第174回 「電子出版時代における“引用”を考える」

成城大学法学部教授
指宿 信

いよいよAmazon社のKindleが日本語コンテンツ・ビジネスを始めることが決まり、(予想されていたことではあるが)我が国の出版界も電子出版ビジネスへの対応を余儀なくされる時代となっている。

既にインターネットの普及により法学分野においても電子的資料は溢れており、大学や研究機関あるいは研究者個人の発信する学術関連情報であれ、学会誌等のオーソドックスな学術情報であれ、あるいは、政府関係の情報提供であれ、インターネットには公私の主体を問わず様々な情報が日々増加し続けている。

そうした紙や本といったリアルな出版物に依拠しない完全な電子資料の引用については、残念ながら我が国の法学界で突っ込んだ議論がされたことはないように思う。学問の世界の中でも際だって保守的な法学分野であるから、当初、インターネット上の情報に依拠することへの躊躇は相当強かったように感じるが、今やネット上の資料への依拠や引用は珍しいものではない。むしろ、政府系情報―たとえば審議会の議事録であるとか資料―であれ、判例情報―たとえば裁判所ウェブサイトに掲載された判決―であれ、論文等の著作物に引用できないという態度をとれば多くの資料への参照が阻まれ、代用となりうる資料を獲得することも困難であろう。

ところが、現在、大学教員にとって悩ましいのは学生たちのレポートにおいて多用されるWikipediaに代表されるネット上の匿名情報である※1。ほとんどの学生は、google+Wikipediaでレポートを書くことができると錯覚しており、そうした態度を是正された経験がないかのようである。ウェブ上の資料の取扱いとネット文献の基本的な性質に関する学習をおこなっていないか、あるいは、いたとしてもそれに無自覚、無警戒な態度が目に付く。ことはリテラシーの問題なのであるが、教員・研究者の世界でもネット上の資料の取扱いについて十分な蓄積がないことも事態を悪化させている一因であろう。

学生にはまず、社会科学、とりわけ法学分野ではインターネット上の検索では入手しえない資料(書籍や論文といった主に紙媒体の資料)の探索こそ資料発見の第一歩であることを教えなければならず、最低限、無料の書誌情報データベースや商用サイトの文献データベースを使って文献を探すことを教えなければならない。いわば「リーガル・リサーチ」の初歩である。そして次に重要なことは、googleに代表される検索エンジンの有用性は認めつつ、検索順位について懐疑的批判的な態度をとるよう指導する必要があることである。本来あるべきリサーチの態度を示すだけでは不十分で、彼らが頼ろうとするネット検索の限界や問題点も示しておかなければならない。

ただこの点、法学教員は一般的には情報学の素養をもたないため、いかに検索エンジンの検索順位が巧妙に操作されているかとか※2、特定のサイトが検索エンジンのロボットを排除しているため検索結果に現れることがない※3といった説得的な事例を提供することは難しい。となれば、そうしたリテラシーについてどの段階で学生に習得させるのか大学教育全体の課題とされるべきだろう。

では、ネット上で探し出した資料の引用や参照についてはどうか。前述したように、大量の公的機関の情報がネット上で入手できるいま、ネット文献を引用や参照資料からいっさい排除してしまうことは現実的でない。だが、たとえばWikipediaを引用してきたレポートにどう対応すべきか教員集団になんらかの合意はあるだろうか※4。ネット上には非常に優れた内容を持っているものの制作者や執筆者を明らかにしない“匿名コンテンツ”があふれている。こうした匿名サイトを引用してよいか。自然科学系では既にネット上の資料の引用法が標準化されているが※5、法学系ではまだ確立していない※6。学会誌によっては電子媒体からの引用を避けるよう指示しているケースもある※7

さて、くだんのWikipediaも編者も著者も明らかでない以上は匿名コンテンツのひとつである。基本的に誰でも自由に書き込むことができ、閲覧も制約されない。ところが、報道されているように※8、官庁系アドレスからWikipediaの大量の書き込みがあったことが報告されている。このことは、政府のホームページを読んでいるときには政府見解ないし政府見解に沿った立場であることが明らかなのに、Wikipediaのような匿名サイトの場合には、あたかも中立的な立場を装いながら一定の見解のみが伝えられてしまうという危険性があることを示していよう。

