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判例コラム
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第128回 「債権法改正が〇〇に与える影響」のまやかし

法務省 民事局 民事法制管理官
萩本 修

現在、法制審議会の民法(債権関係)部会において、民法の債権関係の規定を見直すための審議が行われている。それに呼応するかのように、「債権法改正が〇〇に与える影響」などと題する有料のセミナーが開催されているようである。

しかし、このようなタイトルの有料のセミナーの募集広告を見かけるたびに、一体全体、料金を取ってどのような話をしているのであろうか、一体全体、料金を支払ってまでどのような話を聞いている(聞かされている)のであろうか、と疑問を感じている。

民法(債権関係)部会における審議は、2009年11月に始まり、これまでに18回の会議が開催された。法制審議会の民事法系の部会の中には、これくらいの会議の開催回数で要綱案を取りまとめたものもあるから、既に相当な回数の会議が開催されていることになる。

ただ、今回の見直し作業における検討の対象は、その範囲が膨大であり、論点も多岐にわたる。実際に見直すことになるかどうかは今後の審議次第だが、見直すかどうかを検討する対象は、契約に関係する民法の規定全般であり、第3編(債権)の規定にとどまらず、第1編(総則)の規定の一部も含まれる。

それゆえ、十分な審議時間を確保するため、当面、要綱案を取りまとめる期限は設定しないことにしている。また、いきなり改正試案のような(これとて、あくまで試案にすぎず最終的なものではないとはいえ)結論めいたものの作成を目指すのではなく、2011年4月ころを目途に中間的な論点整理をすることを第1段階の目標としている。中間的な論点整理について広く国民一般からの意見を求める手続(パブリックコメント)を行うことも予定している。

実際、部会では、総論的な議論をした後、3回目の会議から個別的な検討事項について順次議論をしているが、いまだ、膨大な数の検討事項を一巡すらしていない。実態調査をすべきではないかという意見が部会で出された検討事項については、会議における議論と並行して、実態調査も行っている。

以上から明らかなとおり、具体的な見直しの方向性や姿が見えてくるのは、まだまだ先の話である。要するに、具体的な内容はまだ何も決まっていない。当然のことながら、見直しの方向性や姿すら見えない現段階で、法改正による影響を語ることなどできるはずもない。

学者グループによる改正提言が複数存在するが、そのうち民法(債権法)改正検討委員会が2009年に発表した債権法改正の基本方針に掲げられた提案が、あたかもそのまま部会における取りまとめの方向性や姿をリードするものであると決めつけ、それを前提に「債権法改正が〇〇に与える影響」を語る向きもあるようである。しかし、それは、部会における実際の議論の状況を正解しない、勝手な決めつけにすぎない。にもかかわらず、料金を取って影響を語る、料金を支払ってまで影響を聞こうとするというのが、私には不思議でならない。これが冒頭で述べた疑問である。

もちろん、見直しのための部会の審議に関心を抱き、その動向を注視していただいていることはとてもありがたいことであり、感謝に堪えない。見直しの方向性や姿について建設的な意見を表明するためには、学者グループによってどのような提案がされているのか、それぞれの提案によれば実社会にどのような影響が生じ得るのか等を把握することが必要になることもあろう。

しかし、それは、より良い民法改正を実現するために建設的な意見を表明し、あるいは建設的な議論をするために必要なことなのであって、いつ改正されるかも、どう改正されるかも、何も決まっていない現段階で、改正後に備えるために(少なくともセミナー代を支払ってまで)そのようなことをする必要は全くない。法改正が実社会に与える影響が大きければ大きいほど、国民にとって十分な周知と準備が必要となるから、改正法の成立から施行までの期間を長くとるべきことは当然である。その意味でも、見直しの方向性や姿を今からあれやこれやと勝手に想像して改正後に備えようとすることが、およそ非効率的でナンセンスであることは明らかであろう。

また、見直しの方向性や姿に対する意見表明については、中間的な論点整理がされるまでに意見を表明しないと、見直しの実質的な内容が固まってしまい、せっかく意見を表明しても見直しのための審議に反映されないので、それまでには意見表明をする必要がある、という風説があるらしい。

しかし、既に述べたとおり、中間的な論点整理はあくまで中間的な論点整理である。それ以上でもそれ以下でもない。それに対する国民一般の意見を聞きたいからこそパブリックコメントの手続をするのであって、その後に寄せられる意見を反映しないのであれば、そのような手続をする意味はなくなってしまう。風説は所詮風説である。

(掲載日 2010年11月15日)

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