第117回 「いじめ」は、いじめられた児童生徒の立場で認定されるべきでないか?

おおとり総合法律事務所弁護士
専修大学法科大学院教授
矢澤 昇治

本日(8月5日)、水戸地裁で損害賠償請求事件につき判決が下された。この事件の概要は、原告の主張するところによれば、被告ら4人の中学生が同学年原告生徒をいじめた上、被告生徒の2人が、放課後、教室の掃除中に原告を羽交絞めにして、掃除用デッキブラシの柄で原告の急所を4・5回突き左の精巣機能を不全に至らしめたので、原告は、被告ら生徒とその保護者ならびに学校側の責任を求めて水戸市に対して損害賠償を請求したという内容である。

これに対する水戸地裁の判決は、1)生徒2人だけによる共同不法行為を認めたが、本件の最大の問題点である、原告生徒の心に傷となった被告生徒らによる「いじめ」の存在と成立を否定し、2)精巣の機能不全が労働能力の喪失をもたらすものではないとして後遺障害逸失利益を否定し、3)市の責任についても、学校における監護義務の存在を認めながらも、この義務違反が認められるためには、生徒が他人の生命身体等に対して危害を加えることがある程度具体的に予見されていたにもかかわらず、それを阻止すべき措置を故意・過失により採らなかった場合にかぎるとして、市の責任を否定した。しかしながら、原告代理人としては、この判決内容には承服できない。まず、「いじめ」の問題について、裁判所は、根本的な誤解をしているといわざるをえない。すなわち、「いじめ」をいかなる立場から行うかということについてである。

確かに、従来の文部科学省の理解によれば、「いじめ」とは、「自分より弱い者に対して一方的に身体的・心理的攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」とされていた。しかし、平成19年1月19日に「いじめ」の定義を見直した。その結果、「いじめ」とは、「当該生徒児童が、一定の人間関係のあるものから、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない」とされた。要するに、見直し後は、いじめか否かの判断が、「いじめられた児童生徒の立場に立って」、いじめられた児童生徒の気持ちを重視するということに他ならない。原告生徒は、被告ら生徒らから、学校の内外で、「キモイ」などの言葉の暴力を浴びせられ、精神的な苦痛を感じたのである。また、被告生徒らから、頻繁に、かつ、五月雨式に、手で股間を接触する行為と股間を握る行為を受け続けてきた。被害者である原告は、これらの行為に不快感を抱くのみならず、嫌悪感と屈辱感を覚え精神的、心理的な苦痛を受けてきたと主張したのである。ここでは、それらを立証する事実は割愛せざるを得ないが、証人尋問では、生徒らの担任教師も被告生徒らの行為が「いじめ」であったと認めていたのである。しかるに、裁判所は、「いじめ」をいじめられた児童生徒の立場で考えようとせずに、生徒らによる「いじめ」の存在を認めなかったのである。

いじめによる生徒の自殺が多発する現況で、裁判所も、いじめられている児童を思いやる必要があるのではないかと痛感するところである。

 

(掲載日 2010年8月16日)

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