として本件事業に強く反対しており、本件事業については、店舗内の撮影について小売業者の賛同が得られない限り、グループ内の反対で実施が困難な状況であったが、Yは、Xが無断撮影を伴う店頭調査に関わるというLグループ内における反対理由の重要なポイントの部分について,虚偽説明によりグループ内の了承を取り付け、本件事業を実施した。
こうしたYの虚偽説明は、大きなリスクを抱えた本件事業の実施の可否について、Lグループの経営陣による検討を経た上での承認を踏まえた上で判断されることが予定されていたのに、これがなされる機会を失わせるものであり、かつ、虚偽説明がなければ、BやLHD取締役会の承認がされることはなく、本件事業が実施されることはなかったものと認めるのが相当であるから、Yが本件事業を実施するとの判断をするに至った過程には著しく・・・不合理な点があったといえ、本件事業を実施すべきではなかったのにこれを実施したものとして善管注意義務違反が認められ、取締役の任務懈怠となるから、これにより生じた損害について任務懈怠責任を負う・・・。
(3)Yの任務懈怠と因果関係のある損害として、Yが本件事業を実施すべきではなかったのにこれを実施したことが任務懈怠であるから、基本的には、本件事業のための支出はこれによる損害ということができる。本件事業は結果的に失敗に終わり、Xは、本件事業から何らの利益も得ていないから、本件事業のための支出自体を損害とすることに障害はない。
・・・Xが本件事業の開始から本件追加承認までに本件事業のためにした契約に基づく支出である合計4億8096万3681円の損害は、Yの任務懈怠と因果関係がある。
しかし、Xは、LHDに対し、本件事業に係る追加投資の稟議を行い、平成25年8月21日付けでこれが承認された(以下「本件追加投資承認」という。)。Lグループの経営陣は、顧客側ではなくXら事業主体側が無断撮影を伴う店頭調査を行うことに係る本件事業リスクの検討を経た本件追加投資承認をしており、LHDが関与した上で作成されたドラフトに基づき、YがXを代表して新業務委託契約を締結しているのであるから、新業務委託契約による支払については、Yの任務懈怠との相当因果関係を欠くに至ったものというべきであり、Xが本件追加投資承認後、本件事業のためにした新業務委託契約による支出(合計4億7958万1218円)が、Yの任務懈怠により生じた損害ということはできない。
(4)結論として、裁判所は、Yに対して、Xに4億8096万3681円及びこれに対する平成30年8月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払うよう命じ、その余の請求を棄却した。訴訟費用は、これを2分し、その1をXの負担とし、その余をYの負担とした。
4 若干のコメント
(1)事件の争点
本件訴訟の争点は、大きく分けると、本件事業を実施したことが、Xの取締役としての任務懈怠(法令違反又は善管注意義務違反)といえるかという点(争点1)と、任務懈怠にあたる場合、Xが本件事業のためにした支出9億6054万4899円が当該任務懈怠と因果関係のある損害といえるか(争点2)の2点であった。
本件訴訟は、株主代表訴訟と異なり、損害を被った会社自身が、追放した元代表取締役Yの責任を直接に追及するものであるため、Yが会社でどのように動いていたかを立証するための資料には事欠かなかったのだろう。その詳細な経緯が明らかとされ、裁判所は、争点1において、法令違反に基づく任務懈怠を否定したが、Yの善管注意義務違反に基づく任務懈怠を認め、争点2においては、LHDにおける本件追加投資承認の前後で区別し、その前のXの損害については因果関係を認めたが、その承認以後の損害については任務懈怠との因果関係を否定して、前記の結論に至った。
(2)本件訴訟の注目点
本件訴訟で注目されるのは、企業が新規事業を始めるときに、どこまで法的リスクを考慮する必要があるのかという点である。これをあまり厳しく咎めると、経営者が萎縮し、新しい事業に挑戦する意欲を削ぐのではないかという批判がある。特に、今後のITへの対応ないしAIの進展の絡んだビジネス領域では、法的に難しい問題が多い。新規事業領域で日本の企業が海外勢に負けている原因をコンプライアンスのために足を引っ張られているせいにする見方さえある。このため、経営サイドからは、経営判断の裁量を広く認めるべきだという観点から、本判決に疑問を抱く向きもあるかもしれない。
しかし、情報の重要性が広く認識されている現代のビジネス社会において、他者から情報を無断で収集して、それを元手に稼ぐというビジネスモデルが許容されるとは考えるのは、どうであろうか。少なくとも、他者から得る情報は、適正に取得しなければ、倫理的な問題を惹起するし、リクナビ事件でも大きな問題となった。さらに、その新規事業の検討にあたって、弁護士の法律意見書をどのように取得し、利用するかという点でも、本事例におけるYやDの行動には大きな問題があった。
(3)役員の責任を否定する理論
一般に、取締役の善管注意義務違反をめぐる訴訟における役員らの抗弁や否定の根拠は、「経営判断の原則」「信頼の権利」「期待可能性の理論」等がある。また、会社が法令違反のリスクを取ることの利益と不利益とを比較考量(費用便益計算)し、当該行為をするほうが会社の利益になると合理的に判断した場合には、当該行為をしても過失はないと解すべきだといった指摘がある※4。しかし、その費用便益計算をする際に、当該行為が外部に発覚する確率でディスカウントすることは許されず、密かに法令違反をしても法解釈の明確化に役に立たず、社会に何の利益も生じないから、たとえ会社の利益になると期待できるときであっても許されないとも説明される※5。
また、本件では、Yが弁護士の意見書にきちんと依拠していたのであれば、信頼の権利で保護されることも考えられよう。弁護士等の専門家の助言を信頼し、それが合理的ならば責任を免れる可能性があった。すなわち、弁護士・技師その他の専門家の知見を信頼した場合には、当該専門家の能力を超えると疑われるような事情があった場合を除き、善管注意義務違反とならない※6等と説明される。本コラムでも、かつて、他の取締役・使用人等からの情報を信頼すれば、特に疑うべき事情がない限り、善管注意義務違反にならないのが原則であるといった形で、信頼を保護する考え方については紹介したことがある※7が、意見書自体に欠陥があるとか、誘導的に弁護士の意見を引き出したようなものである場合は信頼の権利の前提を欠く。
(4)弁護士の法律意見書は何のためにあるのか?
