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西村あさひ法律事務所
弁護士 細野 敦
推進派と反対派、民法学者と経済学者の議論が対立し混迷を深めた状態で、従来型の正当事由による解約及び更新拒絶制限の借家契約が残されたまま、正当事由の不要な定期借家契約制度は平成12年(2000年)3月1日に借地借家法38条に規定・施行された。しかし、正当事由条項なく確実に所有者の手元に建物が所有者に帰ってくるようになれば、良質な借家の供給が増加し、家賃が低下するとの推進派のモデルはマクロ的には現実化していない状況である。もちろん、確実に借家期間が満了することによって安心感を得る所有者による借家の供給という貸主側の選択肢、更新がなく定期に明け渡してもよいので、安価な賃料で借家を借りたいとの借主側の選択肢がそれぞれ増えたことによる賃貸市場の多様化という側面は否定できないものの、推進派が目論んでいたような経済学的モデルは実証されているとは言い難いであろう。
そのようなマクロ的な視点はさて措き、定期借家契約という法制度を所与のものとして検討せざるを得ない裁判所は、定期借家契約について規定した借地借家法38条の解釈について、BtoB(企業間取引)的視点から対処するのか、BtoC(事業者対消費者的)的視点から対処するのか、明確ではなかったといえよう(もっとも、後記のとおり、最高裁は既に判断を固めていたと解し得る。)。すなわち、借地借家法38条2項は、定期建物賃貸借契約を締結する際、賃貸人は、あらかじめ、賃借人に対し、同条1項による建物の賃貸借は契約の更新がなく、期間の満了により終了する旨記載した書面を交付して説明しなければならないと規定し、同条3項は、同条2項の規定による上記説明をしなかったときは、契約の更新がないこととする旨の定めは無効とすると規定している。その趣旨は、書面によって定期建物賃貸借契約であることを賃借人に明確に説明させることにより、賃借人が十分に認識しないまま定期建物賃貸借契約を締結してしまうことを防止しようとするところにあるのであるが、借地借家法38条2項の説明書面が契約書と別のものであることを要するか否かという点については、積極説と消極説が対立していた。
裁判例では、東京地判平成19年11月29日判タ1275号206頁※2が、企業同士が営業用の倉庫を対象に賃貸借契約を締結するような場合には、書面の別個独立性についてより緩やかな基準に基づく判断をすることが相当な事案もあると考えられるところであるが、仮にこのような場合を含めて、借地借家法38条2項の「書面」は契約書とは別個独立の書面を要すると解したとしても、少なくとも、賃借人が契約書において、当該賃貸借契約が定期建物賃貸借契約であり、更新がないことを具体的に認識していた場合にはこの限りではないと解すべきであると消極説の判断をしていた。これに対し、最判平成22年7月16日集民234号307頁※3は、賃貸借契約に係る公正証書に説明書面の交付があったことを相互に確認する旨の条項があり、賃借人において上記公正証書の内容を承認していることのみから、借地借家法38条2項において賃貸借契約の締結に先立ち契約書とは別に交付するものとされている説明書面の交付があったとした原審の認定には、経験則又は採証法則に反する違法があるとの判断を下していた。この判決は、原判決の「別個の説明書面の交付があった」という事実認定を問題とするものであり、「説明書面は契約書と別のものであることを要するか否か」という論点について明示的な判断を示すものではないが、積極説と整合的であると読み取ることが可能な判断であった※4 。
そして、最高裁第一小法廷は、本年9月13日の判決で、「(借地借家)法38条の規定の構造及び趣旨に照らすと、同条2項は、定期建物賃貸借に係る契約の締結に先立って、賃貸人において、契約書とは別個に、定期建物賃貸借は契約の更新がなく、期間の満了により終了することについて記載した書面を交付した上、その旨を説明すべきものとしたことが明らかである。そして、紛争の発生を未然に防止しようとする同項の趣旨を考慮すると、上記書面の交付を要するか否かについては、当該契約の締結に至る経緯、当該契約の内容についての賃借人の認識の有無及び程度等といった個別具体的事情を考慮することなく、形式的、画一的に取り扱うのが相当である。したがって、法38条2項所定の書面は、賃借人が、当該契約に係る賃貸借は契約の更新がなく、期間の満了により終了すると認識しているか否かにかかわらず、契約書とは別個独立の書面であることを要するというべきである。」旨積極説の立場を採ることを明らかにした。
既に積極説と整合的であると読み取ることが可能な最判平成22年7月16日集民234号307頁の判断があり、また、積極説と消極説の対立があったとしても、判例上解釈が確立していない限り、実務的には、貸主に予想外のリスクが及ぶことのないよう、大方、積極説による安全サイドの運用がなされていたことが窺われる。定期借家契約は、保証契約が平成16年(2004年)の民法改正により書面による要式行為とされたのと同様に、もともと公正証書等書面によって契約をすることが要件とされているが(借地借家法38条1項)、さらに、本件最高裁判決により、更新がなく期間満了により賃貸借が終了することにつき、契約書とは別個独立の書面の交付が要求されたことで、賃借人の手厚い保護が確立されたことになる。定期借家制度の推進派の論者にとっても、賃借人が十分かつ完全に定期借家の趣旨を理解して賃貸人と契約関係に入ることは当然の前提であろうから、本件最高裁判決がマクロ的に見て、定期借家制度の在り方を左右するとは考えられないが、様々な推移を経て導入された定期借家制度の解釈的論点に最高裁が明確な解釈を示したことは、定期借家制度導入後、制度の運用が確実に歩みを進めている中での一つの節目として大きな意義があるものと考えられる。
(掲載日 2012年10月1日)
次回のコラムは10月15日(月)に掲載いたします。