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大東文化大学・東海大学・國學院大學 非常勤講師
税理士 佐々木 雄一
1910年11月10日にフランシスコ・マデラがメキシコのポルフィリオ・ディアス政権打倒のために武装蜂起した。メキシコ革命は、この時に始まり1940年12月にラサロ・カルデナス大統領の退任時に終了したとされる。ディアス大統領は1866年に政権の座に就き、1910年の大統領選挙にも立候補しようとしたが反対が多かった。彼が土地制度の改革を進めた結果、農民から土地を接収して外国資本や大農園主に売却する結果となり、さらに、第一次世界大戦後の不景気により経済的に困窮した大農園主や農民・鉱夫が不満をつのらせていた。1911年5月にディアス大統領は辞任してフランスに亡命し、後継大統領となったフランシスコ・マデラは1913年2月に暗殺された。ビクトリアーノ・ウエルタ、ヴェヌスティアーノ・カランサ、アルバロ・オブレゴン、エミリアーノ・サパタ、フランシスコ・パンチョ・ヴィージャ等が主導権を争う戦乱が続き、1915年10月にアメリカ合衆国から事実上の政府承認を得たカランサが勝利を得た。
革命を正当化し、メキシコの新しい社会像を国民に示す必要性からカランサは憲法制定を急ぎ、1916年12月に制憲議会を召集し、1917年2月にケレタロで新憲法が公布された。制憲議会の議員220名にはカランサの反対派が除かれていたが、その職業は軍人、医師、法律家、教師、技術者、鉱夫など多様な階層の人々が加わっており、またその年代も半数以上が20歳~30歳台と若かったので、憲法の内容はカランサの予定していたよりもはるかに急進的なものとなった。前の憲法である1857年憲法が土台とされ、フランス革命の人権宣言にならった人権保障に関してはそのまま継承された。特徴的な改正は土地所有は根源的に国家に属しメキシコ人とメキシコ法人に限られるとして、外国人および教会(法人格を否認)による所有を禁止した。そして、土地、水、鉱山等の開発において、外国投資家が自国の保護を求めない場合にメキシコ人と同じ権利を認めるというカルボ原則を規定した。労働基本権や義務教育、社会保障についてその内容が詳細に規定された。宗教については国の干渉権が定められた。
この憲法は、メキシコが20世紀後半の金融危機を経験した後に、OECDに加盟し、NAFTAを締結して先進国の仲間入りする過程で改正された。現在では教会に関する規制が大幅に緩和され、また土地所有に関しても外国資本による土地所有が再び認められ、革命初期の精神は失われ、新しい段階に入ったといわていれる。
(掲載日 2010年5月24日)