Wikipediaそのものの構想は素晴らしく、「知の共同体、知の集積庫」であり、誰もが利用できるオープンアクセスの見本であり、その精神もインターネット的である※9。だが、実はオープンであればあるほど情報の信頼性が損なわれていくという相関関係にあることも見逃せない※10

このようなネットの特質を理解した上で資料を利用していくスキルを、今後、大学教育でどのように進めるかということはネットワーク時代の新たな教育課題だろう。有用で価値ある情報をネット上で発見し、それらを利用しつつ、他方で、情報源として自己の著作物にどのように引用してよいか、あるいはしていけないか、というリテラシー※11を学び、同時に、ネット文献の“コピペ”を避けるといった情報倫理※12を育成することが、電子出版幕開けといわれる今、急がれている。(了)

(掲載日 2012年1月10日)

 

  • もう一つ教員を悩ませている問題として、ネット上の情報をレポートにコピー&ペーストする、いわゆる「コピペ」問題があるが、ここでは触れない。
  • 検索順位が検索マーケティングという技術によって左右されることを明らかにしたものとして、NHK取材班『NHKスペシャル Google革命の衝撃』(日本放送出版協会、2007)等を参照。
  • いわゆるデータベース・サイトが検索エンジンのロボットにコンテンツを探索されないよう防御策を講じている場合は少なくないし、有料コンテンツ・サイトも検索エンジンをブロックしている。たとえば以下を参照。
    ”UK Times’ Paid Sites Will Turn Search Engines Away From Stories”
    (2012年1月6日参照・・・この他、本稿におけるウェブ文献の確認日付はすべて同一)
  • 卒論やレポートにおいてWikipediaの引用を明示的に禁じる研究室もある。たとえば、東京大学教育学部基礎教育学研究室の、小林正泰『レポート/卒論を書くにあたって〔第4 版〕』( 2010 年6 月7 日発行)
    http://www.p.u-tokyo.ac.jp/wp-content/themes/p_u_tokyo/pdf/manual/manual_kiso.pdfを参照。
  • SIST 科学技術情報流通技術基準 参照文献の書き方「5.10 ウェブサイト, ウェブページ, ブログ」の項を参照
    http://sist-jst.jp/handbook/sist02_2007/sist02.htm#4-3
  • 法律編集者懇話会「法律文献等の出典の表示方法[2005年版]」
    http://www.houkyouikushien.or.jp/katsudo/pdf/horitsu.pdf参照。
    なお、一般的な検討として、拙著『法情報学の世界』(第一法規、2010)「第3節 学術文献としてのオンライン情報の引用」を参照。初出は、「ネット文献の引用方法について――学術資源としてのネットの可能性――」ARG第54号
    2000-02-05<http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/ARG/compass-028.html
  • たとえば、日本心理学会は「電子媒体からの引用は、極力避ける」とする。「2005年版 執筆投稿の手引き<修正版>」
    http://www.psych.or.jp/publication/inst.html参照。
  • たとえば、「総務省や文科省もWikipediaを編集していた」IT Media 2007年08月29日
    http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0708/29/news059.html参照。
  • 学術情報としてWikipediaを積極的に評価するものとして、ピエール・アスリーヌ『ウィキペディア革命―そこで何が起きているのか』(岩波書店、2008)。特に、木村忠正氏による「解説 ウィキペディアと日本社会―集合知,あるいは新自由主義の文化的論理」を参照。ウェッブ版もあり、Wikipediaの履歴を参照する方法などを用いて学術利用を推奨する。
    http://www.ne.jp/asahi/kiitos/tdms/work/wikirevolution.html
  • Wikipediaの信頼性に関する議論として、たとえば、「“Wikipediaはブリタニカ並みに正確”記事に反論」IT Media 2006年3月24日http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0603/24/news061.html参照。 Wikipediaの創設者自身が、「オープン性と記事の質は、難しいトレードオフの関係にある」と言ったとする次の記事参照。「オープン性と質の両立は難しいが」IT Media2007年3月23日http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0703/23/news137.html
  • Wikipediaについては、その他、渡辺智暁「われわれはウィキペディアとどうつきあうべきか:メディア・リテラシーの視点から 」情報の科学と技術61巻2号64ページ(2011)等参照。
  • 引用に関する情報倫理は各大学で取り組まれ始めている。

次回のコラムは1月23日(月)に掲載いたします。

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