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判例コラム

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判例コラム

 

第113号 年俸制の医師に対する割増賃金支払い義務 

~年俸に割増賃金が含まれるとの合意と労基法37条の適用の要否~
~~最高裁第二小法廷平成29年7月7日判決※1~~

文献番号 2017WLJCC021
明治大学
教授 野川 忍

1.はじめに

 本件は、先に出された国際自動車事件(最三小判平29・2・28労判1152号5頁)※2 に続いて、最高裁が、「労基法37条に基づく時間外労働の割増賃金を支払ったとみなされるための要件」を示したという点に第一の意義がある。国際自動車事件では、時間外割増賃金の額が基本給から減額されるという賃金算定方式のもとで、時間外労働が行われても支給される賃金が増額しないという結果が問題とされたが、本件はこれとはかなり事案の内容が異なり、高度な専門職である医師について、年俸制が採用され、時間外労働とこれに対する賃金については独自の規程に基づいて処理されていたため、結果として労基法37条に基づく割増賃金が支払われたと確認できないと判断されたという事案である。共通するのは、通常の労働時間に対する賃金と割増賃金とが区別されていることが労基法37条の割増賃金が払われたと認定できるための基本的前提であるという認識であるが、他方で、時間当たり賃金×時間外労働時間数×1.25という労基法37条による算定方式とは異なる方式が、いかなる場合には同条に抵触しないか、という課題については、かなり異なる実態を対象としている点で注目される。なお、本件は解雇事件であって中心的な請求は労働契約上の地位確認と未払い賃金の請求であるが、この点は解雇有効の判断が第一審から最高裁までを通じて維持されており、以下の解説では触れない。

2.本件の概要

 医師であるXは、Y医療法人と平成24年4月に雇用契約を締結した。この契約では、賃金は年俸とし、①本給(月86万円)、②諸手当(役付手当、職務手当及び調整手当)として計34万1000円、③賞与(本給3か月分相当額を基準として成績により勘案する)によって構成されていた(以下、①と②の合計額120万1000円を「月額給与」とする)。勤務は週5日で、一日の所定勤務時間は午前8時30分から午後5時30分までとされ、業務上の必要性がある場合はこれ以外の時間帯も勤務しなければならず、その場合の時間外勤務手当については「医師時間外勤務給与規程」(以下「本件規程」)によるとされていた。本件規程では、時間外手当の対象業務は「病院収入に直接貢献する業務」又は「必要不可欠な緊急業務」に限定され、医師の時間外勤務に対する給与は緊急業務における実働時間を対象として管理責任者の認定によって支給すること、時間外手当の対象となる時間外勤務の対象時間は勤務日の午後9時から翌日の午前8時30分までの間及び休日に発生する緊急業務に要した時間とすること、通常業務の延長とみなされる時間外業務は時間外手当の対象とならないこと、当直・日直の医師に対しては別に定める当直・日直手当を支給すること、等が定められていた。
 Yは、平成24年4月から9月までの間のXの時間外労働を27.5時間(うち7.5時間は深夜労働)と算定してこれに対する時間外手当15万5300円を支払った。この手当はXの1ヵ月あたりの平均所定労働時間及び本給の月額86万円を計算の基礎として算出され、深夜労働を理由とする割増しはされていたが時間外労働を理由とする割増しはされていなかった。Xは、解雇無効に基づく請求のほか、時間外労働の割増賃金未払い分438万円余と遅延損害金、および付加金の支払い等を求めて訴訟を提起した。

3.原審までの判断

 第一審(横浜地判平27・4・23判時2287号124頁)※3 は、医師としての業務の特殊性を指摘して「使用者の管理監督下でなされた労働時間数に応じて賃金を支払うことに本来馴染まないものともいえ、労働基準法による労働時間の規制を及ぼすことの合理性に乏しい」としたうえで、XとY間には時間外労働に対する賃金が年俸に含まれているとの合意が成立していること、本件規程は合理性があることなどにより、Xの請求を、月60時間を超える時間外労働と深夜労働については年俸に含まれていないこと、諸手当も割増賃金の算定基準に含まれることなどから56万3380円と遅延損害金および付加金に限って認めた。
 これに対し原審(東京高判平27・10・7判時2287号118頁)※4 は、判断の基準は第一審と異なることなく、第一審で認められた未払い額をYが供託したことなどからXの請求をすべて棄却した。