最近の大企業が法務部門を充実させて弁護士に正式な法律意見書を求めるのは、この信頼の権利によって役員ひいては会社を守ることに役立つためでもある。しかし、弁護士の法律意見書は、決して「免罪符」になるものではない※8。また、弁護士の法的助言・アドバイスの範囲は、前提事実に適用されるものに限られる。状況が変われば、法的結論も変わるし、その助言の範囲を超えた行為はカバーされない※9。
本事例でも、複数の弁護士や法律事務所から意見書を取っているが、それがより妥当な判断の資料を集めるためではなく、「意見書漁り」のように見られるのでは、効果も半減してしまう。見解が異なる意見書が出てきた場合にも、それぞれの意見書の根拠のいずれが説得力に優っているかを判断する必要がある。この判断のために、さらに他の弁護士から意見を取るほか、社内弁護士を含む法務部員や経営陣が多角的に検討して、会社としての判断をすることが望ましい場合もある。
かねてから、取締役の善管注意義務が問題とされた事件で、弁護士意見書に依拠したことによって、どこまで責任を免れることができるかは、しばしば問題とされてきた。結論的には、その意見書の内容や助言の合理性、状況による。過去の裁判例には、例えば、そごう旧取締役損害賠償査定異議訴訟判決※10、コスモ証券株主代表訴訟事件※11、日本信販株主代表訴訟事件※12等では、いずれも、弁護士の意見書を踏まえたことが、善管注意義務ないし忠実義務違反を否定する要素として働いていた。また、MBO等のケースで独立した弁護士からなる第三者委員会の意見書に基づいて利益相反問題を克服するような実務対応を、多くの裁判例が承認してきている。
(5)本件の特殊性
しかし、今回の事件では、そうした弁護士の法律意見書が効を奏することなく、Yに責任が認められたところに大きな特徴がある。裁判所の事実認定によると、DがYと打ち合わせをした平成23年1月11日に、Yは、Dに対し、「本件事業について、違法性等の点がグレーならゴーする、(中略)法務の本来の仕事は、事業に係わる事案に対し、事業性が高いのであれば、ブラックを濃いグレーに、濃いグレーを薄いグレーにすることだ、自社の中で保身みたいな事を言っているようでは新しいことは難しい、法的にグレーとなるなら、経営会議もしくは役員会で白黒を判断するという意向なので頑張るようになどと述べた」という。こうした認識は、極めて危険であるだけでなく、健全な事業経営が期待されている日本の市場においては通用しない考え方ではなかろうか。
結果として、Yは、3つの法律事務所から法律意見書を取得したが、まじめに意見書を受け止めたとは言い難いような対応であった。とりわけ、Lグループの顧問弁護士である大手法律事務所のH弁護士らの意見書は、「明示的に撮影禁止が表示されている小売店舗に関して本件事業を行うことは、民事刑事の両面において法的リスクが高く、明示的に撮影禁止が表示されていない小売店舗の場合であっても、法的リスクが完全に無くなるわけではない、将来的に明示がなされる可能性があるからそれ以降の法的リスクを十分に考慮する必要がある」としていた。
しかし、Yは、弁護士らから指摘されていた問題を適切に理解しないまま、Bらに対して虚偽の説明をする等の行為にまで及んだ。そうした事情が、善管注意義務違反が認められる決め手となったようだ。本件訴訟では、先に述べたような微妙な法律論を議論するまでもなく、経営者のプリミティブな倫理的な姿勢が問題となったわけで、倫理観に問題を抱えた経営姿勢は、どこかで問題が顕在化する可能性が高い。今回の事件は、経営者に企業倫理の重要性をあらためて認識してもらう教材として、参考にすべき事案であろう。
(掲載日 2023年3月27日)