4.最高裁判決の概要

 最高裁は原審判断を破棄し、以下のように述べて、本件を差し戻した。すなわち前提として、労基法37条の趣旨は、「使用者に割増賃金を支払わせることによって、時間外労働等を抑制し、もって労働時間に関する同法の規定を遵守させるとともに、労働者への補償を行」うことにあるが、同条は、そこに定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるのみであって、「労働者に支払われる基本給や諸手当にあらかじめ含めることにより割増賃金を支払うという方法自体が直ちに同条に反するものではない」。他方で、「使用者が労働者に対して労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったとすることができるか否かを判断するためには、割増賃金として支払われた金額が、通常の労働時間の賃金に相当する部分の金額を基礎として、労働基準法37条に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回らないか否かを検討することになるところ、同条の上記趣旨によれば、割増賃金をあらかじめ基本給等に含める方法で支払う場合においては、上記の検討の前提として、労働契約における基本給等の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要であ」る。この前提からすると、本件では、1700万円の年俸に時間外労働等に対する割増賃金を含ませる合意はなされていたものの、このうち時間外労働等に対する割増賃金に当たる部分は明らかにされていないので、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができず、したがって、YのXに対する年俸の支払いにより、Xの時間外労働および深夜労働に対する割増賃金が支払われたということはできない。

5.本判決の意義

 本件に先行する国際自動車事件最判に対して、一部のメディアは、歩合給による賃金制度の場合には労基法の割増賃金制度が適用されない場合がある、との論調で紹介しており、一定の反響を呼んだが、そのような理解が誤っていることは、同判決に対するこの欄の解説でも指摘した※5。そして本判決においても、一部のメディアでは、1700万円の高給取りに対しても割増賃金が支払われるべきであるとの判断を最高裁が行ったかのようにセンセーショナルな報道がなされている。しかし、これも全くの誤解である。上記のように最高裁は、Xの賃金が高額であることについては全く関心を示していない。本件の最大の意義は、労基法37条の割増賃金が支払われたとみなしうるためには、一方で同条の示す計算式によること自体は全く必要ではなく、割増賃金と算定基礎となる賃金等を併せて支払う措置もそれ自体は違法ではないが、他方でそのような場合は割増賃金と通常の労働時間に対する賃金とが判別しうることが不可欠であって、それは歩合給で働く労働者についても、また医師のような高度な専門職で大幅な裁量が必要な労働者であっても全く同様である、ということを示した点にある。すなわち、判旨が原審の判断を破棄したのは、年俸に時間外手当が含まれるとするXY間の合意を問題としたのでもなく、Xのような立場の医師に対する本件規程の有効性や合理性を否定したのでもない。時間外労働の場合に導き出される「通常の賃金の時間当たり算定額×時間外労働時間数×1.25」という計算式によらずに算出する方式については、結果として右算定式により算出された額を下回っていない限り、同条違反にはならないことを最高裁は繰り返し明言しており(高知県観光事件(最二小判平6・6・13)※6 、テックジャパン事件(最一小判平24・3・8))※7 、ただ、割増賃金の算定基礎となる額と割増賃金そのものとが区別できるのでなければ、割増賃金が支払われたと認定する前提が欠けていると言っているのである。したがって、本件はモルガンスタンレー事件(東京地判平17・10・19労判905号5頁)※8 が示した、給与が労働時間を対象としていないことや労働時間管理がなされていないこと、および高額の報酬が保障されていることなどの事情が認められれば、割増賃金と通常の労働時間に対する賃金とが判別できなくても、割増賃金「こみ」の給与に対する合意によって、割増賃金は支払われているとする解釈を基本的に否定したことは間違いない。

6.判旨の評価

 本件では、すでに原審までにおいて、Xは労基法41条2号の管理監督者にも3号の監視断続労働従事者にも該当しないことや、実際にXはYが認めた時間数以上の時間外労働を行っていたことが認定されていた。したがって、論点が多岐にわたることなく、判旨のように「通常の労働時間に対する賃金と割増賃金の判別可能性」に絞られたことから、本件から示唆される他の論点には触れられていない。そして、通説・判例が繰り返し指摘しているように、労基法37条が強行規定であり、適用対象を合意で限定したり、時間外労働の意義を合意により決定したりすることができないことを踏まえれば、その結論に反対する論理はありえないと言わざるを得ない。

7.差戻審の展望と今後の課題

 最高裁は、本件規程の合理性や労働契約との関係については全く触れていない。したがって、差戻審では、本件規程による実際の取扱いが、労基法37条の規定に結果として反していないとの主張が展開され、その適否が争われることとなろう。もっとも、原審までに現れた事情の限りでは、最高裁の判旨に基づいて一定額の割増賃金未払い額が認容されるとの結果を否定できる要素はほとんどない。
 他方で、本件規程のような取扱いは一般に広く行われているであろうし、医師のような高度な専門職についても労働時間の算定を基礎とする割増賃金が支払われるべきであるとする現行法制への疑問は高じていくであろう。高度プロフェッショナル制導入の可否をめぐる議論の中で、本件判決がどのような影響を及ぼすかも注目される。

(掲載日 2017年8月25日)

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